遥かなる終着点
後年、魔族軍が見せた少数の軍が敵を誘引し、深みを呼び込んだところで魔法攻撃によって敵を崩壊させ、敗走が始まった直後にその背後に追撃戦をおこなう大部隊が現れるという一連の流れは、この時代における最高戦術のひとつとされた。
ただし、純粋に戦術の巧緻さを評価する者がいる一方で、そこに微妙な要素も加える者もいた。
ミュランジ城攻防戦を戦争における芸術と主張したブリターニャの戦史研究家フィログ・ホーリーヘッドを散々こき下ろしたフランベーニュ人の著名な歴史家ウスターシェ・ポワトヴァンは皮肉交じりに「これを芸術と呼ばずに何を戦争芸術と呼ぶのだろう」とグワラニーの手腕と配下の兵士たちの完璧な動きを高く評価した。
同じくフランベーニュの軍事研究家エリック・シュルアンドルもこの戦術とその結果を大いに評価したのだが、むろんこれは魔族軍の相手がブリターニャ軍であったこともいつもは辛口の彼らが驚くほど高評価する一因とされる。
当然ながら、ブリターニャ人の評価は概ね低い。
ブリターニャの戦史研究家ブライアン・マルハムの言葉。
「結果だけみれば素晴らしいものだ。だが、あれだけの見え透いた誘いに乗るブリターニャ軍の間抜けさが派手な成功の主な要因であり、魔族軍の指揮官の策が特別秀逸というわけではない」
フィログ・ホーリーヘッドの言葉もなかなか手厳しい。
ただし、こちらのその矛先はブリターニャ軍に向いていた。
「愚かな集団が大挙して狩られに出かけ、そして、無事希望通りになっただけのこと。愚か者相手に詐欺まがいの楽な仕事をした者に高評価をつける気はない」
つまり、芸術品とは程遠い。
ホーリーヘッドはそう主張したわけである。
歴史研究家のひとりアレックス・グラッシントンの毒舌を披露したひとりである。
「フランベーニュ人が主張するようにたしかにあれは歴史に残る芸術作品ではある。ただし……」
「ハッキリ言おう。あれはほんの僅かでも羞恥心がある者にはできない偉業。つまり、感銘と称賛とは勝者側ではなく敗北者側に与える言葉である」
そして、本来評価基準をおこなう際にまったく無関係な要素を毎回持ち込む著名人たちについてこんな評価をする者もいる。
アリターナの著名な歴史学者アブラーモ・アルチェトリの言葉。
「彼らは皆愛国者であるため、母国を完膚なきまでに叩きのめした相手を賞賛できないのはわかる。だが、その表現方法が逆に愛する母国を貶めているというのは皮肉なものである」
そういうことで理由はともかく、その評価については様々な意見があるため、全員一致とはならなかったグワラニーが使用した今回の策なのだが、個々の戦術に分ければ、文字通り全会一致的に全員が賞賛する側に回ったものも存在する。
本格的な反撃の幕開け時におこなわれた、囮役の第一陣が魔法攻撃をおこなってブリターニャ軍を崩壊させた直後に転移魔法によって後方に下がり、第一陣が消えると時間を空けることなく同じ場所に第二陣が姿を現わした転移魔法を複雑に絡めた部分がそれである。
フィログ・ホーリーヘッドの言葉。
「ある者が消え、別の者が同じ場所に姿を現わす。言葉で言うのは簡単だ。また、それを数人単位であれば才ある者がふたりもいればおこなうことはそう難しくない。だが、魔族軍があのときおこなったのは二万の軍が消えた直後に、同じ場所に八万以上の軍を出現させるというとんでもない規模を持つものだ。時間。そして位置。そのどちらかがうまくいかなくても混乱が生じ、すぐに追撃戦を入ることはできなかった。ブリターニャにとって不運だったのはあの場でそれが完璧におこなわれたことである」
何度も言うようであるが、グワラニーが活躍したこの時代にはこの世界には正確な時計というものは存在しない。
当然ながら、別の世界で発達した衛星を利用した位置特定システムもない。
その中でそれをやり遂げた秘密。
それは多数の熟練魔術師の存在と訓練。
ホーリーヘッドの言葉ではないが、勇者チームであれば、ふたりの天才の力によって同じようなことはできるであろう。
だが、その効果は自分たちの仲間に限定されるため多少の誤差は許される。
だが、大きな組織ではそうはいかない。
大規模な組織がおこなうものでは小さな誤差でも積み重なれば大きな混乱をもたらす。
結局組織が物事を成し遂げるのには、ひとりふたりの特別な才を持つ者ではなく、特別という程ではなくても標準以上の才を持った者を数多く揃え、さらに保持し続けること。
そして、その才を完全に活用し寸分の狂いもなく実行できるように何度も訓練することが必要なのである。
「グワラニー殿が勝ち続けるのは、彼のもとに才ある者が揃っているからだと言う者がいるが、そのような評価したできない者は大事な部分を見落としている」
「むろん彼の部隊には特別な才を持つ者もいるが、結局、彼らだけが勝ち続けることができるのは戦場で兵や魔術師を失わない。その一点に尽きる」
「訓練された兵と経験豊富な魔術師を抱え続けていることが勝ち続ける秘訣であり、今回のあの芸当が出来た要因でもある」
「むろん組織の力をよく把握し、その力を引き出した策を講じた指揮官の存在も忘れてはいけないのだが」
この戦いの祝勝式典で追撃軍の一隊を指揮したアルトゥール・ウベラバがため息交じりに語ったその言葉がすべてを現わしているといえるだろう。
むろん後世の専門家たちの白熱した議論の的となった芸術性などその場にいた者たちにとっては無縁で無価値なものである。
一方にとっては、予定どおり転移したので、あとは一刻も早く戦列を整え、追撃戦に入れるかどうか。
もう一方にとっては、大混乱状態で敗走を始めたところに突然現れた追撃者の大軍。
その大軍からどれだけ逃げることができるのか。
それだけのことであるのだから。
氷槍の雨を受け、混乱から敗走が始まったブリターニャ軍右翼。
「ファーガス殿下。後方に大軍が出現しました」
「このままではすぐに追いつかれます」
「お急ぎを」
魔族軍の雄叫びの連呼に驚き、振り返ったアリスター・ウフスリンはまず魔族軍の数を数倍に膨れ上がった追手を確認し、続いて自身の後方によたよたと走るファーガスに声をかける。
だが、致命傷ではないものの、両足に深い傷を負ったファーガスにはウフスリンと同じペースで逃げることはできない。
そうかといってアリスター自身を含めて周辺にいる者も負傷しているうえ、蓄積された疲労がある。
とてもファーガスを背負って逃げるだけの余力はない。
このままファーガスのペースに合わせていればまもなく魔族軍に追いつかれる。
どうすべきなのか……。
むろん結論など考えるまでもない。
「ファーガス殿下。先に行かせてもらう」
そう言って供回りとともに足を速める。
自身が未来の王に推していた男を見捨てて。
追いつきたくても追いつかない。
いや、次々に前線から逃げてくる兵たちに追い抜かれる。
ファーガスを助ける者はいない。
助けを求める彼の声に応える者もおらず、それどころか目を向ける者もいない。
そう
こうなっては身分や地位など関係ないのだ。
「誰か……」
「おう。何か用か」
魔族の雄叫びとブリターニャ兵の悲鳴は間近に迫り、再び叫んだ助けを求める自分の言葉に答える完璧なブリターニャ語に喜び、ふり返ったファーガスが見たもの。
それは赤色に染まった剣を持つ魔族兵。
「……魔族」
「そのとおり。残念だったな。人間」
その直後、ファーガスの断末魔の叫びが響いた。
むろんブリターニャ軍の悲劇は右翼だけにとどまらない。
ブリターニャ軍左翼。
逃げ切れないことを悟ったアルヴィン・ダルケイス、バーナー・クレイル、アルフ・デヴォンという三人の前線指揮官たちが生き残った味方を集め果敢に迎撃に出るものの、衆寡敵せず。
すべて討ち死。
さらに自軍をまとめ秩序正しい撤退戦を指揮しようとしていたアイトン・エドルストンと息子のアルヴィンに魔族軍右翼カマクアン・ブリチスの部隊が殺到する。
子、父の順で討たれ、ファーガス隊に続き、ダニエル隊も完全崩壊する。
ブリターニャ軍の悲劇はさらに続く。
ファーガス隊の将クレイグ・セトル、アーンサイド・マルハムも負傷しながらの退却中に魔族軍に捕捉され討ち死。
逃げ遅れたバージル・ストイトホルムが名もない一兵士に斬り倒される。
そのような中でどうにか秩序を保っていたのは中央のジェレマイア隊だった。
もちろん彼らも氷槍の雨によってそれなりの損害を出していたが、前線指揮官たちはすべて健在だったたのが幸運だった。
しかも、彼らは躊躇せずすぐさまこう指示を出した。
「仲間に構わず、逃げろ。絶対に止まるな」
「生き残りたかったら走れ」
もちろん指示を出した自分たちもすぐさま走り出す。
「どうだ?逃げ切れそうか」
後ろの様子を眺めならの前線指揮官のひとりタリーンコートが口にした言葉に、同じく後方の敵の位置を確認したバラチナルがつまらなそうに答える。
「それは相手次第だ」
「あの様子では両翼は厳しいな」
「だが、とんでもない数の敵が湧いて出た状況では逃げるので精いっぱい。とても味方を救う余裕はない」
「そのとおり。とにかくこの戦いは今までで一番ヤバイ。まずは逃げ切ることだけ考えよう」
「ああ」
「ありがたいことに挟み撃ちに免れたのだ。とにかく、まずはあそこまで頑張ろう……」
タリーンコートが視線と言葉で示したのは占領の証しであるブリターニャの国旗がたなびく丘。
それを目指して彼らの逃避行はまだまだ続く。




