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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十九章 ダワンイワヤ会戦 序章
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決戦前夜

「ようやく敵は揃ったようです」

「そのようですね。まったくこちらが数えやすいように横並びになってくれるとは有り難いかぎりです」


 ブリターニャ軍がもたもたと陣につく様子を魔族軍陣地から眺めていたふたりの男。

 そのうちのひとりからやってきた言葉に、そこに刻まれた文字からあきらかに別の世界から持ち込まれたとわかる双眼鏡から目を離した、目が赤いことを除けば人間の少年にしか見えない魔族の若者は黒い笑みを浮かべてそう返した。


「それでタルファ将軍は彼らが夜襲をかけてくると思いますか?」


 そう言って、隣の男に双眼鏡を渡す。


「まあ、ないでしょうね」

「理由は?」


 即答の見本のような返答に少年は笑みとともに再度問いの言葉を口にする。

 それに対して男は双眼鏡で覗き見た様子でそれを確信したかのように理由を話す。


「目の前の状況を見れば、ここが夜襲向きでないのはあきらか。まあ、ここの地理に精通していれば可能かもしれませんが彼らは違う。我々のもとにやってくる前に多くの兵を失うことになります。たとえ状況をよく知らない指揮官がやりたいと言っても、ここの地形の概要を知っている側近が止めるでしょう」


 そう言ったところで、年長の男はニヤリと笑う。


「王子殿下のご英断により夜襲を仕掛けてくれれば存分に戦えますので、私としてはそのほうがありがたいのですが」


 出来の悪い冗談を口にしながら男が離れていくのを見送ったその少年が視線を向けたのは隣に立つ少女だった。


「それで、こちらは防御魔法を盛大に張ったうえ、軍旗も掲げているわけですが、アリスト王子の反応はありましたか?」

 

 その言葉に少女はその言葉に首を振る。


「では、もうひとりの方は?」

「ないです」

「ということは、ワイバーンの情報は正しいということになります」


「唯一の不安材料がなくなり、これで一安心というところでしょうか」


 そこまで言ったところで、グワラニーはもう一度敵陣に目をやりながらこう呟いた。


「どうやら予定通りに進められそうです」


 一方、ダワンイワヤという名の湿地帯を挟んでグワラニー率いる魔族軍と対峙するブリターニャ軍であるが……。

 横広がりに展開した自軍の後方で、三隊の司令官たる三人の王子とその弟たち、それから実質的な指揮官である彼らの後援者たちが、明日から始まる申し合わせをおこなうために開いていた会議は予想通り大荒れとなる。

 一応王都出発前の打ち合わせによって自陣右翼がファーガス隊、中央がジェレマイア隊、そして、左翼がダニエル隊となっている。

 三隊は同列、お互いに干渉しないということになっているので、揉める要素はもうないように思えるのだが、そうはならなかった。


「だから、抜け駆けはおこなわないと申し合わせをしただろうが。このクズが」

「言ってくれるではないか。腰抜け」


 ファーガスとダニエルが王子同士の会話と思えぬ言葉を使って口論していたのはその戦いをいつ始めるかということであった。

 ダニエルが翌日、陽が昇ってから始めると主張しているのに対し、ファーガスは夜襲をすべきと主張していたのである。

 もちろん諸々の要素を考慮すれば、ダニエルの言い分こそが正解となるのだが、ここで予想外が起こったことにより話し合いは収拾がつかなくなる。


 なんとファーガスの縁者であるはずのウフスリン侯爵がダニエルの主張に同意したのである。


「ファーガス殿下。ダニエル殿下がそう言っているのだ。ここは兄上を立ててはいかがか。敵が逃げるわけではないだから戦いを明日から始めても問題ありませんので」


 もちろんウフスリンはその危険性を理解し穏便な言い方でファーガスを正しき場所に導こうとしたのだが、それを台無しにしたのがダニエルのこのひとことだった。


「まあ、そういうことだ。だが、さすがは侯爵。道理をわきまえている。ファーガスも侯爵から常識をもう少し学ぶべきだ」


 実をいえば、ファーガスも夜襲をおこなうことの無謀さについては話の途中から気づいた。

 だが、拳を振り上げてしまった手前、舞台から下りることができなかったのだ。

 ウフスリンの提案はまさに導きの言葉だったのだが、その余計なひとことでゴール目前まで辿り着いた議論はふたたびスタート地点に戻される。

 そして、ようやく明日三セパに攻撃を始めることで決着するのに要した時間は二セパだった。


 せっかくだから、この世界の時間について少しだけ語っておこう。

 むろんこの世界には大海賊ワイバーンが所有するものを除けば正確な時間を刻む時計はない。

 もちろん各王都には時を刻む大きな水時計や砂時計があり、比較的正確な時間が必要とされる軍は携帯用の「十ドゥア時計」とい大型の砂時計を携帯している。

 また、多くの場所で説明をしているが、セパはこの世界の時間を示す単位であり、一セパは五十ドゥア、一ドゥアは百スメ、一スメは別の世界の一秒とほぼ同じである。

 つまり、この世界の一分にあたる一ドゥアは別の世界の百秒、その五十倍である一セパは五千秒、イコール一時間二十三分強ということになる。

 ついでにいえば、この世界の一日は太陽が昇るところから始まる二十時間制で、日の出から日の入りまでが前半の十時間、太陽が沈んだところで後半の十時間がスタートする。

 もちろんこの世界にも別の世界と同じように季節によって日の長さは変わるから、当然そのようなアバウトは設定では大きな誤差が生じる。

 だが、このような緩い時間を使用してもそれに慣れてしまうと意外にやっていけるものだというのはグワラニーの言葉である。

 また、この世界で唯一正確な時間を刻む時計を所持しているバレデラス・ワイバーンであるが、彼が当初持ち込んだのはもちろん六十進法の時計。

 当然こちらの時間にはなじまない。

 そこで、こちらの世界でタダ同然で手に入れた貴石や金を元手に、彼は百秒で一周する時計をつくらせ現在はそれを愛用し、幹部たちにもそれを渡している。

 もちろんリセットのタイミングによって時間がずれることはあるが、その誤差はこの世界においては愛嬌と言って笑える範囲であるといえるだろう。


 さて、そろそろ話を戻そう。


「撤退?撤退とはどういうことですか?殿下」


 指揮官たちクラスの会議が終了してからまもなく。

 自陣に戻ったジェレマイア・ブリターニャが示したある提案に義理の父となるアーサー・ドルランログの口から怒号に似た声が上がる。

 このような状況になった時、いつもなら怯えた子羊のようになり何も言い返すことなくただただ従順にドルランログの言葉に従うジェレマイアなのだがこの日ばかりはその声は続く。


「だから、ただちに王都に引き上げると言っているのです。伯爵」


 むろん撤退というのだから、そういうことだろう。

 私が聞いているのはその理由だ。


 そう怒鳴りつけたい気持ちをどうにか抑え込んだドルランログが口を開く。


「その理由をお聞かせ願いますか。殿下」


 その言葉に頷いたジェレマイアが口にしたこと。

 それは……。


「旗を見た」

「旗?」

「何の旗ですか?殿下」


 なぞかけのようなジェレマイアの言葉に父に続いて問い直したのはアーサーの長子で次期当主となるアレン。

 実は今回の出兵を言い出し、推し進めていたのはこの男だった。

 当然この策には自信はあるし、思い入れも強い。

 心の中で王子を盛大に罵倒したものの、もちろんそんな言葉を口に出すわけにはいかない。


 ここは宥めすかして戦場に留まらせる方向に持っていくしかない。


 まず息子が、続いて父もその結論に辿り着く。

 息子が王子を睨みつけるように眺めながら口を開く。


「もう一度お伺いします。殿下。旗とは何ですか?」

「魔族の軍の陣地に掲げられた虹色の旗です。その旗を見たら逃げないといけないのです」

「たしかに魔族軍の陣地には妙に派手な旗が掲げられていました。もちろん私もそれは知っています。ですが、なぜ、あの旗を見たため撤退しなければならないのですか?」

「アリスト兄さまがそう言っていたから」


 あのときか。


 息子と父、その双方が直前に妹を含め兄弟会を思い出す。


「……アリスト王子はなんと言ったのですか?」

「あの虹色の旗を掲げた軍には『フランベーニュの英雄』アポロン・ボナール将軍と彼の旗下四十万を一撃で葬った恐ろしい魔法を使う魔術師がいる。死にたくなければ虹色の旗を見たらすぐに逃げろと」


 ふたりは顔を見合わせる。


 もちろんふたりのクペル平原で起こったことは風の噂で知っている。

 だが、それはあまりに規模が大きすぎる。

 結果、その話は敗北を誤魔化すためにフランベーニュがでっち上げたものと判断する。

 そして、実際の規模はその十分の一以下、つまり常識の範囲内と見積もった。

 だが、それをこの場で言っても王子は説得できない。

 それとは別の、さらに説得力のある理由を提示する。


「殿下。兄上の言葉を信じたい気持ちはよくわかりますが、その言葉にはおかしな点があります」

「おかしな点?」

「はい」


「もし、その大魔法が使える魔術師が現在我々と対峙している敵陣にいるのなら、なぜ攻撃してこないのですか?」


「我々は横一列に陣を敷いている。その魔法にとって格好の的ではありませんか?」


「攻撃してこない。それこそがその魔術師がいないという証拠です」


 たしかにアレンが示した意見は筋が通っている。

 これを否定するのは困難といえるくらいに。


「……なるほど。そう言われればそうですね」


 百瞬の時間をかけて吟味し、ようやく吐き出した言葉によってジェレマイアがアレンの言葉を納得したのはまちがいないだろう。

 だが、ジェレマイアがすでに戦意が喪失しているのも事実。


 これでは味方の士気に影響する。


 そう判断した伯爵はこう提案する。


「ここまで来て戦いもせず王都に帰るのは殿下の名誉にかかわること。さすがに承知しましたとはいえません。ですので、殿下はこの場に留まることとし、その代理として私とアレンが殿下の分まで功を取ってまいります。それでいかがでしょうか?」


 むろん、ドルランログの最大限の譲歩をジェレマイアは受け入れる。


「……情けないかぎり」


 ジェレマイアの宿屋を出た直後、アレンは父親以外には聞こえぬようにその言葉を吐きだした。

 むろん彼の父も同じ気持ちである。

 だが、父には野望がある。

 同調するわけにはいかない。


「まあ、王子はまだ子供。仕方あるまい」


 そう言って、怒りが爆発しそうな息子を宥め、息子の方も父の気持ちを察し、自らの気持ちを抑え、とりあえず明日に備えることにする。

 だが、結局、ジェレマイアの判断こそが正解だった。

 もちろん結果論ではあるのだが。


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