持つべきものは才ある部下
魔族の国の都イペトスート。
その王城で王と軍幹部がほんの少し前にやってきたある情報について検討していた。
その情報とはもちろん大海賊ワイバーンからもたらされたブリターニャの新攻勢計画についてのもの。
それはこのような簡素な一報から始まった。
ブリターニャが近々稀に見る大攻勢に出るという噂あり。
もちろんそれを受け取ったペルハイの文官たちはすぐさま王都にその報を伝える。
だが、そこにはこのような一文が添えられていた。
「なお、ワイバーンから当方への厚意による情報提供はここまででこれ以上は有料とのこと。金を支払ってさらなる情報を得るのか指示を請う」
むろん軍総司令官のガスリンは舌打ちしながらもそれを許可する。
情報があればそれに対応する準備ができるのだから当然これは許可される。
そして、支払い後やってきたのがこれであった。
敵の攻勢地点は北方地域。
「くそっ。守銭奴どもが。差し出した情報がこれだけではこちらが支払った情報料に釣り合わないぞ」
当然このガスリンの怒りに満ちた言葉はすぐさまペルハイに駐在しているワイバーンの代理人サンダリオ・バランキージャに伝えられるものの、大海賊を代表して駐在しているバランキージャと公金をピンハネするゴキブリ文官では役者が違う。
盛大な返り討ちに遭い、このようなお返しの言葉を進呈される。
「こちらとしては、一刻も早く情報を伝えようとやってきたものをそのまま差し上げているのですが、その物言いですとどうやらこちらの誠意はまったく伝わっていないようですね。本当に残念です」
「まあ、そういうことであればこれ以上情報は買わないということでよろしいでしょうか」
「買収その他様々な手段を使い現在も情報収集しているわけですが、どうやらそれは無駄になりそうですのでただちに中止することにしましょう」
この後、魔族がさらに高い代金を支払うことになったことはいうまでもない。
そのような小さな喜劇とともに手に入れた情報。
それは……。
「敵の数は十五万以上」
「これらの軍には多数のブリターニャ王子が参加する」
「総指揮官も王子のひとりでアリスト・ブリターニャ」
「そして、敵の目標はスマンドラ」
発表のたびに声が上がる中、ガスリンが最後に口にしたのはある場所の名であった。
だが、その瞬間出席者は一斉に表情を変える。
そこは王都からクアムートへ抜ける街道上にある拠点。
つまり、そこから王都へ進むあらたなルートが開拓できることになる。
もちろん交通の要衝であり、魔族にとって失ってはいけない場所ではある。
だが、全員が知っている。
スマンドラの北方、街道からはずれた場所に王都と鉱山群を除けば魔族にとって最重要拠点があることを。
「奴ら、ペルハイの存在に気づいたわけではないだろうな」
王が漏らしたその言葉が全員の気持ちを代弁していた。
スマンドラを失う。
それはペルハイを危険に晒すということになる。
「損害は厭わぬ。必ず殲滅せよ。前線に出ていない指揮官級の将軍をただちに集めよ」
王のその言葉を宿した命令書は当然クアムートにも届く。
ブリターニャが近く大攻勢に出るという情報が入った。
目標はスマンドラ。
明日王宮でこの迎撃戦の会議をおこなうので参加せよ。
いつもどおり簡潔。
その分誤解などまったく生じないすぐれた文章でもある。
「スマンドラを奪われればペルハイが危うくなるのだから、当然そうなるな」
グワラニーはひとりごとのように呟き薄い笑みを浮かべると、目の前に立つ男を眺める。
「だが、これではどの程度の規模の敵がやってくるのかもわからない」
「当然会議の場でそれを伝えるのだろうが、意見を求めるのなら詳細を事前に伝えておくべきだろう。そうすれば事前に検討できるだろうに」
「まあ、それはそのとおりです」
不平たらたらのグワラニーを宥めるようにそう言った男は続けてある提案をする。
「ですが、文句を言ってどうにかなるわけでもありませんので、不足分は自分自身で手に入れるしかないでしょう」
つまり、ペルハイに行き、駐屯しているワイバーンの代理人と接触すべき。
その男アントゥール・バイアの言葉はそう言っていた。
当然それは自身がペルハイに出向き情報を仕入れてくるという意味でもある。
その夜のクアムート城。
編成替えで傘下ということにはなっているものの、直属の部下ではなく、またグワラニーが管轄地域で唯一安定していない対マジャーラの最前線であるミュネンウ城の城主であるアルトゥール・ウベラバを除くグワラニー軍の幹部が集まっていた。
「……概要は以上だ」
グワラニーによる王からの命令に続き、バイアはペルハイで手に入れてきた情報を話す。
すべてを聞き終わったときにはその場にいる者すべてが同じ表情になっていた。
もちろん、それはバイアの報告にある男の名が指揮官としてあったからだ。
「……いよいよ、いや、遂にと言ったほうがいいのかもしれないが……」
「アリスト・ブリターニャと直接対峙するのか」
「しかも、よりによって大軍を率いたときに……」
すでにこの場にいる幹部たちには伝えてある。
アリスト・ブリターニャが勇者一行の一員で、しかも、驚くべき能力を持った魔術師であることを。
それと同時に、グワラニーはその幹部のうち老人を含む何人かには勇者の弱点とそこから導かれる勇者との戦いかたを伝えている。
その弱点。
それは少数であること。
そして、そこから導かれる勇者との戦い方とは、ある方法で剣による戦いに持ち込み、圧倒的な数で勇者に追い込むこと。
だが、勇者が大軍とともに現れるのであれば、その弱点は補強されている。
苦みを帯びた老人の声はそれを指摘したものだった。
「さて、我々はアリスト・ブリターニャ、いや、勇者とどう戦うべきか」
むろんアリスト・ブリターニャ率いる勇者一行と戦うということがどのようなことかは皆承知している
攻撃される前に相手を叩く。
それ以外に勝ち目はない。
いわゆる先手必勝。
そのためには相手よりも早く相手の位置を把握することが重要である。
必然的に話し合いの主軸はそこに集中する。
「……アリスト王子の直属部隊にも旗があるだろう」
「それがわかれば……」
クペル平原会戦前、やってきたアポロン・ボナール軍をすぐさま判別したことを知っている将軍たちはそれについての発言が続く。
さらに……。
「アリスト王子が指揮官ということであれば、やはり中央に陣を敷くだろう」
グワラニー軍の重鎮ペパスの言葉に全員が大きく頷くものの、すぐにそれに対する反論が現れる。
「だが、それは我々、というか軍事に携わっている者の常識から来ているもの。我々がそう考えるのはアリスト王子も想定しているだろう。そして、我々が先制攻撃を考えていることも。そうなると、それを避ける手立てを用意されていると考えるべき」
「では、やはり見えるかぎりの範囲の敵を吹き飛ばすのが一番」
「まあ、そう思いたくなるだろうが、それこそ真っ先に想定していると考えるべきだろう」
すべてが一長一短。
有効な策は見つからないまま時間が過ぎる。
多くの将軍が前線をからクアムートへ戻ってきていることもあり、会議好きのグワラニーとしては非常に珍しく、驚くほど早く会議を終わらせ、皆担当地域へと戻っていく。
そして、その場に残ったのは、グワラニー、バイア、魔術師長と副魔術師長である老人とその孫、それから、タルファ夫妻とクアムート城の主であるアゴスティーノ・プライーヤだった。
そこから、この日二回目の会議が始まる。
「例の魔道具で存在が確認できないのですか?」
バイアが言及したのは、老魔術師が所有する「対象者が魔術師の素養があるかどうかだけではなく、その秘められた魔力量まで測定できる」というとんでもない代物で、これとその類似品によって魔族は魔術師の素養があるか子供を見つけ出し、魔術師としての教育を施している。
ついでに言っておけば、人間側にはそのようなものがないため、その者が魔術師としての能力を発芽させたときにはじめてわかる。
そのため、魔術師の能力を持ちながらそれに気づかず一生を終える者も多い。
さて、その魔道具の所有者である魔術師長アンガス・コルペリーアの答えであるが、それはバイアやグワラニーの期待に応えるものではなかった。
「それを判定するにはそれなりに近づかなければならない。それをおこないたいということであれば、十分に近づく算段が必要だ」
敵を発見するために接近しなければならない。
当然そこまで接近するまで攻撃されないという保証はない。
先制攻撃をおこなうための前段階としてそれをおこなうなど愚の骨頂意外のなにものでもない。
当然ボツ。
「別の策を探すべきだな」
「そうですね」
ブリターニャの王族、しかも第一王子ともなれば当然直属の兵はいるだろうし、後援する貴族もいるだろう。
そうなった場合に、取り巻きは騎士や貴族たちで、腕はともかく肩書は平民無印の勇者たち三人はそこに加わるのは厳しい。
むろんフィーネは公爵の娘だから、その辺は合格なのかもしれないが、彼女がフランベーニュ人の女性。
名誉あるブリターニャ王国第一王子とともに戦う者にフランベーニュ人が含まれるなどもってのほか。
まして、彼女は女性。
戦場に女性を連れていることは戦場の両側での暗黙の禁止事項であるのだから、彼ら全員側近として戦いに加わることは微妙。
ということは、三人の剣士以上にその存在が問題となるフィーネもアリストには同行しない。
だが、それは希望と期待が多分に入った推測。
それをアテにして策を講じるわけにはいかない。
……物語の世界であれば、主人公の天才的勘は常に外れることはなく、誰もがあり得ないという事態が主人公の言葉どおりに起こり、そのカリスマ性はさらに上昇するわけなのだが、そういうものが本当にあるのなら私も欲しい。そうすれば、こうやってウジウジと考えなくてもいいのだから。だが、現実にはそのようなものは存在しない以上、一か八かのような策は取れない。多くの兵を抱えている身としては。
いつものように、物語に登場する絶対に間違いを犯さない多くの天才軍略家に嫉妬しながら、色々考えるグワラニーだったが、相手はあの勇者一行で先手を取られた場合には敗死は十分にありえることも考慮せざるを得ない。
そして、組織を預かっている以上、自分の敗死後についても相応の責任はある。
一瞬後、グワラニーが口を開く。
「まず、決められるところから始めよう」
「私の手持ちを二分する。戦場に向かう私が率いるのは私の護衛たちとタルファ夫妻とその配下。それから、ウビラタンとバロチナ。あわせて一万。それから戦闘工兵を千。そして、魔術師は魔術師長と副魔術師長と十人ほど。ただし、魔術師もふたり以外の幹部クラスは待機」
「留守番部隊の総指揮はバイア。プライーヤ将軍とペパス将軍が軍務を補佐をする。それから……」
「我々が負けた場合でも、敵討ちなど不要。クアムートにいる者が生き延びることを最優先に考え、マンジュークかクペルに退避できるように準備をしておくように」
本来ならば降伏しろと言いたいのだが、これまでの経緯を考えればそれは許されない以上、転移をしながらこの世界各地を逃げまわるしかない。
ただし、その逃亡はアリストやフィーネの寿命が尽きるまでという期限付き。
その後は拠点を構えその周辺を支配地域にする。
もちろんこれはデルフィンに出会う前にグワラニーが用意していた生き残り戦術であるが、最悪の場合これが魔族という種族が生き残る唯一のプランとなる。
始まる前から負けたときのことを考えているのかと言われそうだが、部下やその家族、さらにクアムートの領民まで抱えた現在のグワラニーは勝ち負けだけを考えていればいい立場ではないことを自覚している結果といえるだろう。
「それから、どれだけ負けようが、相手は無傷、そのままクアムートに攻め込めるなどということはさせない」
「つまり、アリスト王子の所在がわからないまま戦闘に入った場合、最初の一撃で目の前の敵すべてを焼き払う。ウビラタン的発想ではあるが皆の将来のためにはやるしかあるまい」
それからまもなく今度は本当の解散になる。
そして、クアムート城からクアムート新市街にある自宅に向かう馬車のなかでバイアはひとり考える。
「……グワラニー様は正々堂々と戦い潔く戦場で散るという将軍たちの美学とは無縁の存在だ。どのような形でも帰還を目指す。そのグワラニー様がこうして自身のいなくなった後の段取りまで定めるというのはそれだけ今回の戦いが厳しいということだ」
「その根本はアリスト・ブリターニャと彼の側近の居場所がわからないこと。いや。その一点につきる。本来であれば、この問題が解決しないうちは出撃を控えるべきだが、今回は王の命による迎撃戦。命じられたときに命じられた場所に出向くしかない」
「つまり、グワラニー様が想定している最悪の事態だってありえるということだ」
「だが……」
「そうなった場合、我々に未来はない」
彼は知っている。
自身とグワラニーの差を。
文官としての才の差はたしかにあるが、驚くほどではない。
軍人としての経験も同じ
組織を動かす能力もほぼ同じ。
だが、その洞察力は自分の数段上であるうえ、その組織を引っ張る力、指導力は圧倒的に違う。
そう。
グワラニー自身は自分にはそんなものは存在しないとしたカリスマ性はあったのである。
しかも、崇拝の対象になるほどに。
バイアの心の声は続く。
グワラニー様には生き残ってもらわねばならない。
となれば、どんな手段を使ってでもワイバーンからアリスト王子に関する情報を手に入れる。
「……もう一度、ペルハイに行こう」
バイアは踵を返した。
それから、それほど時間が経たぬペルハイ。
海とは無縁の魔族の国で大海賊が来られる唯一の場所。
そして、半分隔離されたようなその場所の一角にある特定の人間だけが訪れることがある店にその男はいた。
アントゥール・バイア。
アルディーシャ・グワラニーの側近で、グワラニーより自身が戦死した場合の後継者と指名されている男である。
そして、豪華なテーブルを挟んでバイアに対峙する男はサンダリオ・バランキージャ。
この地における大海賊ワイバーンを代表する者で交渉の才がある男である。
「こんな夜遅くに呼び立てるとはどのような要件でしょうか。バイア様」
海を荒らしまわる海賊のひとりの者とは思えぬすばらしい笑顔を披露したバランキージャはそう言いながらバイアを眺める。
無骨で一本気な魔族の将たちはもちろんこの世界にいる交渉を生業としている者の大部分より上位者であるバランキージャであるが、天敵と言えるぐらいに苦手な交渉相手がいた。
ひとりはもちろんグワラニー。
そして、もうひとりは目の前にいるバイアだった。
このような時間に呼び出すのだから、それ相応の理由であることはわかる。
いや。
要件は間違いなく今度の戦いに関わるもの。
そこまではわかる。
だが、ほんの少し前に手元にあるものはすべて売っている。
それ以外に何が欲しいのか。
疑わしそうな表情のバランキージャを眺めながらバイアが口を開く。
「今回、やってくる軍を率いているアリスト・ブリターニャについて知っていることすべてが欲しい」
「すでにアリスト・ブリターニャは戦場に出たことがないという情報がもらっているが、もう一度それを洗い直してもらいたい。さらにアリスト王子が直接率いる軍の陣容も知りたい。その中でも重要なのはフランベーニュに現れたときにアリスト王子に同行していた四人の男女。彼らが今回の戦いに参加するのかどうか?それから、王族が指揮官だった場合の布陣方法……」
バイアの口から次々と流れ出る問い合わせ事項を書き留めていきながら、バランキージャはさり気なく尋ねる。
「アリスト王子に関する事項が多いようですが、その理由をお聞きしてよろしいですか?」
フランベーニュの兄弟喧嘩の際にグワラニーが動かなかったことから始まったアリストとグワラニーが密かにつながっているのではないかというバレデラス・ワイバーンの懸念。
実をいえば、彼ら大海賊ワイバーンはそれを確かめるために今回のブリターニャの攻勢計画に虚偽情報を混ぜこんで魔族側に流し込んでいた。
その疑問に白黒つけるために。
そして、バランキージャの問いはその答えを引き出すもの。
むろん返答がないという場合もある。
その時はクロ判定。
バランキージャの基準ではそうなる。
だが、その問いとともに突如加わった負の感情が大量に含まれた表情とともにその直後バイアの口が開かれ、強い意志を持った言葉が物凄い勢いで流れ出す。
「私たちの情報はおまえたちから手に入れたのだからわざわざ話す必要はないのだが、フランベーニュで起こった騒動の際に見せた手並みからアリスト・ブリターニャは並みの者とは違うずば抜けた策略家であることは疑いの余地もない。さらに彼の同行者もかなりの腕前の持ち主。そのアリスト王子が大軍を率いてやってくる」
「フランベーニュに示した我々の力をおまえたちが知っている前提で話をすれば、実際のところ並みの将が率いるブリターニャ軍であれば恐れることはない。だが、その軍を率いるのがアリスト王子となれば話は別だ。そして……」
「はっきり言おう。我々はアリスト・ブリターニャを仕留めなければこちらの勝利はないと考えている。だから、アリスト王子の策略が始まる前、つまり、戦いが始まった直後、アリスト王子を叩く。だが、そのためには王子がどこにいるのか、王子の護衛を務める四人が参加するのかを知らなければならない」
「さすがのおまえたちもブリターニャ軍が現場でどのような布陣取るかまでは知らないだろうが、それを読み解く手がかりが欲しいのだ。それから……」
「言っておくがつまらぬ小細工や隠し事はするなよ。バランキージャ」
「なにしろこの戦いは我々とブリターニャだけではなく、おまえたちワイバーンにも深く関係するものではないのだからな」
「ど、どういうことでしょうか?バイア様」
各国海軍との戦闘でも感じたことのない目の前の男からの圧力にどうにか耐えながらバランキージャが口にしたその問いにバイアはどす黒い笑みとともにこう答える。
「ここペルハイはスマンドラのほんの少しだけ北にある。つまり、我々が負けスマンドラを落とされるということは、ブリターニャがペルハイにやって来ることと同義語だということだ。つまり、今回我々が負ければ、貴様たちの金儲けも終了する」
実をいえば、大海賊ワイバーン一党がペルハイの位置を知ったのはこの時が初めてだった。
つまり、魔族にとってこれは重要事項。
バイアはそれをこうして漏らした。
つまり、それよりも先に語られた内容の方が重要だということである。
言葉の出ないバランキージャを冷たい視線で眺めながらバイアはさらに言葉を続ける。
「おまえの飼い主であるバレデラス・ワイバーンに大至急伝えろ」
「今後も我々と商売がしたければ、手持ちの情報をすべて出せ。それでも足りなければどんな手段を使っても我々が欲する情報を手に入れろと。夜が明けたら会議だ。その前に隠し持っているものすべてを差し出せ」
むろん、バイアの強烈な言葉はその直後バランキージャから大海賊ワイバーンの拠点マンドリツァーラにいるバレデラスへ伝えられる。
「……どう思う?」
バランキージャからの報告を伝えたバレデラスがそう問うた相手は、情報を扱う能力に長け、今回の仕掛けを用意したアンブロシオ・コンセブシオンであった。
「これでアリスト王子とグワラニーが裏で手を結んでいるわけではないことは確定でしょう。ですが……」
「随分と過激な反応ですね」
「だが、このまま放置というわけにはいくまい」
深刻さがあまり感じられないコンセブシオンの言葉にバレデラスの最側近であるガブリエウ・ペルディエンスが不機嫌そうにそう応じたのにはもちろん理由がある。
実はバイアとバランキージャの話には続きあった。
そして、ペルディエンスが問題としているバランキージャに投げつけたバイアの最後の言葉がこれである。
「アリスト王子と彼の護衛たちの所在が分からなかった場合、最悪我々は戦いが始まる前に戦場から離脱する。と言っても、ただ撤退するのではない。偵察部隊を残しアリスト王子に率いられたブリターニャ軍の戦い方を観察する。味方を餌としながら」
「言うまでもないことだが、我が国最強のグワラニー様の部隊が離脱すれば我が軍は負けスマンドラは落ちる。そして、それは必然的にペルハイも危機に陥るということだ。だが、我々はペルハイをブリターニャの蛮族どもの自由にさせる気はない。奴らが来る前に町に火をかける」
「そして、その後改めて我々はブリターニャ軍に戦いを挑む。アリスト王子の戦い方を丸裸にして」
敗北が決まった時点で重要拠点であるペルハイをも放棄する。
バイヤはそう言い切ったのだ。
この言葉どおりに動かれた場合、ワイバーンにとって力の根幹に大打撃を受けることになる。
「……まあ、それは恫喝でしょう」
コンセブシオンは苦笑いしながらもバイアの言葉をあっさりと斬り捨てた。
「たしかにペルハイを失うのは我々にとっては痛手です」
「ですが、それは魔族たちも同じ、なにしろ奴らの生活にとって欠かせない紙が手に入らなくなる。それに情報も……」
「当然それはバランキージャも言ったそうだ。それに対し、グワラニーの代理人はこう言ったそうだ」
「紙がなければその代用品を探す。情報も同じ」
「グワラニーと奴の部隊が消えるより百倍よいそうだ」
そう言ったバレデラスの声は完全に苦みを帯びている。
「つまり、ペルハイを失って一番損をするのが我々というわけだ。もちろん勝てる戦いを失い、我々との交易拠点も失う魔族も……」
「……いや」
「紙を除けばほぼすべての品を手に入れられる。というより、紙だってその気になれば手に入れられる方法がある」
「クアムートですか?」
「それに完全停戦中のアリターナ。フランベーニュだってその気になればミュランジ城経由で交易ができる。もちろん経由させれば値は上がる。だが、奴らは金や銀の主産地。必要な分だけ金貨はつくれる。場合によってはアリターナやフランベーニュの純度が同じ金貨を偽造することだって可能だ」
「そうなったら、下手をすればフランベーニュやアリターナは魔族の国でつくられた自国金貨が主流になる可能性もあり、完全に魔族に経済を抑えられる」
「つまり、グワラニーというか、魔族はペルハイを失っても損害は微々たるもの。それどころかうまく立ち回ればさらに大きくなる。それに比べて我々は魔族との金銀貿易が完全になくなりじり貧になりかねない」
「白旗だな」
バレデラスは苦笑いし、そう言った。
形勢不利となったときはあっさりと引く。
これがバレデラス・ワイバーンの特質すべき能力のひとつといえるだろう。
勝ち目がないとわかりながら、それを口に出せなかったり、負けを認めなかったりしたために傷口が広がり、取り返しがつかない事態になることは多い。
特に規模が大きかったり、その長が大きな力を持っていたりする組織は。
その点、バレデラスは見切りが早い。
たとえば、今回だってその気になればいくらでも粘れる状況にもかかわらず、あっさりと中止と判断する。
ただし、単純にあきらめがいいというわけではない。
しっかりと損得勘定をおこなっての決断である。
つまり、最終的な目標達成のためには目の前の利は簡単に捨てられる。
少々気取った言い方をすれば、戦略的勝利のために戦術的敗北を甘受するということになるだろう。
これがこの男が大海賊の長が出来ている所以であり、勝利が不可能になったにもかかわらず戦うことと自体を目的に変化させて戦いを続け、すべてを失った歴史上に数多く存在する愚かな者たちとは違う点であろう。
そもそも今回の仕掛けは、アリスト・ブリターニャとアルディーシャ・グワラニーが密かに繋がっているのではないかと疑惑を検証するためにおこなったもの。
目標は十分過ぎるほど達成されているのだから、ここで舞台を下りてもなにひとつ問題ない。
脅しに屈したように見られるのが我慢ならないなどというつまらない理由のために、手にできる利を失うことなどバレデラスにとっては愚か者のおこないと同義語である。
「……それに」
「ペルハイの位置を知ることができたという予定外の収穫も得られた。我々にとって悪い結果とはいわないだろう」
その始まりというものは今となってはハッキリわからないが、魔族の一部が海賊となったときから始まった魔族と大海賊ワイバーンの交易。
その時点からいくつかの変遷というか、内陸へ後退した過程でワイバーン側はペルハイの所在地がいったいどこなのかわからなかった。
もちろん知らなくても問題はないが知って損はない以上、得と考えるべきというのがバレデラスの言葉の裏側にある。
「さて……」
「我々としてはこのまま事態を放置しひとり負けの状況をつくるわけにはいかない」
「そのためにはグワラニーに心置きなく戦ってもらわなければならない。ということで、情報の軌道修正を早急におこなわなわければならない。コンセブシオン」
「奴に正しい情報をくれてやれ。迷惑料だ。新しく手に入れた情報も加えて」
「承知しました」
真夜中に活動する勤勉な二集団。
その一方が夜の明ける直前に相手に対して示したもの。
それがこのようなものであった。
今回の攻勢をおこなうブリターニャ軍の編成はこのようなものである。
軍は三隊に分かれ、それぞれ現王の次男ダニエル・ブリターニャ、四男ファーガス・ブリターニャ、六男ジェレマイア・ブリターニャが率いる。
各隊はそれぞれ八万、七万、四万の兵を要するが、その半数は本人と後援する貴族の私兵で残りは金で募った傭兵である。
また、私兵のうち常備兵の数は半数以下であり、その他は領地内からの緊急徴兵である。
各隊は独立しお互いの掣肘は受けない。
この攻勢は三人の王子の王位継承権に関わるものと言われている。
また、今回の攻勢に参加する軍の総指揮官はいない。
アリスト王子は王都に滞在しているのはまちがいないが、公的な警備隊長で直属部隊とされているアイアース・イムシーダ男爵率いる二千名には出撃命令が出ていない模様。
普段アリスト・ブリターニャ個人の護衛を務める四人は現在王都に滞在している様子はない。
さらに情報を集めた結果も踏まえ、アリスト・ブリターニャが今回の遠征に参加しない公算が非常に高い。
「……一応確認する」
新たな情報が手に入った時はただちに伝えるというバレデラス・ワイバーンの署名入りの書面で示されたそれを読んだバイアはバランキージャに厳しい視線を向ける。
「我々を戦場に引きずり出すための小細工ではないだろうな」
これは間違いなく我々を疑っている。
つまり、あの話は本当にない。
相手の表情からそれを察したバランキージャは誰にでもわかるつくりものの笑みを披露しながら口を開く。
「バイア様のあの言葉の直後にやってきたのですから疑うのは当然だとは思いますが、これが我々の出せる精一杯の情報です」
そう言ったバランキージャをしばらく眺めていたバイアは止果て小さく頷く。
「いいだろう。ただし、グワラニー様も私も素直とは程遠い性格をしている。ペルハイに数人有能な魔術師を配置しておくことにしておく。意味はわかるな」
「万一のための報復ということでしょうか?」
その言葉にバイアは黒い笑みを浮かべる。
「お互いの未来のために新しく手に入れた情報は逐一報告してもらいたいものだ。もちろんボンクラ文官ではなく金払いのよい我々に」
アリストの姿は戦場にはない。
さて、グワラニーが一番欲しかったこの情報であるが、実をいえばアリストは転移ポイントを確保することも兼ねて、魔族軍が戦場に姿を現す直前に妹や他の勇者メンバーとともに前線各地を兵たちの激励と称した視察をおこなっていたので、ワイバーンのこの情報が完璧に正しかったのかは微妙である。
ただし、戦いがおこなわれた当日は自身の本拠地ラフギールに戻り楽しいひと時を過ごしていたのであるから、戦いに参加しないというその情報はとりあえず正しかったということになるだろう。
とにかく、バイアはその剛腕でもぎ取ったその重要情報はすぐさま王都に出発前のグワラニーに伝える。
相手の様子から虚偽の情報ではないという自身の意見を添えて。
「……とにかくこれはありがたい情報ではある」
「勇者一行がブリターニャ軍とともに現れる最悪の事態を免れることができるのならやりようはいくらでもある」
情報を重要視するとともに、その情報の正確さや証拠に基づいたものなのかをきちん検証するグワラニーに珍しく、裏付けに乏しいともいえるワイバーンからの情報をあっさりと信じたのには理由があった。
もちろんバイアの言葉がある。
だが、それでも足りない。
そう。
実を言えば、口には出さなかったものの、グワラニーはアリストが軍を指揮するという話に当初から疑いの視線を向けていたのである。
だが、グワラニー以上にバイアからの情報を信じていたのがアリシアだった。
「一応、バイアの話の内容からワイバーンは我々を戦場に張り付けるために偽りの情報を流しているわけではないと私は判断したのだが、アリシアさんはどう思いますか?」
「私も同じです」
あっさりとそれを肯定したアリシアの顔に視線をやったグワラニーは少しだけ苦笑する。
「自分の意見に同意してもらって言うのはどうかと思うのですが……」
「その根拠はなんでしょうか?」
グワラニーからの問いにいつもと同じように優し笑みとともにアリシアはこう答える。
「実を言えば、アリスト王子が軍の指揮を執ると聞いたときから私は違和感のようなものを持っていました。何度か顔を合わせたアリスト王子の為人には合わない。そのようなものです」
「彼は王族には珍しく部下を思いやる気持ちが強いように思えました」
「自分が戦場に現れれば、私たちが迎撃にやってくるのはアリスト王子もわかっている。しかも、彼は私たちの力を十分に知っている。自分を仕留めるためにクペル平原の再現をおこなう可能性は十分にある。それを承知しながら多くの将兵を危険に晒すようなことはしない」
「では、参戦せず遠くから我々の戦い方を見張ると?」
「おそらくそれもないでしょう。それは弟たちを含めて多くの者たちが殺される様を見ているということになります。アリスト王子にはそれはできますまい」
「つまり、戦いの場にはアリスト王子は立っていないと思います」
「なるほど」
「これで気分よくガスリンたちの顔を拝める」
グワラニーがはそう言って笑った。