終焉
王太子アーネスト・フランベーニュの捕縛と処刑。
それ以前に趨勢が決まっていたこの戦いの決着はこの時点で決定したようなものだった。
だが、実際にはそうはならず、なおも戦闘が続いたのはひとえにアーネストとともに旗頭であった第二王子カミール・フランベーニュの消息がわからなかったからである。
特に、現在は名ばかりとなった王太子軍の中央部隊を指揮するアラン・モルレにとっては自らの部隊の多くを占めるのはカミールと彼の妻の実家であるシャティオン伯爵家の私兵であるため、カミールの許可なく降伏が出来ない状況に陥っていた。
しかも、指揮官不在となり崩壊状態になった左翼部隊の兵たちがなんとか集団の形を保っていた中央部隊に次々と合流し、失った兵を補う状況になってしまった。
さすがにこの状況で降伏はできない。
加わってきた敗残兵には威勢のいいことを言ったものの、降伏の機会を完全に失ってしまったモルレは苦虫を百匹まとめて口に放り込んだような顔をする。
さすがにここで降伏などしてしまったら、敵に嘲笑されるだけではなく、味方から怒りを買って殺されかねない。
やはり、所在がわからなくなったときにカミール王子の探索すべきだった。
だが、これは「後悔先に立たず」の見本のようなものであり、今さら言っても栓亡きことである。
と言っても、やらないわけにはいかない。
せめて戦死が確認できれば、私の判断で降伏できるものを……。
いや、まだ手はある。
すでに降伏モード一直線になっているモルレが思いついた次善の策。
それは……。
「伝令。王太子殿下へ。我が軍の戦況非常に悪し。前面に三倍の敵。左翼より新たな敵。指示を請う……」
「最悪の場合、兵を救うための最善の策をおこなう許可を」
もちろん取り繕ってはいるが、言うまでもなくこれは降伏をする許可申請。
しかも、その理由は自身のためではなく、あくまで兵のため。
戦功ではなくコネとゴマすりだけで現在の地位を得た男らしくよく考えられているともいえるが、実を言えばこの時点で王太子は捕縛されており、モルレが考えた自身の名誉を傷つけることなく助かる算段は実現不可能になっていた。
もちろん、バレードン率いる右翼部隊に合流した王太子のもとに向かった伝令兵は目的を果たせず、その状況を伝えるだけとなる。
「右翼部隊は壊滅していた?」
伝令兵の報告にモルレは唸る。
「撤退ではなく壊滅なのか?」
伝令兵はモルレからの再度の問いに、状況を自身の頭の中で整理する。
「正確には……」
「右翼部隊は防御陣地を構築し戦ったものの、どうやら最後には陣の外に出て戦い、陣の残った者は降伏した模様。王太子殿下がどうなったかは不明ですが、殿下の旗は倒されていました」
「陣の外に倒れているのはグミエールの兵たちではないのか?」
「遺体は放置されたままになっているので、おそらくこちら側の者だと思われます」
状況が伝令兵の言葉どおりであればそうなのだろう。
だが、モルレにとってそれは非常に痛い。
王太子殿下が降伏したのなら、すでに戦闘が終結しているはず。
ということは戦死か。
そうであれば、早まったことをしたものだ。
自分の都合だけでそう判断したモルレはもちろん知らない。
右翼部隊はやむを得ず陣の外に出て戦ったことも。
そして、王太子はそこに加わらず捕縛され、この後殺されることも。
だが、そうなるとカミール王子の消息を知るのは絶対必要となる。
ここで苦し紛れに降伏後、カミール王子が生存していた場合、五千以上の兵を要しながら大将に許可なく降伏したことになるのだから。
安否がハッキリするまでは戦わざるを得ない。
だが、隊の指揮官の中途半端な態度は戦い方に影響が出る。
しかも、その相手となるロバウは渓谷内の戦いとクペル城を奪われた汚名を晴らそうとしているのだ。
ろくな被害が出ていないこの敵を相手にするだけでも劣勢なところに、それとほぼ同数の敵が左側から迫っている。
さらに、伝令兵の報告では右翼は壊滅したとのこと。
そうなれば、最も兵数の多いグミエールの部隊もまもなく姿を現わす。
となれば、そちらにも兵を割かねばならない。
モルレはここでようやく自身の手元にある約七千の兵の再編成に取り掛かる。
ロバウの圧力に必死に耐えていた中央部隊を戦死したリモージュの後を継いだアルマン・ヴィランド准将軍が率いる残兵とカミールの私兵合わせて三千に任せ、自身の部隊の残り千五百を右翼の備えとした。
左側からやってくるリブルヌの一万に対するのは左翼部隊で唯一残る准将軍であるセドリック・マイエールに指揮権を与え左翼の敗残兵二千で対峙させる。
だが、結局この再編成が命取りになる。
数だけを頼りに押しまくるロバウは前面の敵が三分の二に減ったこの状況を見逃さない。
クリストフ・ケルシーとアナトール・リュゼックにそれぞれ二千ずつ兵を与え両側面を攻撃させる一方、自身は五千の兵で中央から圧力をかけた。
粘りが身上のヴィランドも衆寡敵せず遂に戦線を溶かしながらずるずると後退を始める。
このままでは自身のもとにロバウがやってくるのもまもなく。
「仕方がない。バンジャワンとコロンビーにもう一度……」
「右翼後方に大軍。数二万。我が軍を半包囲しつつあり」
モルレにとって最悪のタイミングでグミエールの部隊が戦場にやってきたのだ。
悲報はさらに続く。
「左翼部隊崩壊。完全に抜かれました」
見張りについていた伝令兵の悲鳴が上がる。
「仕方がない。ここで……」
降伏しかない。
もちろんその判断は正しい。
だが、それとともに遅すぎた。
「敵、真後ろから突っ込んできます」
グミエールの先陣を務めるオーギュスト・ティムレ率いる二千。
対するモルレの手元には五十も兵はいない。
白旗を用意させる暇もないくらいの一瞬の出来事だった。
アラン・モルレ戦死。
ここでようやく戦闘が終わる。
モルレが望んでいた降伏は自身の戦死によって成立する。
全くもって皮肉なことではある。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。
そう。
王太子軍のふたりの大将のうちのひとりカミール・フランベーニュの所在がこの時点になってもわかっていなかった。
中央部隊を率いていたロバウから届いた、「王太子軍の中央部隊を率いていたアラン・モルレも途中から王子の所在が掴んでいなかった」という情報に顔を顰める。
「まさか、戦闘開始直後に逃げ出したわけではないだろうな」
「いいえ。王子の行方がわからなくなったのは我々が攻勢に出てからということです」
「偽装撤退に誘引された者たちの中に王子もいたとのこと。行方がわからなくなったのは出口に向かって殺到してからということですので、もしかしたら……」
「転倒したところに大勢に踏みつけられたか」
「至急探してくれ」
そして、それから程なく派手な甲冑をつけた死体が発見される。
ただし、甲冑は踏みつけられた衝撃でかなり変形し、当然甲冑に覆われていない顔は判別不能なくらいに損壊していた。
「……なるほど。たしかにこれではこの死体がカミールだと兵士たちがわかるはずがない。だが……」
「この甲冑はまちがいなくカミールのもの。血と泥でわかりにくいが髪の色も同じ。奴だと思っていいだろう」
ロバウによって丁重に運び込まれたその死体と対面したダニエルはそう断言し、もう一度その死体を眺める。
「この男にふさわしい死に方だ。そして、ふたりの兄が消えた」
「私の勝ちだ」
その瞬間、ダニエルの表情に薄い笑みが浮かんだ。
だが、それも一瞬のこと。
これからおこなわなければならないことを考えると笑ってはいられない。
「では、陛下に勝利報告に行くとしょうか」
それから、少しだけ時間が進んだランブイエの丘。
その時のことを王の護衛隊長を務めていたアドリアン・コルベイユはこう語った。
「その場には祝う雰囲気などまったくなかった。というより、その対極の雰囲気が充満していた」
コルベイユの言葉は続く。
「陛下の、ダニエル殿下を見る目は、息子を殺した者に向けられたものであって、とても自身の息子を見るものではなかった」
そして、やって来たダニエルからその報告を受けた王はダニエルに冷たい視線を向ける。
「満足か?」
その短い言葉が王の多くの気持ちが籠ったものだった。
だが、ダニエルはその感傷的な言葉をあっさりと退ける。
「満足か満足ではないかといえば、もちろん勝利をしたのですから満足です」
「ついでに言わせてもらえれば、これは戦い。私が敗者になり斬首になっていた可能性もあるのです。ですから、安心もしました。そういうことなので……」
「結果が出た時点でそのような言葉を口にするのであれば、戦いにならぬよう動くべきだったのではないでしょうか。もちろんそれは不当な要求を実現するために今回の件を起こした兄ふたりに対しておこなうもの……」
「まあ、それが決闘ということであれば、その結果について反省すべきは勝者ではなくその主催した者ということになりますが」
あきらかに王に対する非難。
本来であれば、重大な罰が下るべきところである。
だが、現在の彼我の立場でそれが出来るはずがない。
なにしろ、ここにいる者で王の側に立つ者は半数。
さらにいえば、ゲラシドの襲撃時に圧倒的剣技を披露した三人の剣士はダニエルの推薦でこの場にいるブリターニャ王国の王子の配下。
さらに有能な魔術師も揃える。
もし、ここでことが始まれば、ダニエルは一挙に王位に就く可能性だってある。
王位に未練があるアルフォンスにはできない。
ここは引かざるを得ない。
「わかった」
アルフォンスは弱弱しくそう答える。
そして、続ける。
「フランベーニュ王国の王アルフォンス・フランベーニュが宣言する」
「アーネスト・フランベーニュとカミール・フランベーニュの連合軍とダニエル・フランベーニュの間でおこなわれた今回の決闘の勝者は、ダニエル・フランベーニュである」