零れ落ちた勝利
ランブイエの丘。
その丘に近づいたところで、正面から突っ込む囮役と実際に王を暗殺するため背後に回る隊とに分けるのだが、暗殺隊の指揮官ゲラシドはここで当初の予定を変更する。
なんとアルベルク・リゲイユ率いる正真正銘の剣士たちに功を譲ると言い出したのだ。
功を譲る。
つまり、王の暗殺をリゲイユたちに任せ、自分たちが囮になるということ。
だが、リゲイユは自国の王に刃を向けることをよしとしているわけではない。
当然猛烈な勢いで拒否する。
ゲラシドはリゲイユがそう答えることは十分に予測していた。
というより、ゲラシドはリゲイユが口にした言葉を待っていたのだ。
やってきた言葉を聞き終わると残念そうな顔をしたゲラシドは小さく頷くと口を開く。
「誇り高きリゲイユ殿の言葉は承知した。では、当初の予定通り、我々が陛下を手にかける役を担うことにする」
「ただし、そのためにはリゲイユ殿に陛下を背後から襲撃してもらうことになる」
その言葉に続いて出されたのは、相手の心理の逆を行く策についてだった。
防御を固められた陛下の命を狙うのであれば、強い囮役を正面からぶつけ、隙が出来たところで防御の薄くなった背後に回った本隊が動く。
これが少数による要所攻略の手であり、実際にダニエル襲撃はこの方法が採用された。
そう説明したところで、ゲラシドはこうつけ加える。
「だが、それは防御側も考えることだ。背後を正面より固めることはなくても、それ相応のものは用意している」
「そこで今回は逆をいく」
「背後に多数の兵を送り込み、慌てた敵が正面に配置した兵を背後に向けた瞬間を狙いがら空きになった正面から襲い、陛下の命を頂く。現れる場所は変わるが役割は同じ」
もちろんリゲイユにとって初めて聞くことであり、すぐにはその言葉の意味するところを理解できなかった。
一瞬の数百倍ほど時間が経ったところでリゲイユが口を開く。
「その策の方が成功する確率は高いのか?」
自分たちが生き残る可能性が高いのかとは聞かず成功の確率を問うところが、この男が生粋の軍人というところなのだろう。
男に対する微妙な感情が載った成分が多分に含まれた心の声はどこにも漏れ出ることはなく、その代わりにゲラシドが口にしたのは相手が望む言葉だった。
「もちろんだ」
その言葉にリゲイユは大きく頷く。
「我々の声が聞こえた瞬間に戦場を離脱して結構」
「承知した。絶対に失敗するなよ」
「お任せをあれ」
ゲラシドがリゲイユが四十人を率いて丘を大きく迂回するようにして背後に回っていくのを見送ると、副官のブリアック・イスシュールが囁く。
「よろしかったのですか?」
「たしかに背後に敵が現れれば正面に配備された兵が増援として回されることはあるでしょう。ですが……」
「全員が背後に回るなどありえないでしょう。今回の陛下の護衛は千人とのこと。少なくても二百は前面に残ると思われます」
「そうだな」
そう。
ゲラシドはイスシュールが口にしたことくらいが承知している。
そして、それでは自分たちは王を斬る間合いにまで入り込めないことも。
つまり、それとは別の方法を考えついたのだ。
「……戦わずに進む」
そう言ってゲラシドは笑う。
だが、その意味は長年近くにいるイスシュールにもわからない。
その顔にそれがはっきりと書かれたイスシュールに気づいたゲラシドは少しだけ表情を硬くする。
「実際に並みの方法では千人の警備兵を突破し陛下のもとまでいくのは不可能と言っていい」
「だから、もう一度ダニエル殿下の配下になり陛下の近くまでいくのだ」
「これなら敵がどれだけいようが仕事は果たせる。そこから脱出できるかは運頼みになるのだが」
「ですが……」
すべてを聞き終えたイスシュールは難しい顔をしたままそう切り出す。
「陛下の周辺が我々を簡単に信頼し近くに呼ぶようなことはないのではないかと……」
「ある」
「ダニエル王子を狩りに行ったクートラたち。そして、もちろんリゲイユたち。彼らを利用するのだ」
「まもなくクートラたちの襲撃が始まる。その直前に我々は陛下の前に行く。堂々と」
「そして、計画の全貌を話す。と言っても事実に多少手を加えたものになるが」
「だが、おそらく警備の兵に入口で制止される。そこで密告者を装い大騒ぎする。これからダニエル王子の本陣に襲撃があると。そうこうしているうちにクートラたちの襲撃が始まる。そうなった場合、警備をしていた者たちは……」
「せっかくの情報を握りつぶしたことを後悔し動揺する」
「そうだ」
自らの問いに即答するイスシュールの言葉にゲラシドは大きく頷く。
「そこにこのような言葉を加えたらどうなる?」
そう言ったゲラシドは先ほどよりずっと黒味のある笑みを浮かべた。
それからしばらく経ったところでゲラシドはフランベーニュ王の陣地の門番たちの前に立つと大きく息を吸い込み、それから言葉を吐きだす。
「私はダニエル殿下の右翼部隊に属するエゼネ・ゲラシド准将軍。陛下に至急お伝えしたいことをある。お目通りをお願いしたい」
もちろんそれが許されるわけはないのだが、今度は少し語気を強めて再度同じ要求をすると、門番レベルではもう対応できるはずもない。
その場の責任者らしい男が上官に確認すると言って奥に消えていく、
そして、現れたのは王の護衛副隊長アルバン・シャルティオンだった。
この男か、護衛隊長のアドリアン・コルベイユが来ることは望んでいたものの、それまでにはもう数回同じやり取りをしなければならないと覚悟していたゲラシドにとっては幸運だった。
ゲラシドは口を開く。
「准将軍エゼネ・ゲラシドである。非常に重要な情報を手に入れたので、陛下にお伝えしたくやってきた。お目通りを……」
「許可できない」
「重要案件なら貴殿らの指揮官であるダニエル殿下に伝えればよかろう。さすれば、ダニエル殿下から陛下にその情報は届く。貴殿が直接話す必要はなかろう」
シャルティオンの言葉にはあきらかな警戒感が漂っていた。
むろんその言葉どおり、一部隊の将がわざわざ国王に面会を求めること自体十分におかしい。
そこにゲラシドの職歴が加わるのだ。
拒否するのは当然といえば、当然だろう。
そして、もちろんそれはゲラシドも織り込み済み。
いや。
むしろ期待通り。
喜びを爆発させたい気持ちとは対照的な表情を完璧につくり上げると、声高に騒ぎ立て始める。
「そんなことはわかっている。わかっていてここに来ているのだ。そんなこともわからないのか。貴様は」
「無能」
激高。
そして、怒号。
もちろん演技であるが、最後の言葉が効いた。
「貴様、言っていいことと悪いこともわからないのか」
「では、聞かせてもらおうか。その陛下に伝えなければならないことを」
「それは……」
「これから陛下とダニエル殿下のもとに暗殺部隊がやってくるということだ」
「暗殺部隊?それは貴様のことだろうが」
自身の言葉に乗り怒号のような声で口にしたシャルティオンの言葉を聞きながらゲルシドは心の中で「その通り」と呟く。
だが、そんな言葉を口にしたことなど微塵も見せず、見せかけの必死さで言葉を続ける。
「その私だから手に入れた情報だ。まずダニエル殿下のもとに暗殺部隊がやってくる。すでにダニエル殿下の陣の周辺は暗殺部隊が取り囲んでいて近づけない。だから、こちらに来た。それにこちらにもやがて仲間がやって……」
「いい加減な話をするな。殿下の本陣は静か。そんなことなど……」
シャルティオンの言葉が途切る。
もちろんその理由はあきらか。
「なんだと……」
そして、ここでゲラシドは待っていましたとばかりに用意していた煽り文句を披露する。
「始まってしまった」
別の世界に存在する特殊工作部隊並みの絶妙なタイミングにゲラシドは思わず心の中で思わず賞賛の声を上げる。
いうまでもないことだが、この世界にはある一勢力を除けば正確な時計も無線もない。
一応の目安となる時間は決めてはあるが、あくまで自分の移動距離から推測した、言ってしまえば経験に基づいた勘。
つまり、相手の動きを見ながら行動を開始したかのように始まったこの事態はあくまで偶然である。
そろそろジュメルとクートラが動きだすと見越して行動を開始し、始まるまでは長々と話をして時間調整をするつもりだったのだから、むしろ遅いくらいだったといえるだろう
諸々の神に感謝だ。
相手の意志も聞かず、勝手に神のご加護を得たことにしたゲラシドの渾身の演技は続く。
「私を陛下のもとに連れていき、話をさせればこんなことにならなかったものを……」
「貴様、名前を言え」
「……アルバン・シャルティオンだ」
「シャルティオン。いずれ貴様の罪を問うが、それよりも、あちらが始まったということはこちらもそろそろ始まる。八百人の暗殺部隊が背後からやって来る。だが、陛下の護衛隊にも暗殺部隊の手引きをする者がいるので……」
そこまで言ったところで、ゲラシドはシャルティオンをじっとりした眼差しで眺める。
「もしかして、陛下の警備隊にいる内通者とは貴様か。シャルティオン」
「そういうことであれば、重要情報を持ち込んだ私をこんなところで足止めしてダニエル殿下の襲撃を許したのも納得できるな」
もちろんシャルティオンは大声で否定するものの、起こった事実とゲラシドの巧みな話術によって兵たちのシャルティオンを見る目はハッキリと変わる。
そして、そこにシャルティオンにとって都合の悪いあらたな事態が発生する。
「背後から敵襲」
そう。
リゲイユたちの襲撃が始まったのである。
これまた非常によい動き出し。
この世界には存在しないタイミングという言葉があれば、絶対に使っていたゲラシドの言葉。
そう言いたくなるくらいの絶妙のタイミングだった。
当然そうなればもう一方にとってこれは最悪のタイミング。
白さを増す部下たちの視線に晒された無実のシャルティオンは遂に耐えきれなくなり動く。
「護衛隊長コルベイユ様に伺いを出す。ここで待っていろ」
精一杯の虚勢を張った言葉を残しシャルティオンが後方に下がる。
さすがにこうなってまだ自分たちを遠ざける勇気は彼らにはない。
必ず許可は出る。
シャルティオンが戻ってくるのを待ちながら、ゲラシドが呟いたとおり、まもなく戻って来たシャルティオンは王のもとへ案内する旨を伝える。
「ただし、武器の携帯は許されない。預かることになるが問題はないな」
むろんそれはゲラシドにとっては予定通りであり、二十人分の武器はあっさりとシャルティオンの部下たちに渡される。
ゲラシドたちは手ぶら状態でシャルティオンに先導されるように奥へと進むわけなのだが、実はこのときにも彼らは大事な仕事をおこなっていた。
警備体制を確認する。
もちろん少数でターゲットを仕留めるための最低限の仕事見極めと、仕事に使う武器の調達先を決めること、それから仕事完了後の脱出先の選定。
そして、遂にその場所に到着する。
「エゼネ・ゲラシドか」
入室してすぐに視線を床に落とし跪くゲラシドの耳に王の声が届く。
「はい」
欠片ほども気持ちはないが、それを覆い欠かす演技で忠誠心と恭しさを前面に押し出し、ゲラシドは返答する。
「たしか少し前にも会ったな」
「そのとおりです。陛下」
「とりあえず顔をあげろ。話がしにくい」
そこで顔を上げたゲラシドは辺りを確認する。
御座所内部には左右に三人ずつ、後方に五人。
合計十一人の警備兵。
剣を奪い陛下を討つのに最適なのは右に並ぶ者たちの先頭にいる男。
それから目標である陛下の後ろにはシャルティオンとコルベイユ。
こいつらも斬ることができれば指揮系統が乱れ逃走が容易になる。
ゲラシドが処置に迷っていたのは王の左隣にいる若い男だった。
一応、この世界の席次について語っておけば、この場合中央に座っているフランベーニュ国王が上位、王子であるアリストの椅子が置かれた王の右側が次席となる。
その男を視線を向けずに観察するゲラシドは呟く。
偶然王都にやってきていたブリターニャ王国の王子が立会人になるという噂だった。
つまり、あれがその王子か。
アリスト・ブリターニャ。
ん?
ゲラシドの凄まじい記憶力がその男に反応する。
どこかで会ったような。
もちろんこのような場面でなければ確実に思い出したのであろうが、時間も余裕もないゲラシドは今回の件に無関係なその男に関する記憶を辿ることを封印した。
結果論にはなるのだが、これがこの暗殺計画でゲラシドが犯した唯一の失敗だったといえる。
そして、最終的には命取りになる。
だが、どんな一瞬でも目にしたことは記憶にあり、それをすぐさま思い出す者などそうはいない。
そもそも、ダニエルに謁見した際に側近たちに紛れいた男と目の前の王子が同一人物だとわかり、危険センサーが鳴ったとして、今度は暗殺計画が中止にできたのかという問題に直面する。
観念し計画を断念して何事もなかったかのようにすべてを話す。
それが彼が生き残る唯一の選択肢であったのだが、それを選ぶのは多くの意味で困難。
そう考えると、記憶を辿ることをやめたことは失敗とは言えないだろう。
そして、実を言えばゲラシドが記憶を辿ることをやめたのはそのほかにも理由があった。
それはその場にその記憶より興味を引く者がいたこと。
アリストの背後に立ち周囲を警戒する三人の剣士。
それがゲラシドの興味を引く人物だった。
アリスト王子の護衛。
相当やりそうだ。
関わると面倒になる。
やはりブリターニャ王国の王子には関わらない方がよい。
剣を奪い、陛下を斬り、時間があれば警備隊の指揮官ふたりも斬る。
そこで逃走。
手順決定と斬る相手を絞り込んだゲラシドは左後方で膝をつくイスシュールも目をやる。
そっちも準備完了だな。
もちろん我々が動いたのを知れば外で待機している十八人も動き出す。
あとは行動を開始するだけとなったゲルシドを、これから自分を狩るために動くなどとは思っていない王は感情が籠らぬ目で跪く男の顔を眺め、それから口を開く。
「話せ」
王の言葉にゲルシドは小さく返事をし、それから流水のごとく話し始める。
「暗殺団の首魁はアルベルク・ジュメル。ご存じないでしょうが、その男はブリス・バレードン将軍の側近。陛下を裏切れないなどと調子のいいことを言って私を誘い王太子軍を離脱したわけですが、今考えると私はいいように利用されたようです」
「そして、ジュメルが計画を打ち明けたのは後退し、戦果を披露し我々に対する疑念を晴らそうとダニエル王子のもとに向かっているとき」
「ジュメルはそこでこう言って私を誘ったのです」
「これを機会に代替わりを目指す。これがバレードン将軍の描いた絵図ですが、王太子殿下も承認しているとのこと。ただし、これはジュメルの言葉なので本当のことなのかはわかりかねます」
「だが、それだけでおまえは暗殺に加わったのではあるまい。何を与えると言われたのだ?」
「金貨五万枚と将軍の地位。部下たちには金貨一万枚と特別昇進」
「たしかに悪くないな」
「ですが、それらは戻ってからの話。現に百名の部下のうち残っているのはこれだけ。さらに陛下のお命を狙うとなったらさらに数は減る。そして、戻ったはいいが、国王暗殺を咎人として新国王になった王太子に罰せられるという可能性は考えられます。そして……」
「ジュメルと違い、私はバレードン将軍の直臣ではありません。ですので、使い捨てられる可能性が高い」
「そうであれば、その計画に加わったフリをしてこうしてその情報を持ち込んだほうが自分の利になる。私はそう考えました。そこで、陛下を狙う暗殺部隊の囮役を買って出たわけです。監視がない状態で動けるように」
「本当であればもう少し早くこれを伝えダニエル殿下にも警戒していただきたかったのですが、そこの忠臣の方が……」
そう言って、シャルティオンに視線を動かすと王も同じように疑わしそうな視線をシャルティオンに向けたものの、言葉にしたのはそれとは逆の言葉だった。
「だが、とりあえずこちらについてはどうにかなったようだが……」
「いいえ」
自身の言葉を遮った王の言葉をゲラシドは明確に否定する。
「背後からやってくるのは八百人。すでに多くの者を忍ばせてあるとジュメルは言っておりました」
「ということは、大部分の者はまだ背後に潜んでいると?」
「そうだと思います」
コルベイユに耳打ちされたシャルティオンが頷きその場を離れる様子をゲラシドは目で追う。
そして、音によって兵の移動が確認されたところでいよいよその時がやってくる。
ゲラシドはイスシュールに右手で合図を送る。
物語の世界ではこのような場面では大仰なセリフを吐くのがお決まりだが、奇襲攻撃をおこなう時に存在を知らせながら接近しないのと同じ。
余計な注意を引くようなことをせず唐突に始めるのが真実。
相手の虚をつく。
これがこのようなことをおこなうときの大前提なのだ。
ゲラシドは右、イスシュールは左の護衛兵の腰にある剣を狙い、驚くほどのスピードで動く。
何が起こったのかわからない兵士たちの剣を奪い取る。
だが、その剣を手にした瞬間、そのまま数歩動いたところにいる王を斬るはずのゲラシドの表情に驚きと怒りの感情が浮かび上がる。
「防いだと思うなよ。たとえ木刀でも頭を叩き割るくらいのことはできる」
そう。
ゲラシドが奪った兵士たちが腰に差していたのは訓練用の木刀。
もちろん普段から木刀を差していたのではいざという時に役に立たない。
つまり、兵たちは自分たちがやってきたと聞いて剣を取り替えていた。
だが、柄や鞘は本物。
ということは、自分たちが護衛兵の剣を奪うことを前提に準備をしていたことになる。
代金代わりに兵士を蹴り飛ばし、ゲラシドが最初の一歩を踏み出そうとした瞬間、黒い影が立ち塞がり直後物凄い衝撃が彼の身体を襲う。
続いてやってきたのは猛烈な痛みと血の匂い。
むろん致命傷だ。
だが、まだ意識はあった。
ゲラシドがどうにか向けた視線の先には大剣を持つ若者。
ゲルシドは崩れ落ちる。
「……なるほど……最初から我々を狩るつもりで準備し引き入れたのか」
消えゆく意識の中でゲルシドは悟った。
自分が手に入れたと思った勝利は最初から存在していなかったことを。
ゲラシドが絶命したとほぼ同じとき、イスシュールもアリストの護衛で一番の年少者に斬り倒されていた。
木刀を握りしめたまま。
だが、その派手な劇はそこで終わりではない。
一瞬だけ遅れ、こちらは本物の剣を手に入れてきた兵士十八人がなだれ込んでくるものの、ふたりに兄剣士を含めた三人に敵うはずもなく、それほど時間をおくこともなくすべてが終わる。
「ご苦労様」
二十人をあっという間に斬り倒した三人の若者に声をかけたのは彼らが属する冒険者チームの実質的リーダー兼スポンサーで、現在はブリターニャ王国の王子という本来の姿をしている男だった。
その男はすでにこと切れた男に目をやる。
「……私の前で同じ手をもう一度使おうとしたことが敗因でしたね」
「もちろん来るとわかっていても防ぐことができないものはありますが、あなたの使った手は来るのがわかっていれば十分に対策できるもの」
「ですが、計画そのものはすばらしいもので完璧でした。おそらくそれはあなたも感じていたことでしょう」
「最後の一瞬まで」
とても暗殺者に対して述べるものではない言葉を口にしながら返答をしない相手を眺めていたブリターニャ王国の王子に彼に助けられた男が声をかける。
「とりあえず助かった。アリスト王子。それで……」
「残る敵についてだが……」
「心配ありません」
フランベーニュの国王の言葉を遮ったブリターニャ王国の王子は薄く笑う。
「それはここに倒れている男の出まかせ。そんなものはいません。最初にやってきた者たちが最初で最後のもの」
「まあ、心配でしたら警戒することは止めませんが」
実はこの後すぐにダニエルが見舞いにやってくるのだが、その前にフランベーニュ王国の王アルフォンスとブリターニャ王国の王子アリスト・ブリターニャは今後について意見交換をしていた。
この襲撃をどう扱うべきかを。
アルフォンスは愚鈍ではあるが、さすがに自分とダニエルを襲撃する者の心当たりはくらいはある。
王太子アーネスト。
王太子の地位にはあるが、謀叛人に貶められた。
このままでは王位に就けない。
そうなった場合にどう動くは想像できる。
だが、そうだった場合、計画した段階でその者は処刑。
父王としては今回の襲撃事件は陸軍将軍ブリス・バレードンが勝手にやったことにしたかった。
だが、このまま戦いを続けていては死刑になる以前に首を刎ねられる。
それを免れる方法はないか?
アルフォンスはそこまで踏み込んでアリストに尋ねたのだ。
このように。
「アリスト王子。王太子とカミール。ふたりの王子を救う手立ては何かないだろうか?」
その瞬間、アリストの表情が微妙に動く。
もちろん、ほんの僅かで、しかも一瞬のことである。
だが、本来であれば多くの視線が集まるアリストの表情に変化であれば、一瞬のことであっても気づく者はいるはず。
そうならなかったのは、後ろに控える三人がアリストと同じベクトルの感情を露骨に示したため、注意がそちらに集中したからという理由のほうが正しいといえるだろう。
もちろん口には出さない。
口には出さないがその表情はハッキリと語っていた。
そんなことを他国の王子に尋ねるな。
だが、フランベーニュの王は宿敵ブリターニャ王国の王子に聞かなければならなかったのである。
その理由。
まず、この王は自身の判断の大部分をダニエルに委ねていた。
特に重要な決定については。
だが、自身が判断を委ねているダニエルが今回は当事者。
そうはいかない。
そうかと言って自身で考えそれが出来るかといえば、それができない。
では、他の取り巻きにダニエルの代役を任せればいいだろうと思えるのだが、その取り巻きは皆イエスマン。
唯一それができそうなのが宰相オーギュスト・ド・アブスノアくらいだが、残念なことに彼はこの場にいない。
自身では判断できない。
だが、アドバイスを受ける相手もいない。
困り果てた王が頼ったのはアリストだったのだ。
「何かないだろうか?」
もう一度、そして縋りつくような目で頼み込む。
異国の王子に縋りつく醜態を晒すのなら、立会人である王が戦いの終わりを宣言すればいいだろうと思うのだが、これがそうはいかない事情があった。
この世界独特の奇妙な決闘には立会人についても絶対に守らなければならないルールがいくつか存在する。
そのひとつが戦いの終結宣言に関するものだ。
立会人は決闘の終結を宣言し勝者を宣言する。
ただし、戦闘継続中に立会人の判断で戦闘終結させることはできない。
このような条文があるのだ。
そして、それに続くのは……。
それを破った立会人は王族同士による神聖な決闘を汚した者として死罪とする。
つまり、このまま放置すればふたりの王子は間違いなく殺される。
だが、立会人は手が出せない。
自分が傷つかない方法でふたりを助ける手立てはないか?
王はアリストにそう尋ねていたのだ。
もちろん決闘であり、また王族同士のものであるから、最後までいかなくても終結する手立てはある。
とりあえず、立会人が決闘の終結を宣言できる条件を述べておこう。
大将の死亡。
大将が立会人へ自らの負けを認める意志を伝える。
つまり、大将であるふたりの王子の命を救いたい王が選択できるのは後者。
もちろん自らの命と引き換えにふたりの王子を助けるという方法もあるが、当然この王に限ってそれはない。
だが、ダニエルの勝利ということは、戦いが始まる前にダニエルが口にした勝者として要求するとした条件をすべて飲む必要がある。
それが年長のふたりにできるのかといえばノー。
しかも、立会人として他国の王族がいる。
おかしなことをやった場合には、笑いものになることは避けられないのでそれもできない。
ダニエルがアリストを立会人として王の傍に置くことに積極的だったのは護衛以上にそのおかしことを王がおこなわないための抑えという意味合いもある。
これだけ悪条件が揃ったなかで全員が満足する調停案を示すことなどさすがのアリストでも思いつかない。
「王太子側に白旗を上げるように促すのが一番の案だと思いますが……」
それがアリストの言える精一杯のアドバイスであった。
そして、結局夢のような手立ては手に入ることがないまま、王はやってきたダニエルと顔を合わせることになる。
ふたりの魔術師を連れて現れたダニエルはこれでもかと言わんばかりに美辞麗句に並べ立てて王の無事を喜ぶものの、今の王にはまったく響かない。
ダニエルの言葉が出尽くしたところで、浮かない顔の王が口を開く。
「それでダニエル……」
「こういうことになったが、おまえたちは血を分けた兄弟。戦いが終わった後は穏便にことを済ませることはできないか?」
これが今の王に言えるぎりぎりの言葉である。
だが、ダニエルはそれを形式的な礼儀を逸脱しない形をとって明確に拒絶した。
大きなため息をついたあと、ダニエルはその言葉を口にする。
「陛下。その言葉はこの決闘が始まる前に謀叛を起こしたふたりに言うものであって今の私に言うものではありません」
「まずは彼らが負けを認めること。それが大前提にあります」
「さらに彼らは陛下に今回の暗殺者を送り込んだ件についての責任を取らねばなりません」
「だが、それはブリス・バレードンがおこなったことで……」
「もし、そうであってあったとしても、バレードンは彼らの配下。無罪とはいきますまい」
「それから陛下」
さらに言葉を重ねようとした王をダニエルが制す。
「一応、今までのことは聞かなかったことにしておきますがご注意あれ」
「立会人が決闘に介入した場合、それが誰であろうとも死罪になるということを」
そう言って王の介入を封じたところで、ダニエルは言葉を加える。
「彼らは私を殺す気で刺客まで送り込んできた。そうまでされた私が彼らの命を救うには彼らが相当の譲歩をおこなう必要があります」
「まあ、それもこれも彼らがふたり揃って私に降伏することが前提になりますが」
 




