零れ落ちる勝利
それが始まったのはダニエルがグミエールへ例の書簡を渡した直後ということになる。
ダニエルが陣を構えるヴェリエールの丘。
ここからは戦況の概要は確認できる。
そして、味方が優勢であることもわかった。
「ロバウ将軍指揮の中央軍、敵を撃破しつつあり」
「リブルヌ将軍の右翼も敵左翼の側面に攻撃する模様」
「グミエール将軍の本隊も左翼も敵陣への攻撃を開始した模様」
「殿下。予定通りです」
物見の兵たちの報告に続き、やってきた戦況の説明役を務めるアルベルク・シェブルーズ将軍の言葉にダニエルは大きく頷くと、右後方に控えるふたりの魔術師に目をやった。
不安が少しだけ混ざり込んだ微妙な気持ちでダニエルが待つその状況が動いたのはリブルヌ率いる右翼部隊が敵左翼を撃破した直後のことだった。
後に控えていた男がダニエルに近づき、囁く。
「動きました。数は二百五十から三百といったところでしょうか。激戦を突破したにしては意外に多く残ったようです」
「もう少し近づいたらまたお知らせします」
「殿下は何があっても傷つくことはありませんので動かぬように」
必要事項だけ言って男は離れていく。
情報がわずか、時間はたっぷり。
こうなると妄想が膨らむのは誰でも同じ。
様々なことを考え、それなりの時間が過ぎたところで男が再び近づき囁く。
「間もなくやってきます」
「こちらにやってくるのは約二百人。残り五十人が陛下のもとへ向かいました」
「私はどうしたらよい?」
「何も」
「と言っても、ここにやってくるころには彼らは暗殺者の顔をしているでしょうから、当然殿下もそれらしい表情になるでしょうが。ですが……」
「もう一度言います」
「殿下は全くの安全です」
そこまで言ったところで男はニヤリと笑う。
「状況を説明しておけば敵は二隊に分かれました。おそらく暗殺実行をおこなうのは背後から来る者たちです」
「相手は皆それをおこなう本職であり有能です。並みの人間ではとても防げない。彼女がこの場にいなければ暗殺は成功したでしょう。殿下はこの戦いが終わったら命の恩人である彼女には相応の報酬を与えるべきでしょう」
「では」
男はそう言って離れていった。
そして、その直後、あの男たちがやってくる。
これよりさらに前。
敵左翼への突撃始める直前。
「ゲラシド。貴様。今何と言った?」
ダニエル軍の右翼から後方に下がる数百の部隊の中に怒号が響く。
アルベルク・ジュメル。
エゼネ・ゲラシドの指揮下にあるブリス・バレードン配下の猛将の声だった。
「声が大きい。ジュメル」
「だが、そうなると我々は味方と戦い、味方指揮官の首を取り、左翼部隊の崩壊に協力することになるではないか?」
「そのとおり。だが、それ以外の方法はない」
「前線指揮官のリブルヌでさえ私たちを信用していないのだ。ダニエル王子が私たちを無条件で信じているはずがない。手土産なしに近づいたら即座に斬り倒される。もちろんおまえたちの剣力知っている。だが、数が足りない。確実にダニエル王子まで辿り着くとはいえない」
「さらにいえば、我々はダニエル王子だけではなくもうひとり手をかけなければならない人物がいるのだ。そのような力業に頼るわけにはいかない」
「もうひとり?誰だ」
「……国王陛下」
「なんだと……」
さすがに豪胆なジュメルも驚かざるを得ない。
「貴様、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「もちろん。だが、バレードン将軍から私への指示がそうなっているのだからやらねばならない。この戦いが終わった直後に王太子殿下が王位に就けるよう、陛下とダニエル王子の命を奪え。期限は戦いの決着がつく前に。それがバレードン将軍から私への命令だ」
そう。
実はゲラシドがジュメルに今回の暗殺計画の全容を明かしたのはこのときが初めてだった。
だが、一瞬の間の後にやって来たのは怒号ではなかった。
「わかった。それがバレードン将軍の命令というのなら従おう」
「ただし、さすがに私には陛下に向ける刃はない。そこは配慮してもらいたい」
もちろん最初からそのつもりだったものの、恩着せがましい応じたゲラシドはこうつけ加える。
「とにかく、まずは手土産を手にいれなければならない。よろしく頼む、ジュメル殿」
そして、激戦の末目標の左翼部隊の指揮官アディル・ポンティビーの首を落とし、撤収する途中の傭兵部隊を指揮するディディエ・カルハイエの首まで手に入れ、隊列を整えると称して後方に下がったところで再集合すると、すぐにグループ分けをおこなう。
まず、王とダニエルの暗殺をおこなうグループに分ける。
これはターゲットの重要度と警備状況を最重視する。
勝敗を確定させるためにはダニエルの首は絶対に必要。
そして、そのダニエルは戦闘中の部隊を指揮する者であるのだから、当然護衛は山ほどいる。
その厳しい警戒を突破しダニエルに近づくには相応の兵が必要となる。
一方の王であるが当然警備はつくが、今回は立会人であり、実際の戦闘に参加するわけではないので、ダニエルほど警備は厳重ではない。
さらにその警備も襲撃を前提にはしていないので比較的緩いと考えられる。
それらを加味し、敵左翼との戦闘を生き残ったゲラシド隊八十四人のうちの二十人、百九十一人のジュメル隊のうち四十人が王暗殺に向かい、残りの二百十五人がダニエル暗殺隊となる。
さらにダニエルの暗殺を担う部隊はふたつに分けられる。
正面から突入するのがジュメル隊に属する者。
背後から襲う者がゲラシド隊所属の兵となる。
これはこの時点で連携を構築するのが難しいので当然の選択となる。
ダニエルを背後から襲うゲラシド隊を率いるのは信頼する側近のシャルル・クートラ。
彼自身がダニエルを狙う三十人を率い、暗殺の障害になりそうなふたりの魔術師を倒す役割を果たすのがジョフロア・ブレーヌとエルキュール・スエーヌがそれぞれ二十人、十四人を率いてフィーネとエゲヴィーブを倒す役割を担う。
海軍の魔術師でダニエル軍の魔術師長を任せられているエゲヴィーブよりもフィーネのほうが手強いと読んだのはさすがゲラシドの眼力というところだろう。
そして、クートラを含むこのうちの十一人については戦いが始まる前の呼び出しには参加していない。
つまり、フィーネのマーキングから逃れた者でもある。
そして、そのゲラシドが担当する王を襲撃する部隊であるが、正面から突入するアルベルク・リゲイユ率いる四十人はあくまで囮。
王に刃を向けるのに躊躇する彼らにできるのはここまでであり、実際に王を殺めるのはゲラシド本人が率いる二十人となる。
「各隊は自身の持ち場が片付いたら他がどうなっているかに関わらず、その場より各個の判断で全力退避。集合は十日後野営した森とする」
「では、それぞれの健闘を祈る」
こうして、暗殺部隊はここでふたつに分かれる。
そして、まず攻撃を始めるのはジュメルとクートラが率いるダニエル暗殺部隊となる。
彼らはさらにふたつに分かれ、クートラ率いる部隊が背後に回るまでジュメル隊は待機となる。
ダニエル本陣。
味方優勢に少々浮かれ気味になっている中で、暗殺者が近づいていることを知っているのは三人。
そのうちのふたりとなる男女の魔術師は囁くようにこのような会話をしていた。
「背後からやってきた者たちはさらに三隊に分かれましたね」
「ええ。おそらくそのうちのふたつは私たちの排除を目的にしているのでしょう。相手が暗殺を生業としている者というのであれば、魔術師というのは彼らの仕事に対して常に障害になっていたでしょうから」
「まあ、それでもそこまで気が利くのであれば暗殺団の指揮官はたいした者と言わざるを得ませんね」
「まったくです」
相手の言葉を肯定した女性が続けて問う。
「それで……」
「どうしますか?」
どうするか?
それはもちろん受け持ちをどうするかということである。
「何もなければ、三人分の防御と背後は私が担当し、あなたは前からやって来る者たちの始末をつけるということにしたいのですが」
「それと……」
「当然相手が手練れということなら、確実に魔法対策をおこなうでしょうが、それについてはどうしますか?」
魔術師のひとりフィーネの言葉にその相手となるエゲヴィーブは少しだけ戸惑う。
フィーネはもうひとこと加える。
「彼らが狙うのは乱戦状態でこの場にやってくること」
男は唸る。
防御魔法の傘がない者たちが攻撃魔法を避ける手段はふたつ。
相手を倒す。
もちろんこれが一番いいわけなのだが、それは簡単なことではない。
そうなれば、唯一の選択肢はもうひとつである乱戦に持ち込み攻撃をさせないようにすることである。
「早速護衛の兵を殿下に近づけないように……」
「さすがにそれは無理ですね。もう相手は目の前ですから」
「では、そうなった場合は殉じてもらいましょう。それしかありませんから」
つまり、味方もろとも始末する。
あっさりとそう言い放った男をフィーネは冷ややかな目で眺めた。
「あなたの仕事に対する真摯さや覚悟というものはわかりましたが、さすがにそれでは死んでいく者に申しわけありません。私にもう少し良い考えがあります」
その声に被さるように遠くから騒ぎ声が聞こえてくる。
「……どうやら、お客さんたちがやってきたようですね。では、歓迎の支度をしましょうか」
そう言ったフィーネは杖を顕現させた。
フィーネクラスの魔術師は通常の魔法の発動には杖は不要。
つまり、これからおこなうものは相当高等魔法ということになるのか。
実は、これについてはイエスともノーともいえる。
その理由は、魔力の消費量が大きい高度な魔法以外にも杖が必要な場合があるからだ。
精密さが要求されるとき。
多数の魔法を一度に発動させるとき。
これがその条件であり、今回の場合は後者がそれにあたる。
なにしろフィーネはすでに呼び集めた暗殺者集団に対して色付けと称してごく弱い防御魔法を施している。
もちろん弱いものであると言っている以上、魔力の消費はそう多くはないのだが、なにしろそれが六百人分。
魔力以上精神に負担を与える。
さらに自身と隣の魔術師に警護対象のダニエルに対しての物理攻撃に対する防御魔法を施している。
そして、やってくる敵に対しての魔法攻撃をおこなう。
さらにあらたな魔法を展開するとなればさすがのフィーネも指を動かすだけで魔法を操るのは厳しいのだ。
フィーネの耳に男の声がやってくる。
「これから何をするのでしょうか?」
エゲヴィーブとしてこれは尋ねておくべきものである。
パートナーとしてどのような防御魔法を展開するのかを知っておくのは当然のことであるし、なによりも自らが口にした解決策をフィーネはあっさりと否定したうえ、それ以上の策があると豪語したのだから。
そして、エゲヴィーブの問いに対するフィーネの答えがこれだった。
「私たち三人の周辺に結界を展開させます」
「これで相手がどれだけ来ようが近づくことはできません。その後に敵味方を識別してひとりずつ処理できます」
「では、始めましょうか……」
そう言った瞬間、ふたりと少し離れた場所にいるダニエルの周辺に上級魔術師以外には見えない壁が張り巡らされる。
それと同時に三人が纏っていた魔法の鎧は消える。
「さて、これでもてなしの準備ができました。あとは主賓がやってくるのを待つだけですが……」
「これから先は私がすべておこないますので、あなたは見張りをしてください」
さて、一方の暗殺部隊の指揮官たちだが、この世界最高の魔術師のひとりが万全の状態で待ち構えているなど夢にも思っていない。
当然ながら彼らはここまでは完璧に計画が進んでいると思っていた。
いや。
間違いなく完璧だった。
さらにいえば、ゲラシド隊は単独で敵左翼の指揮官ふたりを狩っていた。
その結果、指揮官を失った左翼部隊は直後崩壊する。
歴史には「もし」という言葉をつけて語りたい出来事は数多く存在するが、彼らのこの活躍も十分のそれに値するものだったといえるだろう。
そう。
もし、ダニエルの前で口にした言葉どおりゲラシドたちが本当にダニエル軍に寝返っていたのなら、これらは第一級の功となり、相当の報奨金を得て、ふたりの指揮官の今後の栄達は間違いなかっただろうから。
さて、架空の話はここまでにして現実の話に戻ろう。
吠えるようにその戦果を宣伝し通行証代わりに掲げる斬り落としたポンティビーとカルハイエの首を手土産にいよいよダニエルとの対面というところでアルベルク・ジュメルと彼の部下たちが仮面を取る。
もちろんその殺気で護衛隊は男たちの意図はすぐに理解した。
だが、まさか敵将の首を持った者がダニエルの首を狙うなど予想もしていなかったため、反応が一瞬遅れる。
もちろんジュメルはそれも見逃すはずがない。
防御ラインを軽々と突破する。
だが、ジュメルは成功を確信した、あと十歩も進めばダニエルは剣の間合いというところで異変が起こる。
目の前にいるダニエル王子と自分たちの間には障害物は何もない。
だが、前に進めない。
何があるかもわからぬまま、見えるはずがないその入り口を探して目を動かしていたジュメルはやがてある人物を見つける。
ジュメルはすぐに理解した。
「ゲラシドが言っていた女魔術師とはあれのことか。ということは、これが噂に聞く魔法障壁か」
魔術師を狩るのは背後からやってくるクートラの役目。
だが、あの魔術師を消さないかぎり王子まで辿り着けないことはまちがいない。
ジュメルは即座に決断し、命令する。
「まず、あの女をやる。私に続け」
魔法障壁とも呼ばれる結界は物理的力で破ることも可能。
これは軍の教本にも書かれた剣士たちが覚えておくことのひとつとなっている。
当然ジュメルもそれを知っているし、これからおこなうのはそれである。
だが、彼らの知る常識には大事な部分が抜けていた。
それが可能かどうかは術者の魔力と突破を図る者の力関係による。
つまり、上級魔術師の結界は並みの者が束になっても突破はできない。
それこそ、アポロン・ボナールの配下を中心とした物凄い圧力にも魔族の老人が展開した結界はびくともしなかったように。
そして、それはこの後すぐに証明される。
「ガスパールは三十人で護衛を迎撃。その他は全力で障壁に圧力をかけろ。そして障壁を破ったら私が王子をやるので全員で魔術師を始末し、終わり次第離脱しろ。バレードン様の陣で会おう」
ジュメルがそう言うと、迎撃に向かった者以外の全員が見えない壁にとりつく。
その直後、閃光が走った。
「たわいもない」
「単独でやってくればそうなることなど自明の理というものです」
自らが展開した見えない壁の周りに転がる黒焦げの遺体をを冷たい目で眺めた女性がそう言うと、続いて迎撃に出た者たちの排除を始める。
背中を見せている男をひとりずつ杖で指し示していく。
そして、残りふたりとなったとき、エゲヴィーブがフィーネに声をかける。
「……本命の客が現れた」
男の声にフィーネは薄い笑みを浮かべ口が動いた。
その声でエゲヴィーブには届くことがなかったが、その時フィーネはこう言っていた。
「……もう少し早く来るべきでしたね。そうすれば、もう少し面倒なことになったでしょうに」
「まあ、結果は同じですが」
そして、完璧な襲撃のはずが見えない壁に阻まれ困惑の表情を浮かべて並ぶ六十人の男たちに目をやる。
「……少し多いようですね。やはり、アリストの読み通り、あの場に現れなかった者がいたようです。ですが、本当に芸がない。それでは撃ってくださいと言わんばかりではないですか」
そう言って、杖を一振り。
それで終わりだった。
先ほどのジュメルたちと同じ。
それこそ自分たちの身に何が起こったのかわからないまま死んだことだろう。
「反応はなくなりました」
「そのようですね。ですが、まだ仲間がいるかもしれませんのでもう少し警戒した方がいいでしょう」
エゲヴィーブはその言葉に頷きながらそう返しながら自分に背中を見せる若い女性を眺め直した。
死体を確かめた結果、組織の頭であるゲラシドの死体が発見できなかったことから、残党は間違いなくいるとして警備は最高水準を保ったままであった。
もちろんフィーネは結界を解除させた代わりに再び自身を含めた三人に対物理攻撃用の防御魔法を張り直しているのでそのような過剰警備は本来は不要である。
だが、大将の本陣を襲撃されただけではなく、ダニエルのあとわずかという距離まで賊の侵入を許した。
しかも、結局王子を守ったのはふたりの魔術師で自分たちは二百人の襲撃者の四分の一も討ち取れなかったという事実。
警護をおこなっていたクロヴィス・ビエルソンや彼の上官にあたるアルベルク・シェブルーズにとって今回の件は大いなる失態。
間違っても再度の襲撃などあってはならないのだ。
つまり簡単に警備レベルを下げられない事情が彼らにはある。
ここはすべてのことを理解し、シェブルーズらの気持ちを汲み取って警備継続を自身の命としたダニエルの器の大きさに敬意を表するべきかもしれない。
さて、過剰警備、もとい適切な警備に守られながら八人の死者への手向けと四十五人の負傷者の見舞いを済ませたそのダニエルがふたりの魔術師に尋ねたのは王への襲撃についてだった。
そして、その答えはノー。
つまり、襲撃はおこなわれていない。
それがふたりの回答だった。
「この組織の長であるゲラシドなる者がいないこと。そして、彼らの一部がランブイエの丘に向かったのは間違いないこと。そこから気が変わり王太子軍のほうに逃走したのでなければ、ゲラシドに指揮された一隊がまもなく行動を開始させるでしょう」
「まあ、始まればすぐに終わりますけど」
「ということは、向こうにもフィーネ嬢と同じくらいの魔術師がいるのかな」
フィーネに対して最後の最後にやってきたダニエルのその問いに第三者であるエゲヴィーブは表情を硬くする。
エゲヴィーブは動悸を抑えながらチラリとフィーネを眺めるが、眺められた方はそんなことをまったく意に介さないように答える。
「私よりも数十段落ちますが、いますね。実は三人の護衛のうちのひとりが多少魔法を使えます。まあ、彼らなら魔法など使わずに剣でカタをつけようとするでしょうが」
そして、その直後。
「始まったようですね」
「ええ」
北東の方角を眺めながらふたりは口を揃えた。
そして、そのうちのひとりが言葉をつけ加える。
「始まったということはもうすぐ終わるでしょう」
ダニエルはその言葉に小さく頷くと立ち上がる。
「では、出かける準備をしましょうか。陛下のご機嫌伺いに」
むろん残るふたりもそれに応じるように立ち上がる。
アントワーヌ・ブルターユがグミエールの伝言を持って本陣近くに姿を現わしたのはこれからすぐということになる。




