クアムート攻防戦 Ⅰ
城塞都市クアムート。
魔族の国北部における交通の要衝であるこの地を魔族領に侵攻している連合軍のひとつノルディア王国軍が包囲したのは今から八十三日前だった。
もちろんこれ自体は魔族側にとっても予想の範疇であり、それに対する準備も進められていたものの、想定外のことが次々と起こりその計画は大幅に狂っていた。
そもそも魔族側の想定では包囲攻撃が開始されるのはまだ五十日以上先のことであり、敵はノルディアからの侵攻ルートである北と西の街道を使ってクアムートにやってくるはずだった。
だが、実際はどうだったかといえば、住民の退避が始まったばかりのその時期にノルディア軍がまず姿を現したのは彼らが考えていた方向とは真逆であるクアムートから王都へ向かう唯一のルートである南の街道沿いの町々だった。
これによってクアムートに住む民の多くが王都への退避が不可能となったのだが、魔族側にとってこれは最大の誤算であった。
なぜなら、魔族側の城塞のなかでも防御力が高いことで知られていたここクアムートでは当初から籠城策を採用することになっており、「城内に残った守備兵四千で五百日間守り切る」ための武器や食料の搬入がおこなわれていたのだが、その予定にはまったく入っていなかった脱出できずに残った者約一万七千人を抱えて戦うことになったのだから。
むろん王都にこの状況が伝わると、すぐさま一般人の王都へ移送することと、追加の食料の搬入を目的として将軍ディオゴ・マルタンボ率いる三千人の兵に守られた五千人の輸送部隊が援軍として送られた。
そこに立ちふさがったのがノルディア自慢の人狼軍だった。
人狼。
もちろん彼らは本物の人狼などではなくあくまで人間である。
そして、実を言えば、人狼についての明確な定義はない。
だが、突然変異的に人間とは思えぬ圧倒的なパワーを手にした若者に剣技を叩きこんで出来上がったこの人狼は魔族軍の戦士クラスどころか騎士クラスともほぼ互角にわたりあえる剣技を有していた。
当然彼らは最激戦地に投入されるため消耗率は非常に高かったのだが、それに見合うだけの驚くべき戦果も挙げていた。
ちなみに、人狼という言葉は、人ならざる力を有した敵に相対し恐怖した魔族側が使用し始めたもので、のちに裏ルートを通じて人間側にその言葉が伝わり、現在では人間側でも通用するものとなっている。
今回戦場に現れた人狼の数はなんと一万五千。
拮抗した力を持つ軍が正面からぶつかれば勝負の行方は数に左右されるのはこの世界でも同じであり、当然結果は世の理どおりのものとなった。
だが、ノルディア軍がクアムート攻略に投じた兵力はそれだけではなかった。
険しい山岳地帯の走破し予想外の場所から現れ魔族軍の退路を断つことに成功し、現在はクアムートの包囲をおこなっているアーネスト・タルファ将軍率いる二万人。
さらにタルファの軍がクアムート南方に現れた直後通常ルートから堂々とたる陣形でやってきた総司令官であるアドニア・ベーシュ将軍率いる本隊は一万五千人。
すべてをあわせれば五万人。
さらに彼らにつき従う魔術師も三千八百人。
まさに大軍である。
そして、この軍を率いる知将として知られる将軍ベーシュがクアムートを攻略するために選んだのは、この圧倒的な戦力差の利点をいかし、増援を撥ねつけながら厳しい包囲戦をおこない食料がなくなり相手が弱り切ったところで本格的な攻城戦を始めるといういわゆる兵糧攻め。
たしかに力攻めより時間はかかるが、味方の損害は圧倒的に少なく済む。
さらに、兵糧攻めを主体にすれば、力攻めに比べて城の修復にそれほど時間を要しない。
ここを魔族領侵攻の拠点としたいノルディアにとってそれは大きな利点となる。
そして、この策を王に上申したベーシュはそれをより完璧なものにするためにさらにもう一手、辛辣極まる策を加える。
周辺で捕らえてきた多数の魔族の民を解き放ちクアムートに追い立てたのだ。
限りある城内の食料を食い尽くすあらたなネズミとして。
もちろん食糧の備蓄状況を考えれば、逃げてきた者を城に入れず見殺しにするという冷徹な選択肢も存在した。
だが、クアムート城を預かるアゴスティーノ・プライーヤは笑ってすべてを受け入れ、部下たちにこう指示した。
「助けを求めてきた同胞を見殺しにしたとなればあの世に行ってから先祖による長い説教は免れない。ハッキリ言おう。そんなことは御免被る。それに、王は我々を見捨てない。必ず食料を山ほど持った援軍がやってくる。だから、何も心配せずあたらしくやってきた者にも同じように食べ物をわけ与えるように」
だが、城主であるという立場上、口に出すことはなかったものの、プライーヤは開け放った城門から民たちがぞくぞくと城に入る様子を眺めながら心の中でこう呟いていた。
そもそも、すでに当初の予定は崩壊している。
一日や二日早く終わりが訪れようとたいして変わらぬ。
城内の非戦闘員の退避が失敗したうえ、食料の備蓄も完了しないまま籠城が始まっている時点でどれほど節約しても当初予定していた五百日どころか百日も持たず城内の食料が尽きる。
だから、ここで避難民を受け入れたことにより終幕がどれだけ早くなろうが、五十歩百歩の世界ではあるというプライーヤの心の声は正しいといえる。
だが、それは同時にこのまま状況が変わらなければ、せっかく助かった彼らを含めて城内に籠る約三万人近くの魔族は皆餓死することを意味する。
そうなる前に攻めてきた兵士に斬り殺されるかもしれないが、いずれにしてもその頃には空腹で動けなくなっていることだろう。
もちろん、そうなるくらいならひとりでも多くの敵を道連れにするため、余力があるうちに城を出てこちらから戦いを挑むという選択肢を加えることもできるのだが、いずれにしても待っているものはすべて死。
そして、その日は刻々と迫っていた。
「何度でも言う。王は我々を見捨てるはずがない。今度は王自ら大軍を率いて助けにやってくる。それまでの辛抱だ」
当初人狼軍を押し込んでいたものの背後から現れた魔術団による攻撃によって形勢は逆転し全滅。
三度目の増援作戦もそうやって失敗し、目の前で起こった惨劇に落胆する兵や民を落ち着かせるために、自らはすでに悟っているその結末を心の中で葬り、豪快な笑いとともに語ったプライーヤのその言葉によって一度は元気を取り戻したものの、食料の配給量がさらに減らされ人々の心が闇に支配されるようになり口数が大幅に減っていた籠城八十四日目。
プライーヤだけではなく籠城する多くの者たちの耳にも死神の足音が聞こえ始めたその日の夜、もうやってこないと誰もが諦めていた援軍が姿を現す。