左翼の戦い
「狼煙。開戦の知らせです。王太子殿下」
「ダニエル殿下。狼煙です」
立会人たる国王がいるランブイエの丘の丘から上がる狼煙に平原の両端からほぼ同様の声が上がる。
もちろんその次にやって来るのは突撃命令。
そして、その声に覆いかぶさるように雄叫び声が上がる。
だが、その直後、一方の側でその声に悲鳴が加わる。
王太子軍の最後方魔術師団の陣地が火の海に包まれたのである。
もちろん王太子軍の将兵の目はすべて前に向けていたのでその瞬間に何が起こったのかはわからない。
だが、その光景を見ればその結果がどのようなものかは理解できる。
「ま、魔術師団が全滅したのか?」
「それ以外には見えないだろう」
「ということは……」
自分たちを魔法攻撃から守る傘はなくなった。
つまり、これから何がやってくるかは想像できる。
それから身を守る方法はただひとつ。
乱戦に持ち込み魔法攻撃をおこなわせないこと。
まず日頃から戦いの場に身を投じている傭兵が気づき、続いてそのような教育を受けている陸軍が動く。
それから、だいぶ遅れて王子たちの私兵が気づく。
このままここに留まっていては魔術師の的になるだけだと。
当然それを回避するための行動に動く。
王太子軍左翼。
前面に展開する陸軍部隊が敵の攻勢を抑え、側面から第二列が攻撃して崩すはずが、傭兵隊が前面に展開するポンティビー隊に合流するような形になったのである。
もちろんポンティビー隊にとっては想定外。
だが、傭兵隊にとっても当初の予定である単独で大きく迂回などしていては魔法攻撃の的になるだけ。
生き残るために、たとえ事前の取り決めとは違っても敵と最短距離で接触するルートを選ぶのは彼らにとっては当然の選択である。
そして、争うようにリブルヌ隊に迫る。
この二隊が合流してやってくるという様が予想外だったのは敵であるリブルヌも同じだった。
だが、それでも一万対六千。
十分な余裕がある。
そして、こちらも動く。
リブルヌは右側に控える集団に目をやる。
「大至急ゲラシドを呼んで来い」
伝令兵にそう伝え、まもなくやってきたゲラシドとジュメルにリブルヌは自身の考えを伝える。
「実をいえば、私はおまえたちをあまり信じていない」
「だが、ここでお前たちが手柄を立てたら謝罪させてもらう」
そう切り出し、その言葉を伝える。
「我々に迫る敵の横腹を食い破れ。合流した敵のひとつは傭兵の集まり。束ねている頭を失えばあっという間に崩壊だ。そうなれば、その流れに陸軍も巻き込まれる。言っていることがわかるな」
ふたりの男は大きく頷く。
リブルヌはさらにもう一手を打つ。
「ロシュフォール殿に連絡。予定通り頼むと伝えよ」
そして、まもなくゲラシド隊の六百人が大きく迂回後、敵左翼の側面に向かって斜め後方から突入する。
「左後方に敵。突入してきます」
もちろん左翼の兵はその声に素早く反応しゲラシド隊を迎撃するが、一斉に背を向けた瞬間、それまで戦っていた相手に次々に狩られるという醜態を演じる。
正面の敵への対応だけで精一杯で側面から現れた敵に向ける兵はない。
だが、本来自分たちがやるはずだった側面攻撃は効果甚大。
放置はできない。
ポンティビーは予備隊として後方に下げていたアントワーヌ・オルテス准将軍に迎撃を命じた。
だが、その直後彼にとってまったくの予定外の報告がやってくる。
「側面からやってきた敵が判明。敵はゲラシド准将軍とジュメル准将軍の旗を掲げております」
もちろんこれはポンティビーにとってありえぬこと。
ここから思考は悪い方向へ一気に転がり出す。
「ガイヤルド准将軍に三百を与え、アントワーヌとともに裏切り者のゲラシドたちを殲滅させろ」
だが、ゲラシドの名に過剰反応したこれはあきらかな失敗手。
当然主力となるべき陸軍兵の減少にリブルヌ軍の圧力は急速に高まる。
そして、それと同時にそれまでの均衡状態では見えていなかった穴が露呈し始める。
高台から戦況を眺めていたリブルヌがそれを見逃すはずはなく、すぐさま動き始める。
「やはり寄せ集め。傭兵たちの力にはばらつきが見られる。そして、右側にいる傭兵団の力は相当劣る」
「狙いはあそこだな」
そう言ったリブルヌが呼び寄せたのは決定的な一撃のために後方に下げていたベルナード将軍配下の准将軍コルセ・アンドルだった。
「ベルナード将軍によれば、アンドル准将軍の破壊力はフランベーニュ軍でも上位だそうだが、それは間違いないかな」
「自信はあります」
「よろしい。では、命じる。敵中央やや右に弱兵集団がいる。あそこに穴があけば左翼は程程なく崩壊が始まる。より大きな穴を開けて来てもらいたい」
「承知」
そして、アンドル率いる千人ほどが戦いに参加した直後わかりやすいほど戦線に穴が開き、その穴は徐々に広がり、ついに溶けるように戦線が崩れだす。
もちろん傭兵部隊を取りまとめていたデルハイエは穴を塞ごうと努力をした。
だが、自身が直接指揮できるのは百人ほど。
攻勢に出ているのならともかく、崩れ始めれば戦線離脱を始める傭兵や冒険者たちは止められない。
歯ぎしりしながらその流れに身を任せるしかなかった。
もちろん左翼部隊の過半数を占めていた傭兵部隊が後退を始めれば自然と圧力は二千人弱の陸軍に集中する。
そして、ここまでどうにか耐えていた陸軍もついに支えきれず後退を始める。
そうなればもう止まらない。
「王太子殿下に出した援軍要請の返事はどうした?」
なおも留まろうとするポンティビーは周辺を固める側近たちに怒鳴りまくるものの、この時にはすでに王太子は右翼に紛れ込み、もうひとりのカミールは中央部隊とともに戦っていたため、そのようなものが来るはずもない。
そこに、さらなる悪い知らせがやってくる。
「左翼の側面、迎撃部隊が突破された模様。アントワーヌ・オルテス様、バジル・ガイヤルド様戦死」
敵は五百、こちらはあわせて千百。
倍以上の兵を送り込んでいた左翼側面が抜かれるなどポンティビーの想定外であった。
「いったい何を奴らはやっていた……」
呻くポンティビーの耳に物見の声が届く。
「ポンティビー様。敵が来ます」
すぐに左、前方と目をやるが敵はまだまだ遠い。
物見兵をポンティビーは睨みつける。
「どこだ?その……」
「こ、後方です」
再び言葉を遮られ、怒りを隠せぬまま振り返ったポンティビーが見たもの。
それは間違いなく自分を狙ってやってくる集団だった。
「ジュメル。それにゲラシド。では、左翼を粉砕したのは……」