やってきた暗殺者
王太子たちの陣を抜け出したエゼネ・ゲラシド率いる暗殺部隊は王都近郊に森に集合する。
そして、準備ができたところで王都に入るのだが、彼らは王太子軍を抜け出したときよりひとりだけ人員を追加していた。
そして、その男に対しゲラシドは特別任務を与える。
もちろんこっそりと。
王宮の門。
ゲラシドたちは堂々と姿を現す。
ただし、その身分は謀叛人たちの組織を抜け、ダニエル軍へ参加を希望する者たちであるのだが。
護衛隊長のクロヴィス・ビエルソンからダニエル軍に加わるべく王太子軍から抜け出してきたという男たちが来たことを伝えられたダニエルは緊張の色が高める。
時間をかけ心の平静を取り戻したところで、ダニエルは口を開く。
「その者の名は?」
「エゼネ・ゲラシド。陸軍に所属している者です」
「ひとりか?」
「部下が二十人ほど。できれば殿下に直々に忠誠の言葉を伝え、さらに王太子側の状況も伝えたいのでお目通りできればと申しております」
「……殿下」
ふたりの会話に割り込んできたのはダニエルの直属部隊の長で将軍の地位にあるアルベルク・シェブルーズだった。
「面会はやめたほうがいいでしょう」
「その男は陸軍が抱える暗殺をおこなう者たちの元締め。しかも、有能。その者がそれだけの数の部下を連れてきたのであれば警戒はすべきかと」
「だが、剣が預かるのだろう」
「奴らはそのような条件でも仕事をおこなってきた者たち。近づけないことが肝要」
シェブルーズの言葉は正しい。
だが、実をいえば、それで都合が悪いのはダニエルだった。
「いや。十分に警戒して面会するとしよう」
そう言ったダニエルが視線をやったのは右後方に立つ美しい女性とさらに後方に立つ秘書官風の男だった。
そして、意外にあっさりと通されゲラシドは廊下を進みながら両側に並ぶ衛兵を眺めると薄い笑みを浮かべる。
彼の視線の先には衛兵が持つ剣。
そして、こう呟く。
こういう時はやはり現場で調達するのが一番だ。
ゲラシドは先ほどより黒味のある笑みを一瞬だけ浮かべたものの、すぐにそれを消し、その場所に入る者にふさわしい表情に変えた。
恭しく見やりながらゲラシドは目の前に立つ男の姿を目に焼き付け、それと同時に確信する。
この男は兄たちより遥かに有能だと。
そして、王太子が勝利するためには確実に消さなければならないとも。
ターゲットのひとりであるダニエルの顔をしっかり覚えたゲラシドがこの場でおこなわなければならないもうひとつのこと。
それは護衛の陣容である。
ゲラシドが偽名を使わなかった理由。
それは、自分が暗殺を担う者たちの取りまとめ役と知って会うということになれば、警戒は最大級のものになる。
そうなれば、この下見でその陣容と配置が確認できる。
さすがそのようなことを生業にしているだけのことはあると言えるだろう。
長いだけでまったく意味のない忠誠の言葉を口にしながら、ゲラシドの目はその護衛の陣容を確認していく。
そして、ある人物に辿り着く。
女。
その場にはまったく場違いな者であった。
もちろん愛人の類ということはありえる。
だが、今はそのような者を侍らす場面ではないうえ、そもそもその女性はそのような雰囲気を欠片も身に纏っていない。
つまり、彼女はもう少し実用的な理由でここにいる。
そうなれば、考えられるのひとつ。
魔術師。
そう。
この世界では女性は戦場に立つことはありえない。
だが、数は少ないもののその可能性があるとしたら魔術師である場合だ。
もっとも、その場合でもその女性が受け持つのは治癒魔法と防御魔法。
攻撃魔法で敵を攻撃する者など有名な「銀髪の魔女」と最近現れた魔族の小娘くらいである。
そして、王子の近くにいるのならこの女は相応の力があると思ったほうがいいだろう。
この女をまず片付け、魔法を使えないようにしたところで仕事をおこなうべき。
そう呟き、当日の行動を修正し終えたところでゲラシドは気づく。
誰のものかはわからぬが、厳しい視線があることを。
自分を観察している。
そのような類を視線だ。
ゲラシドはその視線のありかを探ろうとしたのだが、その瞬間、彼にとってよりも重要な仕事をおこなう機会がやってくる。
「ゲラシド。一応陛下の護衛にも顔を覚えてもらう必要があるだろう。なにしろおまえは有名人だからな。戦いが始まってから何かあっては困る」
「これから、陛下のもとに連れていく。部下たちも同行するといい」
言葉の主はダニエル。
その機をどうやってつくろうかと考えていたゲラシドにとって絶好のチャンス。
ゲラシドはその機会を逃さず神経を集中される。
「このような名誉またとない機会。よろしくお願いします。殿下」
ゲラシドの言葉を待っていたかのようにダニエルは頷く。
「では、行こうか」
そう言ってダニエルは立ち上がり、ゲラシド一行もそれに続く
もちろんゲラシドは知らない。
彼に背を向けている王子は魔法だけではなく物理攻撃も遮断する高い防御力を誇る見ない障壁に包まれていることを。
そして、ゲラシドが動く。
彼の人差し指が動いた直後、ゲラシドの部下のひとりが突然指揮官であるゲラシドを押しのけると猛烈な勢いでダニエルに迫る。
しかも、その右手には短刀、いや、それに近いものと表現できる何か。
身体検査をすり抜けることができる仕込み刀といえるものというのが最も正しい言い方だろう。
その武器が握られている。
それでも王子まではそれなりの距離があり、さらに警備兵がいる。
十分に対応できるはずなのだが突然のことにその警備兵の対応が遅れた。
その時だった。
「剣を借りる」
その言葉とともに素早く動いたのはゲラシド。
右側に並ぶ警備兵のひとりの剣を抜くと、その男を一刀のもとに斬り伏せる。
もちろんほぼ即死。
男は何かを言いたそうな目をしながら死んでいった。
当然その後は警備兵がゲラシドと部下たちを取り囲む。
彼らとしては多くの意味で失態であり、名誉を挽回するためにもこの場にいる残りの者たちを斬らねばならない。
だが、本来なら抵抗するはずのゲラシドはすでに剣を捨て、さらに跪き、残りの部下たちもそれにならって同じ姿勢をとり、抵抗をしないことを示す。
そして、全員を代表するようにゲラシドが口を開く。
「まさか、こんなことになるとは……」
「ですが、この男も私の部下であることは事実。私はどのような罰を受けますが、できれば部下には寛容な御沙汰をお願いしたく……」
もちろんその言葉には長い続きがあっただろうし、それに対して部下たちの涙のお返しがあったのだろうが、そのすべてを遮るようにダニエルが言葉を差し込む。
「いや。そもそも武器を持ち込ませなければそのような気にならなかったのだろう。こちらも落ち度はある。それに我が警備兵が動く前にこの男を斬り倒したのだから、私の命の恩人。部下の不始末は不問としよう」
「まあ、次はそういかないだろうが」
後半部分は背中越しとなる言葉を残してダニエルは再び歩き出す。
そして、その後におこなわれた王との面会にもこの話を持ち出し、ゲラシドの参陣を許可したダニエルは最後にこう尋ねる。
「戦闘部隊に加わり功を挙げたいということだが希望はあるか?」
「疑いを晴らすためにも、できれば上官だったバレードン将軍の部隊と戦うことが希望です」
「なるほど」
「希望は聞いた。だが、部隊編成の都合もある。それは保留としておこう」
そして、その晩。
王宮内の一室に見覚えのある三人の男女が顔を突き合わせていた。
「では、聞かせてもらいましょうか、アリスト王子。あなたの筋書きで進めた今回の喜劇の感想を」
市井ではほとんど見ることのないガラス製の器に入った葡萄酒を掲げながらダニエルがそう水を向けると、アリストは同じく手にした器を同じように掲げる。
そして、ひとくち含んだところでアルコールの香りを含んだ息を吐きだす。
「台本はともかく、役者に関しては申し分ないでしょう」
「それはゲラシドのことか」
「もちろん」
自らの言葉に答えたダニエルの言葉にそう返すと、もうひとくち酒を含む。
「あの男は逸材ですね」
「あそこまで深みのある小細工は滅多に見ることができません。しかも、命がけで」
そう言ったところで、アリストは苦みのある笑みを浮かべる。
「まあ、命を賭けるくらいでやらなければ疑いの目で見ている相手には信頼されませんが」
「ということは、あれはすべて茶番?」
「そうでしょうね」
「だが、そういうことであれば、仲間を犠牲にしてやるというのは感心しないな」
「いいえ。あれは純粋な仲間というより生贄用に用意された部外者でしょう」
それはそこまで飲み食いに集中していたその場にいる唯一の女性からのものだった。
「あの集団でひとりだけ動きが他と合っておらず、さらに纏う雰囲気を違っていた。あなただってそう思っていたから、予定外の行動を進言したのでしょう。アリスト」
そう言ってその女性が視線を送ると、女性の言葉を引く継ぐように男はさらに言葉を続ける。
「そうですね。何かはわかりませんでしたが、彼は仕込み用の男だということはすぐにわかりました。ただし、王子を襲わせ、自分がそれを斬るところまでは想像していませんでしたが」
「では、元上官の戦いたいというのも……」
「ハッタリでしょう。もっとも、願い出た通りということになれば、彼は間違いなくそれを実行することでしょう」
「ということは、希望通りにやるべきか」
「いいえ。他の部隊にあてたほうがいいでしょう。それのほうが彼の行動は読みやすいですから」