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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十七章 夜明け前
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魔族軍は動かず

 フィーネとグワラニーの密談から五日後。

 実はこの日フランベーニュの王都では大きな動きがあったのだが、魔族の王都でもそれに匹敵するくらいの出来事があった。


 ある報告が届いたのである、


 魔族の王都イペトスート。

 その一角。

 建物を取り囲む周壁を含めてすべて大きな石材でつくられているため、重要なものとひと目でわかるものの、人間の国の王宮に比べれば装飾が少なくかなり貧相といえる魔族の王宮。

 その一室で、多くを失っているとはいえ、それでもこの世界最大の版図を持つ国の王はその報告に驚いていた。


 もちろんそれはフランベーニュの次期王位を狙う三人の王子による私闘について。


 もちろん魔族の国でも王位争いはある。

 だが、それは功を挙げることによって争うものであって、相手を倒して得るものではない。

 まして、その三人は血を分けた兄弟。

 魔族にとって信じがたい出来事だといえるだろう。

 そして、再確認する。

 人間はやはり下賤な生き物であると。


「……ガスリン。一応確認する。それは正しい情報なのだな」

「はい。ペルハイに駐屯している大海賊ワイバーンの代理人からの売り込みですので間違いないかと」

「なるほど」


 自身の問いに対して答える軍最高司令官アンドレ・ガスリンの言葉にそう応じた王は少しだけ怒りを含んだ笑みを浮かべた。


「奴らは今がどういう状況なのかわかっていないのか」


「それとも、我々は奴らにとって片手間に戦えるほど軽い相手ということなのか?」


「マンジュークへ向かう渓谷とクペル平原であれだけ負けながらまだ負け足りないということか。いいだろう。そうであれば、望み通りにしてやろう」


「グワラニーをすぐに呼び出せ」


 だが、本拠地である北部の要衝クアムートと現在の活動拠点である南のクペル城を頻繁に行き来しているグワラニーの所在を確認するのは難しい。

 たとえば、人間世界であれば、このような場合、たとえ急報だろうが王都から近いクアムートへ伝令は送られ、それより先はグワラニー軍の内部に任せるところだ。

 それによって楽ができ、さらに遅延の責任は自分たちではないと言い訳ができる。


 だが、現在の魔族の王はこのようなことは許さない。


「至急なのだ。クアムートとクペルの両方へ使者を送れ」


 そのひとことを忘れなかった。


 王宮直属の伝令が下がっていくのを確認したところでガスリンが口を開く。


「陛下。現状で侵攻するのは厳しいと思われます」

「ほう」


「ガスリンらしくもない消極的な発言だ。理由を聞こうか」


 王からの皮肉交じりの言葉に一礼すると、ガスリンは再び口を開く。


「攻勢に出ること自体は私も賛成します。ですが、時期がやや早いと思われます」


「ワイバーンから手に入れた情報では王太子と次兄が王都郊外に陣を敷いており、ふたりの相手である弟は王宮に籠っているとのことです」


「つまり、戦いはまだ始まっていないのです。ここで王都に近いグワラニーの部隊が攻勢に出る動きをしてしまってはそれを口実に休戦し、戦いは有耶無耶になる可能性があります」


「攻勢は戦いが始まってからがよいかと」

「なるほど。一理ある。では、コンシリアはどう思う?」


 ガスリンの言葉に小さく頷いた王が問いの言葉を向けたのは副司令官のアパリシード・コンシリアだった。


「我々としてはフランベーニュ軍主力を叩き、前線を大きく進めたいと思っています。王都が心配になったフランベーニュの主力部隊の指揮官アルサンス・ベルナードが後退せざるを得ない状況が出来ることが望ましいです」


「つまり、王都に駐屯するフランベーニュ軍が二派に分かれて噛み合い、そう簡単に休戦できないところで、グワラニーの部隊にミュランジ城を抜かせ、そのまま王都に向かわせれば、ベルナードは王都救援のために戻らなくてはならない。その背を攻勢に出て撃つ」


「そのためにはこちらがフランベーニュの王都の出来事に気づかぬふりをしておくことが肝要」


「そして、フランベーニュの馬鹿王子どもには心の起きなく兄弟喧嘩をしてもらう」


「いかがでしょうか?」


 もちろんふたりはグワラニーにこれ以上の功を立てられたくないという気持ちはある。

 だが、彼らは軍の最高幹部。

 自己の利益ばかり追い求めるわけにはいかないし、その程度の思慮と分別はある。

 つまり、ここで示したのは純粋に勝利できる可能性が高い方法を示したと言ったほうがいいだろう。


 しかも、それによって再建中の自信の直属部隊も攻勢に参加できる。

 彼らにとってはこれは一石二鳥の策といえるだろう。


 数瞬後、王はふたりに目をやる。


「両名がそう言うのであれば承知した。ただし、出陣の準備は今からしておくべきだろう」


「そして、グワラニーの意見を聞くことは変更がない。奴なら我々が思いつかない攻勢計画を提示するかもしれないからな」


 そう言って王はその日の打ち合わせを散会させた。


 そして、翌日の魔族の国の王都イペトスート。


 実はこの名は後に「単位王」と呼ばれた王によって改名されたものであり、もともとはサンクトスという名であった。

 その改名については、別の場所で語ることにして話を進めよう。


 もちろん王から呼び出し。

 しかも、至急。

 王に対する忠誠心など欠片ほども持っていないグワラニーではあるが、見かけは忠臣を演じている手前、即座にその王都イペトスート郊外に姿を現わす。


 そこからすぐに王都に入り王が待つ王宮へと向かうのだが、この移動というのは意外に時間がかかる。


 その理由。

 それはいうまでもなく複雑かつ何重にも張り巡らされた防御魔法。

 これによって転移魔法の使用が制限されるのだ。

 もちろん物理的方法であれば移動は可能。

 つまり、そこからは馬車か徒歩での移動となる。


 各地から転移魔法で王都にやってくる者たちのために転移避けが解除された場所が王都近郊には複数あり、そこから王都へ向かう馬車は多数出ているだが、それでも需要と供給のバランスは非常に悪い。

 もう少しハッキリ言えば、馬車の数が圧倒的に足りない。

 そうなれば当然料金は高くなる。


 もちろん軍関係者専用というものがあるため、グワラニーが行列に並ぶことはない。


 馬車を待つ者と金が払えず徒歩で王都へ向かう者からの好意的要素がまったく含まれていない視線を浴びながらグワラニーを乗せた馬車は王都へと進む。


「こういう時に自分たちは特権階級なのだと実感します」


 それはグワラニーの実感の籠った呟きだった。


 王宮に着くと、デルフィンやアリシアを控室で待たせ、グワラニーはひとりその部屋に向かう。


 そして……。

 グワラニーはかなりの重みのある木製扉を押した。

 

 ……さすが。

 

 グワラニーが感嘆の声を上げたのは、王の姿勢だった。

 本来であれば、部下が全員揃ったところで王が現れる。

 それがこの世界だけではなく別の世界でもおこなわれる、上下関係を示すための常識。

 だが、この王はそのような見た目について全く気にしない。

 準備ができれば、自分が最初の到着して部下を待つことだってある。


 ……その有能さを含めて元の職場であれば、理想の上司だったのに。残念なことだ。


 妙な感想を思い浮かべながらグワラニーはその様子を伺う。


 部屋の中央にはこの王宮の主が少人数の会議の際に好んで使用する丸テーブル。

 グワラニーから見て中央に王、左側に総司令官のガスリン、右側に副司令官のコンシリアが座り、王の対面側にあたる手前にある椅子が主がいない。

 つまり、そこがグワラニーの席となる。

 グワラニーは三人に一礼後に席に着く。


「これで全員が揃った。では、始めようか」


 王は土器製の器に入った茶をひとくち飲み、それから開会の挨拶を兼ねた言葉を口にした。

 この世界にある多くの国はこのような場で王自ら会議を仕切ることはない。

 だが、魔族の国は違う。

 正確にいえば、この王は違う。

 そう。

 この王は特別なのである。

 多くのことで。

 王の言葉は続く。


「情報を集めることが得意なおまえはすでに知っていると思うが……」


 そう切り出した王が口にしたのはもちろんフランベーニュ王国の三王子による内輪もめについて。

 ただし、起こっている事実を述べたものだけだった。


 ……情報に深みがない。


 王の言葉を聞きながら、グワラニーは心の中でそう呟く。


 ……情報を手に入れながら敢えて伝えないというのなら、この内容でも理解ができる。

 ……だが、その情報をもとに会議をおこなうと言っている以上、それを隠す理由がない。

 ……つまり、本当に持っていない。

 ……情報料をケチったのでワイバーンの子分が情報を出し惜しみしたというところか。

 ……この管轄はガスリン。

 ……だが、さすがにガスリンがそれをやるとは思えない。

 ……ということは、情報収集を集めるためにペルハイに派遣している文官どもがピンハネしたということか。


 もちろん証拠はない推測。

 当然それについては何も触れぬままグワラニーが口にしたの別のことだった。


「……王太子と次男の連合軍が三男と対立に武力衝突は避けられない。すでに王太子側数万の兵は王都郊外に陣を敷いている。それに対し、三男は王宮に籠ったまま。状況はわかりました。ですが、どのような検討をするにしても不足している情報があると思われるのですが……」


 グワラニーが視線を向けた話した相手は王。

 だが、この内容はあきらかに批判の色が濃い。

 そして、その先にいるのは王へ情報を上げた総司令官ガスリン。

 当然、その言葉とともに王の視線はガスリンへと動く。


「これについては私もそう思った。ガスリン。追加の情報はないのか?」


 まずやってきたグワラニーからの非難めいた言葉には怒りの表情を見せたガスリンだったが、さすがに王から同様のものがやってきては答えなければならない。

 一度わざとらしい咳をしたガスリンが口を開く。


「……追加の情報を要求しているのですが、守銭奴どもが出し渋り、今のところは……」

「だが、その様子ではあるということだろう。ペルハイに駐屯している者に伝えよ。金を惜しまずすぐにそれを手に入れるようにと」


 王の命にガスリンは室外に待機している副官たちを呼び手配をさせる。

 だが、そうは言っても、この会議中にはそれが届くはずはない。

 つまり、会議資料を揃えられない失態をした。


 ……これに関してガスリンは被害者といえる。

 ……だが、金に汚いドブネズミたちなど金を出さなくても脅せばすぐに動く。そういう点では責任の一端はある。


 顔をこわばらせるガスリンを眺め終わると、グワラニーはもう一度口を開く。


「では、とりあえず足りない部分については推測で補うということで、まず今回の会議の議題についてお伺いいたします」


 王はグワラニーの言葉に短い頷き、それからそれをこのような言葉にする。


「私はフランベーニュの内紛を利用したい。その最良の策を出すこと」


 ……確定だ。


 グワラニーは心の中で呟く。


 ……さすがバイアとアリシアさんと言ったところだ。

 ……だが、これは困った。


 王からここまではっきりと言われてしまって何か考えなくてはならない。

 しかも……。


 ……最良の策を出せ。


 ……王のこの言葉が察するにガスリンとコンシリアはすでに動くことに反対した。

 ……だが、王はそれに納得していない。

 ……ここで私が積極策を示せば、王のご機嫌取りに成功しふたりとの差が開く。

 ……そうは言っても……。


 ……ここでの積極策は短期的なものはともかく、長期的にはいいところがない。


 ……仕方がない。

 ……ふたりの意見に乗るか。


「どうもすぐには出てこないようです。参考のために総司令官と副司令官の意見をお聞かせいただきたいものです」


 ……逃げた。


 その瞬間、三人分の心の声が響く。

 だが、こうして堂々と逃げられては致し方ない。


「ガスリン」


 王の言葉に頷いたガスリンが口を開き、そこで語られたのは、攻勢に出ること自体は賛成だが時期尚早なのでもう少し状況把握に努めるべきというものだった。


「……この点については副司令官も私と同意見だ」

「ちなみに総司令官は攻勢時期をどのようにかんがえているのですか?」

「両軍がぶつかったとき。そうなってはそう簡単に休戦はできないからな」

「なるほど」


「ですが、そうなると情報の手に入れかたはもう少し工夫する必要があるでしょう。それと、我々にとって最大の敵である勇者一行の居場所の確認も。攻めに出たところで目の前に奴らが現れたら目も当てられないですから」


 純軍事的に考えれば、ガスリンたちの意見は間違っていない。

 グワラニーだって王都に勇者一行がおり、さらにフィーネから釘を刺されたという事実がなければ、この事態をもう少し有効活用するように考えたことだろう。

 たとえば、進軍し占領するところまでは自軍がおこない、占領地の維持管理はガスリンたちに任せるというような。

 これであれば、敵を撃破し王都を占領したという名誉だけが手に入り、その後に起こるフランベーニュ人によるレジスタンス活動への対応はすべて他者に任せられるのだから。

 だが、現実はそうはならない。

 王都攻略には勇者が立ちはだかり、占領地経営も結局自分たちにお鉢が回ってくる。


 つまり、ここはガスリンたちの意見に乗るが上策。

 王の言葉を借りれば、最良の策。


 そういうことであれば、「私も賛成」と言って終わらせばよかったのだが、そうはせず余計なひとこと加えるところがグワラニーのグワラニーたる所以といえるだろう。

 当然それはガスリンの逆鱗に触れる。


「おまえごときに言われなくてもわかっている」


 そこから始まるのは当然ガスリンの怒号の連鎖。

 となるところだったのだが、王がそれを制す。


「……三人が同意見ということであれば、馬鹿王子どもが盛大に噛み合いを始めたところで侵攻するのがいいようだな」


 王は苦笑いとともにそう宣言し、あっさりと自らの主張を取り下げた。


 ……さすが。


 深く頭を下げながらその言葉を聞くグワラニーは感嘆の言葉を漏らす。


 ……これだけ絶対的権力がある者なら、何があろうが強引にことを進める。激高し、脅しつけながら。

 ……そして、それによって取り返しがつかない失敗となり、敗北する。そのような国家が歴史上どれほどあったことか。

 ……だが、この王は部下に意見を求めるだけではなく、その意見が意に沿わないものであっても、受け入れる度量を持っている。

 ……そこに深い洞察力が加わるのだ。


 ……やはり現在この世界最高の君主というだけではなく、歴史に残る名君。


 グワラニーの言葉はそこで終わる。


「では、フランベーニュの兄弟喧嘩は長引くよう、間違っても戦う前に休戦になどならぬようにフランベーニュの神に祈るとしようか」


 それが、会を締める王の言葉だった。

 直後、その視線に促されるように三人の男が立ち上がった。



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