密会 Ⅰ
「ダニエル王子との交渉について詰める前に心配ごとをひとつ述べておきます」
正式にフィラリオ家の軍師となったアリストが最初に口にしたこと。
それは後顧の憂いだった。
正確にいえば、全く逆なのだが。
「……魔族の動静」
もちろん勇者一行はすぐに理解した。
だが、魔族、特にグワラニーについて何ひとつ知らないフィラリオ家の者たちはアリストが何を心配しているのかわからない。
そして……。
「ミュランジ城を守り切り、その際にモレイアン川を超えぬよう魔族どもに釘を刺してある。そしてもうひとつの戦線は我が軍が攻勢をかけている。何の心配も要らぬ」
アンブロワーズの言葉。
実はこれがフランベーニュ王都多くの貴族たちのの認識。
ダニエル・フランベーニュの情報操作の成果ともいえるが、現在彼の知らないところでそれが間接的に負の作用をしているというのは皮肉なものである。
この者たちを納得させるのは相当難儀。
無言のアリストの顔がそう言った瞬間だった。
「問題ありません。それについては私が何とかしましょう。ですから、それは気にせず話を進めてください」
フィーネはその難題を短い言葉で片づけたのだ。
「そ、そうですか」
たしかにその過程はともかく、グワラニーとミュランジ城を守るフランベーニュ軍は休戦協定を結んだ。
そして、相手がグワラニーであるかぎりそれを破ることはないだろう。
だが、あの協定書にはこのような記述があった。
フランベーニュ王国及びその同盟者、それからその国に属する者が川の東岸に侵攻した場合、フランベーニュはこの協定を破棄したものと見なす。
ここには魔族側が国境侵犯についての記述がない。
それは魔族側についてはフリーハンドということを示している。
つまり、魔族側が休戦ラインを超えるかどうかはグワラニーの気持ち次第。
そして、グワラニーは一軍の将。
王から命を受ければ従わざるを得ない。
さらに悪いことに魔族は大海賊を通じてフランベーニュを含む人間の国の内情に通じている。
まもなくフランベーニュの揉め事に気づく。
それを知った王がどう判断するかは火を見るよりあきらか。
そうならないようにあらかじめグワラニーに釘を刺してておく必要があるのだ。
……たしかにそれができるのなら心配は消える。
……だが、どうやってグワラニーと連絡を取るつもりなのだ?
アリストが心の中で呟いたその疑問の答え。
その晩のうちに起こる。
ノルディアと魔族の国の国境に設置された交換所。
当然ながら営業は昼間だけだが、夜間も双方の兵士が厳重警備をおこなっている。
そのノルディア側に姿を現わしたのは銀髪を靡かせた若い女性。
一応白い鎧を身に着け、細身の剣を差していたが、夜間に女性がひとりで歩いているのはあまりにも怪しい。
兵士五人ほどが女性のもとにやってくる。
「ここは許可証がないものは近づけない」
「それとも我々に特別な用事でもあるのか」
むろん兵士たちはその特別な用事の方を期待している。
だが、全身を撫でまわすようないやらしい視線を払いのけた女性が示したのは許可書。
しかも、魔族側から発行されたもの。
そして、そこにこう記されていた。
この許可書を示した者はどのような時間であってもすべてのことに優先して扱うべし。
それをおこなった場合はノルディア側に厳しい処罰を要求する。
魔族とノルディア。
その力関係を十分に理解している兵士たちは期待していたものを諦め、大急ぎで魔族側にその旨を伝える。
現れた魔族軍兵士はその許可書を眺め、次に女性を見る。
「名前を聞こうか?」
「フィーネ。フィーネ・デ・フィラリオ。至急アルディーシャ・グワラニー将軍に取次しなさい。フィーネが重要な話があると言えばわかりますから」
「だが、グワラニー様はここにはいない。しかも、今は夜……」
「私は至急と言いましたよ。あとで将軍に罰を受けたくなければ彼を叩き起こしここに連れてきなさい」
女の態度は気に入らない。
だが、駐屯している兵士たちにはフィーネが現われた場合の対応は指示されている。
渋々ではあるがすぐに動き出す。
「……しばらく待て」
かつてノルディアの交渉官も利用した部屋にフィーネを案内した兵士はその言葉を残して出ていった。
そして、フィーネが予想したよりもずっと早くその男が姿を現わす。
実はグワラニーはクアムートに戻っていた。
バイアを南部方面の指揮を任せて。
もし、クペル城に残るのがグワラニー本人であったのなら、転移魔法を使うとはいえ伝令は多くの中継所を経由しなければならなかったので至急であってもかなりの時間がかかったことだろう。
もちろんフィーネはそれを見越して深夜に姿をやってきていたのだが、偶然と幸運が重なって待ち時間が短縮できたのはあまり気の長くないフィーネにとってはありがたいことだったといえるだろう。
そして、現れた男は指揮官らしき男を含む三人の兵とひとりの少女を伴っていた。
……さすが用心深い。
……まあ、それくらいの用心深さがなければすぐに暗殺されますからね。
……ですが、まさかこんな深夜にあの少女を連れてくるとは……。
……たしか将来結婚することになっているとか言っていましたが、まさか同衾?やはりロリコン魔族ではないですか。
一応グワラニーの名誉のために言っておけば、フィーネの言葉のような事実はない。
クアムートはこちらに出向くにあたり祖父と住む屋敷を訪ねデルフィンに同行を依頼した。
それだけである。
「麗しき女性がこんな深夜に男を呼び出すというのは……」
「時間がないのです。くだらないことを言っていないでこちらの話を聞きなさい」
グワラニーの挨拶代わりの嫌味を強制的に遮断したフィーネが口にしたのはもちろんフランベーニュでこれから起こることと、その間に魔族が手を出さないようにするようにという要請だった。
当然、それには自身の家について説明する必要がある。
そして、自分だけではなく勇者一行全員がそれに関わり、アリストに至ってはフィラリオ家の軍師としてしばらく働くことになったことも。
「……承知しました」
「まあ、あなたなら当然フランベーニュの醜態の情報は手に入れていたとは思いますが、王都から命令が来ていなかったのは幸いです」
「とりあえず、今回は急ぎだったので自宅にあったものを持ってきましたが、兄弟げんかのカタがついたら改めでお礼をすることにさせていただきます」
そう言ってガラス製の小瓶をテーブルに置く。
「少ないですが、おいしいです。なにしろ私が飲んでいるものですから」
「では」
女性は要件が終わるとすぐさま立ち上がり、部屋を出ていく。
魔族と同じ空気は吸いたくないと言わんばかりに。
「……なるほど。こういう使い方もあったのか」
グワラニーはため息をつき、それからこの連絡方法の穴の存在にもう一度ため息をついた。
たしかにフィーネにこの交易所で情報交換することを持ち掛けていた。
だが、それはあくまで元の世界への帰還について。
それをこのような形で利用されたのだから、情報管理を最重要視するグワラニーにとっては大きな失点と言わざるえなかった。
もちろん自分自身の中で、ということになるのだが。
……この方法だと彼女だけが自分の都合で私を呼び出せる便利はツールになってしまう。
……まあ、連絡が取れないよりはいいのだが。