愚かな戦い
言うまでもなくフランベーニュ王国は魔族の国と交戦中である。
さらにいえば、ミュランジ城攻防戦では多くの魔族軍将兵を葬って城を守りきるという大戦果を挙げたものの、その少し前におこなわれたふたつの戦いでその程度の戦果では帳尻が合わぬほどの大敗を喫している。
さらに海上においても大海賊に多くの軍船を沈められている。
つまり、陸軍も海軍も上から下まで多くの人材を失い、早急に再建しなければならないのだ。
とりあえず海軍についてはこちらから手を出さないかぎりこれ以上の損出はない。
だが、陸軍は魔族軍と激戦を繰り返す中での再建であり、内輪もめの延長である内戦に関わりを持つ余裕などない。
もちろん国家安寧のために反乱分子を討伐するというのなら、それでもその必要性は十分に認められる。
だが、これから起こるその内戦というのはなんと王族同士の権力争い。
足りない兵と食料をはじめとした前線で不足気味の物資を浪費するだけのものであった。
その一報を聞いたフランベーニュ王国陸軍の将軍で西部方面軍司令官アルサンス・ベルナードが顔を顰めたのは当然のことであろう。
後に「大いなる兄弟喧嘩」と国内外で揶揄されることになる王子たちの権力闘争。
その発端はもちろん「ミュランジ城攻防戦」において、海軍の将兵を配置して見事勝利に導いた奇策を称える声が広まるとともにダニエル・フランベーニュに対しての評価が各段に上がったことである。
そして、それと共に今まで以上に王の側近として力を振るい始めた弟を警戒し始めたふたりの兄は一時的に手を結んで弟を王宮から追放するように動き始める。
もちろんその情報はすぐにダニエルの耳に入る。
いつもなら、すぐにでも脆い同盟を崩してしまう策を弄するところなのだが、ダニエルの選択はなぜか放置だった。
このふたりが非常に仲が悪い。
どうせすぐに大喧嘩して分裂する。
放置していても問題ない。
時間がない自分が関わるほどのものではない。
そう判断したのだがこれが失敗だった。
ふたりが軍を立ち上げ、自分を実力で排除しようと動き始めたときになってダニエルはようやく気づく。
ふたりの本気の度合いを。
そして、それが絶対に勝ち目がないことも。
だが、一瞬だけ心に過った父王を介しての和解をダニエルは捨て去る。
長男アーネストは王太子。
余程のことがないかぎり次の王位は動かない。
そして、その余程のことが今回のこれとダニエルは読んだのである。
つまり、ここで勝利を収めれば、王に対する反逆行為で自身の王位継承のための一番の難関である王太子アーネストだけではなく、次兄のカミールまで排除できるのだから。
ただし、その道のりは当然楽なものではない。
主力となる私兵はいないに等しい。
味方する陸軍関係者もいない。
残りは海軍と貴族。
特に貴族。
だが、肝心の貴族は大部分をその私兵とともにクペル平原で消えてしまったため、駒になりそうな一族は残っていない。
その中で相当数の私兵を抱えていたのがフィラリオ公爵だった。
当然誘いをかける。
だが、動かない。
すでに王太子側についたのではないかと疑ったダニエルは見張りをつけたところ、どうやら相手に対しても同様の言葉で門前払いを食らわしているようであった。
「つまり、フィラリオ公爵が味方になるかどうかで私の運命が決まるわけだ」
毎度同じ内容の結果報告に自嘲気味の笑みを浮かべたダニエルはそう呟いた。
「……すでに数が揃っている王太子たちはすぐにでも戦える。つまり、向こうは公爵が私の側にいなければいいわけなのだが……」
「こちらは公爵がいなければ戦いようがない」
そこまで言葉を口にしたところでダニエルは何かがおかしいことに気づく。
「最初はこの前の戦いに味をしめて動かないことが得策だと勘違いしていると思ったのだが、硬軟取り揃えてこれだけ交渉しているにもかかわらず、動く様子がない。しかも、こちらだけではなく今の時点で圧倒的有利な相手に対しても同様だ。これは明らかに両者を天秤にかけている。だが……」
「公爵自身は王族相手にこんなことをやるだけの器があるとは思えない」
「もしかして誰か後ろにいるのではないか」
そう思ったときに、ダニエルの頭に浮かんだのはもちろんあの女性。
そして、ダニエルの推測は正解だった。
王都アヴェニアにあるフィラリオ公爵の邸宅。
ダニエルが黒幕と考えたその人物はそこにいた。
そして、まるで主のようにすべてを取り仕切る。
もちろん兄たちは不満たらたらであるが、従うようにという父親の命がある。
そう。
まさしくダニエルの読み通り、すべてを差配していたのはフィーネだった。
やってくるふたつのふたつの勢力に対してあからさまに天秤にかけるような物言い。
そして、相手が怒りをあらわにすると、引くのではなく逆に踏み込み相手を脅し更なる譲歩を引き出す。
一流の交渉人の手腕。
もし、これらすべてを当主アルベール・デ・フィラリオ自身がおこなっていたのなら、次の外相兼任した宰相だって夢ではないだろう。
だが、実態は助言のような形で隣からさりげなく言葉を加えるフィーネがコントロールしていた。
「ふぅ」
この日やってきた一瞬で名前を忘れた王太子からの使者を言質ひとつ取られずに追い返したフィーネは大きく息を吐く。
「それにしても懲りない者たちですね。これだけやればそろそろ正解に辿り着きそうですが、まだわからないとは噂に違わぬ馬鹿ですね。全員」
「……ですが……」
「ダニエル・フランベーニュという男はなかなか興味深いですね。この状況になっても勝負から下りないとは」
そこまで言ったところで、フィーネは口を閉ざす。
そして、誰にも聞かれない言葉で続きを呟く。
……権力に執着するだけで状況の見極めができない極め付きの馬鹿とも考えられますが、さすがにこれだけの差があってなんとかなるとはどんな馬鹿でも考えない。つまり、そうではないということですね。
……愚者を装った賢者。
……つまり、アリストの同類ということですか。
……少しだけ興味が湧きました。
……会ってやってもいいですね。
……もちろん正解に辿り着ければ、の話ですが。
フィーネの顔に黒い笑みが浮かぶ。
……それにしても……。
……私はついている。
……いや。正確には幸運なのは彼らなのでしょうが。
右往左往する父や四人の兄たちを冷たい視線で眺めながらフィーネは心の中で言葉を続ける。
……アグリニオンの土産を届けに戻ったときがちょうど騒ぎが始まったところだったのは幸いだった。
……戻ってくるのがもっと早ければ、土産をおいでまた出かけていただろうし、遅ければどちらかに加担することを決めていたのだから。
……アリストには報告し助言は求めることが出来るだけの余裕もあったのもよかった。
……さすがにこういうことを裁くのはアリストに聞くべき。
……その結果こうしてうまく立ち回れているわけですが。
……アリストの予想ではそのうち正解に気づく者が現れる。
……私的には来てもらいたいのはダニエル・フランベーニュですが。
……そういえばそのダニエル・フランベーニュは私に妃になれと言ってきたことがありましたね。
……その王子がアリストを見たらどう思うかは見ものです。
……さすがに王子同士。どこかで顔を合わせているから向こうも知っているでしょうから。
そこまで言葉を進めたところでフィーネはもう一度家族を眺める。
……いや。
……揉めるのはこちらの方かもしれませんね。
……突然訪ねてきた男たちのひとりがブリターニャ王国の第一王子だと知ったら。
……名門フィラリオ家の娘が敵国の王子と付き合うなど絶対に認めんなどと言って公爵様は卒倒しそうです。
……とにかく、そろそろやってくる頃ですから、もてなしの準備でもしましょうか。




