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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十六章 交差するふたつの道
203/379

三人目の訪問者 

「グワラニー様。千人規模の集団が南西から近づいてきていると報告がありました」


 魔族領から運び込んだ宿舎のひとつ。

 その部屋でアリストとの会談も終わり、その結果と対策について幹部たちを集めて話し合いを始めていたグワラニーのもとにやってきたコリチーバがその情報を伝える。


「フェヘイラ将軍。迎撃の準備を。攻撃の指示は追って出す。それまでは待機するように」

「承知」

「それから、コリチーバ。勇者様たちにも未確認の集団が近づいていることを知らせてやれ。ただし、腹ごなしと称して余計なことをされては困る。迎撃はこちらがおこなうことは必ずつけ加えるように」

「わかりました」


 大急ぎで出ていくフェヘイラとコリチーバの背を見ながら薄い笑みを浮かべたグワラニーがもう一度口を開く。


「まあ、方角から考えてやってきた者は容易に想像がつく」

「アリターナですか?」

「ああ。間違いないだろう」


 バイアの言葉にグワラニーは短い言葉で応える。


 もちろんその方角に伸びる先にあるのはアリターナ。

 だが、それを装ったマジャーラの新手ということも考えられるが、グワラニーはほぼ確実に前者だと思っていた。

 

 グワラニーはマジャーラに入る前にチェルトーザに事情を伝え、救援物資を送るように書簡を送っていた。

 その集団はその呼びかけに応じアリターナからやって来た者たち。


 それがグワラニーがそう言い切る理由であった。


「問題はチェルトーザ本人かアリターナ軍かということですが……」

「おそらくチェルトーザと彼の私兵だろう」


「連絡を受けてすぐ物資をかき集め出発する芸当をアリターナ軍ができるはずがないからな」


「ただし、アリターナ単独とは限らぬ。匂いに釣られた狼どもが周囲を取り囲んでいる可能性はある」


「村に入る直前に乱戦が始まり、そのまま村に入られたら厄介なことになる。十分に注意しなければならない」


 会議を一時中断し、来訪者に対する対応するため散会したところで、グワラニーは心の中で呟く。


 ……素晴らしきタイミング。いや。これ以上は望めぬタイミングか。

 ……とりあえずこの世界の神様たち全員に感謝しておくか。


 グワラニーの大いなる皮肉を込めたこの言葉は正しい。


 なぜなら、これよりも早くやってきたらアリターナからやってきた者たちは戦闘に巻き込まれていた。

 戦闘が終わったあとであったとしても、フィーネとの接触の邪魔になった可能性は十分にある。

 では、この後ならよかったのかといえばそうではない。

 自分たちが引き上げた後になれば、自分たちを探してマジャーラ領奥地に入ったチェルトーザはマジャーラを鉢合わせした可能性は高く、そうなればこの世界最高の交渉人がまったくふさわしくない場所で死ぬことになる。

 また、そうならなくても、呼びつけておきながら自分たちはさっさと消える不義理を働いたことになるわけで、アリターナとのパイプを失うことになりかねなかったのだから。


 グワラニーは隣を歩くバイアを見やる。


「さて、問題は……」


「チェルトーザに勇者をどう紹介するかということだ」


 そう言ったグワラニーは視線をバイアに向ける。

 そして、その直後、男の口から微妙な色合いを帯びた言葉が戻ってくる。


「……我々と繋がっていることをチェルトーザに知られることは勇者にとって不利益になります。だから、そのまま晒し、アリスト王子が慌てふためく様子を見るのも悪くないのですが、まわりまわって災いがこちらにやってくる可能性は十分にあります。ですから……」


「アリスト王子と話をすべきか。そうだな。そうしよう」


 未確認の集団の接近の報に続き、少々慌てた様子で姿を現したグワラニーを皮肉を込めた視線で眺めたものの、やってくる相手の正体を知ったところで自分たちこそ笑えぬ状況になっていることをアリストは理解した。

 立場が少しだけ逆転したグワラニーが薄い笑みを浮かべ、口を開く。


「チェルトーザ氏とは面識はありますか?」

「もちろんある。ただし、ブリターニャ王国王子アリスト・ブリターニャとしてであるのだが」


 そして、一瞬後にこう言葉をつけ加える。


「まあ、そういうことなので当然協力してもらう」


 つまり、勇者と名乗れば勇者一行を率いているのがアリストであることが発覚する。

 となれば、アリストは勇者一行のひとりではなくブリターニャ王国の王子アリスト・ブリターニャとして対応するしかない。

 そのための協力をしろ。


 むろん否というのは簡単だし、ここで色よい返事をしたうえで裏切ることもできる。

 だが、自身の利のためにここは秘密の共有が圧倒的に望ましい。

 グワラニーの笑みに黒味が増す。


「では、一点貸しということで……」


「こちらもそのように動くことにします。ですが、それはそれで都合の悪い問題があるのでは?」


 グワラニーが指摘したのは、対魔族連合の盟主であるブリターニャ王国の王子が魔族と行動を共にしていることである。

 だが……。


「それについては言い逃れができる。相手がすでに魔族と交渉しているチェルトーザ氏であれば」


 チェルトーザ自身、グワラニーの要請に応じてここにやってきているうえに、すでにグワラニーと接触している事実もある。

 グワラニーとの接触自体が問題であるなら、チェルトーザこそ詰んでいる。


 アリストの言葉は言外にそう言っていた。


「私たちも彼らと同じ名目で来たといえば、この場ではそれ以上のことにはならない。実際にアグリニオンの評議委員会の長である方には被害状況を確認してくると言ってあるから裏を取られても問題ない」


「……ですが」


「しっかりと話を合わせておく必要はあるでしょう。なにしろ、相手は『赤い悪魔』の長、あのチェルトーザ氏。小さな穴からすべてを看破されることは十分にあるわけなのですから」

「そうだな」


 自身の言葉に承知したうえでやってきたグワラニーの提案にアリストはあっさりと同意する。

 そう。

 ふたりともわかっていた。

 これから話をする男の能力。

 それから自分たちが隠すべき事柄を。

 そして、密談が始まる。


「……ファーブ。あなたからはあのふたりの様子はどう見えますか?」


 本来であれば不俱戴天の仇。

 そのトップ同士が顔を寄せ合い人目を気にしながらぼそぼそと会話をしている様子を少し離れた場所で眺めていたフィーネは隣に立つファーブに尋ねると、勇者という肩書を持つその若者は人の悪そうな笑みを浮かべる。


「どう見ても……」


「これからよからぬことを起こそうとしている悪党の相談だな。あれは」

「というか、両方ともすでに悪党の首魁だろうが」

「それでは俺たちまで悪党になるではないか」

「まったくだ。悪党なのはあの魔族とアリストだけだ。しかも、アリストはそこにケチという要素まで加わる」

「同じ悪党でも魔族の方は相当気前が良いみたいだな」

「では、勇者の肩書を捨てて魔族軍に加わるか」

「悪くない」


 残りふたりも加わった鞍替えの相談は当然冗談ではあるが、その前段部分は的の中央を射抜いたものである。


 ……本当に仲が良いことで。

 ……そして、このふたりがどちらの側に偏っていたら、この戦いはとっくに終わっていたことでしょうね。


 ……そうでなかったのは本当に残念なことです。


 心の中でそう呟いたフィーネが眺め直したその光景は、「勇者とは、忌まわしき魔族を滅するなにひとつ汚れがないヒーローである」と信じている者たちが見たら即卒倒しそうなものであるのは事実。

 だが、ふたりが話し合っていることはファーブのいう悪巧みというではない。

 ただし、まったくのそうではないかといえばそうも言えないのも事実。

 なにしろグワラニーとアリストはこんな話をしていたのだから。


「……初めて会った。しかも偶然に。敵同士の者が並んで立ち、そのような戯言を口にしても信じないだろうな。その言葉を信じるほどチェルトーザ氏がお人よしであればこんな苦労はしない」

「そうですね。普段から駆け引きをおこなっているその対極にいるチェルトーザ氏であれば特に信じないでしょうね。そして、そのような状況に立ち会えば彼はこう思うことでしょう」


「以前から両者は密かに繋がっていたと……」

「そして、その次に、ふたりが裏協定を結び、世界を二分するつもりだ」


 アリストの言葉にグワラニーは大きく頷く。


「悪くないです話ですね。私は乗りますよ。それに」

「個人的には私だって乗りたいな。そして、おそらく我々が手を組んで、本気で、しかも、無慈悲にそれをおこなえばできない話ではないだろう」


「だが、悲しいことに私は魔族の国と戦うブリターニャ王国の王子」


「そんなことをしたら、ブリターニャ王国最大の悪人の名はアルフレッド・ブリターニャからアリスト・ブリターニャへ変更されることになる。歴史に悪役として名を残すなど小心者の私にはできないことだ」


 冗談とも本音とも受け取れるようなアリストの言葉にグワラニーはアリストの顔を眺め直す。


 グワラニーはその言葉に笑顔で応じる。


「……私も一介の軍指揮官。国家の決定に関わる権限がないことが悲しいです」

「それは残念だな」

「まったくです」


 そう言ってふたりはひとしきり笑うと、表情を少しだけ真剣なものへと変える。


「さて、遠い将来のことより、目の前に迫った問題を片付けることにしようか」


「チェルトーザ氏を納得させられる言い訳。何かないか?」

「もちろんあります。それについてはこのアルディーシャ・グワラニーにお任せあれ」


 グワラニーとアリストの悪巧みの結果があきらかになったのはそれからまもなくのことであった。


「チェルトーザ様。前方に人影です」

「数は?」

「十人ほど」

「魔族か?」

「遠すぎてそれはわかりませんが、女が混ざっています。それに鎧を身につけていない老人のような男も」

「わかった」


 それなりの数の私兵に守られた隊商。

 それを率いていたこの世界最高の交渉人と称されるアリターナ王国が誇る組織「赤い悪魔」を率いるアントニオ・チェルトーザはその報告を聞いて首を傾げる。


 自問自答し終わると、視線を右側に動かす。


「出迎えに女が混ざっているそうだ。おまえはこれをどう読む?」


 その言葉が投げかけられたのはジョイヤ・モンタガート。

 「赤い悪魔」随一のマジャーラ通であり、最高のマジャーラ語の使い手とされる者である。

 言葉を使って戦いである交渉ならともかく、剣を握っての戦いではただ狩られるだけの立場にあるため、やや緊張気味のモンタガートが口を開く。


「マジャーラがこのような場に女を連れてくるのは……」


「油断を誘い、攻撃をおこなうとき」

「まあ、それは野盗の類が隊商を襲うときに使う手でもある。その同類であるマジャーラなら十分にあり得る。ということは……」


「これから襲撃があるということか?」

「目の前にいる奴らがマジャーラであればそうなります。ただし、そうでない場合は別の可能性もあります」

「聞こうか」


 チェルトーザにうながされたモンタガートは少々表情を変える。


「例の魔族であった場合ならそれもあるかもしれません。それに……」


「例の部隊には女がおります。そして、あの女ならこういう場面に姿を現わしてもおかしくないかと……」

「なるほどな」


 チェルトーザは自身の考えとほぼ重なったモンタガートの言葉に薄い笑みと短い言葉で応じる。

 そして、視線を少しだけモンタガートへ動かした。


 モンタガートの記憶にはあの時のことが鮮明に刻み込まれている。

 

 ……アリシア・タルファ。

 ……たしかに彼女なら我々の出迎えには最高の人選だ。


 チェルトーザは隊を止め、モンタガートと自身が抱える魔術師のひとりアベラルド・ジェノヴァを突出させる。

 そして、それからすぐ。


「……やはり……」


 チェルトーザは苦笑する。


 ……どこまでも行き届いた配慮するな。

 ……あの魔族は。


 実を言えば、ここまでのことについてはチェルトーザも想定していた。

 だが、ここから起こることについてはさすがのチェルトーザも欠片ほども想定していなかった。


 ニドゥア後。


「グ、グワラニー殿。これがどういうことか説明してもらえるか?」


 さて、普段のチェルトーザの数十倍の時間を要してやってきたその言葉は当然と言えば当然のものである。


 先日顔を合わせたばかりのブリターニャ王国の第一王子アリスト・ブリターニャ。

 その男が魔族の男の隣に立っている。

 これはどう考えてもおかしい。


 混乱するチェルトーザ。

 そこにやってきたのはグワラニーの間の抜けた言葉。


「お待ちしておりました。チェルトーザ殿。道中妨害などははありませんでしたか?」


「まあ、これだけ早いということは何も問題は起きなかったということなのでしょうね」

「そのとおりだ。わかっていればつまらん挨拶はそれくらいでいいだろう。それよりも……」


「なぜグワラニー殿の隣にアリスト王子がいらっしゃるのかを教えていただこうか?」

「ん?誰がいると?」

「アリスト王子だ」

「……ほう」


 たわいのないものにしか思えぬグワラニーとチェルトーザの会話。

 だが、グワラニーの罠はすでに動き出していた。

 自身の言葉を遮ってやってきたチェルトーザの問いの直後、急激に表情を厳しいものに変えたグワラニーがアリストに視線を動かし口を開く。


「聞き間違いかと思いましたが、やはりチェルトーザ殿はあなたを冒険者のひとりなどではなく、ブリターニャ王国の王子アリスト・ブリターニャだと呼んでいるようだ。ということは、先ほど名乗った名は間違いということなのかな?アントニー・バーラストン殿」


 グワラニーの策は非常に効率的で有効なものであった。

 なにしろこのひとことだけですべての問題は解決するのだから。

 そして、アリストはそっと目をやり、チェルトーザの表情を見た瞬間、賭けが成功したことを確信する。


 ……見事だ。

 ……そして、このひとことだけでこの男が悪党であることが確定する。


 実はすでにファーブには悪党の片割れと認定されていたのだが、そんなことは知るはずもないアリストは善人のごとくそのような感想を心の中で呟く。

 そして、成功をより確実なものにするために動く。

 渋々という言葉を顔全体で表現するような顰め面をしたアリストはグワラニーの言葉にこの言葉で応じたのだ。


「さすがに証人が現われては仕方がありませんね」


 そう。

 グワラニーが描き、アリストが乗ったその三文芝居の筋書きはこうである。


 魔族と遭遇したアリストは名を伏したうえ、「自分たちは被災した者たちを助けるためにやってきた単なる冒険者であり、魔族側と争う気はない」と偽り、グワラニーはそれを受け入れた。

 だが、たった今チェルトーザの言葉によって本名が明かされてしまった。

 つまり、たしかに友好的な雰囲気を醸し出してはいたが、グワラニーはその時までその男がアリストであることは知らなかった。


 もちろんそれは目の前に現れたチェルトーザが最初の言葉を口にした瞬間、用意していた台本を瞬時に書き上げたものであり、ほぼアドリブのようなものである。


 ……これは一瞬の思いつきとは思えぬ出来。

 ……さすがのチェルトーザもこの状況で出てきたこれを一瞬で嘘と見破るのは難しいだろう。


 心の中で感嘆しながら、偽名がバレ窮地に立ったことになっているアリストはさらに言葉を続ける。


「それで、グワラニー。私が主敵であるブリターニャ王国の王子アリスト・ブリターニャだとわかったからには予定を変更し戦いを始めるか」


「言っておくが、私も私の護衛も非常に強い。やるのなら相応の覚悟で来い」


 むろんその気などない。

 その気などないが、その言葉を聞かせる相手がチェルトーザである以上、本気でやるくらいでなければならない。

 もちろんグワラニーも承知している。


 こちらも表情を険しくし算段をし、というか、算段をしているフリをし、そして、長い沈黙後こう応じる。


「今回はやめておきましょう。我々もアリスト王子もマジャーラの民を助けに来たこと、これ自体本当のことだ。ここで戦いを始めては助けるはずの者を巻き込むことになる」


 そして、こう提案する。


「どうかな。この場にいるかぎり休戦というのは」


 実を言えば、それこそが現状なのだが、自らが語った嘘話をそこに直結し矛盾が出ないようにする。

 見事としか言えないペテンぶりである。

 思わず苦笑いしたアリストがそれに応じる。


「よかろう。ただし、今回限りだ。次は首を貰う」

「それはこちらが言うべき言葉。まあ、私は王子よりも優しいので涙を流して許しを乞えば助けてやってもよい……」


 ふたりの悪党による渾身の茶番劇。

 それは功を奏す。

 熱が帯びた、実際には熱が帯びたように見えるふたりの会話にチェルトーザが割って入ってきたのだ。


「……アリスト王子。気づかなかったこととはいえ、申しわけありませんでした」

「いや。構わない」


「というより、チェルトーザ殿からグワラニーの為人を聞いていたことが役に立ったのだからこちらこそ礼を言いたいくらいだ」


 口にしたチェルトーザの謝罪の言葉にそう応じながらアリストは安堵する。

 一方……。


 ……流れ的には私のミスで王子が隠していた事実が発覚したが、両者の利益が合致したため大事にならずに済んだ。


 ……筋は通っている。

 ……だが、どうも腑に落ちない。

 ……嫌な感覚。


 ……より的確な表現を使えば、最高級のペテンに遭っているような。


 それがチェルトーザの偽らざる気持ちであり、実を言えば、その感想は的を射抜く非常に正確な指摘だった。

 もちろんチェルトーザに時間があればふたりの言葉の穴を見つけ真実に辿りついたことだろう。

 それくらいでなければこの世界最高の交渉人は務まらない。

 彼にとって不幸だったのは、この直後にやって来ることすべてが想像した中での最大の規模、または想定の範囲外だったことだろう。

 そのため考える時間がなかった。


 そして、彼の思考を大幅に掣肘するものとなった情報のひとつがこれである。


「……マジャーラが攻めてきた?」


 もちろん他国の軍が無許可で国境を侵犯してきた、しかもその相手が魔族軍となれば、マジャーラ軍の反応は当然のことではある。

 チェルトーザが顔を顰めたのはその内容だ。


「つまり、自国の民を敵もろとも滅しようしたのか」


 実を言えば、マジャーラ軍のおこないはこの世界の人間社会の標準であり、決してマジャーラ軍の中身が山賊と同等だからというわけではない。

 為政者や軍幹部にとって末端の民の命などその程度なのだから。


 もちろんチェルトーザはそれを知っている。

 知っているものの、いざその現実を目の前に突き付けられたときの不快感は隠せない。


 ……相手は魔族なのは事実だが、被災者を救済に来た可能性を考慮すべき。まずは交渉を……。


 そこまで思考を動かしたところでチェルトーザは気づく。

 それは自分が目の前にいる魔族の将の為人を知っており、信用しているからこそ辿り着く結論であることを。


 ……相手の指揮官が他の魔族の将であれば、マジャーラ軍の判断こそ正しいのだ。


 そう。

 これがこの世界の現実なのである。


 そこでチェルトーザの顔に厳しさが増した。

 そして、思考を進める。


 ……相手は「フランベーニュの英雄」アポロン・ボナール率いる四十万人のフランベーニュの精鋭を一瞬で葬ったグワラニー率いるチート部隊。

 ……相手になるはずがない。

 ……だが、相手の規模はわからないが、周辺はあまり荒れているように見えない。

 ……いったいどうやって倒したのだ。


 その問いに対してグワラニーの口からやってきたその答えにチェルトーザは再び呻いた。

 チェルトーザは集めた情報からフランベーニュ軍を殲滅させた魔法について推測はしていた。


 この世界には存在しないあの忌まわしき兵器。

 それそのものではないが、それと同じ規模の破壊力を有する炎系魔法。


 それがチェルトーザの推測。

 だが、この村周辺にはそのようなことが起こった痕跡は皆無。

 周辺の木々が伐採されてはいるが、それだけである。


 もちろんチェルトーザは知らない。

 この村の下はすぐにでも露天掘りが出来そうな石炭層があることを。

 そして、そのため盛大な花火はその石炭に引火しかねないため、使用を控えたことも。

 当然使用しなかった理由を考える。


 ……目の前にはブリターニャ王国の王子がいる。

 ……今後どこかでぶつかる相手にわざわざ切り札の実演をする必要はない。

 ……そういうことか。


 そう。

 洞察力がある者こそ陥る落とし穴はまさにこれである。


 つまり、少ない材料で筋道を立てて正解に導くことは簡単ではない。

 だが、そのような才の者を誘導するにはそれらしい餌を少しだけ撒くだけで勝手に望んだ結果に辿り着く。

 しかも、それは自身が探りあてたもの。

 疑うことはしない。

 それが誘引されたものであっても。

 

 そして、そこに辿り着く。


 ……味方であれば、そんなことをする必要はない。

 ……ということは、先ほどの話は本当のことだったということになる。


 そう結論づけたところで、チェルトーザはグワラニーとアリストを眺める。


 ……親愛の情など欠片もない。

 ……というか、この雰囲気はお互いを出し抜き利用しようとしている。


 ……なるほど。


 紆余曲折の末、完全にテーブルの下で握手している構図を完全に拭い去ったチェルトーザが口を開く。


「それで、これからどうするつもりのですかな」


 そして、自らの問いに対するグワラニーの答えとその理由を聞き終えたチェルトーザは呻く。


 ……魔族軍がナニカクジャラの民を自国へ連れ帰る。彼らはグワラニーの奴隷として魔族領で暮らす。

 ……そして、ナニカクジャラの民もグワラニーの提案を受け入れた。


 ……住民たちがよくそれに同意したものだ。

 

 チェルトーザは気づく。


 ……魔族の奴隷になることが、自軍に裏切り者として処断されるよりよいかどうかをどう判断するのだ?

 ……というより、アリスト王子はなぜそれを可としたのだ。

 ……ここはアリスト王子こそ彼らを連れ帰るべきなのではないのか?


 沸き起こる疑念。

 チェルトーザが口を開く。


「その件について尋ねたいことがあるのだが、よろしいか?」


 そして、そこからチェルトーザの熱の籠った弁舌が始まる。

 それはこれまでふたりとの対談では見せなかったものでもあった。

 グワラニーは笑顔の裏側で自身に注意喚起するように呟き、アリストの方もほぼ同様な感想を持つ。


 チェルトーザの問いに対してグワラニーを制して答えたのはアリストだった。


「まず言っておきましょう。チェルトーザ殿の言葉どおりこの地を離れるのであれば、魔族の国などより人間の国のほうがいいのは間違いない。だが、彼らを自国に移住させたことがマジャーラに伝わったときにどのような言い訳をするですか?」


「そもそも国境侵犯をおこなった者たちを討伐するために派遣された軍は全滅させられている。そのうえ自国民を連れ帰ったとなればマジャーラに喧嘩を売ったようなもの。その後に待っているのは想像もしたくないものだ」


「私にはそのような事態になった場合の対処する術は思いつかないが、チェルトーザ殿がそのようなことになっても問題ないといえるような方法を持っているということならチェルトーザ殿が彼らをアリターナに連れていってはいかがかな。もちろん私はそれに賛成するし、私に強引に押し付けられ渋々連れていくことに同意した魔族側もそうしてもらったほうがありがたいのではないのか?」


 アリストはそう言ってグワラニーに視線をやると、グワラニーは頷く。


「もちろんです。是非ともそう願いたい」


 グワラニーとしては余計なトラブルを避けるためにもできれば引き取りをご辞退したところなのだから、もちろんこれは駆け引きなどではなく心からの言葉である。

 そして、裏を返せばそうなって困るのは強制的に手を挙げさせられた形となったチェルトーザである。

 当然答えは否。

 だが、そうであっても懸念はある。


「だが、魔族の国での彼らの地位が奴隷ということにアリスト王子は何もお感じにならんのか?」


 チェルトーザは魔族の国における奴隷という地位がどのような待遇になるのかは正確には知らない。

 そうなれば、参考にするのは噂話的情報と自国周辺の奴隷の扱いだ。


 一方、アリストはグワラニーが人間たちをどのように扱っているかを知っている。


 ……まあ、その話をしてしまっては、結局プロエルメルのことを話さなければならず、我々の関係がばれてしまうので言えないが。


 出かかった言葉を飲み込むとアリストは口を開く。

 

「どういうつもりか知らないがこの魔族はとても奴隷待遇とは思えぬ厚遇を約束した」


「そして、魔族にとって契約は神聖なもの。どこかの下賤な生き物のように一度示した約束を違えたりはしない」


「そう思っていいな。アルディーシャ・グワラニー」


 アリストからの、大上段の言葉。

 その言葉にグワラニーは大きく頷き、続いてそれを言葉にする。


「そう思ってくださって結構です。アリスト王子。そして、この契約の証人はチェルトーザ殿。これなら文句ないでしょう」

「……ああ」


 とりあえずナニカクジャラ村民の移住の話を一段落し、チェルトーザと同行してきたアリターナ人にもアリシア・タルファ特製の軽食が振舞われる。

 もちろんそれを口にし皆大喜びする。

 唯一、釈然としないものが残るチェルトーザを除いて。

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