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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十六章 交差するふたつの道
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ナニカクジャラの戦い Ⅲ

 セーケンフェルが夜襲を決断し自身の直属部隊九百四十四名を含む三千二百六十八名を村周囲を時計回りに移動を始め、それがほぼ完了させた頃、ナニカクジャラの中でも動きがあった。

 魔族軍が勇者たち、というか彼の結界制御のために建てた監視小屋に立っていたアリストのもとにデルフィンとタルファ、それにコリチーバだけを伴ったグワラニーが訪れたのである。


「ようこそ。招かざる客よ」


 アリストが口にしたのは、魔族、人間を問わず、会いたくない相手に対して使うこの世界の慣用句的嫌味。

 もちろんアリストの言葉はそこでは終わらない。


「何も備えのない姿で私の前に前に現れたということは、これまで重ねてきた悪行を清算しようということかな。そういうことなら今すぐ望みを叶え生きたまま火葬にしてやろう。特別に無料で」


 武器どころか、防具すら身に着けず現れたグワラニーに嫌味たっぷりに歓迎の言葉を口にしたアリストだったが、彼の攻勢もここまでだった。

 その言葉を軽やかな笑顔で受け流したグワラニーが口を開く。


「いやいや、私はあなたと違いまだやりたいことがあるので火葬されるのは遠慮しておきましょう。私がここに来たのは、こちらは掃討戦まで終了して随分と経っていますが連絡がないので心配になったからです。そして、その心配は王子の表情から察するにどうやら正しかったようですね。とりあえず現状はどうなっているかお聞かせいただきましょうか。場合によってはお手伝いいたしますので。ですが……」


「受けた仕事を果たせずに魔族の助力を受けた勇者。それはなかなかの見栄えのする光景でしょうね。後世の吟遊詩人もきっと喜んでくれることでしょう」


「言ってくれるではないか。魔族」


 グワラニーの皮肉にアリストは顔を顰める。


「言っておくが、こちらの担当であったふたつの部隊はとっくに排除した」


 つまり、受けた仕事は完了している。

 ゴチャゴチャ言われる筋合いではない。


 それがアリストの言い分である。

 だが……。


「それで肝心の本命は?」


 アリストの言葉の直後、グワラニーからやってきたもの。

 もちろんそれが何を意味するかアリストは十分に理解している。

 

 苦り切ったという以外には表現できないという表情のアリストが渋々答える。


「同行していた魔術師たちはすべて排除した。残りは剣士たちだけだ……」

「つまり、排除中?」

「いや。捜索中だ」


 そう言った後に、魔術師たちが駐屯していた場所から村近くでまで氷槍でローラー作戦を決行したが効果が不明。

 そのため、自分以外の四人が森の中に入り魔術師たちがいた場所まで探索したものの、その痕跡がなかったことを説明した。

 そして……。


「そのうえで尋ねる」


「この状況をどう思う?」


 そう言ってアリストはグワラニーを見やった。

 もちろん考えられるのは二択。

 だが、可能性があるものを消すためにグワラニーはそれを確かめる。


「攻撃を始める前に転移避けが展開したのでしょうね」

「もちろん」

「ということは、王都に逃げ出したということはないということなるわけですが……」


「敢えて逃げ場を残して半包囲した状況。そして、魔術師が駐屯していたことを考えれば伏兵が存在したのは間違いない。それを踏まえて……」


 言葉を切ったグワラニーが視線を動かしたのは元ノルディア軍の将軍だった。


「タルファ将軍。専門家であるあなたに尋ねる。あなたが敵将であった場合、どこに陣を敷く?」

「……そうですね」


 グワラニーからやってきた問いに短い言葉で応えると、タルファが周囲を眺める。


「剣士を中心とした実戦部隊は魔術師の前方に陣を敷くというのが基本となります」


「ですが、アリスト王子が掴んだ情報が事実であればそうでなかったということになります」


「……おそらくマジャーラの司令官が我が軍の力を知っていた。つまり、相手には自分たちより格上の魔術師が同行していると」


「そうなれば、魔法戦で自分たちの魔術師も負けることもあり得る。そうなった場合、次にやってくるのは魔法による掃討。それを避けるために通常ではありえない場所に陣を敷いた。そういうことなのではないでしょうか」


「そして、そういうことで敵将が陣を敷くのであれば……」


 そこまで言ったところで、タルファはある一点を指さし、その場にいた残り全員の目がそちらへ動く。


「あの見通しの良さそうな丘などはいいでしょうね。あそこなら戦況を眺め、敵が逃げる方向を確認して移動できる。ついでにいえば、我々がやってきた裏街道もすぐ近くに走っています。我々がこの村を捨て逃げ出すのであれば、間違いなく来た道を使う。あそこであれば、こちらが敗走を始めてからでも十分に待ち伏せの準備ができます」

「……なるほど」


 タルファの言葉をすべて聞き終えたグワラニーはそう呟き続いてアリストに目をやる。


「アリスト王子。あの丘周辺に氷槍を撃ち込むことは可能ですか?」

「もちろん」


 アリストはそう言って右手で上に向ける。

 その瞬間、無数の氷の槍が現れる。

 そして、無数の光となって放たれる。


「まだあの地に陣を敷いていたら終わりでしょうね」


「ですが、彼らは味方が散々やられているのを見ている。当然行動しているでしょう。それだけ気が利く者が率いているのであれば」


「問題は逃げたか、さらなる攻撃に出るかということになるわけですが……」


 グワラニーはそう言いながら、アリストに目をやる。


「私ならこの戦いは負けだと諦め、泣きながら森の中をさまよい王都に戻るでしょうが、アリスト王子ならどうしますか?」


 アリストは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「当然撤退だ。だが、相手は山賊の長。しかも、自国領を犯されている。このままやられたままで王都に戻るというわけにはいかないだろう」

「タルファ将軍の意見は?」

「アリスト王子の意見に同意します」

「まあ、相手の立場を考えればそうなりますね。では、準備をすることにしましょうか」


「やってくる敵を迎えるための……」


 もちろん、村の方角に発生した大魔法の気配に続き東から西へ向かう氷槍の大群をフィーネが気づかぬはずがなく、即座に結界の強度を上げ、三人の剣士とともに大急ぎでその現場へと向かう。

 そして、ついにその痕跡を発見する。


「……一歩遅かったようですね」


 フィーネは陣を大軍が敷いていた痕跡はあるものの、死体がまったくないことを確認する。

 ただし、食料を含む大量の物資を放置したままとなっていたことから、相当慌てて移動したことは想像できる。


 接敵はできなかったものの、それが偽装ではないことを確認し、さらに残された物資やその行軍の広がりから、最低でも千人の兵士がいると予測できる。

 それから、敵が移動した痕跡。


 それを手土産に時間切れでナニカクジャラに戻ったその四人が転移直後に見たもの。


 それは、アリストとともに仲間ではない五人の者が出迎えのために姿を現わしている光景であった。


「もしかして、アリストは魔族の捕虜になったのか?」

「まあ、普通に考えればそう見えるが……」

「あるわけがないでしょう。そんなことは」


 ブランとマロの言葉を瞬殺したところで、フィーネは先ほどの件の真相がこれである可能性が高いことに気づく。


「私たちが手間取っているので、あの魔族が手伝いに来たということでしょうか。そうなると……」


「マジャーラが潜んでいた場所を見つけたのも魔族ということになりますね。ですが、用心は必要です」


 三人にとって最も効果のある言葉によってそう緘口令を施したところで、四人が出迎えの者たちが待ち受ける場所に到着する。

 だが、その直後。


「おかえりなさい。では、皆さん。戦果はどうだったか教えてください」


 それはフィーネの配慮、そのすべてを台無しにするアリストの言葉だった。


 当然ながら、その言葉を聞いた者たちは困惑する。

 いや、怒るという表現の方が正しいだろう。


「アリスト。その前に現在あなたが置かれている立場を説明すべきでしょう」


 もちろんフィーネからの言葉である。


 ……ほんの僅かですが疑っているわけですか。

 ……王子が我々に動きを封じられたと。

 

 ……では、まずはその疑念を取り除くことにしましょうか。


 そう呟き、薄い笑みを浮かべたグワラニーが口を開く。

 そして、語られたのはそこで起こったこと。

 まあ、隠す理由もなく、そもそもこの状況で隠せるわけもないのだが。

 すべてを語り終わったアリストは最後にこうつけ加える。


「私たちのなかでは、あの丘で全滅していなければ、必ずこの村を襲撃するということで話はまとまっています」


「そして、当然ながら我々は迎撃せざるを得ません。そして、当然この村に住む者たちに被害が出ぬよう第一段階として結界を張り続けなければなりません。そして、魔族側からふたり。こちら側からふたりが交代でそれを担うことまで決まっています」


「殲滅が完了し、それが不要ならいいのですが、万が一、撃ち漏らしたのなら、不本意ではあるものの、この村の住人を守るという一点において目標が一致している以上、私たちと魔族は共同して敵の襲撃に備えなければなりません」


「そのためにはやって来ると思われる敵の情報を公開しなければならないわけです」


「そういうことなら仕方がないですね」


 そう言ってアリストとグワラニー双方に対して盛大にマウントをとったフィーネが、語ったこと。

 それは自らが見てきたこと。

 そのすべて。

 

「……ということは、最低でも千人の兵がかの地に駐屯し、私の攻撃が始まる前に東方に移動していたわけですか」


 すべてを聞き終えると、フィーネの報告の概要を復唱するように呟いたアリストがグワラニーに目をやる。


「これが彼女が手に入れた事実の概要であるわけなのだが、これを聞いた感想を聞こうか。魔族軍の司令官アルディーシャ・グワラニー」


 こちらは出すものを出したのだ。

 当然今度はそちらが手の内を明らかにする番であろう。


 アリストの言葉にはそのような意味も含まれている。


 ……まあ、それはついては先ほど話したわけだが、アリスト王子の立場というものもある。

 ……ここは譲るしかないか。


 心の中で苦笑いすると、グワラニーは口を開く。


「タルファ将軍。勇者の方々が掴んだ情報をどう考える?」


 一礼後、タルファが口を開き、グワラニーとの問答が始まる。


「敵の数は最低でも千ということであれば、その数倍を想定したうえで対策を立てるのが肝要でしょう」

「というと?」

「偽装によって隠せるのは数倍が限度。それ以上であればその痕跡が残ります。もちろんそれを見積もった者がそれなりの目を持っているということが条件となりますが」


 タルファが最後につけ加えた「見積もった者がそれなりの目を持っている」という前提は、フィーネの推測に疑念を持っているという表明であり、これまでアリストがおこなってきた上官に対する無礼に対するお返しでもある。

 当然フィーネは気分を害す。


 ……これはこれでかわいいな。


 フィーネの本質を知らないグワラニーはその外見だけで判断し、心の中でそう呟く。

 だが、これは話の流れとはまったく関係ない。

 当然実際に口にした言葉はまったく別のものだった。


「それで、他部隊が殲滅したことを知ったうえでこの村を襲撃するとなれば、相手が採る策はどのようなものだと思いますか?」


「まず間違いなく夜襲でしょう」


「そして、相手が単純な者であるのなら、今晩中にやってきますが、相手は相応の者。どうやらそうではなさそうです。そうなれば、襲撃は翌日以降でしょう」

「その理由は?」

「ここまで完璧に叩かれたのですから、敵も自らの存在も気づかれているという前提で動いているからです」


「なるほど。それで?」


「残存部隊の夜襲はある。そう考えて相手、つまり我々ですが、とにかく相手はその晩は警戒を怠らない。ですが、翌日、その翌日と時を過ぎれば過ぎるほど、敵は撤退したと思い始め油断が出る。そこを叩けば勝算は十分にある」

「もうひとつ。敵の侵攻方向は?」

「敵が三千とした場合、現在敵が籠る村の北側から千。ですが、相手は山賊。おそらく主力はその反対側である村の南側からやってくるでしょう。しかも、先行する北側からの襲撃が始まってしばらく経ってから時差をつけて」

「北の敵にこちらの防御が傾いたところを背から撃つ。なるほど良い手だ」


 結論が出たふたりの会話。

 そして、それを手にグワラニーは視線をアリストに移す。


「……さて」


「我が軍の将軍はそう言っているが、どうかな。アリスト王子」


 アリストが数瞬後、口を開く。


「そちらの将軍の言葉は十分理に適っている。だが、それだけわかっているのなら、それを待っている必要はないと思うのだが」


 一瞬だけ表情を変えたグワラニーの口が開く。


「それは村の南部に移動してくる敵の本隊を待ち伏せして叩くということでしょうか?」


 当然のごとくやってきたグワラニーの問いの言葉にアリストは頷く。


「そのとおり。例えば、村の北側から南側に移動する場合、東を通るか西を通るかという二通りがあるが、今回はすでにひとつに絞られている」


「そうであれば、どこかで待ち伏せ叩く。そして、然る後、奴らの進軍してきた道を逆進して残りも叩く」


「そのときに逆方向からもう一隊を出せば完璧だ」

「なるほど」


 アリストからやってきた積極策。

 だが、その声と表情からわかるとおりグワラニーはその案にまったく乗り気ではなかった。


 もちろん自身が思いつかず、それをアリストが口にしたからなどという下世話な理由ではない。

 というより、グワラニー自身それを思いついていた。

 ということは、当然その策を捨て去ったということになる。


 被害が出る可能性がある。


 それがその理由となる。

 もう少しわかりやすくいえば、同士討ち、いわゆるフレンドリーファイアの危険性である。


 しかも、お互いに相手は将来の敵。

 攻撃することに躊躇いや遠慮などないうえに、とんでもない攻撃力を持っている。

 当然そこには大きな損害が伴う。


 きれいごとを言うようだが、いずれ戦うにしても、それは完全な状態で堂々と臨むべきであり、戦場、戦力、それから時期、そのすべてが勇者と戦うには今は不適と言わざるを得ない。


 幾日か動かずに待てば被害なしで目的が達成できるにもかかわらず、わざわざそのような冒険などする必要はない。


 それがグワラニーの結論である。


 ……まあ、アリスト王子もその危険性はわかっているはず。

 ……そのうえで敢えてその案を示し私の才や将としての度量を確認しようとしたのだろう。


「悪くはない案ではありますが、やめておきましょう」


 やってきた答えが否定的なものだったにもかかわらず、アリストはそれを当然のものと受け止める。

 ただし、実際に口にしたのはそれとはまったく逆なものであった。


「私は時間を浪費せず手っ取り早く問題を解決できると思い提案したのだが、私と同様時間が足りないはずの魔族軍の司令官がそれを拒むのは全くもっておかしい。その理由を是非聞かせてもらいたい」


 ……本当に面倒くさい人だ。


 グワラニーは心の中で笑い、だが、表面上は何事もなかったかのような顔で答える。


「簡単にいえば、それをほうが楽できるからです」


「もう少し詳しく説明すれば、わざわざ不安な森に入らなくても待っていれば相手は必ずやってくる。しかも、そちらの女性たちが発見した痕跡から考えれば、待つ時間は数日を超えることはないのだから、それを叩いた方が確実に仕留められる」


「その状況で、あなたがた五人で探索に行ったはいいが、敵を見つけられず森のどこかを徘徊している最中に我々が敵を発見したらどうなるか?当然我々は攻撃をするわけですが、そのときにあなたがたが近くにいるようなことになれば、自分たちを騙し討ちにしたなどと難癖つけられそうです」


「つまり、こちらは行かないと言うだけでなく、今回に限り、行きたければそちらだけでどうぞとも言えないということです」

「まあ、臆病者がそういうのであれば仕方がない」


 そして、ここからが本題となる。


「昼夜あわせて二十セパ。それを四分割して結界を維持するということにしたい。もちろん双方ふたりずつ魔術師を出すというところでよろしいでしょうか」

「承知した」

「それから、敵がやってきた場合はすぐにお知らせするので、その間は休憩所を用意したのでそちらでお休みください」


 そう言って、仮設ではあるがそれなりのつくりの小屋を示す。


「大きさは大小さまざまですが五部屋あります。割り振りはそちらにお任せいたします……」


 もちろんグワラニーは知らない。

 これまで三人の剣士がどのような扱いを受けていたかなど。

 だから、五人分の寝室を用意したわけなのだが、これに喜んだのはいつも汚く狭い部屋に押し込められていたその三人である。


「なかなか気の利く魔族だ」

「フランベーニュやアリターナ、それにノルディアの馬鹿どもにみせてやりたい」

「まったくだ」


「仲間として恥ずかしいです」

「まったくです。この様子を魔族たちに見られなかったのが唯一の救いですね」


 某世界で初めてホテルに泊まった時の子供のように大騒ぎしながらお互いの部屋を行ったり来たりする三人を眺めながらため息交じりに口にしたフィーネに言葉にアリストも大きく頷いた。


「最初は向こうの魔術師長がおこなうとのこと。次は私が結界の維持役を務めますので休ませてもらいます。それから三人の中からひとりを護衛として同行させることにしましょう。何か仕事を与えておかないと大酒を飲んで問題を起こしそうですから」


 そう言ったフィーネも自分にあてがわれた部屋に入った。

 翌日に備えて。


 そして、翌朝。

 タルファの言葉どおり何事もなくデルフィンと交代でお役御免となったアリストとマロが早々と席に着き朝食を貪り食うファーブとブランに合流する。

 そこでようやくそれに気づく。


「昨日は色々あって気がつかなかったがパッと見ただけではこの村が地揺れで被害を受けているようには見えないな」

「ああ。家も壊れていないようだし」

「いや」


「村の建物の多くは被害を受けている。それを修理したのは間違いない」


「さらにこの村のものとはあきらかに違うつくりをした建物にも村人が出入りしているところを見るといくつかは魔族があらたに建てた……」


 三人の剣士たちの呑気な会話を否定したアリストはその言葉も正しくないことに気づく。


「あれはすでにあったものをここに持ち込んだのですね」


「まあ、私たちの宿舎も多少手は入れてはありますが、新品という程でもない。もちろん新品ではないことに文句を言うつもりがあるわけではありません。問題は彼らが建物自体をここまで運んできたことです」

「難しいのか?」

「それ自体はそれほどでもありません」


「ですが、簡単とも言えませんね。特に前線に運ぶということになれば」


 そう。

 これは以前大海賊が小麦の大運搬を請け負ったときに使った、この世界で使用される転移魔法の「転移できる制限は質量や容量ではなく数に起因する」という奇妙な特徴を利用したものと同類である。


 つまり、ひとつの建物を丸ごとでも丸太一本でもカウントは同じ一。

 そうであれば、建物に物資を押し込んで転移させればより効率的に輸送ができる。

 しかも、その中身を取り出した建物は宿舎として利用できるのだ。

 

 ただし、それを敵の攻撃を防ぐ結界を展開させた状態でおこなうのは相当高度で複雑な段取りを踏まなければできないことである。

 それを簡単にやってのけるところが、その手順を組み上げたグワラニーと、それを実行する彼の魔術師団の優秀さであり、それをすぐ察したアリストは舌を巻いたところでもある。


 さて、当然ではあるが、朝が来れば次は昼。

 だが、相変わらず何も起こらない。

 まあ、この状況で昼間に襲撃しにやってくるなど相手の指揮官の才が相当残念な場合でなければ起こらないのは当たり前のことではあるのだが。


 つまり、戦闘がおこなわれるのはほぼ確実に夜間。

 そうであれば、昼間は穏やかな時間が過ぎる。

 言葉を飾らずにいえば、暇。

 そうなれば、その間にグワラニーとアリストとの接触、またはグワラニーとフィーネの接触が起こりそうなものなのだが、そのようなことはまったくなかった。


 魔術師が交代で結界の維持をおこなわなければならなかったこと。

 それから、グワラニーが昼夜逆転生活をおこなっていたこと。


 それがその理由となる。


 前者については二十セパ、わかりやすい言葉でいえば、一日が二十時間であるこの世界を四分割した五時間を担当する。

 それはこのレベルの魔術師でも簡単とはいえない。

 それを知っている者ならば、休養中の魔術師に余計な話をすることはない。


 後者については言うまでもないだろう。

 戦いは夜間。

 そのときに完全覚醒していなければ、正しい判断はできない。

 そのために昼間は休養に充てる。


 少し前になるが、クペル平原の戦いで、フランベーニュ軍を率いたアポロン・ボナールはあきらかな睡眠不足の状態で戦いに臨んでいた。


 そのため、判断の質とスピード、双方が大幅に落ち、結果的に大敗を喫した。

 もちろん完全な状態であれば勝利したとはいえないだろうが、すべてを失うことは避けられた可能性は十分にある。


 これは後世の歴史家の評価であるのだが、ほぼ正しいといえるだろう。

 そう。

 やはり、休養は必要なのである。


 そして、ロバウはいたものの、自分の代わりとして自軍を完全掌握できる腹心がいなかったボナールとは違い、グワラニーにはバイアという男が傍らにいる。

 いざとなれば、彼が緊急時の指揮を執ることも可能。

 そのため、自身は夜に備え昼間に寝ることができる。

 多くの意見はあるだろうが、グワラニーは「ナンバー2不要論」には与していないのはいうまでもないことではある。


 さらにいえば、両者は敵同士の間柄。

 仲良く語り合うなどということはありえないのだ。


 まあ、とにかく、そういうことで昼の間は特別語るべきことはなく、あっという間に過ぎ、その夜が近づいてくる。


 敵は数日後に現れる。


 アリストも賛同した魔族側の判断。

 もちろんこれには相応の根拠がある。


 奇襲を成功させる条件である、相手の油断を誘うためにはできるだけ長く森に潜伏すべき。

 だが、相手にはそれをおこなうだけの余裕がない。

 その最大公約数的ものが翌日の夜。


 そして、敵の枷となっているもの。

 それは……。


 食料。


 当然ながら王都から転移してきたマジャーラ軍は食料や水を持参した。

 だが、それは数日分。

 しかも、想定していなかった逃避行的森林地帯の長距離移動を余儀なくされたため、移動に支障を来たすほどの量は手にできず、例のキャンプ地に多くのものを放棄していたのはフィーネたちが確認済みである。

 さらに所在地を知られてはいけない彼らは火を起こせないため、持参しているのは乾燥肉やこの世界の携帯食として一般的な乾パンの類。


 腹が減ってはいくさが出来ぬ。


 某世界の格言であるそれは、この世界では直接的な意味で有効なのである。

 つまり、食料がなくなり動けなくなる前にケリをつける必要がある。


 それがグワラニーの見立て。


 そして、それは完全に正しかった。


「セーケンフェル殿。いよいよですね」

「そうだ」


 ナニカクジャラ周辺に広がる森林地帯。

 その南北に分かれて展開しているマジャーラ軍のうちのひとつ。

 南側に潜む主力部隊の中心で戦いを前にして高揚する気持ちを抑えきれない総司令官アータルの言葉にそう応じながら、実質的にマジャーラ軍を指揮するセーケンフェルの表情が曇る。


 このような相手を叩くには油断や焦りから来る隙を突くしかなく、そのためには少なくても十日は必要。

 だが、そこまで待ってはいられない事情がマジャーラにあった。

 そう。

 食料がないのだ。

 すでに二日間何も食べていない。

 これ以上先延ばししては兵たちの士気に影響する。


「ありがたいことに斥候の報告によればこちら側の守備は非常に薄い。予定通り背後は取れそうだ」


 自らが抱える不安を払いのけるようにセーケンフェルはその言葉を口にした。

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