ナニカクジャラの戦い Ⅱ
目の前にいるのは魔族軍最強部隊。
さらにそこに勇者一行が加わる。
つまり、この世界のツインピークスの合体。
相手にするには最悪中の最悪の者たちといえるだろう。
その最悪の相手と戦うのはもちろんマジャーラ軍となる。
闇に隠れて国境侵犯をする者の見張りを続けている斥候隊のふたつが、地揺れ直後にとんでもない魔力を持った集団が領内に侵入してくるのを感知し、大慌てで王都ヴィシェグラードに知らせる。
地揺れの混乱に乗じて敵がやってきたと。
もちろんマジャーラの王アールモシュ・ヘールヴァールは二十一歳の長子アータル・ヘールヴァールを総司令官にしてすぐさま追討軍を送る。
といっても、アストラハーニェとの国境に張り付けている軍を動かすわけにはいかない。
そうなれば、アータルが率いることができるのは王都及びその周辺に展開する部隊のみ。
だが、三千というその数字は小国家の連合体であるこの国の規模で考えてもさすがに少なすぎる。
そして、この少ない数の兵で戦うとなれば、それを補うだけの有能な指揮官が必要となるわけなのだが、残念ながら総司令官アータルは圧倒的に経験が少ない。
当然完全な形で彼に指揮権を渡しては多くの物語で描かれる悲惨な結末を実演することになるだけである。
それは父王も重々承知しており、実際に軍を指揮する権限を与えたのは副司令官も兼任する筆頭分家で独立した国家群のひとつの長でもあるアンドラシュ・セーケンフェル。
そこにカールマ・ハーザ、ベーラ・ジュラフェ、アルベルト・ポジョニ、カールロイ・シューバ、アドリアン・バラーニャという分家の長が率いる部隊が加わる。
残念ながら各将が率いる兵も三桁の数に留まる。
ただし、彼らは小国家の王であるが、軍を率いる将軍でもある。
しかも、他国の王族や貴族などと違い本物の戦歴を重ねている。
まあ、それくらいのものがなければ、自称「無敵の戦闘民族の長」、他称「山賊の長」など務められないのだから当然なのだが。
合計で約六千。
多いとはとても言えない。
それでもマジャーラ軍の将たちには十分勝算があった。
もちろんこれは自身に対する過大評価でも妄想でもない。
同程度の規模の軍でアストラハーニェの大軍を何度も打ち破っているという結果に裏打ちされた自信である。
地の利はこちらにある。
しかも、相手は道を塞がれ、途中で立ち往生中。
絶好のカモ。
出発前に諸将はそう豪語していた。
そして……。
王都での打ち合わせでセーケンフェルが示したのは、半包囲したところで魔法攻撃に続き一斉に村に突入し総崩れになった相手を司令官が率いる本隊が抑え込みその背を各隊が撃って殲滅するという策。
まさに迫るマジャーラ軍の陣形からグワラニーがアリストに対して語ったものと同じである。
「ところで、わざわざ狩られにやってきた愚かものたちはどこの国の者なのだろうな?」
「侵入位置を考えればアストラハーニェということはないだろうから、アリターナ。と言いたいところだが、奴らは魔族に大敗したばかりでそんな余裕はない。おそらくやってきたのは魔族」
「ということは、村の者たちは皆殺しか?」
「そういうことになる。まあ、そうでなくても敵もろともやるしかないだろう。残っていても盾に使われるだけだから」
自身の言葉に表情を歪めたアータルに気づき、セーケンフェルはさらに言葉を加える。
「……我々が散々その手を使い、躊躇した敵を倒してきたのだ。誰よりもその手が有効だと知っている。我々の身に同じことが起きないようにするためには捕らえられた者はすべて敵と見なすしかない。ボジョニたちにもそう言ってある」
「厳しいな」
「それが戦いというものだ」
アータルとセーケンフェルは陣を敷いた小高い丘の上でこのような話をしていたのは、僚軍が一瞬で殲滅させられるほんの少し前のことだった。
いうまでもないことなのだが、村の長アンドラーシュはもちろんグワラニーも戦闘は避けたいと思っていた。
だが、セーケンフェルたちの会話を聞けばわかる通り、相手の方は交渉する気など一切なく、自国民がどれだけ残っていようがお構いなくすべて殺すと決めていた。
そして、それが言葉だけのものではないことを示すかのような初手となるものは遠方からの魔術師団による攻撃。
これによってグワラニーが予定していたアンドラーシュを介しての弁明の機会はやってこないことが確定した。
「……魔法攻撃感知。まあ、師の結界ですからびくともしませんが」
「そうだな」
新旧すべての攻撃魔法を撥ねつけるその様を眺めながらグワラニーはそう言いつつ、心の中でこう呟いていた。
……どれほどの数でも対応する。
……これ以上の防空兵器は向こうでも存在しない。
……つまり、これぞ「真のアイアンドーム」だな。
……だが、守ってばかりでは埒が明かぬ。
「これで第三波……ということは、そろそろということか」
隣に立つ魔術師長の高弟センティネラの呟きにそう応じたグワラニーは、険しい表情で様子を伺うアンドラーシュに視線を送る。
「アンドラーシュ殿。残念ながら同胞の方々はあなたがたも一緒に葬る気のようです。ということで……」
「残念ながらアンドラーシュ殿の出番はなさそうです」
「そのようだな」
もちろんアンドラーシュは知らない。
この場にいる魔族軍はこの世界で最強を誇る者たちであることを。
そして、人間でありながら、なぜか魔族側に加わっている冒険者風の者たちが実は有名な勇者一行であることも。
そうなれば、勝敗は数によって決まるという常識的な過程を踏んだ結果が導かれる。
それが、たとえ完璧に機能する魔法防御を見たとしても。
つまり、これからやってくるのは敗北と死。
アンドラーシュが口を開く。
「我々の要請に応じて助けに来てくれたにもかかわらずこのようなことになり、申しわけないことを……」
「それは構いません。それよりも……」
だが、アンドラーシュの言葉を遮ったグワラニーが続けたのは予想外の事柄であった。
「こうなってしまっては仕方がありません。我々としても生き残るためには反撃せざるを得ません。そうなると、アンドラーシュ殿の同胞を殺さねばならなくなります。その点をご了承いただきたい」
数の差がある以上、勝てるはずがない。
つまり、これは気休め。
アンドラーシュは薄く笑った。
「ご配慮無用。存分に剣を振るってくだされ。なんなら、我々もお手伝いする。この村は国境守備をおこなうことを役割のひとつ。男たちは皆猛者だ。十分に力に……」
「いや。それは必要ありません」
そう言ってアンドラーシュの助力を謝絶したグワラニーが視線を自らの護衛隊長へ向ける。
「コリチーバ。奴らに反撃に移るという伝令を出してくれ」
「存分に力を発揮するようにとつけ加えて」
グワラニーはその言葉とともに勇者たちの方向を親指で指さすと、小さく頷いたコリチーバは部下のひとりに声をかける。
「では、我々も反撃態勢に移る。魔術師長。それから副魔術師長、それから、フェヘイラは兵たちとともにここへ」
そこまで言ったところでグワラニーはもう一度アンドラーシュへ目を向ける。
そして、アンドラーシュにおびえながらしがみ付くふたりの小さな子供に気づく。
「大丈夫。何も心配はいらない。だから、すべてが終わるまで待つように」
そう言ってグワラニーは笑った。
それからまもなく。
魔族軍本陣からやってきたグワラニー護衛隊のひとりで騎士の地位にあるカミロ・ジャベリの言葉をすべて聞き終えたアリストは大きく頷く。
そして、役目を終えたジャベリが消えると、彼を送り出したアリストは笑みを浮かべ振り返る。
「さて、そういうことで交渉決裂というか、交渉拒否を食らったようだ。グワラニー氏は」
「ということで仕事の時間となったわけだ。一応その概要と注意事項をもう一度確認しておきましょうか」
そう言って四人の仲間を見渡す。
「私たちは村の両側から迫る二隊を叩きます」
「それで、その手順ですが、まず相手が潜んでいると思われる場所にフィーネが氷槍の雨を降らせ、こちらに逃げ出してきたところで結界を開いて掃討します。それを二回おこなって両側をきれいにしてから、どこかに隠れていると思われる本命に対峙します」
「では、さっそく始めましょうか。まずは結界の受け渡しをしましょう……」
同じ頃グワラニー軍も臨戦態勢に入っていた。
最前線は臨時に組み立てられた遠くまで見渡せる監視台の上に立つデルフィンとその祖父。
その後方に掃討をおこなうフェヘイラの部隊となる。
そして、ここにウベラバとキリーニャが加わる。
フェヘイラの部隊に続く本隊はアライランジアの配下、それからコリチーバの護衛隊で構成される。
そして、フロレスタ配下の戦闘工兵三千名も、工具から別の世界ではクロスボウと呼ばれる横弓に持ち替え、アリシアと彼女の下で働く女性と村人を守護する。
もっとも彼らにとって本当に守るべきはアリシアひとりであり、村人などオマケのそのまたオマケでしかなかったのだが。
「グワラニー様、準備ができました」
「さて、どこから始めますか?」
隣に立つバイアがそう問うと、グワラニーはニヤリと笑い相手の顔を眺める。
「ちなみに、おまえならどこから攻める?」
「まあ、常識からあそこでしょうね」
「非常に良い答えだ」
それがどことは言わず匂わすだけのバイアの答えにグワラニーの笑いが大きくなる。
「その理由を聞こうか」
「最初に中央部隊を潰すことによって、最初の一隊の襲撃中に残り二隊が合流するという事態を防ぐことができます」
「まあ、我が軍の魔術師の実力を考えれば左右どちらを派手に攻撃し、慌てた残り二隊が合流したところを叩いたほうが手早く敵を殲滅させることが出来るとは思いますが」
「……完璧だ」
そう呟いたグワラニーは大きく頷く。
そして、後方にチラリと視線を送ると、さらに言葉を続ける。
「まあ、今回は見物人もいることだし、荒業は極力繰り出さず基本に忠実にいきましょう」
「ということで、まずは中央を攻めるわけなのだが……」
「まずは、目障りな敵魔術師を排除する」
「魔術師長へ連絡。我々の受け持ち地域にいる敵の全魔術師の排除を開始するようにと」
もちろんその言葉はすぐさまふたりの魔術師のもとに届けられる。
ふたりには当然のように攻撃手順はすでに伝えられているわけだが、それでなくてもグワラニー軍の戦い方は常に同じ。
まずは敵魔術師の殲滅。
「これこそ必勝の策。奇策を好むが、グワラニー殿は最も重要な部分は常道から外れない。これが負けない理由だな」
そう呟いた老魔術師は薄く笑う。
魔術師長アンガス・コルペリーアは副魔術師長である孫娘を見やる。
「デルフィン。我々の受け持ち範囲にある魔力はいくつあるか?」
「前方に三集団。それからかなり後方にふたつの魔力反応があります」
自らもそれを感じていた老魔術師は自らの問いに答えた孫娘の言葉に頷く。
「前方の三集団は間違いなく襲撃部隊。そして、おそらく後ろのふたつは王都へ戦況報告をするために監視要員として配置された者たちであろう。ついでにいえば、後方の二隊からの魔力の方が前の三隊よりはるかに大きい」
「さて、デルフィン。グワラニー殿から魔術師全員を排除せよという命を受けているのだが……」
「精度や目標の優先順位などを考慮して、後方で待機している魔術師をまず叩く。続いて、前方の三集団を叩く」
「まず転移避けの魔法を展開。その後魔術師が潜むと思われる五か所に風魔法を起こして魔術師を排除。それから、残敵確認のため氷槍の雨を降らせ、発見次第その者たちを排除せよ」
「剣士たちの排除はその後だ」
「開始」
デルフィンの魔法攻撃の最初のターゲットとなった五か所の魔術師集団であるが、老魔術師の読み通り、三か所の分散している前衛の集団はベーラ・ジュラフェ、アルベルト・ポジョニ、カールマ・ハーザが率いる三部隊に同行している魔術師団。
そして、後方のふたつは宮廷魔術師でもあるアラニ・シュチューバ、アンダ・タタバーニャが王都の連絡要員としてそれぞれ十五人の魔術師と三十人の護衛兵士を率いて駐屯している監視所となる。
そして、後方に監視所のひとつの指揮官シュチューバの、厳しい表情をまったく崩さない様子に魔術師のひとりアギテレキ・ザーラが声をかける。
「いかがですか?師」
その言葉に不機嫌さがさらに上がったシュチューバが口を開く。
「最悪だな」
だが、シュチューバの言葉はあまりにも短かったため、情報をほとんど知らされていないザーラにはその意味が伝わらない。
「と言いますと?」
「とんでもない魔力を持った魔術師を含む集団が国境を越え、ナニカクジャラを占領した。そこまでは王都に連絡したのだから、おまえもわかっているな」
「もちろんです」
「少し前にさらに別方向から同様の力を持った集団が姿を現わした。やってきた方角からアグリニオンかアリターナの軍」
「ですが、あの商人国家に軍など……」
「そうだ。つまり、やってきたのはアリターナの軍。先にやってきたのは魔族であれば当然ナニカクジャラを奪い合ってぶつかると思っていた。ところが、そうはならず両者ともナニカクジャラに入り守備を固め始めた」
「ということは、両方アリターナ軍ということですか?」
「それはわからん。わからんが……」
「あのような者たちを相手にするのであれば戦いは相当厳しいだろう」
「戦いが始まったら、一度王都へ報告を出すことにしよう。増援要請をしておいても無駄にはなるまい。そういうことで、伝言を伝えるので連絡係を呼べ」
だが、その直後状況が激変する。
「しまった」
起こったことを察知したシュチューバが声を上げる。
「あれだけの魔術師だ。当然こちらの魔力も感じ取っている。そうなれば攻撃されることだって考えるべきだった」
「シュチューバ様。どうしたのですか?」
「敵が転移避けの魔法を展開した」
「ここも攻撃される可能性がある。魔法をすべて解除し全員徒歩で逃げろ」
だが、遅かった。
遥か遠い場所でデルフィンが「カマイタチ」と呟いた直後に現れた、見えない大きな剣がその場にあるものすべてを薙ぎ払う。
さらに氷の槍がその場一帯に降り注ぎ、すでにその死体がいったい誰のものかもわからぬくらいに徹底的に破壊されたその状況はさらにひどいものになる。
もちろんデルフィンの容赦ない攻撃は他の魔術師が駐屯していた場所にもやって来ていた。
アンダ・タタバーニャが率いる部隊は王都へ新たな敵軍が現れたことを報告する伝令を送り出した直後、デルフィンの進化系「かまいたち」に襲われる。
中心部に現れた渦状の広がりは一瞬でその場にいた者たちの身体を切り裂く。
それこそ何が起こったのかもわからぬまま。
だが、遠い場所からその魔法を展開した術者にはその場に誰もいないことは確認できない。
もちろんすでに魔力は消えているのだが、発見されぬよう魔力を消している生存者がいるかもしれない。
そのような場合、魔術師が撃ち漏らした者がいないかを確認するときにおこなう常套手段がいわゆるオールドスタイルの攻撃魔法を放つこと。
オールドスタイルの攻撃魔法は術者の傍で発動させ、相手へ飛ばすというものであるため、その攻撃の種類が視認でき対抗魔法を発動できる。
だが、見えてしまうために無意識に反応してしまう。
魔術師という生き物は。
特に間近にそれが迫ればなおさら。
同じことは前衛に近い三か所でも起こる。
第一波の魔法攻撃。
それに続く氷槍による探索が済んだところで、老人が口を開く。
「さて、デルフィン」
「五か所とも完全に魔力反応が消えたところで、次に進もうか」
祖父である老魔術師の言葉に孫娘は無言で頷く。
デルフィンの右手に杖が顕現する。
デルフィンのような高位の魔術師が杖を使う。
それは最大限の魔力を使う魔法を行使するか、非常に繊細さが必要な時に限られる。
むろん今回は後者。
「カマイタチ」
呼吸と精神を整えた後、意味はわからぬものの、自らにとって大切なものであるその言葉とともに少女が杖を振る。
その瞬間、三つの風の広がりが発生し、巨大化しながら進んでいく。
目の前のものを薙ぎ払いながら。
そして……。
部族ごとに三つに分かれてナニカクジャラへと進んでいた前衛の集団。
その約七百人の中央部隊を率いていたのはアルベルト・ポジョニ。
彼は部族長の中で最年長で経験も豊富であったため、自身の部隊だけではなく三集団による襲撃の指揮、村に突入後は五部隊の指揮も任せられていた。
その彼のもとにもやってくる。
あれが。
むろん有能な戦士でもあるポジョニは気配で気づいた。
何かはわからぬが、とにかく物凄いスピードで前方からやってくるものがあることを。
やがて、それは視界にも入ってくる。
すべてを切り刻みながら迫ってくる何か。
「……前からやってくるのだから敵であることには違いない。だが、姿が見えない。もしかしたら姿を隠す魔法というものがあるのか。だが、あの速さは尋常ではない」
「……とにかく、相手が何かはわからぬが何もせぬわけにはいかない」
「全員、抜剣。前方から敵が来た」
「姿は見えないが、何かはいる。迫ったら斬りかかれ」
間近に迫ってもそれが何かがわからないポジョニとしてはこれ以上の指示は出しようがない。
もちろんその指示は全員に伝わり、ポジョニ隊の全員が剣を構えて待ち構える。
だが、相手は風。
斬りかかっても何も変わらず、ただ進むだけ。
もちろん触れたものは切り裂く。
多数の悲鳴を響かせながら。
そして、それが通り過ぎた後に残ったのは文字通り四分五裂となった死体が六百九十八人分。
つまり、ポジョニ隊のすべて。
全滅であった。
「……先ほどのもひどかったがここも相当なものだな」
「ああ」
少しだけ間をおいてから姿を現わした魔族軍を率いていたフェヘイラと、そこに加わっていたウベラバは戦場独特の芳醇な香り漂うその様子に顔を顰めながらその言葉を口にした。
「……もしかして、これをもうひとつ見るのか?」
マイナスの要素だけが滲み出したウベラバの言葉に同様の感情であったフェヘイラも頷き、吐き出すようにこう答えた。
「……そうなるな。残念ながら」
フェヘイラに率いられて掃討戦に参加したのはミュランジ城攻防戦で惨敗を喫した兵士たち。
つまり、敵を憎しみ、勝利に飢えている者たちである。
だが、その兵士が胃の中のものを吐き出すという他の戦場ではお目にかかることない光景がその場のあちこちで見られた。
つまり、それだけのものがそこにあったのである。
ウベラバの側近エジバウト・キリーニャがこの時のことを言葉として残している。
「もちろんグワラニー軍の魔術師はボナール軍四十万人を一撃で葬ったという話は聞いていた」
「そして、我々があの場で目にしたものはそれに比べればほんの僅かの数である。それでも……」
「全滅した相手を見ても勝利の高揚感で心が満たされることはなかった。それどころか、それとは全く逆の感情を持った。倒れている者たちが敵であるにもかかわらず。それは私だけではなくウエラバ様や兵士たちも同じである。これによって自分たちの仲間が誰一人傷つかなくなるということを差し引いても、やはり心に残るのは良い感情ではなかった」
「我々でさえこうなのだ。四十万の死体を眺めることになったクペル平原の戦いに参加した者たちの心情がどのようなものだったのかは十分過ぎるくらいに理解できる」
そのキリーニャの上官であるウベラバもこのような言葉を残している。
「これまでは自分がしでかしたベンティーユ砦の不始末を帳消しにしてくれた恩からグワラニーの言葉に従っていたところがあったが、あの場所の惨状を見てようやく理解した」
「どんな敵であろうともグワラニーの部隊と戦えばこうなるのだ。そして、その結果は敵だけではなく味方の心にも負の感情を残す。そうならぬためには戦いはなるべき避けるべきなのだ。交渉によってケリをつけることの重要さを思い知った。表現が難しいがそれが私の思いだ」
むろん、個々の思いとは別に掃討戦は淡々と進められる。
そして、何事もなく終わる。
当然ではあるのだが。
「フェヘイラ将軍の部隊が戻ってきました」
南から北へ進み三隊目となる部隊の生き残りがいないか探索し終えたフェヘイラたちが自軍が戻ってきたという物見の兵から声が上がる。
そして、それに続いて部隊が姿を現わす。
「フェヘイラたちの顔色は相当悪いな」
「まあ、あの様子を見ればあの者たちが見てきた光景は想像できる。だが、我が部隊として戦うのであればその道を一度は通らねばならないのだ」
掃討戦である以上、そこから負け戦になるという例はほとんど存在しない。
さらにいえば、今回の戦いは前段として凄まじい魔法攻撃がおこなわれている。
つまり、掃討戦というよりも戦果確認と言った方がいい状況である。
だが、帰ってきた将兵の誰もが敗走直後のような表情である。
そんな様子を見たアライランジアと老魔術師アンガス・コルペリーアの会話にグワラニーが相槌を打つ。
そこにフェヘイラとウベラバが報告のためにグワラニーのもとにやってくる。
「戻りました」
「お疲れさまです」
「では、相手の状況を聞かせてもらいましょうか」
ふたりの将軍はグワラニーの言葉に頷き、それから語る。
その現場がいかに悲惨なものであったかを。
そのすべてを聞き終えた終えたところで、グワラニーが口を開く。
「それで、戦利品はありましたか?将軍」
彼らが口にした惨状には一切触れずにグワラニーが口にした戦利品というその言葉。
この世界では戦いの後に敗者が残した武具を回収することは日常的におこなわれており、その回収は掃討部隊の重要な仕事となる。
ただし、今回の相手は森林に潜みながらゲリラ戦をおこなうことを専らとするマジャーラ軍。
剣はともかく防具は音の出る金属製ではなく皮製である。
そうなれば戦利品は期待できないのは当然のことである。
フェヘイラはまず武具についての戦果を報告し、最後にこう言葉をつけ加えた。
「……残念ながら、グワラニー殿が望んでいたものも完品はほとんど手に入らなかった」
そう。
グワラニーがわざわざ口にした戦利品とは、死亡した敵兵の武具のことではなく、別のものであった。
そして、それは……。
マジャーラ軍の将兵が持参していた書類。
魔族の国と違い、マジャーラでは羊皮紙を含めて紙というものはそれほど普及していない。
となれば、そのようなものにはそれなりのことが記されているのは確実であり、それらは貴重な情報となる。
そして、未知の国であるマジャーラの地図はその中でも最優先となるものだった。
そのため、グワラニーはフェヘイラに紙片の類はすべて回収するように命じていたのだ。
だが、結果は残念ながら惨憺たるもの。
といっても、それはある程度予想できること。
少しだけ残念そうな顔をしたグワラニーだったが、それ以上は触れることなく話は終わる。
「さて、これでこちらは仕事が完了したわけなのだが、あちらはどうなっているのかな。意外に時間がかかっているようだが」
そう言ってグワラニーが眺めたのはいまだ完了していない勇者たちの持ち場の方向だった。
そう。
グワラニーの呟きどおり、勇者チームは請け負った仕事を終えていなかった。
だが、それは相手が強く勇者たちが苦戦しているという意味なのかと言えば少々違う。
では、何が起こり手間取っているかといえば……。
「どう思う?アリスト」
困惑気味の声でフィーネがアリストに問うたのは受け持ちの二隊を殲滅し、隠れている最後の隊を攻撃し始めてしばらく経ってからのことだった。
だが、問われた方も問うた方と同じくらいに困惑していた。
当然答えとなるものもあやふやなものとなる。
「氷槍に反応した魔術師たちは排除したとは思いますが、それ以上はなんとも……」
「そういうことであれば、実際に確認に行ってみればいいだろう」
「そうだ。そのために俺たちがいるのだ」
「それはもう少し待ってもらいましょうか」
ファーブとブランからの提案は軽く撥ね退けたものの、アリストは迷っていた。
その理由。
それは氷槍攻撃の戦果確認ができないのである。
フィーネは魔術師が駐屯した周辺から結界の前まで広い範囲にわたって氷槍を降らせたのだからその場にいた者は倒せただろう。
だが、そもそもその周辺に敵兵がいたのかがわからないのだ。
そうなった場合、それ相応の数の敵がそっくり残っていることになる。
「どうしたらよいでしょうね。フィーネ」
「やっぱり中に入るしかないでしょう」
「ただし、今度は頭の悪い糞尿剣士だけではなく私も行くことにしましょう」
この言葉により、残存敵兵の掃討を兼ねて現場に行って戦果確認には、三人の剣士だけではなくフィーネも同行することになる。
これによって森林地帯で敵の奇襲を受けないように周辺を攻撃魔法を使用してクリアな状態にしながら進むことができる。
といっても、GPS機器のような便利道具がないこの世界では、そこに辿り着くには最初の段階で進行方向を定めて真っすぐ進むという極めて原始的な方法をおこなうしかない。
もっとも、この方法も経験を重ねると意外と正確に目標に辿り着くことができるようになり、十分に信頼性が高いものとなるのはこの世界の冒険者稼業をやっている者には知られていることである。
そして、彼らは優秀な冒険者でもある。
当然今回も無事この方法で目標に到達することができた。
途中で戦闘がなかったので、進むことに集中できたことが大きな要因でもあるのだが。
まあ、理由はともかく、とにかく到着した。
だが……。
転がっているのは魔術師のみ。
つまり、この森林地帯のどこかに敵はいる。
それが一旦転移魔法で村に戻ったフィーネの報告に対するアリストの判断だった。
そして、フィーネがアリストに状況報告をしていた少し前。
「どうやら味方は盛大にやられたようですね」
「ああ。この調子ではポジョニたちもやられている」
「ということは、残っているのは我々だけということですか」
木々に覆われたこんもりとした丘の上。
そこに野営していた部隊の指揮官ふたりが自隊に同行していた魔術師が壊滅していく様子を眺めていた。
マジャーラの王アールモシュ・ヘールヴァールの長子アータル・ヘールヴァール。
筆頭分家で独立した国家ひとつの長でもあるアンドラシュ・セーケンフェル。
形式上は若者が総司令官であるが、実際は年長者であるセーケンフェルがこの部隊の指揮を執っている。
それはアータルも承知しているのは、その会話からも伺えるところであろう。
そう。
魔族ほどではないが、マジャーラも実力第一主義。
たとえ宗主国の時期国王であっても、実戦においては実力者の言葉に従うということが徹底されているのである。
そして、今回はそれが活きたということになる。
「それにしても……」
「さすがはセーケンフェル殿と言ったとおりでした」
アータルが感嘆の声を口にした。
「常道からいけば、襲撃部隊を前に置き、その後方に魔術師を配置する」
「ですから、セーケンフェル殿がその逆の配置を命じたときは、正直その効果を疑いました」
「まあ、そうだろうな」
セーケンフェルはアータルの言葉に不愛想にそう応えると、遠方を眺める。
「魔法攻撃直後に襲撃するとなれば、私だって同じ布陣にした。前方に魔術師たちが陣を構えていたのでは進軍の邪魔だから。だが、ありがたいことに我々は村を放棄し逃げ出す敵を受け止める役。それまでは後方に下がっても問題なかった」
「その結果、私たちだけが残ったわけですか」
「ですが、生き残ったのはよいのですが、そうなると攻め手がないように思えます」
「つまり、撤退すべきだと?」
「まあ、状況的に正しい判断ではあるが、このまま帰っては死んだ者たちに申しわけない」
「夜襲する。詳細は追々話す。だが、今すぐにやらなければならないことがある」
「それは?」
「もちろん奴らに発見されないうちにここを引き払い移動することだ」