ナニカクジャラの戦い Ⅰ
さて、のちに「ナニカクジャラの戦い」と呼ばれるこの村周辺で起こる一連の戦いであるが、実を言えば、この戦いにおける勇者チームの選択を否定的に捉える者は意外に多い。
もちろん彼らが生きた時代に勇者が魔族と共闘したという事実を知る者はほんの一部しかいなかったのだから、その断を下しているのは後世の者たちということになるのだが。
そして、その理由であるのだが、こちらはいうまでもないだろう。
たとえどのような理由があろうとも勇者と自称する者が人間の敵である魔族と手を組み人間と戦うなどありえぬこと。
勇者失格。
敵に塩を送る行為。
もちろん彼らの主張は十分に理解できる。
だが、それと同時に勇者側にもそれをおこなうだけの相応の理由があり、もし、そのような議論の場にアリストが立ち会ったのであれば、このような一方的な批判を甘受することはなかったはず。
というより、堂々と論陣を張り、こう主張したことだろう。
そもそも自分たちは地揺れで困っているマジャーラの民を助けにやってきた。
そして、その地に先にやって来た魔族たちが救援活動をやっているのを確認した。
敵ではあるが救援活動をやっている者を背後から襲うことが正義であるのなら、彼らを放置した自分たちはたしかに正義ではない。
ただし、少なくても自分たちの考える正義はそれとは別のものではある。
さらに言えば、我々が手を貸した結果、魔族がこの窮地から脱したのなら、魔族を助けたというその話は成り立つわけだが、彼らの戦力を考えたら我々がいなくても結果はなにひとつ変わらない。
つまり、我々の行動によって彼らの運命が変わったという主張は的外れもいいところである。
そもそも、人間が多くの者と関りながら生活している生き物。
正しいと思ってもそれが出来ず妥協せざるを得ない事態に遭遇することもあるし、咄嗟の判断を求められ間違いを犯すこともある。
さらに、人間である以上、正義や他人の幸福より己の利益を優先させることだってあるだろう。
その間違いのひとつを取り上げ、世界の一大事のように騒ぎ立てられるのはいい迷惑である。
まあ、そういうことを口にする者はこれまで生きてきた中でなにひとつどのような者からも非難されるようなことをしたことがない者なのだろう。
というより、誰の助けを借りたことがない代わりに、誰も助けたこともない者なのだろう。
何もしなければ、失敗することもないのだから。
だが、残念ながら、そのような稀な者を除けば、人間でも魔族でも他者と関りを持つ。
そうなれば、まったく穢れを纏わないで生きることはできない。
まして、為政者となれば清濁併せ吞むくらいの度量がなければ、国内外に山ほどいる海千山千の猛者たちを相手に難局を乗り切り国をより良い方向に導くことはできない。
正しき道から爪の先ほども外れることはなく常に正義のために動き、すべての人が完璧に満足する結果に導く、いわゆる「完全なる正義」など夢物語の世界に登場する主人公だけであることは自分たちが奉る為政者たちの姿を見ればわかるだろう。
ついでに言っておけば、私はこう考える。
国を動かす者の評価とは過程ではなく結果なのだ。
そして、最後にアリストはこうつけ加えて、彼らを黙らせたはずだ。
あなたがたが酒を飲みながらそのような戯言が言えるのは、誰のどのような努力の賜物か、そして、彼らがどれだけの対価を支払ったのか、それをもう一度考えて欲しいものだ。
私の言葉を否定するのなら、今すぐその大言を実行してもらいたい。
もちろん毛先ほども汚れることなく。
あなたがおこなったことを、あなたではなく私の基準で評価し、砂粒ほどの欠点を指摘できないことを示されることを期待する。
ちなみに、前段となる批判の最後に出てきた「敵に塩を送る」は、フィーネ経由の異世界から持ち込まれた言葉。
そして、アリストが使ったであろう「海千山千」はグワラニーが最初に口にして魔族経由でこの世界に広まった言葉とされるものである。
それから、もうひとつ。
実は、この戦いの後に彼らの行動にまつわる奇妙な噂が流れることになる。
こちらについてはある意味事実である。
だが、その評価は実に微妙であり、それを聞いた一方の当事者たちは爆笑し、もう一方は苦虫を盛大に齧った顔で「まったく笑えぬ話」とその噂に大クレームをつけたという記述が残されている。
まあ、そちらについては戦いのあとに語るとして、とりあえず、戦いについて語り始めよう。
もう間もなく接敵する。
ともに戦うと決まった以上、相応の取り決めが必要だ。
だが、臨時休戦中とはいえ敵であることに変わりはない。
そのためグワラニーとアリストの協議は最低限のものとなる。
「アリスト王子に尋ねる」
「魔力を垂れ流しながら近づいてきているのは五集団。魔力の大きさが推測する転移可能数を考えれば一集団あたり五百人程度。ただし、彼らは我々を狩るつもりでやってきているのであれば、半包囲で迫ってきているのは怪しいと思わざるを得ない。おそらくこちらが感知できぬ場所に転移してきた最大戦力が後方で待ち構えていると思うがどうだろうか?」
グワラニーからやってきた問いにアリストは心の中でこう呟く。
……これを自身で考えたのなら、魔術師かどうかはともかく、グワラニーは軍指揮官としての才は本物。
そして、考える。
どうすべきかと。
魔族軍に混ざって戦うのはお互いのためにならぬ。
となれば、持ち場を決めて戦うしかない。
自らの案を固めたアリストは薄く笑い、グワラニーの言葉を待つ。
そこにグワラニーからのあらたな提案がやってくる。
「数的に不利なこちらとしては、そうならぬように手立てをすべきでしょう」
「先ほど現在村全体を覆っている結界を解除して戦うと言いましたが、それを部分的なものとすれば部隊を分散させずに済む。というか、せっかく相手が分散してくれたのですから、こちらはそれを利用する手を考えるべきだと思いますがいかがでしょうか」
つまり、自軍が集中している部分だけに結界に穴を開け戦場をそこだけにすれば、分散包囲していた敵の大部分は游兵になる。
そして、包囲されている分、こちらは移動距離が短い。
好きな相手と戦える。
本来であれば五倍の敵と戦うはずが、数の差を考慮しなくて済むどころか、こちらの方が数の有利を勝ち取れる。
……悪くはない。
「……いいだろう」
アリストであれば当然やってくるべきその答えにわざとらしい笑みで応じたグワラニーはさらに自らの案を進める。
「では……」
「まだ確認できない相手は脇に置くことにして、現在確認しているのは五集団。勇者様はそのうちのいくつを引き受けてくださるのか?」
この言葉にはさすがのアリストは苦笑いするしかない
本来であれば、ひとつだって受け持つなど無理な話ではあるのだが……。
「ひとつと言いたいところだが、とりあえずふたつということで」
「では、後ろふたつをお願いします。我々は前方の三集団を迎撃しますので」
「いいだろう」
もちろん勇者側は結界の管理はアリスト、残りの四人が二回に分けて狩りをおこなう。
一方の魔族軍は、結界の開閉は魔術師長がおこなう。
続いて敵集団に対して、デルフィンが風魔法「かまいたち」をお見舞いし、残った敵をフェヘイラ率いる六百人の兵が掃討するというものとなる。
ちなみに、デルフィンが得意とする風魔法は彼女以外の者にとっては精度に問題がある攻撃魔法として知られている。
それはフィーネといえども例外ではない。
使えなくはない。
だが、完全に制御はできない。
それどころか暴走し自身にも危害が及ぶかもしれない。
それがフィーネの風魔法に対する評価となる。
アリストによれば、「風魔法は相性がいい者以外は使いこなせない」ものということである。
火や雷は除外されるという条件に風魔法の使いにくさが加われば、使用できるのは水系魔法のみ。
フィーネがそこから選択したのは氷槍。
ただし、こちらは一流の剣士であれば剣で防ぐことはできるという欠点がある。
と言っても、それは並みの術者の場合。
フィーネクラスの魔術師がその魔法を使用すれば相手のもとにやってくるのはとても防ぐことのできない数の氷の刃となる。
いわゆる飽和攻撃。
つまり、数の暴力。
もちろん、わざわざオールドスタイルの攻撃魔法ではなく、この世界のトレンドである攻撃魔法を使えば同じ水系魔法でもより効果的な攻撃はできる。
だが、フィーネがそれを使わないのは、視覚的恐怖を与えるという意図がある。
さらに、それを使用すれば自身の身を守るために生き残った魔術師は対抗魔法を使用せざるを得なくなる。
それによって相手魔術師の存在とその位置を把握できるというより大きな意味もある。
その後におこなわれるのは徹底した掃討戦。
そして、なすすべなく弱者は破れ、すべて狩られる。
相手にとっては理不尽すぎるが、これが圧倒的強者との戦い。
そして、それは戦いの現実でもある。
正義や信念、守りたいものの有無などに関係なく、強いものが勝つ。
もちろん気合いや根性ではどうにもならない。
弱者が強者に勝つためには、個々の力を帳消しにするだけの数で圧倒するか、余程の策を用意するか、相手が相当の油断かミスを繰り返すか、そうでなければ千年に一度の幸運が得られなければならないのである。
それがない者が与えられた結果を逃れる唯一の術は撤退。
だが、今回の相手は自分たちこそ強者と信じている者。
そのような選択する可能性はない。
当然、そうなれば始まる。
確定された結末へと向かうその戦いが。