呉越同舟
それから、少しだけ時間が過ぎたナニカクジャラの入口。
多くの意味で極限状態の護衛隊に囲まれた、七人から十二人へと増えて戻ってきたそのグループを眺めたフェヘイラは隣に立つアライランジアの耳元に顔を寄せてこう囁く。
「誰だ?あれは」
だが、当然聞かれた側にとっても見知った顔ではないのだから、アライランジアの答えはひとつ。
「知らん」
さらに……。
「そういうことは、私ではなく副司令官に聞け」
そう言って、視線をバイアに向ける。
当然フェヘイラの視線もそれに続くのだが、いい迷惑なのはそう振られたバイアだった。
ただし、彼の手の中にはふたりよりも遥かに多く情報がある。
たとえ顔を見たことがなくても推測はできる。
マジャーラ人とは違う顔つき。
剣士三人を含む女性を含む五人組。
捕縛された者とは思えぬ新参者の緩んだ表情。
そして、それとは対照的なウベラバの緊張しきった顔。
間違いない。
「おそらく彼らが勇者一行だろう」
「ほう」
「副司令官にひとつ尋ねる」
断言するようにそう言ったバイアに尋ねてきたのはフェヘイラだった。
「たしかに女ひとりに男四人の計五人。さらに男のうち三人が若い剣士。回ってきた勇者の手配書どおりの組み合わせだ。だが……」
「手配書には女は銀髪とある。それによって『銀髪の魔女』という名が与えられているのだから。だが、あの女は黒髪。似てはいるが違うのではないのか?」
「たしかに」
フェヘイラの言葉に同意するアライランジアの言葉を待つまでもなく、彼の指摘は正しいものである。
「銀髪の魔女ではないのは確かだ。その点については同意する。だが、実際のところ相手が勇者かどうかなどどうでもいい。強力な力を持った者たちと遭遇したものの戦闘はなし。それこそが今の我々にとって一番重要なのだ」
バイアがそう言うと、ふたりの将軍は大きく頷いた。
……まあ、マジャーラ人以外の人間と出会い、何事もなく並んでやってくる。しかも、その相手は強大な魔術師を含む。勇者以外には考えられないのですが。
納得するようふたりを眺めながらバイアは心の中でそう呟いた。
さて、思わぬ形で勇者一行と再会したグワラニーであったが、彼のもとには最終的には計三組の訪問客がやってくることになる。
つまり、このあとにもう二組客が来るということなのだが、この順番はグワラニーにとっては非常に都合のよいものとなる。
まあ、それは追々わかることなのでここでの説明は省くが、次の訪問者がやってくるまでのわずかな時間で勇者一行は空腹を満たす以上のものを口にしていた。
もちろんそれはグワラニーたちが用意した被災者用の食事。
だが、その味とは「腹に入ればすべてが同じ」程度の味覚しか持たぬ三人の年少者だけではなく、超一流の食を口にできるアリストや、魔法によって別世界の料理に舌鼓を打っているフィーネでさえ唸るくらいのものだった。
言うまでもないことなのだが、別世界の、それこそ、この世界の数十倍も豊かな場所でさえ、被災地で提供される食事というのはどこに出しても恥ずかしくない素晴らしいものと胸を張るのは難しい。
というより、被災初日から衣食住すべてが必要最低限を確保することすら難しい。
それが現実。
彼らが助けたのはほんの一部地域。
そして、倒壊した住居はあったものの、幸い救助にはそれほど時間が必要なかったこと。
瓦礫の撤去をする際に必要な重機はないが、その代わりにそれ以上に安全かつ有効に活用できるものを手にしていた。
そのような好条件はあったとしても、やってきた魔族たちが提供したものはすべてにおいてこの世界はもちろん、別世界の平均さえ遥かに超えており、大いに評価されるものといえるだろう。
その中でも食事は素晴らしいものだった。
これはグワラニーが多くの場所で密かに呟いているあることに由来している。
衣食住と言われるが、必要性で並べるのなら食住衣なのだ。
そして、すばらしい食事がモチベーションの維持と向上に多いに貢献するのは、多くのところで証明されている。
もちろんグワラニーにそのような意図があったとしても、実際に彼がそれをつくるわけではない。
というか、グワラニーにはそのようなスキルはない。
つまり、そのようなことができる者がいなければ、グワラニーの言葉は机上の空論、この世界にも浸透し始めた言葉を使えば絵に描いた餅、ではなく、絵に描いたパン。
そういうことを考えれば、のちに「庶民が手にすることができる材料で宮廷料理をつくる食の魔術師」という称号を得ることになるだけではなく、このころにはすでに得ていた「国母」という称号とは別に、「我が軍にとって唯一代わりがいない存在」と兵たちから司令官であるグワラニー以上の評価を受けるアリシアの存在は非常に大きかったといえるだろう。
まあ、そういうことで、グワラニー軍所属の将兵が毎日堪能し、被災した者たちも思いがけず味わうことになった絶品料理をご相伴できた勇者一行。
そして、その食事をさらに堪能しながらグワラニーとアリストの舌戦第二幕が開かれると思われたのだが、そうはならなかった。
そう。
現れたのである。
次の訪問者が。
もちろんアリスト、フィーネもそれに気づく。
そして、彼らと同じ上級魔術師であるデルフィンとその祖父も。
「……グワラニー様。数集団にわかれた何者かが接近しています。今度は前方から」
「……そのようですね」
顔を真っ赤にしながら耳元で呟くデルフィンの言葉にグワラニーは顔色を変えずにそう応える。
もちろんその情報は初めて聞くものである。
だが、あたかも自身もそれを感じ取ったかのような言葉。
それはもちろん演技。
そして、それはすぐ近くにいるアリストに対するもの。
何事もなうようにグワラニーは言葉を続ける。
「それで、あなたはそれをどう判断しますか?副魔術師長」
「マジャーラ軍だと」
「なるほど」
「魔術師長の意見は?」
「デルフィンと同じだ」
「承知しました」
そこまで言ったところで、グワラニーは立ち上がり、少しだけ離れたところでスープを飲むアリストたちのもとに近づく。
「これから歓談というところだったのですが、少々邪魔が入ったようです」
「それは知っている。それで相手は誰だと?」
「おそらくマジャーラ軍」
「一応、我々は救援要請がありここに来ただけと説明し、村の代表にもそのように説明をしてもらうつもりですが……」
「話がつかなかった場合は戦闘にならざるを得ません」
「もし、巻き込まれたくないということであれば、速やかな退避してもらうことになります」
「いかがいたしますか?」
「少しだけ時間をもらおうか」
仲間と相談してから返答するという自身の言葉に頷き、グワラニーが離れていくと、アリストはすぐさま続く言葉を紡いだ。
「……さて……」
「グワラニー氏からのありがたい申し出について皆さんの意見を聞きましょうか?」
「ちなみに彼の言葉にはマジャーラとの戦闘が始まったところで背を撃つのだけは遠慮してもらうという意味が含まれています」
「つまり、戦闘が始まる前に消えろ。残るのであれば一緒に戦え。その二者択一」
「まあ、常識的には前者を選ばざるを得ないでしょうね。勇者が魔族軍の最強部隊と共に人間と戦うなど冗談でも出来が悪すぎですから」
「まったくそのとおり。誰が魔族などと一緒に戦えるか」
アリストの説明を聞いたファーブは即座にそう答えた。
「と言いたいところだが、そうなると、俺たちはただの食い逃げとなる。つまり、アリストと同類になってしまう」
「ああ。これだけ飲み食いして敵が来たら消えるなど恥ずかしくて勇者などと名乗れない。ファーブが」
「しかも、見た目通りなら、今回に限り奴らは悪ではない。どちらかに手を貸すなら奴らだろうな」
「それに、アリストが魔族軍最強と言う奴らの戦いをこの目で見たい。ただの魔法で薙ぎ払うだけの輩かどうか。ついでにいえば……」
「『フランベーニュの英雄』を斬り倒したタルファとやらの剣技を見ることもできる」
兄が弟の言葉を引き継いで締める。
そう。
三人は、魔族とともに戦うことを望んだということである。
心の中で「これぞ食べ物の威力」と呟いたアリストは最後のひとりを眺める。
三人が是と言っても、フィーネが否と言えば、否となる。
アリストの興味深そうな視線の先にいるその相手だが、彼女はすでに歩く方向を決定していた。
参戦。
そもそも彼女は世界平和だの他人の幸福のためではなく、自己の利益のために勇者一行に参加していると公言している。
そして、前回はやむを得ず逃したが、再びやってきたグワラニーとの会話する機会。
この機会を逃すなど彼女にとってあり得ない話だった。
そのためには邪魔なマジャーラを排除するのは当然のことといえるだろう。
フィーネが口を開く。
「もちろんアリストのような恥ずかしい行為をおこないたくないから魔族とともに迎撃に一票ですね」
「ですがフィーネ……」
「ここに残った場合の問題点は考えましたか?」
「もちろん」
アリストからやってきた言葉に対し、明快に答えたフィーネは続けてアリストの言いたいことを示す。
「相手の戦力分析ができる代わりにこちらについても同じことがおこなわれる。それから、勇者が魔族と共に戦ったという事実でしょう」
「ですが、私に言わせればたいしたことではないですね。両方とも」
まずアリストが懸念材料としてものを指摘したフィーネは返す刀で瞬殺した。
「そんなものはいくらでも取り繕えます。それに戦いが始まる前にこの場を離れてしまっては、逃げたと後ろ指を差されます。この村の住人に」
アリストはわざとらしくため息をつく。
そして、口を開く。
「もちろん戦いが起こらないのに越したことがないわけですが、これまでのマジャーラの行動を考えれば難しいでしょうね」
「それが村長の言葉であっても?」
「おそらく。そして、彼らなら我々だけではなくこの村の住民も裏切り者として始末するくらいのことはやりかねないでしょう。なにしろ部外者をこの地に引き入れてしまったのですから」
「では、決まりですね」
実を言えば、アリストやフィーネを含めて戦い自体はそう難しいものではないと感じていた。
つまり、巨大火球で一撃、打ち漏らした僅かな者を剣士が叩くという彼らがいつもおこなっているやり方でカタはつく。
だが、この後すぐに彼ら勇者チームにとって想定外の事態がやってくる。
もちろんアリストもフィーネもそれに気づく。
魔族たちは魔法ではなく剣で戦う準備をしているのだ。
「……表面上は自分たちの力を隠そうとしていると思えますが、実際のところ、私たちはすでに彼らの戦力をほぼ把握しているのですから、いまさらそんなことをする必要はありません。なによりも、剣を使うとなれば、多少なりとも損害が出ます。こんなところで戦力を減らすのはあの男の戦い方とは少々違います」
「……ということは、別の理由があるということになります」
「本人に聞いてみましょう」
アリストは立ち上がり、そして、各将に指示を出すグワラニーに近づき口を開く。
「アルディーシャ・グワラニー。折角配慮してもらったが、同行者たちは食べるだけ食べて逃げ出すのは性に合わぬそうだ。ということで……」
「私たちもここに残ることにする」
「……そういうことで、不本意ながら共に戦うことになるわけなのだが……」
「準備の様子を見ているかぎり、剣を使って迎撃するように見えるが、なぜ魔法を使わない?」
当然といえば、当然の問い。
そして、それはそっくりフィーネから出された宿題の答えでもある。
その問いにグワラニーは苦笑いで応じる。
「もしかして、魔法の出し惜しみをしているのでないかと思っているのですか?」
まあ、こちらについても当然といえば、当然の反応である。
もちろん、ここでは言葉を濁す必要がないため、アリストは事実を伝える。
「率直に言えばそうなる」
グワラニーは薄く笑みを浮かべ、そして口を開く。
「すでに我々の力を把握している相手に隠すものなど何もない」
「そもそも魔法を使って簡単にケリがつく戦いで剣を振るうなどありえぬ話でしょう」
「つまり……」
「使いたくても使えないのですよ。大規模な攻撃魔法は」
もちろんこの答えはアリストも予測していたものではある。
そして、それに続くのはその理由となる。
「私もここに来て初めて知ったのですが……」
「この山は、燃える石でできているとのこと」
「燃える石?」
「そう」
「つまり、あなたがたがプロエルメルで我が同胞十万を灰にしたような魔法を使った場合、燃える石に引火し、この山ごと灰になりかねないのです。ですから、火、それから同じことが起きかねない雷は使えない」
「となれば残りは氷や風の魔法。ですが、そちらでは精度と強度両方に難がある。少なくても一網打尽というわけにはいかない。まあ、うまくやる方法はありますが、それでも完璧ではない」
「そういうことで、今回は剣を選択したのです。権限がないことを承知で言わせてもらえば、こちらの配慮を無にするような火災が起きそうな巨大魔法の使用は遠慮願いたいものです」
「まずは結界の魔法によって侵入を防いだ状態によって相手と交渉することになります。そこで話がつけばいいのですが、交渉決裂となった場合は、結界を解いて戦いとなります」
「ここは水を手に入れるための井戸がない。包囲しているだけで相手は倒れることを知っている相手はそう簡単に妥協しないと思われますので」
「すべて承知した」
そして、ふたりのその会話が終わってすぐ。
苦笑いを浮かべたアリストを四人の仲間は迎える。
「それで、魔族はなんと言っていましたか?」
代表してフィーネにそう問われると、男の笑みはさらに深みも増す。
そして、人差し指を下に向ける。
「この下は燃える石だそうです」
アリストの言葉はそれだけだった。
だが、アリストの言葉を聞く者にとって十分なものだった。
特にフィーネは。
「……どの程度の火があれば石炭が燃え始めるのかよくわかりませんが、一度ついてしまえばその後どうなるかは想像できます」
……つまり、火薬庫の上にいるようなものということですか。
……もっとも、火薬がないこの世界でこの状況を表現するのなら、油の中にいるということになるのでしょうか。
「……とにかく、巨大な火球はこれで使用不能ということになりました。……となれば、風か氷」
「……氷でしょうね、やはり。ですが、いつものようにはいかないことは間違いないでしょう。となれば、私も剣を振るう場面が出てきそうですね」
「お願いします」
「では、共通の敵を片付けることにしましょうか。不本意ではありますが……」