もうひとつの邂逅 Ⅴ
その日の夕方。
いくつかの有意義な成果を手にしたその会議がおこなわれていた同じ部屋には四つの影があった。
もちろんそのふたつは、グワラニーと側近のバイアのものであったが、残りふたつが誰のものかといえば、もちろん……。
これは私事であり、今後の公務に影響が出ないようにしなければならない。
それに、これ以上先延ばししてもいいことはひとつもない。
だから、今日中にケリをつける。
グワラニーのその判断は正しい。
だが、それでもやはり気が重い。
「では、グワラニー殿。先ほどの続きを始めようか」
そこに残っていたひとりである老人の言葉にグラワニーの腹はキリキリと痛む。
……これでは手をつけた女の親に責任を取れと詰め寄られているようではないか。
……この世界のすべての神に誓って私は断じてそのようなことはしていない。
……というか、そもそも私はこの娘と今日初めて会ったのだ。
……娘のほうはどこかで私を見かけたようだが、少なくても私は知らない。
……それなのに、なぜこんな思いをしなければならないのだ。
……全くもって理不尽だ。
「グワラニー様。この件に関しては部外者である私は席を外したほうがよろしいようですね」
グワラニーの気持ちを察して、いや、その雰囲気に自分自身が耐えられなくなったバイアは「日頃の冷徹さはどこにいったのか」と大声で苦言を呈されても言い逃れができない実に見苦しい言い訳を口にして逃亡を図る。
そして、当然こちらはこちらで……。
……こんな時に気を遣うな。
……というか、逃げるな。
……私はそんなこと絶対に認めんぞ。
……こういうときにこそ力を貸せ。
先ほど「これが私事である」と胸を張って宣言した同一人物とは思えぬ情けないことを心の中で呟く。
そして、その恥ずかしいセリフを実際に口にしようとしたときだった。
ありがたいことに当事者の代わりにその言葉を口にした者がいた。
「いや。構わん。というか、最側近である貴殿にも聞いてもらいたい。バイア殿」
このひとことでその男の小さな悪事は未然に防がれ、ふたり仲良く教師に説教される生徒よろしく項垂れることになる。
……これはもう逃げられん。腹を括り、ロリコンの汚名を甘受するしかない。
……こうなったからにはグワラニー様には我々の未来のために犠牲になっていただくしかないようです。
……娘の誰かと結婚してもらうつもりであったが、この際仕方がない。
立場に違いがあるため、必然的に起こる表現の違いはあるものの、ふたりはうつむきながら同じ結末を想像していた。
だが、老人が口にし始めたのは、それとは微妙に、いや、大幅に違うものだった。
「まず言っておけば、これのグワラニー殿に対する思いは偽りではない。だが……」
「だが?」
「言ってしまえば、それは男女の色恋沙汰。形式的なものはともかく実質的なことは当事者同士で時間をかけ解決すればよい」
「……もっともです」
老人の言葉を自らに都合のよいように解釈し嬉しそうに大きく、そして何度も頷きながらその言葉を口にしたグワラニーの隣で、同じく足止めを食らった男が老人に尋ねる。
「では、なぜ?」
「もちろん人払いの口実だ」
「人払い?理由は……」
あまりにも意外な展開に動揺したその男は、らしくもなく当然すぎることを尋ねる。
だが、老人は笑いもせず律儀に正解を口にする。
「これから話すことを知られたくないからだ」
そう言ってから、いつも以上に険しい顔に変わった老人は語り始めた。
「まず、問おう。ふたりは先日目の当たりにした魔術師の真の力を知って何か不思議に感じたところはないか?」
老人に言われるまでもなく、もちろんふたりにあの時からずっと抱いていたある違和感があった。
「なぜ我が国の王都を一撃で消し去るくらいのその強大な魔法を使って戦わないのか?」
「……そのとおりだ。さすがだな」
老人はふたりが口にした答えに満足するように頷く。
「では、その理由をどのように推察するかな」
「考えられるのは、諸国の支配者たちがその力を知れば、我々魔族との闘いの武器として使う」
「そうだな。今でさえ勇者の武勇と名声に頼っているのだから、とんでもない力を持った魔術師がいれば、戦線が膠着するたびに呼び出されることになるだろうな。それどころか自陣の前衛として使おうとするかもしれん。そして、一番辛い労働を勇者一行に担わせ、実った果実は自分たちが手に入れる。人間の為政者どもにお似合いの姿だ。そのあとは?」
「どの国の権力者も我々との闘いに勝利した後の覇権を握るために究極の力を持つその魔術師を取り込もうとする。そして、それが叶わぬときはその力が他の勢力に流れぬようにこの世からの退場を願う」
側近に続いて答えたグワラニーの言葉に大きく頷いた老人は自らも辿り着いていたそれを肯定する。
「ほぼ間違いなくその言葉どおりになるだろうな」
「ということは、勇者が自分たちは冒険者なのでどこの国にも与しないというのは……」
「勇者のものと言いながら、実はその魔術師の口から出た言葉だろう」
「では、魔法をほぼ防御魔法だけに限定しているのは、その力が露見しないようにということなのですか?」
「半分は」
「半分?」
「つまり、それはあくまで身内である人間に対してのものだ。そして、当然残り半分とは敵である我々対してのもの」
「手の内を隠すということですか?将来の決定的な場面のために」
「私のような者があれだけの術式をいくつも同時に使用する様を見ればおおよその力がわかるのだからそうであればそれはすでに露見してことになる。だが、逆にそのような形で見せることによってある種の警告にはなる。私はそちらの方が可能性は高いと考える」
つまり、敵対者の多くがそのおぞましき兵器を持ち、報復の恐怖で使いたくても使えず、ただ相手にも使用させない抑止力としてのみそれが存在するという、こことは別の世界の現実。
だが、それはそのような世界に暮らした経験がなければそう簡単には出てこない発想ともいえる。
グワラニーは隣に座る側近のために口を開く。
「かの魔術師は我々の側にも国を滅ぼしかねない忌まわしき力を持つ者がいるかもしれないと考えている。そして、その力は一度使い始めると報復が報復を生み歯止めが利かなくなることも知っている。そのため、その究極の魔法を使わず別の方法でその力を示すことによって相手の自重を促しているということなのですか?」
グワラニーが老人への問いという形で口にしたものは多くの部分を省く非常に簡潔なものだった。
だが、グワラニーに劣らず驚くべき明敏さを持つその男は自らが持つすべての知識を動員してそれを補う。
それほど時間を要することなくすべてを理解した男はすぐにグワラニーが待つ出口まで辿りついたものの、それと同時に出口の先にある大きな問題にも気づく。
男が強い苦みを含んだ表情で口を開く。
「……そういうことであればどれほどの力があろうとも簡単には使用できません。ですが……」
「こちらがそれを持っていないことにかの魔術師が気づいたらどうなるのでしょうか?」
もちろんすでにその問題に気づいていたグワラニーがそれに答える。
知りたくもなかったその理由を無意識に解き明かしてしまったことに気づき、まさにパンドラの箱を開けてしまったときのような表情で。
「……必要があれば躊躇なく使うだろうな」
「……いや」
明るさなど微塵も感じない未来がふたりの心に過ったその時、救いを与えるかのように会話に割って入る者が現れる。
「実を言えば、その心配は不要なものだ。なぜならその前提となる力がこちら側にもあるのだから」
「……つまり、師はあの魔術師と対抗できると?」
藁にも縋る思い。
呻くように口にした自らの言葉に応えた老人のそれに息を飲み、それからその言葉をようやく絞り出したときの彼らの心情を表すのならこれ以外に適切な言葉はないだろう。
だが、それを振り払うかのように老人はかぶりを振る。
「残念ながら、私はあの男の足元程度の力しかない」
「では……」
「……その力があるのはこれだ」
これ。
もちろんそれはその場にいるもうひとりの魔術師である。
「デルフィン嬢?ですが、先ほど……」
「だから、聞かせたくない話だと言っただろう。本当のことを言えば、これはとんでもない逸材だ。これの力をハッキリ言ってしまえば、これまでこの国に存在したすべての魔術師の最高峰であり、あのバケモノに対抗できる唯一の存在だと言っても過言ではない」
「では……」
と言ったところで側近の男の言葉は止まる。
もちろんバイアは自らが先ほど口にしたことを思い出したのだ。
当然のように老人は頷く。
「そういうことだ。これの才能があきらかになれば戦況打開のために王は必ず戦場へ引きずり出す。そして、それを使用するよう強要する。当然だろう。それ以外に我が国を勝利に導く手がないのだから。だが、グワラニー殿はそうではない。これの能力に頼らず勇者と渡り合う算段をしていた。しかも、絶対ではないものの勝つ可能性まで見出している。だから、あきらかにした。そして、言うまでもないことだが、ここまで話したからにはグワラニー殿には孫を守るためそれなりの責任を取っていただく。それがこれを妻にせよと要求した意味だ。理解してもらえたかな」
「それで、その答えは?」
「承知しました。その申し出を受けさせていただきます」
もちろんグワラニーの女性の好みが突如変わったわけではない。
といって、老人の脅しに屈したというわけでもない。
グワラニーの承諾。
それは、つまり損得勘定の結果。
簡単にいえばそうなる。
……渇望していたあれを手に入れたときの奴らの気持ちがわかるな。
グワラニーは無意識にこの世界とは無縁な幾人かの顔を思い出していた。
……これですべてを一瞬で消滅させる究極の魔法を一方的に撃たれ、なすすべなくこの世から消える心配が減った。
……だが、手に入れたものを有効に機能させるためには、まずあの魔法使いにこちらの手札を晒す必要がある。
……もちろん、私自身が王や将軍たちの道具に成り下がることを避けるため、こちらから相手に究極の一品を提供するわけにはいかない。
……それに見合だけの力を持つ別のもの。できれば、かの魔術師本人だけがそうであると理解できるようなものがよい。
……それはいったいどのような魔法がいいのか。
思案し始めたところでグワラニーは自らに大きく欠けているものがあることに気づく。
……この世界における魔法の知識。
……単なる文官だったこれまではそれでもよかったのだが、戦場を舞台とするこれからはそうはいかない。魔法の知識は絶対に必要となる。
……そして、それは虚実混交ではなく、すべてが真実であることが重要だ。
グワラニーが口を開く。
「おふたりに少々お願いがあります」