三人の美女の微妙な諍い
勇者と大海賊の世紀の一戦が起こりかけた翌日。
セリフォスカストリツァを一望できる丘に建つアグリニオン国の政策決定機関、通称「ウーノラス」の一室。
そこには三人の美しい女性とひとりの美形男性という、非常に魅惑的な見た目と、それとは対極ともいえる寒々しいオーラを漂わせた男女がテーブルを囲んでいた。
ひとりはこの建物の主ともいえるアドニア・カラブリタで、唯一の男性はこの国の非公式の客人であるアリスト・ブリターニャであるのだがら、このふたりについては、とりあえず何があろうが許容範囲ではある。
では、その外にある残りふたりの女性が誰かと言えば……。
八大海賊のなかで最も好戦的とされる「麗しき大海賊」、同じ大海賊曰く、「理不尽な大海賊」の長ジェセリア・ユラ。
そして、もうひとりは、前日の夜には私用により姿がなかったものの、魔族兵の天敵「銀髪の魔女」ことフィーネ・デ・フィラリオである。
ちなみに、この時点におけるひとつの戦いにおける個人スコアの一位は、クペル草原会戦で四十万のフランベーニュ軍を消し炭にしたデルフィン・コルペリーア。
さらに、彼女はクアムートでも第三位のスコアとなるものを叩きだしている。
そして、彼女のスコアの間に割り込み第二位の個人スコアを持っているのが先日魔族十万を葬ったフィーネとなる。
さて、少しだけ横道に逸れたが、現在の微妙な雰囲気をつくっているのが誰かと言えば、言うまでユラとフィーネということになるわけなのだが、その微妙な、というより険悪な雰囲気を破り、言葉を口にしたのは八人の大海賊の長、そのなかで唯一の女性だった。
「アリスト王子。もう一度尋ねます」
「つまり、あなたが海に出られないのはこの生意気な小娘が反対したからということで間違いないのですか?」
その女性ジェセリア・ユラの言葉は正しい。
そう。
これより少し前、アリストはユラの誘いを正式に断った。
海賊稼業はできないと。
そして、同行者、つまりフィーネが反対したことをその理由として挙げた。
もちろん本当の理由はそれとは違うのだが、アリストとしてはそれが一番穏便にことを収まられると判断したのだ。
だが、事態はアリストの思惑とまったく違う方向へ動きだす。
なぜかユラが激高し始めたのだ。
そう。
実を言えば、彼女はアリストを気に入っていた。
恋愛対象として。
これは驚くべきことだった。
もちろんアリストは一国の王子という申し分な肩書であり、さらに見かけもいい。
他の国の貴族の令嬢たちと同様その肩書と外見だけでユラがコロリとなっても不思議ではない。
そうなれば、せっかく掴んだチャンス。
ここで、より関係を深くしようとするのは自然の成り行きのような気もする。
だが……。
ブリターニャ王子と大海賊のひとりという身分の違いを除いても、やはりそれは驚くべきことと言わざるを得ない。
まず、ジェセリア・ユラはアリストより年長であること。
彼女自身、自らが何歳かを公言したことはないが、多くの記録から間違いなく三十歳は超えており、さらにその歳は四十歳に迫っている可能性も十分にある。
もちろんこれは男女の好みの問題でもあるのだから、年齢だけで恋愛対象から外れるというわけでなく、アリストが王位を継ぐことはなく、自身の継承者の心配をする必要がないとなればなおさらそうなる。
ついでに言えば、子孫を残すことが重要な仕事であるこの世界の王族や貴族は愛人を持つことを半ば義務化されていたので、どのポジションになるかは別にすれば彼女がアリストの妻の位置を射止めることについてはありえない事態とはいえなかった。
つまり、あり合えない事態、かつ驚くべき事態というのは、実はユラ側にあった。
もう少しハッキリ言えば、彼女のこれまでの好みから考えれば、アリストは完全に守備範囲外だったのである。
それまでこの世界の成人と認められる十五歳に満たない少年たちを侍らせていた彼女が一応年少ではあるが、大人の男に興味を持った。
つまり、アリストを見て突如ノーマルな恋愛感情が芽生えたのである。
だが、せっかく芽生えた恋のチャンスを目の前にいる、見てくれだけの小生意気な娘が邪魔をする。
常に自分の思い通りに物事を進めていたユラが怒り狂うのは当然といえば当然であろう。
しかし、彼女は多くの経験を積んでいる大人。
感情をそのままぶちまけただけではことが成就しないことを知っている。
そこで、咳払いをして仕切り直しをしてすべてをリセットし、それからアリストとフィーネを交互に眺めながらその理由を口にし始める。
曰く、この程度の女の言いなりになって自身の才と時間を無駄にするのか。
さらに、もっといい女、つまりユラ本人であるが、とにかくその女よりいい女をあてがってやるから、こんな女などさっさと従者にくれてやれと宣わった。
もちろん今度はフィーネが爆発し、こちらはあることないこと、いや、ないことないことをぶちまけ、カオス状態に突入する。
最初は適当なことを言いながらふたりのやりとりをただ眺めていたアリストだったが、さすがにこうなっては、放置はできない。
急遽つくり上げた「彼女はさる貴族のご令嬢で、諸事情によりお預かりしている。彼女を連れて海に行くわけにはいかないが、さりとて放り出すというわけにもいかない辛い立場を理解していただきたい」という見事な嘘話を披露したところが、現状となっている。
そして、フィーネを忌々しそうに睨みつけながら口にしたユラの更なる問いにアリストは「そうなります」と言い頷く。
さらに言葉を加えようとしたアリストを制したのはもう一方の当事者であるフィーネだった。
「あなたに尋ねます。なぜ、そこまでアリストを海賊にしたいのですか?」
「……言うまでもないこと」
フィーネからの問いにユラは毅然としてそう答えた。
「あなたにはわからないでしょうが、アリスト王子には多くの才がある」
「たとえば、その才に対してまったく不釣り合いなものではありますが、ブリターニャの王になるというのならまだいいでしょう」
「ですが、アリスト王子はその地位さえ与えられないようではありませんか。では、王になれなかったアリスト王子はどうなる?」
「役にも立たない肩書を与えられて田舎暮らしを押し付けられることになるでしょう」
「そうであれば、その才にふさわしいだけのものを得られる場所に行くべきだ。私はそう言っているのです」
もちろんこの時点で恋愛アンテナが特別敏感なフィーネは完全に気づいている。
ここはもう少し揶揄ってやるのも一興だと思ったフィーネだったが、彼女にとって放置できないものがユラの言葉には含まれていた。
当然、フィーネの毒舌が向かう先はそちらとなる。
「あなたは言いたいことはわかりました。ですが、そこでなぜ私は下品で馬鹿で幼稚なアリストの従者ごときに払下げされなければならないのですか?」
護衛として同行し今は建物の外にいるファーブたちが聞いたら顔を真っ赤にして怒り出す単語がずらりと並ぶものの、フィーネとしては当然の問いである。
だが、これはユラ及びカラブリタの頭の中にあるフィーネの立場というものを考えれば、これまた当然のことである。
なにしろ、彼女たちを含めて大部分の者にとっては、フィーネは見た目だけが取り柄のアリストの愛人。
つまり、ユラにとってフィーネはアリストの行動を縛る枷でしかない。
さらに、目障りな女をさっさと追い出せば、自らの願望成就がうまくいく。
だが、それはあくまで一方だけの見方。
しかも、その大部分は間違っている。
「なるほど」
当然のようにやってきたユラの言葉のすべてを聞き終えたフィーネはそう言うと黒い笑みを浮かべる。
「アリスト。その無礼なおばさんの前に燭台を置いてください」
そう言って、火のついていない蝋燭が立つ燭台をユラの前に置かせる。
「何をするのですか?」
「私がアリストと同行する理由を見せるだけです」
そう言って指を鳴らす。
蝋燭には火が灯るわけなのだが、それを見たふたりの女性の感想は大きく違っていた。
もちろんこれが魔法によるもので、フィーネが魔法を扱えることを理解したのは両者とも同じである。
だが、アドニアは蝋燭に火を灯す程度の魔力しかないものと心の中で笑ったのに対し、より魔法に対する知識があるユラは驚きフィーネに対する認識を改める。
依り代である杖なしで魔法を発動できる。
さらに、杖を使わず、実は繊細な技術を要する蝋燭に火を灯す芸を披露した。
……技術は相当高いということですか。
そう。
フィーネが披露したこれは魔術師の技術を見るもの。
もちろん蝋燭に火を灯すのに必要な魔力はほんの僅かである。
だが、その魔法の加減を間違うと芯だけではなく蝋燭本体も影響を受け、蝋燭が溶けることになるのだ。
つまり、一点だけに魔法発動させる技術が必要となるのだ。
簡単そうではあるが、実は非常に難しい。
それを杖なしどころか、その代わりになるはずの指先さえ蝋燭を向けることなくやってのけたのだ。
……つまり、彼女は単なる愛人ではなく護衛。
……ですが、昨晩彼女はあの場にいなかったということは、魔術師がいなくても問題ないということだ。
……もちろん剣はあの三人で十分だが、魔法に関してアリスト王子自身が対応できるということを示している。
……ということは、やはりこの小娘は不要。
一方のアリストであるが、目の前の女性が微妙に真実を含んでいるものの、その多くは自分の都合の良いように事象を解釈しているなどとは夢にも思わない。
……どうやらひとりはフィーネの実力を理解したようですね。
……まあ、彼女自身多くの魔術師を抱えているわけですから当然といえば当然なのですが。
……まあ、これでなんとかなりましたね。
安堵する。
もちろん、そうは問屋が卸さない。
その直後、それはやってくる。
「あなたがアリスト王子に不要な人物とは言い切れないということはわかりました。ですが、なぜあなたが海に出ることに反対し、あなたの意見がアリスト王子の動向を決めることになるのかは聞いていません」
ユラの問いに、少しだけ驚きながらアリストは心の中でそう呟き、諸悪の根源が自らにあることに気づかぬまま楽しそうにフィーネの言葉を待つ。
だが、簡単にはやってこないと思われたその言葉は意外に早くアリストの耳にやってくる。
……朴念仁のアリストが。
心の中でこの世界に存在しない言葉を呟くと、わざとらしく大きくため息をついた後に口を開いたフィーネはこう切り出したのだ。
「まあ、そう難しいことではないのですが……」
もちろん続きの言葉は途切れることなくやってくる。
「……海に興味がない。より正しく言うのなら、海よりも陸上のほうが現在の私にとって興味のあるものがある。それが海に出ない理由でしょうか」
「そして、私が今一番興味を持っているものにアリストも興味がある。先ほどは私のわがままで海に出られないなどと失礼なことを言っていましたが、あれは大嘘で、アリスト自身にとっても最も興味のあるもの。それが陸上にあるから彼は海に行かない。それだけのことのです」
「では、ついでに伺いましょう」
「その興味の対象とは?」
「もちろん『フランベーニュの英雄』の軍を粉砕した魔族の将です」
「当然あなたも、そちらの女性も情報は手に入れているでしょうが、先日『フランベーニュの英雄』アポロン・ボナール将軍と彼が率いる四十万人の軍は戦場に消えました。しかも、その戦いの前にはマンジューク銀山を目指して進んでいたフランベーニュ軍とアリターナ軍が渓谷内から魔族軍によって叩き出されました。そして、ここが重要なのですが、その戦いを指揮したのは同一の者」
「いずれその軍と戦うことになるブリターニャの王族としては異才の極みのようなその魔族の将に興味を持ち、彼について多くの情報を手に入れようとするのは当然ではないでしょうか」
「まあ、ブリターニャが魔族軍に敗れ、逃げなければならない事態になった時にはあなたのお世話になるかもしれませんが、王族の一員としてアリストは逃げ出すわけにはいかない。今のところは海に出る予定とはそういうことです」
「それから……」
「おふたりは私がアリストの愛人かそれに類する何かと思っているようですが、私はアリストの監視役です。そもそもアリストなど私の趣味ではありません。ですから、あなたがたが恋愛対象としてアリストを見ているなら私に気にすることなくいくらでもアプローチしてくださって結構です」
「ただし、アリストは王族とは思えないくらいに金に汚い本当にろくでもない人間であることは申し添えておきます」
……お見事。
一気にまくし立てたフィーネの言葉を聞き終えたアリストは呟く。
……まあ、最後の言葉がひどすぎますが。
アリストは薄く笑った。
さて、ユラとフィーネの諍いが一段落したところで、口を開いたのは、それまで聞き役に回っていたアドニア・カラブリタだった。
もちろんターゲットは当初の予定通りアリストである。
アリストに視線を固定したアドニアが口を開く。
「せっかくの機会ですから、私もアリスト王子にいくつかお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんですとも」
「ありがとうございます。では……」
そこから、アドニアが問うたのはもちろんこの世界にないはずのものについて。
もちろん厚いオブラートに包まれたものであったが、核になるものははっきりしていた。
アリストは本当の当事者であるフィーネに視線をやる。
だが、彼女は視線と右手によって回答役をアリストに押し付ける。
先ほどは助けてやったのだ。
これくらいのことは自分でなんとかしろと言わんばかりに。
心の中で盛大にため息をついたアリストがそれについて説明するわけなのだが、もちろんそれはチェルトーザに対して説明したものと同じ。
だから、アドニアの感想はこうなる。
すでにチェルトーザから情報を手に入れていたアドニアがその呟きに続き、次なる問いに進もうとしたその時、強引に割り込んできた言葉があった。
もちろんユラである。
彼女は同じく大海賊のひとりワイバーン経由で「セイシュ」なる酒の存在は知っていたものの、「口の中で蕩ける焼いた牛の肉」は初めて聞くものであった。
だが、彼女がさらに興味を持ったのはブリターニャの女性たちが夢中になっている「アサテイ」なる「美容と健康の良い」という触れ込みの食べ物だった。
ユラは更なる問いを口にしたものの、実際のところ、「アサテイ」の詳細をよく知らないアリストは困り顔をして助けを求めるようにフィーネに視線を送ると、「仕方がありません」と呟き、彼女はそれを食した者の代表としてそれに答える。
事実と虚偽を混ぜ合わせにしながら。
もちろんフィーネはそれを口にしながら話を聞き入るふたりの女性の表情を確認する。
……大海賊様の方は純粋に美容に良い食事に興味があるだけのようですね。
……ですが、もうひとりはその料理より名前に興味があるようでした。
……つまり、怪しいのはこちら。
……まあ、今回は深くまで掘り下げませんが。
……それにしても……。
……歳も身分も肩書も考えずアリストに迫るこのおばさん海賊もたいがいですね。
……いずれ、ラフギールに来ることになるでしょうが、その時あのブラコン王女と顔を合わせたらどうなるのか。これはちょっとした見ものでしょう。
音のない言葉を口にした恋愛マスターはその明るい未来図を想像してニヤリと笑った。
一方、ユラの予定外の乱入によって追及を断念せざるを得なくなったアドニアであったが、彼女は彼女でそれなりの収穫に満足していた。
……ユラの問いに対する返答の仕方から考えれば、アリスト王子よりも怪しいのは愛人の周辺。
……案外この愛人こそが向こうからの訪問者かもしれません。
……ですが、そうやって眺めてみると、そうでもない要素が多すぎるのも事実。
……そうなると、彼女の言うとおり、その料理人とやらが本命か。
多くの事実を掴みながらフィーネ本人を来訪者の本命とできなかった理由。
それは、その事実そのものだった。
たとえば、アドニア本人であれば、こちらに持ち込めたのは知識と経験。
だが、ブリターニャの出来事は知識だけでは起こり得ない事柄。
だから、紙の件も考え合わせて、その方法まではわからぬものの、こちらとあちらを行き来している者がいるはずだとアドニアは考えた。
だが、その行き来しているのがアリストなり、この愛人なりだとした場合、どうも持ち物が貧相だし、なによりも持ち込んでいるものに偏りがある。
たとえば、武器。
それを向こうから持ち込みをすれば、戦局なり普段の戦いなりがもっと有利に動かせるはず。
そうでなくても、それなりの物を持ち込めば、ブリターニャは今よりも遥かに豊かにになるはず。
だが、ブリターニャの国民はもとより王室でさえそのようには見えない。
……まあ、この件は簡単にケリがつくものでもありませんし、ケリをつける必要があるものでもありませんから、今回はこの辺で切り上げますしょう。
……アリスト王子たちはこの国にいれば、また話をする機会があるでしょう。
……ユラはまもなく海に戻りますので、彼女が消えてから続きはゆっくりとやればいいわけですから。