もうひとつの邂逅 Ⅳ
そして、その日の午後。
グワラニーたちふたりが秘めた思いを抱きつつ、新しく魔術師長に就いた老人を含めておこなう初めての会議。
そこでふたりの魔族は彼らが想定どころか欠片ほども想像していなかった予想外の事態に直面する。
少女。
そこに出席したほぼ全員の視線が集まった彼女こそ、その想定外のものとなる。
老人の隣に座るということは当然関係者であろう。
あきらかな人間種。
見た目は人間でいえば十代前半でどう見てもそれより上ではない。
つまり、小学校高学年レベル。
顔は標準よりもかなり上で、見た目年齢を考慮すれば、かわいいという表現が適当である。
典型的な幼児体形。
……まあ、私の守備範囲とは違う。大幅に。
グワラニーは断りもなく少女を好き勝手に値踏みをしただけで終わらせたが、もちろんその場にいる全員が彼と同じく寛容というわけではない。
「コルペリーア師」
冷気を含んだ言葉を口にしたのは側近の男だった。
「ここは幹部のみが集まる場。どのようなつもりで連れてきたのかは知りませんが、部外者の出席はご遠慮願いたい」
本人を怒鳴りつけるのではなく、その保護者に声をかけたのはその男なりの配慮であった。
だが、表面上はもちろん、言外の厚意もまったく意に返さぬ老人は涼しい顔で答える。
「もちろんここが幹部のみが集まる場ということは知っている。だから、これを連れてきた」
「どういうことでしょうか?」
老人の言葉に相手はさらに冷気を纏わせた言葉を吐きだすが、老人の言葉はさらにそれの上をいく。
「これは私の知るこの国で二番目に優秀な魔術師。つまり、私の代理人となるべき者。ここに出る十分に資格はあると思うのだが」
自らの問いに答えた老人の言葉に男の顔が歪む。
「もちろん師がこの国最高の魔術師なのは知っています。ですが、それに続くのは宮廷魔術師のふたりアソテラ師とヨアイ師のどちらか?そのほかにも大勢……」
「あれらは全員、これの足元に及ばぬ。これはそれほどの逸材だ」
「ですが……」
「バイア。それくらいにしておけ」
この会議の主である男は側近を制してから、老人に視線を送る。
「そうは言ってもバイアの言葉にも一理ある。とりあえず紹介してもらいましょうか。コルペリーア師」
グワラニーの言葉に老人は重々しく頷く。
「これの名はデルフィン。私の孫にあたる」
「孫?お孫さん?」
「そう。そして、見てのとおり、これの母親は人間種。では、挨拶を」
「デルフィンと申します。グワラニー様」
王にさえ頭を下げないといわれる老人の孫とは思えぬほど少女は全員に対して深々と挨拶をしたのだが、特に彼を見る目はなにやら特別な思いが籠ったように見えた。
……同じ人間種で歳も近いということで親しみを感じているようだな。
グワラニーはそれをそう解釈したものの、それが大きな間違いであったことがその直後あきらかになる。
「実を言うと、これはグワラニー殿にひとめぼれをしている。私がグワラニー殿の陣に参加したのはグワラニー殿の傍らにいたいというこれの希望を叶えるためでもある。ここまで言えば、明敏なグワラニー殿は私が何を望んでいるかはおわかりだろう」
老人はそう言って乾いた笑い声を部屋中に響かせた。
だが、他の者には笑いはない。
もちろんグワラニーも。
一瞬、それは冗談かと希望を込めて思ったグワラニーだったが、少女の顔が赤みを帯びながらなぜか嬉しそうにしているのを見て、それが事実であることを悟る。
……つまり、孫を嫁にしろということか。
……もちろん断るのは簡単だ。だが……。
……ここで簡単に袖にするようなことになれば、せっかく手に入れた大規模な魔術師団が消えてなくなるのは確実だ。
……まもなく命じられる過酷な前線勤務を考えるとそれは困る。
……では、承諾すればいいかといえば……。
心の中でそう言ってから、グワラニーは少女をもう一度眺める。
……どう見ても子供だろう。
……そんなことをしては世間にロリコン認定されてしまうではないか。
グワラニーは心の中でこの世界には存在しないはずの単語を使って心情を吐露した。
そう。
側近のバイアが示した例の疑問は老人自身の言葉であっさりとケリがついたのだが、それが陰謀や策謀とは無縁なものであったためにかえってグワラニーを戸惑わせていた。
心の動揺を隠せぬまま、グワラニーは口を開く。
「コルペリーア師。デルフィン嬢は随分お若いようですね」
結婚はまだ早いのではないか。
グワラニーは言外にそう言ったのだ。
だが、孫を溺愛する老人は譲らない。
「まあ、たしかに若い。だが、すぐに子が産める歳になるので心配はいらぬ。それに、グワラニー殿もこれとたいして変わらぬ歳であろう」
動揺するあまりすっかり忘れていたのだが、グワラニーの年齢はまもなく五十六歳。
魔族の世界にある換算方法を逆に使用したグワラニーの換算方法では、人間換算では十八歳。
老人の言葉どおり、若造である。
そういうことで初手が盛大に空振りに終わったグワラニーにはこの場を乗り切る有効な手立ての持ち合わせはない。
そのグワラニーが打てる最善の一手とは早々の幕引き、いや先延ばし。
それを画策し、口を開く。
「まあ、私事であるその件はとりあえず脇に置き、そろそろ会議を始めようか」
より適切な表現を使えば、「しどろもどろ」の「逃げの一手」状態であるグワラニーの言葉でなんとか始まったその会議の議題。
それはもちろんあの日の一件についてである。
まず、グワラニーはここで聞いたことは絶対に口外しないように厳命する。
そして……。
「では、魔術師長。あなたがあの場で見たものをここで話していただきたい」
グワラニーはこの場で一番の年長者を指名する。
グワラニーの言葉に無言で頷き、それに応じた老人はひと呼吸分の間を開けてから口を開く。
「まず……」
そこから老人が淡々と語ったこと、そのすべてが聞く者には驚愕の事実であった。
だが、最後に結論のように付け加えたその言葉は、そのなかでも特別な響きを持っていた。
「……数多くの我が軍戦士を葬ったという忌々しい女狐以上の魔術師が勇者の傍らにいるだと?それはまちがいないことなのか?魔術師長殿」
喘ぐように問うあの日留守居役となっていたウビラタンの言葉に老人が感情の欠片も伴わない声で答える。
「そうだ。ついでに言っておけば、おぬしたちが『銀色の髪の魔女』と呼んでいる女魔術師も相当な実力者だ。この前見た攻撃魔法ひとつだけでも小娘が我が国の宮廷魔術師を凌駕しているのはあきらかだ」
「それよりも圧倒的に上ということは……」
「残念ながら、あの者たちと戦場で出会ってしまえば間違いなく我々全員が一瞬で消し炭だ」
「なんと……」
「グラワニー様は陛下にそれを報告したのですか?」
「もちろん」
焦るウビラタンの問いにグワラニーはそう答える。
だが、グワラニーが王に報告したのはそこで起こったことだけだったのだから、これはあきらかな嘘である。
それを隠すようにグワラニーは間髪入れず言葉を進める。
「それに魔術師長の弟子に救い出されたペパス将軍も同様の報告している。もっとも、他の将軍たちは私だけではなく彼の言葉もかなり割り引いて聞いていたようだったが」
幾分誇張されているものの、今度の言葉は事実である。
だが、駆け引きというものが苦手な一本気な者にはそれがすぐには伝わらない。
「どういうことですか?」
ウビラタンとともに戦士たちを指揮するバロチナ問いかけにグワラニーは冷ややかな表情を浮かべてこう答える。
「自分たちが戦った相手は勇者候補に偽装した本物の勇者一行。しかも、彼らはこれまで考えられているものよりも数段強い。ペパス将軍がそう主張しているのは勇者候補程度の相手に大敗した自分の恥を覆い隠すため。おそらく将軍たちはそう考えていたのだろう。まあ、私も実際にあれを見なかったら、将軍たちと同じ感想を持ったかもしれない。それくらいあの魔術師の力は信じられないものだった」
「……つまり勇者一行が相手では我々は絶対に勝てないとグワラニー様も考えていると?」
「そうなるな。少なくても、正面からぶつかれば我々に勝ち目はまったくない」
相手が自分たちよりも優れている。
それを認めるということは、部下の士気に影響するため兵を率いる者にはなかなかできることではないのだが、このときのグワラニーだけではなく魔族軍の幹部は躊躇いなくそれ口にする。
もちろんそれには理由があった。
「彼我の実力を見極め、自らの弱さを認めることこそ勝利への第一歩であり、無意味なまでに自らを過大評価し、敗戦を偶然の産物にする。それどころか負けたことすら認めない忌まわしき慣習はさらなる敗戦に繋がるだけである」
彼らの言動はその国の頂点に立つ者のこの考えが深く浸透している証左といえるだろう。
「とにかく、勇者の仲間にそんな化け物がいるのなら、無意味な全滅をしないよう、どんなに戦況が有利でも逃げの一手しかない」
「だが、そうやって見ただけで逃げていたら勇者は王都まであっという間にやってくるではないか」
「だから、将軍たちもやっきになって我々が先鞭をつけた足止め策をおこなっているのだろう」
「それはそうだが、勇者の気が変わり、再び王都へ進み始めたら、やはり対峙せざるを得ない。早急にその時の策を講じるべきだろう」
ウビラタンとバロチナにあらたに騎士長の地位に就いたコリチーバが加わった三つ巴の真剣な言い争い。
それはどれも正しい。
だが、答えが出ないことも確かである。
……平原の戦いとなれば、たしかに逃げる以外に手はないが、そうでない場合は手がないわけではない。
……まあ、それは実に小賢しい手であるから誇りある戦士を自負する彼らからは絶対に出ないものではあるのだが。
まだ、その時期ではないため、それを心の中に留め置いたその声の主であるグワラニーが仲裁の意味も込めて口を開く。
「まあ、それは大軍を預かる将軍たちが考えることだ。無責任に聞こえるかもしれないが、今の我々の戦力では後方かく乱がやっとだ。男気を出してこの矮小な戦力で彼らの前に立ちふさがっても相手に小石程度にしか思われないまま消えてなくなる。状況を懸念するのはわかるが、おまえたちが今やらなければならないことは出来もしないことへの算段ではなく配下の強化だ」