勇者が進む道
魔族の国の南方を安定させることに成功したグワラニーは、クペル城を中心とした地域を整備発展させることに力を注ぎながら、次の対戦相手となるマジャーラ王国として小国家連合体対策を練ることになるため、戦いの表舞台からはしばらく消えることになる。
その代わりとして再び姿を現わしたのはこのチームのスポンサー兼実質的リーダーであるアリスト・ブリターニャの王子としての仕事が一段落した勇者一行となる。
ミュロンバ。
モレイアン川の対岸ではあるものの、先日グワラニーと鉢合わせしたプロエルメルからもそう遠くはないその町に勇者一行はいた。
あの日から二日後となるこの日。
「おい、アリスト。俺はそろそろ戦いたい」
酒か水かわからない微妙な液体を口にしながら喚きたてる最年少の男の言葉は三人の脳筋戦士全員の気持ちを代表するものだった。
「もしかして、この前魔族の小僧に口喧嘩で負けたショックでやる気が失せたか?」
自らの心の叫びにアリストが薄い笑いで応じたことに腹を立てた脳筋のなかの脳筋であるその剣士はさらにその言葉を加えたところでアリストがようやく口を開く。
「まあ、当たりではありませんがハズレでもありませんね」
「言っていることがわからん」
「まったくだ。まあ、アリストがよくわからない言葉を使うのは今始まったことではないからよしとしよう。それで、これからどこに向かうのかだけは聞かせてもらえるのだろうな。アリスト」
「もちろん」
ファーブからやってきた詰問にアリストは短い肯定の言葉で応じる。
「ミュランジ城ですね」
「このまま北上するのではなくミュランジ城に行くのか?」
「ええ」
もちろん三人の剣士たちもその名は知っている。
現在フランベーニュと魔族が激突している要衝に建つ城なのだから。
「だが、そこはフランベーニュが持ちこたえているのだろう。そんなところにいっても俺たちの出番などないだろう」
「わかりませんよ。ファーブ」
勇者の肩書を持つファーブと呼ばれた男の言葉に少しだけ黒味を加えた笑みを浮かべたアリストはそう答えた。
「優勢だったのは確かです。ですが、それは相手がグワラニーの率いる軍でなかったからです」
「そして、私たちを引き揚げたことを確認した彼が急いでミュランジ城に向かった場合、状況は一気に変わるでしょう」
「でも、それについてはアリストが釘を刺していたと思ったのだけど」
アリストの挑発を否定したのはフィーネ。
もちろんそれは事実。
アリストは彼女の言葉に頷く。
だが……。
「ですが、相手は魔族。グワラニーがその約束を守っているかどうか確認しなければならないでしょう」
「ちなみに、あの魔族の小僧がアリストとの約束を破り、ミュランジ城を攻めていたら?」
希望と願望だけで出来上がった弟剣士の問い。
アリストの答えは彼の望みに十分応えるものだった。
「まず、グワラニーが本気でミュランジ城を攻めたら数日で落ちるでしょう。そして、そうなれば、当然彼は私との約束を破ったわけですから、こちらもそれ相応の対応をとります」
「ということは?」
「もちろんあなたがたの出番でしょう」
「よし」
自分たちの出番が来ると聞いた三人の剣士たちはそれが実現すると勝手に思い込み、大喜びしたわけなのだが、実を言えば、そう言った本人ともうひとりはそうなる可能性が低いと思っていた。
もちろん確認は必要だが、そうなると思っているかどうかはそれとは別の話というわけである。
「ところで……」
「ミュランジ城を攻めているのがあの小僧の軍かどうかをどうやって見分けるのだ?」
うれしそうに大剣を磨きながらファーブがそう尋ねると、アリストの笑みは微妙な色彩を強める。
「彼らと会ったプロエルメルの町の門に派手な旗が会ったのを覚えていますか?」
「もちろん。七色の派手な奴だろう。まさかあれが奴らの軍旗なのか?」
「軍旗には見えませんがどうやらそのようです」
「ということは、あれがあるかないかでわかるわけか」
「……とは限らないだろう」
アリストの言葉をそのまま飲み込みすぐに納得した勇者とその同類を窘めるようにそう言ったのはもうひとりの剣士マロだった。
「どういうことだ?」
ファーブから戻ってきた問いに、マロが答える。
「これ見よがしに自分たちの旗だと自慢しておいて、他部隊の軍旗の下で戦うこともある可能性も考えておくべきだろう。もちろん相手が小細工の名人となればその逆もありえるが」
「なるほど。たしかにそうだな。それで、どうなのだ?アリスト」
「それについては心配ありません」
「彼らが本気で戦うということはとんでもなく大きな魔力を感じるはずですから」
「それに……」
「たとえ誰であろうと、ミュランジ城が攻撃され、魔族の手に落ちていれば我々は動く。それだけでしょう」
「そうだな」
「それで、いつ出発するのだ?」
「明日にでも出発しますか」
そして、その宣言通りミュロンバを出発した勇者一行だったが、まず向かったのはグボコリューバだった。
もちろんそれはアリストの提案。
表向きは眺めの良い川沿いを歩きたいからというものだったのだが、当然その内側には別の理由がある。
グボコリューバまで行けば、対岸の様子がわかる。
つまり、アンムバランがどうなっているかということである。
そして……。
「……五百人。少ないな」
「ですが、きちんと防御魔法は展開されています」
対岸からその場所を眺めたファーブの口から洩れたその数に応じたのはアリスト。
そして、フィーネも。
「私たちからすればどうでもいいものですが、それなりの強さを持っています。少なくてもグボコリューバに駐屯するフランベーニュ軍所属の魔術師たちより格上でしょう。ですが、それよりも……」
「そうですね。あれは興味深い」
まずそれを見つけたフィーネの言葉を引き継いだアリストも言及したそれは……。
複数の人間。
もちろんふたりよりも目が良い三人も気づく。
だが……。
「食料を届けさせているのだろう」
「ああ。俺にもそう見える。あれのどこが興味深いのだ?アリスト」
その意味がわからないブランとファーブがそう問う。
それに対し、薄く笑いアリストが口を開きかけたとき、三人目の剣士が口を開く。
「……奴ら、金を払っているぞ」
同じ脳筋だが、実は金に細かいマロが目ざとくそれを見つけ、指摘したその言葉にアリストが頷く。
「そう。食料を調達しているのは間違いないでしょうが、彼らは金を払ってあれを購入しているのです」
「しかも、売る方も買う方も笑顔。とても人間と魔族の者とは思えぬ光景だ。プロエルメルで見せられたあれは偽装ではないと証明されました」
「なるほど」
「だが、そうなると……」
苦みを帯びた声でそう言ったマロの視線の先にあったもの。
それは駐屯兵たちと町の者たちの様子だった。
あきらかな強制徴収。
当然対価などない。
「もっともこの光景はどこでも見られるものでこの軍だけの問題ではない」
「ああ。そういう意味では対岸の光景こそおかしいとも言える」
「……そうですね」
最後に不愉快なものを見せられたものの、とりあえずここに来た目的を達成した。
予定通り川に沿って南下を始める。
所々に立てられた嫌がらせのような看板を蹴り飛ばし、時々その様子を兵士に見つかって追いかけられたり怒鳴られたりしながら。
そして、転移魔法を使いながらのんびりと進んで十八日後、ミュランジ城が目に入ってくる辺りまでやってくると、フランベーニュ軍の兵士たちが川に沿って陣を敷いていた。
だが……。
「停戦は決まったのでしょうか?」
「どうやらそのようですね」
「どういうことだ?アリスト」
目の前にいる兵士たちだけで交戦中と判断したファーブがふたりの言葉を訝しげに思い、そう問いかかけると、アリストは視線を遠くに向ける。
「対岸を見ればわかります」
そう言われて視線を対岸に向ける三人の剣士が見たもの。
それは、アンムバランよりも少ない兵士の数。
一応監視小屋はあるが、敵国と対峙しているという緊張感がない。
そして、そこに掲げられているのは虹色の旗。
「やはり、彼は愚かではないようだ」
アリストは笑う。
だが、納得しない、というか都合の悪い者たちもいる。
「停戦したかもしれないが、もしかしたら、城を差し出すことになっているかもしれないだろう」
「ありえるな」
「そのときはどうするのだ?アリスト」
「当然戦闘だ」
「そのとおり。俺たちの手で城を奪還し、さらに対岸に渡って魔族を狩り尽くす」
なんとしてでも魔族と一戦したい三人は妄想を膨らませる。
だが、三人より遥かに政治的センスが高いその男は冷酷に断ずる。
「もし、停戦の条件としてフランベーニュがミュランジ城を差し出すということになればそれは致し方ないでしょう」
「私たちは魔族と人間の中で剣を交えず結ばれた停戦協議を壊し、彼らに再び戦いを始めさせる愚を犯すようなことはしません」
「だが……」
「安心してください。交渉によって人間の国と停戦している魔族はグワラニーのみ。戦う場はたくさんありますから」
「ですが、どのような条件で停戦したのかは私も興味があります」
「ということで、ここからは私はブリターニャ王国第一王子アリスト・ブリターニャとして行動します」
「もちろんあなたがたは私の従者です」
「いつものように」
それからしばらくしたミュランジ城の城門前。
騒然としているその場所へ連絡を聞いて飛んできたのは王都へ出かけている城主クロヴィス・リブルヌから城代の役を託されたエティエンヌ・ロバウ、彼の片腕シャルマルヌ・シュノア、リブルヌの副官エルヴェ・レスパール、さらにシリル・ディーターカンプとアンセルム・メグリースという駐屯中の海軍の幹部。
つまり、城にいるお偉方がすべて揃ったのである。
そして、城門の前で彼らの到着を待っていたのは、正装ではないものの、どこからどう見ても貴族以上にしか見えない身なりをした二十代後半の男とその愛人らしいこれまた華美な装飾がついたドレスを纏う見事なフォルムを持つ彼よりも十歳ほど若い黒髪の女性。
それから、その後ろには仏頂面で大荷物を持つ、お世辞にも綺麗とはいえない三人の従者だった。
もちろん肩書でいえば、ロバウが最上位なのだが、彼は頭の上から爪の先まで生粋の軍人。
言ってしまえば、貴族の嗜みというものには無縁の存在。
その点レスパールは男爵という爵位を持つフランベーニュ貴族。
もちろん他国の王族と一対一で話をすることは初めてだが、少なくてもロバウよりはこのような場面は慣れていると言っていいだろう。
ということで、型どおりの挨拶後は無言を貫くロバウの代わりにレスパールが尋問役となる。
「ブリターニャ王国第一王子アリスト・ブリターニャ殿と名乗られたとのことだが、ここは最前線かつフランベーニュ王国の重要拠点であることから無礼と承知のうえでお尋ねする」
「ブリターニャ王国の一員である証はお持ちか?」
最低限の礼儀を伴ったレスパールの問いに、アリストは頷くと、一通の羊皮紙の証書と貴石で飾られた印を見せる。
証書も印も少なくても本物に見える。
さすがにこれ以上の詮索は難しい。
まあ、レスパールが本物に見えたのも当然。
なにしろそれは間違いなく本物なのだから。
アリストと、フィーネを眺め、それから、もう一度念入りに手にしているものを見直したレスパールはロバウに目をやって頷く。
そして、再び口を開く。
「間違いなくブリターニャ王国の方であることは確認した。それで、アリスト王子がなぜこのような場所に来られたのか教えていただこうか」
たとえ目の前の人物が本物のブリターニャ王子であろうが、場所、時期、どこをとってもあやしいのだからレスパールからやってきた言葉は当然の問いである。
だが、アリストが口にしたそれに対する答えはその問いに内包されたすべての疑問に答えるものだった。
「私は王命により内密に対魔族協定を結んだ各国の状況を確認して回っています」
その瞬間レスパールはもちろんその場に並ぶフランベーニュ軍の幹部たちの表情が変わる。
纏うオーラの色合いも。
もちろんそれに気づかぬアリストではないが、当然気づかぬフリをしたまま、言葉を続ける。
「実をいえば、ここに来る前に奇妙な噂を耳にしました」
「それは?」
「なんとフランベーニュと魔族が停戦協定を結んだと」
「それはなかなかな噂ですね」
「まったくです」
「まあ、その真偽を確かめに来たということになりますが……」
「様子を見るかぎり、それは事実のようですね」
非公式ではあるものの、フランベーニュが魔族と停戦協定を結んだ。
それは間違いのない事実である。
だが、それとともに協定違反でもある。
つまり、フランベーニュにとってこれはブリターニャには知られてはいけない事柄。
となれば……。
口封じをせねばならない。
たとえ相手が誰であろうとも。
ロバウはディーターカンプとメグリースに視線を送り、ふたりの同意を得る。
そして、その手を動かそうとした瞬間、アリストの口が再び開く。
「一応速報という形で王都には使者を送りました。そこには手に入れた情報とともに私自身がミュランジ城に出向く旨も書きこんであります。そして、その私がミュランジ城に向かったまま行方知らずになった場合、フランベーニュの口封じにあったと思って、必ず仇を取ってくれとつけ加えてあります」
「まあ、つまらぬことをする気はないとは思いますが、念のために申し添えておきます」
アリストはその言葉でフランベーニュ側のよからぬ企みを瞬殺したわけなのだが、実をいえば、それによって救われたのは実はフランベーニュ側だった。
もちろん諸事情によりアリスト自身は魔法を使っていない。
だが、その代わりにフィーネはここにやってきた時点で最高級の防御魔法を展開していた。
そして、それだけではなく、必要があればこの場にいる全員を百回ほど焼き殺されるだけの攻撃魔法も使えた。
つまり、何かあれば一瞬でケリがついたということである。
こわばるロバウたちを対照的な表情で眺め終わったアリストが口を開く。
「まあ、誇り高きフランベーニュ軍がそれをおこなったのにはそれなりの事情があったのでしょう」
「それをお聞かせ願いたいのだが、いかがですか」
「もちろん私は公的な立場で来たわけではないので拒むことは可能です。ですが、そうなると、手に入れた事実だけを国王陛下に伝えねばならない。それよりも、すべてを話せば、その内容によって私から取り成し、いや、ここははっきりとも言いましょう。もみ消しをすることはできますから」
ここまで準備万端で現れたのなら余計なことをしては疑いを持たれる。
それに状況を把握しながら、わざわざここにやってきたということは取り繕う余地があると思ったほうがよい。
ここは相手の要求に素直に従うべき。
視線で意志を統一し終わると、恭しさをもう一段階増したレスパールが口を開く。
「続きは中でお話するということでよろしいでしょうか」
そうして始まったアリストとフランベーニュ側の話し合い。
以前これとほぼ同様のことがノルディアでおこなわれていたのだが、あのときは公的な訪問であったが、今回は非公式なもの。
そういうことで、いかにも非公式なといえるその会談は夕食会という形が執り行われる。
そして、この時にはロバウたちフランベーニュ側には現在アリストの隣に座り、男性陣にその魅力を存分に振りまく女性がどのような者かは伝わっていた。
「……なんだと。それは間違いないことなのか?エゲヴィーブ殿」
これより少し前。
ロバウたちに海軍の魔術師長オートリーブ・エゲヴィーブからその女性がとんでもない能力を持った魔術師であることが伝わっていたのだ。
「見た目に騙されてはいけません。フローラ・フローレと名乗ったいうあの女性は魔術師。しかも、並みの魔術師ではありません。おそらくグワラニー配下の化け物魔術師と同等の力があります」
それが彼女についてエゲヴィーブが語った言葉。
「アリスト王子が護衛も連れずふらふらと敵地を旅ができるのはひとえに彼女が隣にいるからでしょう」
「そして、彼女のような者が同行している。それだけであの男が本物のブリターニャ王国の第一王子だと証明されたようなものだといってもいい」
「なるほど……」
ロバウは唸る。
そして、天を恨む。
なぜ敵ばかりにそのようなとんでもない能力者が現われ、フランベーニュにはそのような者がひとりもいないのかと。
もちろん彼は知らない。
その女性がフランベーニュ人、しかも国の指導的役割を担う十大貴族の一員の娘だとはいうことを。
「エゲヴィーブ殿に問う。もし、彼女がこの城を粉砕する気があれば?」
「まあ、我々にはそれを防ぐ手立てはないですね」
「一応魔術師長としての忠告として言っておけば、何があろうが一戦しようなどと思わぬほうがいい。ここは素直にすべてを語り、あの者たちをやり過ごすことが肝要でしょう」
「だが、魔族と停戦協定を結んだことをブリターニャに知られるのはまずいだろう」
「たしかに。ですが、それは王都の者が考えることで、我々はこの場を乗り切ることに集中すべき。そして、その一番の策は真実を包み隠さずすべてを語ることです」
「わかった」
ここにリブルヌがいれば、もう少しいい提案が出たかもしれない。
だが、残念ながら彼は今回の戦いの結果を報告するためにロシュフォールとともに王都に出かけている。
そうなれば、この場の中で一番の知恵者であるエゲヴィーブの言葉に従うべき。
ロバウは心の中で呟きながらアリストとの会談に臨んでいた。
そして、それは結果的に功を奏す。
「私がここに来ようと思ったきっかけ。それはフランベーニュ王都で流れている噂です」
「そして、それはこのようなものです」
「マンジューク銀山攻略のため渓谷内を進んでいたフランベーニュ軍は魔族軍に敗れ、敗走したのに続き、クペル城前で魔族軍を迎え撃ったフランベーニュの英雄アポロン・ボナール将軍が敗死した」
「まあ、対等の力を持つ相手と戦っている以上、負けることはあり得ることでしょう。たとえそれが『フランベーニュの英雄』が指揮する軍であっても。問題は……」
「ボナール将軍は最後の戦いに際し、魔族軍の司令官と協定を結んだ。それにはボナール将軍が戦いに敗れた場合、クペル城を魔族軍に明け渡し、さらにモレイアン川の東岸を魔族の所領と認めるとするもので、その協定を証する協定書のひとつをロバウ将軍が所有しているというものでした」
「実をいえば、それが事実かどうか確かめるため、ここより北にあるグボコリューバに行ってみました。そして、驚く光景を見ました」
「なんと、対岸を守備する魔族軍の兵士に食料を振舞う人間がいたのです、しかも、その食糧を魔族軍の兵士は奪っていたのではなく購入していた」
完璧とも言えるアリストの詰問。
もちろんこれはアリストが実際に聞いた噂ではなく、ブリターニャの間者たちが手に入れた情報に先日のグワラニーとの交渉で手に入れた情報を混ぜこみ加工したものである。
だが、その内容自体はすべてが事実であったため、多少なりとも割引しようかと考えていたロバウも遂に観念し、当初の予定どおりことを進める決心をする。
ロバウはアリストの言葉を大筋で認めたうえで、最後にこう付け加えた。
「敢えて訂正するのであれば、ボナール将軍は通常の戦闘ではなく魔族と一対一の決闘によって亡くなりました。その際に殿下がおっしゃった協定を結んだ。我々が勝利した際には十分過ぎる条件を魔族側が飲んだ以上、負けたからと言って将軍が命をかけて結んだ協定を反故にはできないでしょう」
「なるほど……」
もちろんその情報も手に入れていたものの、納得するように頷くと、この件に関する確信部分に触れる。
「ちなみにその協定書を見ることはできますか?」
もちろん本来であれば原本を王都に送り、写しを持っておくべきもの。
だから、次の段階でその写しを見せるように要求する段取りだった。
だが……。
「ええ。王都には写しを送りましたので原本を見ることはできます」
そう。
これは通常とは逆。
しかも、彼らは究極の上意下達の世界に住む軍人。
つまり王都の連中を信用していないのだな。
ロバウの言葉からアリストはそう悟ったものの、もちろん口には出さずにやり過ごす。
そして、次に進む。
「では、あとでそれを見せてもらうことにして、お互いに忙しいでしょうから本題に入りましょうか」
「お伺いします。あなたがたはなぜ魔族と協定を結んだのですか?」
「対魔族協定を破ってまで」
アリストらしかぬストレートな物言いである。
もちろんその言葉どおり時間が惜しいというのも理由のひとつである。
だが、それよりよりも……。
アリストは見抜いていた。
今自分の目の前にいる者たちが交渉能力に長けた者でないことを。
そして、そういうことであれば、腹の探り合い的なやり方をしない方が目的に早く辿り着けると踏んだのだ。
もちろんアリストの想像どおりに事は進む。
ここまでに見せられた多くのものでアリストに抗するは難しいと悟ったロバウはあっさりと正直な言葉を吐き出す。
「……あれに抗うのは無理だと悟ったからです」
誰もが納得する嘘偽りのない言葉。
ロバウの言葉は続く。
「先ほど私はアポロン・ボナールが決闘で破れたと言いました。ですが、その前に彼は配下の四十万の将兵をすべて失っていたことを殿下は知っていましたか?」
もちろんアリストも知っている。
ただし、それは結果だけであり、詳細については知らない。
だから、ここでは何も言わない。
黙っていれば、相手の方からやってくるのがわかっていたから。
そして、それはすぐに現実のものとなる。
黙ったままのアリストを眺め、それは知らないという意味だと誤解したロバウはもう一度口を開く。
「私はボナール将軍とともにあの場にいました。正確にはすぐ近くのクペル城の物見櫓にですが……」
「ボナール将軍は囮を使い、魔族軍を渓谷内から草原に誘引しました。そして、出てきた二万を配下にある四十万で取り囲んだ。もちろん私たちは勝利を確信しました。ですが、罠に嵌めたつもりだった私たちこそが罠に嵌っていたのです。そこで見たのです。悪魔の光を……」
「悪魔の光?」
「ええ。魔族はそれをそう呼んでいました。そして、あれはまさしく悪魔の光でした。なにしろ魔族の軍を取り囲んでいた我が軍の四十万の将兵は一瞬で灰になったのですから」
「なるほど……」
もちろんアリストにはその悪魔の光とやらが結果を聞かされたときに予想したとおり魔法であることはすぐにわかった。
だが、アリストにわかるのはそこまでだった。
アリストが口を開く。
「ロバウ殿。ひとつ尋ねたい」
「今、取り囲んでいたフランベーニュ軍が灰になったと言ったが、それは一度の攻撃によるものなのですか?」
「そのとおり。一度の攻撃で四十万人の命が失われたのです」
「では、その中心にいた魔族の軍はどうなったのですか?」
「無傷でした。信じられないことではありますが」
あの時の光景を思い出したロバウの口から漏れ出した言葉。
それがどのようなものかは想像がつく。
光が消えた後に見たのは、先ほどまで何重にも包囲していた自軍がいたはずの場所は焼け焦げ、それとは対照的に緑が残るその場に整然と並ぶ魔族軍。
……ですが、魔術師である私にとって驚くべきはそこではない。
アリストは心の中で呟く。
……包囲された状態でその魔法を展開し、一撃で四十万を殲滅させた?
……しかも、味方は一切の損害を与えずに。
……もちろん理論上は可能です。
……ですが、実践するのは膨大な魔力だけではなく、非常に高度な技術が必要となります。
……しかも、魔族軍は間違いなくその魔法をおこなうことを前提に草原に出てきたわけですから、確実に成功することが担保されていたことになります。
「……それは恐ろしい体験をしましたね」
すべてを知りながら、すべてを知らぬように吐き出されたアリストの言葉。
もちろんそれは次の言葉の布石。
そして、その言葉とはこれである。
「ちなみに、その『悪魔の光』についての情報はありますか?たとえば……」
「……それを展開させた魔術師はどういう者だかとか……」
そう。
これこそがアリストにとっての本題。
つまり、実際にその現場にいた者の言葉と自らの知識のすり合わせによってその巨大な力を持つ魔術師がグワラニー本人であるかを確認する。
そして、本来であれば、それは十分可能なことだった。
だが、フランベーニュと各国が公式に情報交換をおこなうことはなくても、間者を通してそれに匹敵するくらいの情報を手に入れられることを見越していたグワラニーの情報操作がここで生きてくる。
もちろんクペル平原の交渉した時点では勇者のひとりがブリターニャの第一王子ということをグワラニーは知らなかった。
だが、その一方で、グワラニーこのような前提をもとに行動していた。
勇者がどこかの王室と繋がっている可能性がある。
自らが海賊を通じて各国の正確な情報を手に入れていることから、どの国も情報管理がまったくなっておらず、一国に知られた情報はすべての国に知られる。
勇者がどこかの王室に繋がっていれば、さらに精度の高い情報を手に入れられる。
その対策として、勝敗や自軍の兵士の生命に関わることには優先させないものの、自らの重要情報は極力漏らさない。
まあ、ここまでなら、それなりの者であれば誰にでもおこなうことはできる。
だが、情報は戦場で剣を振るうよりも重要であることをよく知る、この世界とは別の世界からやってきたグワラニーはそこにもう一色添える。
虚偽情報をそこに巧妙に混ぜ込み、真実に溶け込ませ、自身が有利になるように誘導する。
アリストが問い、ロバウが答えるその話に関わるものにもすでにグワラニーの罠が埋め込まれていた。
密かに。
そして、大量に。