決着のとき
グワラニーがミュランジ城に籠る者たちに会談申し込みをしてから二日後の昼。
ミュランジ城近くの岸を離れた五人のフランベーニュ人を乗せた一艘の川船が、魔族軍にとっては忌まわしいだけの回廊を難なく通り抜け対岸にやってくる。
岸に着くと、コリチーバに出迎えられたロバウ、ロシュフォール、レスパール、ディーターカンプ、ロデスは縦長のテーブルが用意された部屋に案内される。
「向こうは九人。不公平ではありませんか?」
テーブルの反対側に並ぶ相手側の椅子を睨みつけたロデスはディーターカンプの耳元でそう囁く。
だが、この交渉は相手からの申し出があったからこそ実現したもの。
しかも、提示された内容は自分たちにとって好条件。
その程度のことで交渉を潰すわけにはいかない。
「ロバウ様が何も言わないのだ。我々が騒ぎ立てることはないだろう」
ロデスを宥めながら、実は自らも納得させるようにディーターカンプがそう言い終わったところで、扉が開く。
グワラニー、バイア、ペパス、タルファ、フェヘイラの順に入ってきた魔族側の五人に続き、アンガス・コルペリーア、デルフィン・コルペリーア、アリシア、ナチヴィダデが入ってくる。
さらに、護衛隊長コリチーバと五人の完全武装の兵士、だけではなかった。
菓子が入った籠や前線では珍しいガラス製のカップが乗せられた盆を運んでくる女性。
いや、着飾った人間の女性たちである。
さらに魔族の女性たちも。
そして……。
「お久しぶりです。ロバウ様」
そのうちのひとりがロバウに声をかける。
「アリアンヌ・ベンヌです。クペル城にいらっしゃったときには随分ごひいきにしていただきました」
見た記憶はあったものの、それが誰かまでは思い浮かばなかったロバウの困惑気味の表情を察した女性の過剰な自己紹介によってロバウの記憶が蘇る。
「お、おう。思い出した。セボン亭の人気娘か。子供がいたため残留していたのだったな。その様子では『元気だったか?』と尋ねる必要はなさそうだ。ということは、一緒にいるのは皆仲間か?」
「そうです。皆楽しく過ごしております。これも、皆アリシア様のおかげです」
そう言ってベンヌはアリシアに一礼する。
「ちなみに、こちらのお菓子はアリシア様の手作り。非常においしいです。作り方を教わったのでフランベーニュに戻ったら売り出そうと思っています」
「……それは楽しみだ」
そう言ってから、ロバウはベンヌの表情をもう一度眺める。
実に楽しそう。
少なくても、敵中に残された者とは思えない。
「ひとつ聞きたい。ここに何しに来た?」
「チョットしたお仕事です。非常に良い給金だったもので……」
グワラニーの金払いの良さは本物であることはすでに実証されている。
ロバウは微妙な表情を浮かべながら大きく頷く。
場違いなくらいの陽気さを振りまきながら部屋から出ていく女性たちを見送りながらグワラニーは流暢なフランベーニュ語で言葉をつけ加える。
「ロバウ殿がいるのであれば、クペル城に残された女性たちがどうなっているか心配だろうと思い、声をかけたところ、快く応じてくれました。一応、まだ出産していない方もいるので戻るのはもう少し時間が必要ですが、十分に楽しんでおりますので、どうぞご安心を」
「……そうか」
予想外の人物たちの登場。
それによって、完全に交渉の主導権を握られた形になったフランベーニュ陣営。
といっても、この交渉は最初からイーブンなものではなかったのだが。
だが、そうであったとしても、フランベーニュ側、特にロバウのダメージは大きかった。
たったこれだけでも自分とグワラニーの器の大きさの差を実感させられたロバウは自嘲気味に心の中で呟く。
そう。
実を言えば、ミュランジ城攻防戦で始まってから、ロバウは彼女たちのことをすっかり忘れていた。
そして、グワラニーからの書簡に対する返事を書く際にもひとことも彼女たちに触れることがなかった。
それに対し、グワラニーはわざわざ自分たちに引き合わせるためだけのために、こうして彼女たちを連れてきた。
それなりの意図があるにしても、やはり彼女たちを失念していた自分より上と思わずにはいられなかった。
「本来であれば、それぞれのもとに飲み物と菓子を置くところでしょうが、毒入りではないかと手を付けないという心配もあったので、こうして真ん中に置きます。そちらが取った残りを我々がいただく……」
「いや。気遣い無用。ありがたくいただく。皆も頂くとよい。菓子はまちがいなく絶品だ。王都でもこれほどのものが口にできないものだ」
グワラニーの言葉を遮ったロバウは、ガラス製のコップに入った茶を飲み、さらに菓子を口に放り込む。
敗北感を拭うかのように。
ロバウの言葉に戸惑いお互いに顔を見合わせたものの、やがてロシュフォールたちも同じように菓子に手を伸ばす。
フランベーニュ側の全員が手に取ったところで、魔族側も手を動かす。
そして、やってくる至福のとき。
「うまい」
「ああ。たしかに」
「王宮献上品の菓子を下賜されたことがあるが、これより数段下と言わざるを得ないな」
「ああ」
「喜んでもらえてなにより。ちなみに、この菓子をつくったのは彼女アリシア・タルファです」
グワラニーにそう紹介されると、アリシアは立ち上がり頭を下げる。
「ついでにいっておけば、先ほどやってきたフランベーニュの女性たちの世話も彼女が取り仕切っている」
「もちろん我が軍の食事も。つまり、我が軍は彼女を中心に動いている」
「さて、おいしいものを食べてお互い幸福な気持ちになったところで、始めましょうか」
グワラニーは笑顔でそう切り出す。
「まず、もっとも重要な部分を決めよう」
「ボルタ川、そちらの呼び名でモレイアン川と呼ばれる川の東側は我々の土地。西側についてはフランベーニュ王国の土地であることをお互いに認め、その権利を侵害しない」
「これは交渉申し込みの際に書いておいたものだ。両国の境を川にするということについて意義はあるかな」
「ない」
「よろしい」
「それにともない、川の通行は自由と言いたいところだが、我々は敵同士であるため、そうは言えない。そこで、黙認という表現を使うことにする」
「だが、これは我が領土を侵す主力部隊の補給を川に頼っているフランベーニュに圧倒的有利なものである。そこで、その安全を保障するのは川に沈められた障害物をすべて撤去してからとする。それまでは川に浮かぶフランベーニュの船はどんなものであろうとも我が国の攻撃対象とする」
「つまり、撤去作業が終了するまで事実上、川を利用した物資運送は不可とする」
さすがにこれは厳しい。
フランベーニュ側の人間は全員心の中で呟く。
そうなれば補給は陸路に切り替えるしかないが、現状どころか未来だって大規模かつ安定的な補給は厳しい。
もちろん転移魔法での補給はできなくもないが、前線に張り付けるだけでもギリギリの魔術師を補給に専従させるのは無理がある。
……だが、グワラニーの言い分は間違いなく筋が通っている。
……ここは飲むしかないな。
全員から諦めの声が漏れかかったときだった。
「とりあえず言っておけば、その仕事を我々が代わりに請け負うということもできる。もちろんその場合は追加で枷をつけることにはなるが」
グワラニーからやってきた言葉。
それは自分たちにはできないと思われたことをやってのけるというもの。
再びやってきた敗北感に苛まれながらロバウが問う。
「つまり、それはグワラニー殿ならできるということなのか?」
「そう。しかも、比較的短期間に」
「まあ、その方法は教えるわけにはいかないが確実にできるということだけは約束しよう。まあ、結論はすぐに出ないだろうから、今は覚えておいてもらうだけで結構」
唖然とするフランベーニュ側の出席者を置き去りするようなその言葉でそれについては結論を出さずにグワラニーは次の項目に進むのだが、その瞬間、グワラニーの纏う空気が大きく変化したのを全員が気づく。
そして、その言葉も冷気を帯びる。
「この協定は我が国の大幅な譲歩によって成り立っていることを理解してもらうために一項目をつけ加える」
「フランベーニュ王国及びその同盟者、それからその国に属する者が川の東岸に侵攻した場合、フランベーニュはこの協定を破棄したものと見なす」
「そちらについては?」
「最初に言ったはず。これは我々の大幅な譲歩によって成り立つ協定だと」
「つまり、そちらについては特別な枷はないと?」
「そのとおり」
「そして、その範囲であるが、北はグボコリューバよりもさらに北。川の源流まで遡る」
「南はアリターナ方面から流れくるもうひとつの大河ピオモンテとの合流点まで。まあ、それより先は川の名前はピオモンテとなり、東岸はアリターナになるのだからそこが境になるのは当然だが」
「よろしいか?」
ロバウはグワラニーが頷くのを確認すると、もう一度口を開く。
「今の言葉をまとめると、モレイアン川を超えてそちらの領地にこちらの者が足を踏み入れた場合は、停戦は解除され、攻撃が始まるということでよろしいか?」
グワラニーはその言葉を肯定するように頷きそれから言葉を加える。
「……そして、次は完全状態の私の部隊が動くと思ってもらおう」
グワラニーの言葉にフランベーニュ側の全員がゴクリと息を飲む。
それは、その瞬間、すべてが終わると同義語なのだから。
「それから、先ほどの説明では、違反の対象となるのは、我が軍の兵士だけではなく、他の国の兵士も含まれるとなっていたようだが……」
「その位置からブリターニャが攻め入ってくるとは思わないが、奇策としてそういうことがあるかもしれない。その用心のためだ」
ロバウの言葉を遮ったグワラニーはそう言った。
「それで、その国に属する者とは?」
「言うまでもない。傭兵や冒険者といった者たちのこと。正規兵だけを対象にしてはその者たちを使って侵攻するということもありえるだろう」
「言いたいことはわかった。だが、我々の預かり知らぬところで行動する冒険者まで対象にされるのはさすがに厳しい。しかも、これだけ広範囲となれば、実際のところ目が届かない。その状況で協定違反を問われるのは正直辛いと言わざるを得ない」
ロバウの言葉に理解を示すようにグワラニーは応じた。
だが……。
その一文は勇者一行をターゲットにしたもの。
当然譲る気などない。
「では、こうしましょう」
「周囲にはそちらの責任のもと警告をおこなう。『フランベーニュの許可を得ずに川を超えた者はフランベーニュの敵とみなす』という内容で。もちろん警告だけではなくそれにふさわしい取り締まりをおこなってもらいますが」
「こちらもそのような輩を見つけた場合、そちらに報告し、共通の敵として対応することにしましょう。こちらに踏み込んだ者たちはそちらに引き渡し、そちらが責任をもって処分するということにしましょう」
ロバウが頷くのを確認すると、グワラニーはさらに言葉をつけ加える。
「そうだ」
「せっかくだ。双方が許可をした者、と言っても、フランベーニュ人ということになりますが、それについては東岸に渡ることを許可するという一文もいれておきましょう……」
まもなく協議は終わる。
当然グワラニーは協定書に署名するように求めるが、フランベーニュ側の代表として署名すべきはミュランジ城城主であるリブルヌであることを理由に挙げて一度ミュランジ城へ持ちかえることをロバウが主張した。
相手の言葉に一理あることを理解したグワラニーは二通の協定書を相手の目の前であっという間に書き上げる。
見本なしの一発芸的に。
もちろんそちらには縁もゆかりもないフランベーニュ軍人は驚くばかりであるが、元々文官、さらにいえば元官僚というである彼にとってはこの程度の文書作成など児戯に等しいものであった。
そして、言葉を加える。
「二通ともそちらに渡し、リブルヌ殿の署名をしていただいた一通を返却していただいて構いませんが」
「いや。訂正を求める可能性もありますのでそれは遠慮しておきましょう。明日にでもリブルヌがここで署名させていただくことにいたしましょう」
その言葉とともに協定書を手渡そうとしたグワラニーに対しロバウはそう言って謝絶し、リブルヌに確認させるため未署名のままの一通だけ受け取る。
だが、フランベーニュ側もこの協定そのものを拒む理由はない。
翌日、今度はレスパールの代わりにリブルヌを加えてあらわれたフランベーニュ軍代表とグワラニーは協定書に署名する。
これによってミュランジ城攻防戦は正式に終了し、フランベーニュはこの城を確保するとともに、魔族軍の南進阻止にも成功する。
戦いの経緯から見れば当然ではあったものの、その場にいる者にとっては奇跡的な結果であった。