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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十四章 The First Contact
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ミュランジに姿を現わした者 

 グワラニーとアリストが舌戦を繰り広げていた頃、ミュランジ城の物見櫓ではフランベーニュ軍幹部三人が渋い顔で対岸を睨みつけていた。


「いよいよお出ましか」


 見たくないものを見せられたと言わんばかりのロバウの呻き声に、この城の城主でもあるクロヴィス・リブルヌが大きく頷く。


「もう少しで完勝というところだったのですが……」


「ですが、なぜ今頃になって姿を現わしたのでしょうか?」

「さあな。大方、ここを攻めていた部隊が崩壊し、指揮官がグワラニーに助けを求めたのだろうが、理由はどうであれ、いよいよグワラニーが現れたとなれば、我々としては歓迎の準備をしなければならない。だが、それにあたって絶対に守らなければならないことがある」


「こちらからの手出しは厳禁」


 やってきたリブルヌからの問いに素っ気なく答えたロバウが目をやったのは、白い軍服を身に纏った男だった。


「ということで、ここまで圧倒的な勝利を収め、士気が高い部下たちに手を出すなという命令を出すのは大変だろうが、よろしく頼む。勝利のためではなく生き残るためだとしか言えないのが悲しいところだがこれが現実だ。ロシュフォール殿」

「承知しました」


「まあ、ここで王都に引き上げることができるのなら、我々としては勝ち逃げに等しいので問題はありません。もっとも、あれだけ負けた相手が勝ち逃げを許してくれるのかはわかりませんが」


 一見すると理不尽すぎる要求に思えるロバウの言葉に笑いながら応じた、この地域におけるここまでのフランベーニュ軍の戦果のすべてを叩きだしていた男が視線を送ったのは、彼の部隊の魔術師長だった。


「調子に乗ってこちらから攻撃することないように徹底しろ。エゲヴィーブ」

「承知しました」


 だが、承諾の言葉を口にしたものの何やら言いたげな表情を浮かべるエゲヴィーブにロシュフォールが気づく。


「言いたいことがあれば聞こうか?」


 ロシュフォールのその言葉に一礼したエゲヴィーブが口を開く。


「あれは本当にボナール将軍配下の四十万を一瞬で葬った魔術師が含まれている部隊なのか疑うべきではないでしょうか?」

「どういうことだ?」


 怪訝。

 その言葉の見本のような表情で問うロシュフォールの言葉にエゲヴィーブが答える。


「あの部隊に属するのはたしかにかなり上位の魔術師であることはわかります。残念ながら私よりもかなり上でもあります」


「ですが、『想像もできないくらいの力を持った』というほどではないようです」

「つまり、あれは偽物と言いたいのか?」

「可能性があると言っておきましょうか?そうであれば今頃になってやってきたことも説明つきますし」

「なるほど」


 エゲヴィーブの言葉に納得し、大きく頷いたロシュフォールは、ロバウに視線をやる。


「どうでしょうか?ロバウ殿」


 魔術師が魔力を見誤ることはない。

 その力の判定は間違っていない。


 ……だが……。


「そうかもしれない。そうかもしれないが、やはり手を出すべきではないだろうな」


 ロシュフォールの問いかけにそう言ったロバウが続いて口にしたのは、思い出したくもないあの日の出来事についてだった。


「実は奴らがボナール軍を灰にしたときもほぼ同じことが起きた。ボナール軍の魔術師長の判定を根拠に強力な魔法を使うふたりの魔術師がいると思っていたところに、それまで魔力を隠していたもうひとりの魔術師がとんでもない一撃を撃ってきたのだから」

「つまり、これはそれと同じ手?」

「もしかしたらこちらを試しているのかもしれない。過去の教訓を生かすことができているかということを」

「なるほど」


 ロシュフォールはその言葉に頷き、続いて自らの魔術師長に指示をする。


「聞いた通りだ。相手は化け物。ひとつの判断ミスが全軍崩壊に繋がる。予定通り防御に徹するように」


 こうして、フランベーニュ軍は守備に専念することになったのだが、実をいえば、エゲヴィーブの指摘はほぼ正しかった。

 対岸の虹色の軍旗を掲げているのは間違いなくグワラニーの部隊である。

 ただし、肝心の魔術師はセンティネラひとり。

 偽物とまでは言わないが、飛車角落、いや、飛び道具ということを考えれば香車と桂馬も抜いたくらいの部隊だったといえるだろう。


 だから、この時点で動けば、グワラニーの部隊相手にそれなりの戦果は上げられた可能性はある。

 だが、そうなった場合、グワラニーが黙っているはずもなく、最終的にフランベーニュ軍に待っているのはボナール軍と同じ末路。

 そういう点では、ロバウの判断は正しかったということになるだろう。


 そのまま両軍にらみ合いを続けたまま夜になり、さらに翌日となる。


 そして、そこでロバウたちは自分たちの判断が正しかったことを実感する。


 翌朝。


「兵の数はそう変わっていないのに旗は間違いなく増えている」

「ああ」

「エゲヴィーブ。魔力の変化は?」

「大ありです。これまで展開していた防御魔法に代わって、ふたつの防御魔法が展開されました。そのどちらもとんでもない強さを持つものですが、狭い範囲に展開するそのうちのひとつは特別なものです。この魔力を使って攻撃されてはひとたまりのありませんね。というより、こんな化け物を相手に戦ったのですか。ボナール将軍は……」


 リブルヌ、ロバウに続いて言葉を発したロシュフォールの問いに、答えたエゲヴィーブの声からは昨日の余裕は完全に消えていた。


「おそらく我が国の魔術師全員が束になっても一瞬で終わります。これこそクペル平原で我が軍を殲滅した者のものでしょう」

「なるほど。そういうことであれば魔術師長にお願いしたいことがある」


「その化け物が誰かということを魔術師長に確認してもらいたい」


 エゲヴィーブのもとにやってきたロバウのその言葉。

 もちろんそれには前段がある。


「実をいえば、私は疑っているのだ。グワラニー自身が魔術師ではないかと」


 グワラニーには軍師の才があることはエゲヴィーブも聞いている。

 だが、魔術師であるという話は知らない。


 将軍は何を根拠にそんなことを言っているのだ?


 その心の声が滲み出し、腑に抜落ちないという顔をしたエゲヴィーブに対して、その言葉を前置きに使ったロバウが口にしたのは自身が交わしたグワラニーとの会話だった。


「……なるほど」


 すべてを聞き終えたエゲヴィーブはロバウの意図を理解した。


「つまり、今、私が感じている強力な魔法の展開している者をその目で確認すれば、グワラニーか、その少女か、ハッキリするということですか?」

「そうだ」


「承知しました」


「まあ、そのような素振りを見せないにもかかわらず、自分が魔術師であると奴自身が教えるというのは不可解ではあるし、そもそも今の我々にとって誰がその魔術師なのかなどどうでもいいことなのだが、少なくても将来の我が国にとっては重要な情報となるだろう」


 心の中で呟きかけた自らの皮肉に対する回答となるロバウの言葉に納得したところで、エゲヴィーブは望遠鏡を覗き込む。

 だが、残念ながら対象者は彼の視界からは外れていた。


 もちろん彼の願いが叶い、その魔術師が誰かということが判明すれば、ロバウが王都に報告した情報は更新され、間接的ではあるがアリストやフィーネが持つモヤモヤとした疑念も解消されることになる。

 だが、相手は情報管理というものを戦術のひとつとしているグワラニー。

 簡単に重要情報を相手に与えるほど甘くはない。

 敵が監視していることはお見通し。

 当然、それを利用し、相手を罠に嵌め、混乱させる策を用意している。


 そして、それは始まる


「……魔力が弱まった?」


 朝から精神を統一して監視を続けていたエゲヴィーブは対岸の魔力の大幅な変化を感じ、独り言のようにそう呟いた。


「防御魔法の担当が変わったということか」


 なにしろ相変わらず肝心の相手が見えない以上、魔力の変化だけで想像しなければならない。

 そして、エゲヴィーブのこの想像は魔術師にとって極めて常識的なものといえた。


「……できれば、外に出て来てもらいたいものだな」


 エゲヴィーブがそう呟いた直後のことだった。


 あらたな魔力反応。

 だが、それは先ほどのものに比べれば圧倒的に弱い。

 もちろん自分たちのものとは比べようもない大きなものだ。

 この日まで感じたことがないと言えるくらいの。

 だが、それでも先ほどのものとは比べようがない。


「……ということは、別人。そういえば、もうひとり老魔術師がいると言っていたな。グワラニーの軍には」


「だが、これだけ大きな魔力を持つ者が二番目とは驚きだ」


「……いや」


 エゲヴィーブは自らの言葉を即座に否定した。


「現在対岸に展開されている防御魔法は昨日のものとは数段階は上のもの。つまり、序列でいけば、三番目。ということは、これが老魔術師のものではないのか」


「ということは、三人いるのか。とんでものない力を持った魔術師が」


 思考の混乱。

 エゲヴィーブの状況をひとことで表わせばそうなるだろう。

 そこにさらなる一手が加わる。


「……どういうことだ?」


 そう呻いたエゲヴィーブが望遠鏡越しに見たもの。

 それは少女と老人。

 しかも、まちがいなく魔法を行使中。


「狭い範囲に強い魔法を展開しているのは少女。全体の魔法を担っているのが老人ということになり……」


「つまり、本命は別人ということになる」


 そして、そこに最後のカードが切られる。


「魔術師長。どうだろうか?」


 やってきたのはロバウからの言葉だった。


「あのふたりと歩いている少年のような者こそグワラニーなのだが……」


 望遠鏡から目を離したロバウの問いにすぐに答えず、エゲヴィーブは押し黙り思考を再構築する。


 グワラニーという男から魔力はまったく感じない。

 朝から感じてあの巨大な魔法は現在少女が展開しているものよりはるかに強い。


 つまり、あのふたりとは別にもうひとり魔術師がいるということになる。


 不確定部分は取り除き事実だけをつたえることにしたエゲヴィーブが口を開く。


「あのふたりは強大な魔力を持つ魔術師です。そして、序列からいえば、少女が上。ここは確定です」


「それから、グワラニーから魔力はまったく感じません」


「ですが、現在あの少女が展開している強力な魔法よりもさらに強い魔法が先ほどまで展開されていました。それが消えた直後、グワラニーは姿を現わしました」


「そういうことで、目に見える事実だけでグワラニーが魔法を使えないと判断するのは危険。そして、これは推測となりますが、現在対岸には強力な魔法を展開できる魔術師が四人います。そのうち三人は昨晩姿を現わした者」


 そう。

 それがエゲヴィーブの判断。


 そして、ロバウはそれを元にあることを確信する。


 グワラニーこそこの世界最強の魔術師。


 だが、それはエゲヴィーブもグワラニーの罠に嵌った瞬間でもあった。


「さて、これだけやれば十分でしょう」


 まるで右往左往するエゲヴィーブの心を見透かしたかのようにグワラニーは共に歩くふたりの魔術師に会心の笑みを披露する。


「ちなみに、魔術師長たちが所有する魔道具であれば、たとえ魔力を隠していても、その者が魔法を扱えるかどうかわかるのですよね」

「そうだ。ついでにいえば、私の所有する魔道具は、その者の魔力の量までわかる。だから、こんな小細工は私には通用しない」

「ですが、ワイバーンから買い入れた情報ではフランベーニュの為政者たちは私が魔法使いである可能性があると考えている。それはほぼ確実にクペル平原での会話に由来する。もし、今後もその噂が消えないようであれば、彼らは魔術師長が所有しているような魔法適性を判別する魔道具の類は所有していないということが確定します」

「そのとおりだ。そして、そういうことだから、私もこうしてもこのつまらん小細工につきあってやっているのだ。まあ、これまでの感触から私は奴らがそのようなものは持っていない方に賭けるが」

「もちろん私もそうです。そうでなければ、これだけ入念に策を仕込みませんから」

「そうだな」


 老魔術師はグワラニーの言葉に鼻を鳴らすように笑った。

 それから、言葉を続ける。


「ところで、昨日顔を合わせたアリスト・ブリターニャはグワラニー殿が魔術師ではないかというフランベーニュの噂を掴んでいるのではないのか?」

「まあ、そうでしょうね。なんと言っても彼はブリターニャ第一王子。国の間者がフランベーニュで手に入れた情報を接することができる立場にありますから」

「では、少々まずいだろう」


「昨日グワラニー殿の護衛を務めたデルフィンは最上位の防御魔法を展開していた。ということは、噂に聞くクペル平原の出来事はデルフィンがおこなったとわかる。ということは、勇者にはその小細工を核とした策はもう通用しないだろう」

「さあ、それはどうでしょうか」


 自らの言葉を部分的ではあるが、否定したグワラニーをアンガス・コルペリーアは怪訝な顔で眺める。


「どういうことだ?」


 当然といえば、当然の疑問。

 老魔術師からやってきたその言葉をグワラニーは笑みで応じる。


「たしかにアリスト・ブリターニャはデルフィン嬢の驚くべき強力な魔法が感じ取ったでしょう」


「ですが、あの場に立ち会っていない彼はクペル平原で展開されたものがどの程度のものかまではわからない」


「だから、アリスト・ブリターニャが判断できるのは、デルフィン嬢の力が強力であることまでで、私が魔法を使えないところまではわからない」


「そこで彼は私が帯剣していない事実とこの年齢で軍司令官を務めている事実を加えて考える。そして、簡単には魔術師ではないと判断できないという結論に至る。まあ、これはフランベーニュ軍幹部に対しても使ったもの……。といっても、ロバウ氏に関してもう少し直接的な表現を使って気を引きましたが」

「なるほど」


「単純な者であれば、目の前の事実だけで物事を判断するが、なまじ洞察力があるために余計なものにまで目が行ってしまうわけか」


 そう言ったところで、老魔術師は黒い笑みを浮かべる。


「アリスト・ブリターニャもとんでもない詐欺師と戦うことになったものだ。私は心の底からブリターニャの正直者を同情するぞ」

「それは……」


「私にとって最大級の誉め言葉です。ですが……」


「私の予想ではアリスト・ブリターニャも私と同じで、正直者とは程遠い存在だとは思います」

「それでは世の中には悪党しかいないようではないか」


 老魔術師の大量の皮肉の成分が混ざり込んだ言葉にグワラニーは無邪気そうな笑顔をつくり、そう応じた。


「さて、小屋に戻りましょう。次に進みますので」


 本陣として使っている小屋に入ると、すでにテーブルには羊皮紙とペンが用意されていた。


「……さすがバイア」


 相手に感謝の意を伝えると、ペンを持つ。


「種まきは終了した。次に進む」


「というわけで、まずは書状を書くわけなのだが……」


「宛てはどうしたらよいだろうか?」

「本来であればミュランジ城城主とすべきでしょうが、ここは敢えてエティエンヌ・ロバウとしてみてはいかがですか?」

「そうだな」


 初対面の者よりクペル城で顔を合わせたロバウと交渉したほうが話は早い。


 バイアは言外にそう言っているわけである。

 もちろんこの時点でロバウがいるかどうかは確認されていない。

 だが、ふたりの間ではそれは確定事項だった。


 あの軍旗がどの部隊のものか、そして、その部隊の恐ろしさを知っているのはあの場にいなければわからない。

 しかも、たとえそれを知っていても、地位が低ければその言葉の影響力は少ない。


 これまで圧倒的勝利を重ねていたフランベーニュ軍がまったく動かない。


 それは指揮官クラスの者が手を出すなと命じているからに他ならない。

 そうなれば、そのすべての条件を兼ね揃えているのはロバウだけだ。

 それがふたりの推測となる。


「ところで、こちらに呼びつけますか?それとも、乗り込みますか?」

「ロバウ氏にこちらに来ていただいた方がいいだろう。川の障害物は相当なもののようだから、こちらの兵の操船技術では突破は難しそうだ」


「そうかと言って、転移で渡河するためには相手の防御魔法を解除しなければならない。解除しろと言って相手がそれを飲むとは思えないし、力業で解除すれば少なからず被害が出て感情的になり、交渉に応じないことだってありえる。その点、相手は夜間でもあの回廊を軽々と突破だけの操船技術を持つ者ばかり。問題はない。そのうえ、こちらの求めに応じなければどうなるか身を持ってしっているものがいるのであれば、承諾する可能性が高い」

「なるほど」


 グワラニーの言葉に頷いたバイアが次に問うたのはその先にあるものだった。


「やはりミュランジ城は諦めますか?」

「そうだな。これだけ負けたのだ。そうすべきだろう。それに……」


「勇者に釘をさされた」


「ミュランジ城を奪ったらさすがに見過ごせないと」

「なるほど」


 話をしながら羊皮紙の上を走らせていたペンがそこで止まる。


「できた。では、フェヘイラを呼んでくれ」


 それからまもなく。


「リブルヌ様。対岸から白旗を掲げた船が一艘近づいてきます」


 物見の兵からやってきた連絡にリブルヌは何ともいえない表情を浮かべる。


「降伏したいということであればありがたいのですが……」

「私もそう願いたいところだが、まあ、降伏勧告はあっても、それはないだろうな。だが、これでグワラニーが本格的に乗り出してきたことが確定した」


 リブルヌが口にした出来の悪い冗談を蹴り飛ばしたロバウが思い出したのは、再びあの日の出来事だった。


「奴はクペル平原でも攻撃前に降伏勧告をおこなった。まあ、あの時は撤退勧告だったのだが」


「だが、我々はそれを拒否した。当然だ。相手は二万。こちらは四十万。負けるとは爪の先ほども思わなかったから。その結果があれだ」


「受けるかどうかはともかく、向こうの要求は確認すべきだろう」


 ロバウはそういうと、「モレイアン川の支配者」に視線を向ける。


「お願いする。ロシュフォール殿」

「承知しました」


 ロシュフォールはロバウの依頼を承諾すると、背後に控える伝令兵に目をやる。


「岸で待つメグリースへ連絡。信号旗。魔族の使者の言葉を確認せよ」


「ただし、何があろうが絶対に手を出すな」


 手際よく信号旗を組み上げられるのを眺めながらロバウはふたりの同僚に声をかける。


「さて、今のうちにどうするか大枠について話をしておこうか」

「そうですね。では、グワラニーと対戦したロバウ殿の意見から伺いましょうか」

「わかった」


「クペル城の例を考えれば、奴が要求するのはこの城だけだろう」

「我々の首は?」

「奴は首などに興味がない。全員の退去を認めるだろう」

「随分寛容なことで」

「ああ」


「つまり、そうなって問題になるのは王都にいる貴族どもだ」


 苦り切ったロバウの言葉にふたりの同僚も頷く。


「戦いもせずに城を明け渡すとはどういうことだと騒ぎ立てる。それだけならいいが、敵前逃亡などという罪を押し付ける可能性もある」


 せっかく拾った命も王都であらぬ罪を着せられ死罪にされ消える可能性がある。

 城を手放すかどうかはその点も考慮して判断すべき。


 ロバウの言葉はそう言っていた。


 もっとも、ロバウがそれを口にしたのは目の前にいるふたりを配慮したものであり、自らについてすでに二度の大敗の責任を取らねばならぬと覚悟を決めていた。


 だが……。


「いやいや、その点については問題ないでしょう」


 ロバウが口にした疑念をあっさりと払ったその言葉を口にしたリブルヌはさらに言葉を加える。


「たしかにグワラニーとは一戦もしておりませんが、ロシュフォール殿がその前に散々敵を打ち破っていますので、戦いもせず城を明け渡したことにならないと主張すればいいでしょう」


「それでもだめなら、適当な理由をつけて前線勤務を志願することにしましょう。ありがたいことに最近ベルナード将軍の知己になりましたから」

「わかった。では、グワラニーが要求したものを与える。これが基本方針でいいかな」

「そこで拒んでも結局同じ結果になるのだから、つまらない建前で貴重な兵を失うことはないだろうから私はそれに賛成しますが、ロシュフォール殿はいかがですか?」

「異存ないです」

「では、そういう方針で臨むことにしましょう。あとはグワラニーから寛大な要求が来ることを望むだけですね」

「敵の慈悲、しかも魔族などに縋るのは武人として恥ではあるが、これだけ力の差があれば仕方がない。ただ全滅するよりはいいだろう」


 こうして、ミュランジ城を守る指揮官たちの腹積もりは決まった。


 もちろん彼らはミュランジ城を引き渡すのはやむを得ない。

 あとはそこに付随する割譲地域をより小さくすること。

 それからそこが境界とすることでこれ以上の南進を食い止めることができるかどうか。


 交渉できるのなら、その部分だけはなんとかしたい。


 それが三人の考えだった。


 その三人の視線が注がれる多くの魔族兵の命を奪った川の中央付近。


 フランベーニュ側の五艘の船が少しだけ距離を開けて白旗を掲げた魔族が乗る船と対峙する。


「私はアンセルム・メグリース。フランベーニュ海軍の准提督である。要件を聞こう」


 ロシュフォール艦隊の副司令官アンセルム・メグリースは相手に向けて声を張り上げる。

 まずはフランベーニュ語、続いて共通語とされるブリターニャ語で。

 海軍は交易船が行きかう海がその縄張りであるという関係で多くの言語を使いこなせる者が多い。

 特に高級士官は。

 もちろんメグリースもその例に漏れず、たった今口にした二か国語以外にもアリターナ語とアグリニオン語を使いこなすことができる。


 魔族語以外ならなんでもいいぞ。

 できれば罵詈雑言が吐けるフランベーニュ語がいいのだが。


 メグリースがそっと呟いた心の声が聞こえたわけではないのだが、魔族の男の口から流れてきたのはフランベーニュ語だった。


「フェヘイラ将軍の配下アルシンド・ルジアニア。騎士の地位にある。我が軍の司令官アルディーシャ・グワラニーからエティエンヌ・ロバウ将軍への書簡を持参した。取次をお願いしたい」


 むろんメグリースに拒む気はなく、あっさりとその書簡はフランベーニュ側に渡る。


「明日同じ時間にロバウ将軍の回答を記した書簡が欲しいがよろしいか?」

「承知した」


 何気ない言葉。

 だが、ここにもグワラニーの罠が隠されている。

 まあ、罠というより、交渉のテクニックのようなものなのだが。


 ロバウ将軍の回答。


 もし、ミュランジ城に将軍がいなければ、即座に否定するだろう。

 それが成されないということはミュランジ城に将軍がいることの証明となる。


 もちろん悟られぬよう承諾する手もあるが、突然その名が出れば言葉に出さなくても表情には出る。

 確認はできるのである。

 今回はそこまで気を使うまでもなく、ロバウの存在はあきらかになったのだが。


「よろしく頼む」


 そう言うと、ルジアニアを乗せた船は岸へ引き返していく。

 敵であるはずのフランベーニュ人に背を向けて。


「……舐められたものだな」


 その背を見送ったメグリースはそう呟いた。


「ところで、メグリース様。中を確認しなくてもよろしかったのですか?」


 漕ぎ手をひとりであるアレット・ユルドスがそう尋ねると、メグリースは苦笑いしながらこう答えた。


「物語ではそれを読むと呪われる文字があるが、実際にはそのようなものはない。それに、ロシュフォール提督宛てであればおかしな細工がないか確認するが、相手がロバウ将軍の名指ししているのだ。将軍の部下ではない我々が確認するわけにはいくまい。そのまま渡すのが色々な意味で礼儀であろう」


 そういうことで、安全上よりも儀礼を優先させて封を切られず、メグリースと伝令兵を経由してロバウのもとにやってきた質の良い羊皮紙であるが、それはロバウによってすぐさまテーブルのうえで広げられる。

 自身だけではなく、リブルヌとロシュフォールもそれを読めるように。


 そして、まず驚いたのは……。


「達筆ですね」

「まったくだ。フランベーニュ人でもここまで書けるものはそうはいない」


 そこに並ぶ文字を眺めたふたりは思わず同じ意味の言葉を口にする。

 それはあのときロバウが感じたことと同じもの。


「まあ、問題は中身だが……」


「できれば、城ひとつで許してもらいところだが……」


 そう言ってロバウはそこに書かれた文字を読み進めたわけなのだが、思わず顔がほころぶ。


 いや。

 ほころばざるを得ない。


 もちろん残るふたりも。


「……ここに書かれていることを本当に信じてよろしいのでしょうか?」


 リブルヌの口から疑問の言葉が漏れるほどに。


「どうなのですか?ロバウ殿」

「信じて大丈夫だろう。奴の力から考えれば騙し討ちなどする必要がない。本気でこの城を落とす気があるのなら、それ相応の条件をつけて我々が拒否するのを待てばいいわけだし、そもそもこのような回りくどいことなどせずに、すぐに攻撃を始めればいいのだから」

「ですが、これはあまりにもこちらにとって都合がよいものばかり。なにか罠があるのではないかと疑ってしまいます」

「では、一戦して確かめるか?」


「ですが、戦い、やはりグワラニーの言葉が正しかったとわかったときにはすでに手遅れになる……」


 リブルヌの疑念に少々の皮肉を込めてロバウが答えた直後にやってきたその言葉。

 それはロバウではなくロシュフォールからのものだった。

 彼は海賊との一騎打ちの直後に聞かされた言葉を思い出していたのだ。


「私もロシュフォール殿と同意見。リブルヌ殿が怪しいと思うのは十分に理解できるが、これは最後通告。これを逃せばすべてが終わる。戦っても勝てないとわかっている相手からのありがたい誘い。ここは乗るしかあるまい」

「わかりました」


「ですが、大枠はここに記されていますが、協定とは程遠い。これを確実なものにするためにはグワラニーの招きに応じて対岸に渡らなければなりません。これについてはどうしますか?」


 続いてやってきたロシュフォールがからの言葉。

 これこそが三人にとってもっとも重要な案件といえるだろう。


「グワラニーの呼び出しは私だけだ。魔術師を除く五人以内と書かれているのだから、私ひとりでも問題ないだろう」

「さすがにそうは行きますまい。ですが、この三人で対岸に渡り、戻れなくなるという事態は想定すべきでしょう。そうすると、リブルヌ殿は残るべき。その点、私は魔族を散々狩った。ここで顔を出さねば、怖くて逃げたと言われかねない。腰抜け呼ばわりされないためには私はロバウ殿に同行しなければならない」

「ちょっと待ってくれ。そもそもここは私の持ち場。私が行かなくてどうするのだ?」


 三人三様の言い分がある。

 だが……。


「いや。ここは、誘いに乗ると言った私とロシュフォール殿に任せてもらおう」

「ですが……」

「先ほどのリブルヌ殿の疑念はもっともなこと。そうなったときのことは考えておかねばならないのだからこの城の主は残るべきでしょう」

「そういうことだ。まあ、もちろん万が一の備えということだが」


 実に微妙な表現でリブルヌを押し切ったロバウは続いて出かける者の人選をおこなう。


 エティエンヌ・ロバウ。

 アーネスト・ロシュフォール。

 エルヴェ・レスパール。

 シリル・ディーターカンプ。

 アリステッド・ロデス。


 これが交渉に向かうフランベーニュ側のメンバーとなる。

 このうち、リブルヌの副官エルヴェ・レスパールは彼の代理であるため、本来の序列では上位になるディーターカンプより上に叙せられ、また海軍関係者が三人も入っているのは、これまでの戦いの功績と船の漕ぎ手を兼ねて選ばれたものである。

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