敗者が手に入れたもの
「……アリストも案外だからしがない」
「まったくだ。魔族の小僧ごときに口論で負けるなど」
「あなたたち三人のおかげでアリストの計画がご破算になったのです。他人についてゴチャゴチャ言う暇があったら責任を取って自分の首を落としたらどうですか?怖くてできないというのなら私が代わりに首を落としてあげますよ」
前を歩く、ファーブとブランのよく聞こえる独り言、いや、ふたりごとを聞き流しながら嬉しそうにしているアリストに、声を出しかけたマロを含めた三人をあっという間に黙らせたフィーネがアリストに視線を送る。
「それで、どうでした?収穫は?」
アリストは少しだけ表情を変えてから口を開く。
「まず、あのグワラニーという魔族はかなりの大物です。まあ、それはフィーネもわかったとは思いますが、経験豊かな将軍や魔術師が少年と言ってもいいグワラニーに付き従うだけのことはあります」
「その一方、やはり彼の考えは魔族軍の中では異質。それとともに、言葉の端々に微妙なものを感じ取ることができました」
「魔族でありながら魔族という言葉を使っていたことですか?」
「ええ。あれは『自分は魔族ではない』と主張しているような感じを与えるものでした。しかも、何度も自分たちは魔族軍のなかでも特別な存在であることを強調していました」
自らの言葉にアリストは頷くと、フィーネはさらに問いを重ねる。
「それで、最も重要な点。彼はあなたの役に立ちそうなのかしら?」
「大いに」
「どの辺が、でしょうか?」
「まずあの男は軍人というより為政者に近い。それは私にとって望ましい」
「そして、彼は賛意を示した。私の問いに」
「もっとも、向こうは向こうで私を利用しようとしているように思えました」
「……なるほど。やはり曲者ですね。お互いに」
毒のある笑みを浮かべながら一度少し前まで滞在していた町を振り返ったフィーネが続いて尋ねたのは、自分たちに撤収を余儀なくさせた二枚の羊皮紙についてだった。
「ところでグワラニーと農民たちから示された二枚の羊皮紙ですが、あれについてアリストはどう考えているのですか?」
そう。
その言葉どおり、フィーネは内容について納得していなかったのである。
だが……。
「グワラニーが言ったことは本当でしょう」
アリストはそう言ってフィーネの疑いを否定した。
続いて、その理由を微妙な比喩を使って説明した。
「なにしろあの二枚の羊皮紙からは同じ香りがしましたから」
「同じ香り?」
「そう。交渉は強者が譲るべきという彼が口にした大言壮語がそのまま書かれていた内容でしたから。そして……」
「彼が目の前の戦いだけではなく、この戦争全体をどのような形で終結させたいかということも凡そ見当がつきました。もっとも、彼は一軍の将。すべてを自由にできるわけではない。それに、彼が全軍を掌握し、自らの理想を推し進めようとしたとき、私たちはどこかでぶつかるかもしれません」
「さて、今度は私から質問を」
相手からやってきた問いに答え終わるとアリストはそう切り出した。
「交渉に参加した魔族軍幹部のなかで帯剣していない者が四人いました」
「ふたりは魔術師。それからもうひとりはアリシア・タルファ。そして、もうひとりがグワラニー本人です」
「これについてあなたはどう思いましたか?」
もちろんフィーネもグワラニーが帯剣していないことを気づいていた。
違和感とともに。
「軍司令官が帯剣しない理由は何か?と尋ねているのですか?アリスト」
「そのとおり」
フィーネから戻ってきた言葉を肯定したアリストはブリターニャがフランベーニュ国内に放っている間者が手に入れた情報を披露する。
「実は、グワラニーこそ例の大魔法を披露した魔術師ではないのかとフランベーニュが疑っているという報告がありました」
「もちろん今日会った中ではグワラニーが魔術師であると感じさせるものはなにひとつありませんでした。それに加えて、おそろしいくらいに魔力を持った少女がいました」
「そのとおり。そして、彼女の能力なら間違いなく四十万の兵を一瞬で灰にするくらいの魔法を放つことはできるでしょう」
「そう。では、あれだけ若い彼がどのような根拠をもとに軍を率いているのでしょうか。もちろん軍才があるのはわかります。ですが、その軍師的な能力だけで軍を率いる地位が与えられるのか?」
「アリストの言いたいことはわかりました。ですが、そういうことなら、直接尋ねてみたらよかったのではないですか?」
「そうですね」
「その点については少し後悔しています」
「もう一度そのような機会があれば尋ねてみたいと思いますが、答えは否となるのはあきらかでしょう。ですが、魔術師と思わせるものがなにひとつない。それこそが彼が魔術師である可能性を示すようにも思えます。それで……」
「フィーネはどう思いますか?」
「できれば否定したいですね。あの男とその軍がこれから戦う相手というのなら」
「なるほど」
「まあ、その意見については私も同意します。自分たちと同じ才を持つ魔術師三人を同時に相手にするのはさすがに厳しいですから」
「ということは、アリストはグワラニーが自分と同じくらいの魔術師の可能性があるので戦わずに逃げることに決めたのか?」
アリストとフィーネの会話に強引に割り込んできたその声の主はファーブだった。
当然ながら目の前にいる敵を見過ごしたという思いが強いファーブはアリストとグワラニーの手打ちを全く歓迎していない。
もちろん同類のふたりも同じである。
「たとえ三人だろうが、俺たちがひとりずつ倒せば済むではないか。剣が届く距離にいたのだ。そう難しいことではなかったぞ」
そのひとり、ブランからやってきたこの提案にはふたりの魔術師がすぐさま反応する。
黒い笑みを浮かべて。
「つまり、交渉に臨んだ相手が背中を見せた途端に剣を向ける。まさに勇者という名にふさわしいすばらしい所業と言えますね。それは」
「しかも、ブランはあの少女を平気で斬り殺せるそうです。歯を出して笑いながら」
「さすがにそこまでやるのなら、私たちはまず勇者の看板を下ろし、野盗と名乗らなければなりません。もっとも……」
「剣に手をかけた瞬間、あなたたちは丸焼けになっていたでしょうが」
「それはそれとして一応言っておけば……」
「私が今回引くことに決めたのは魔術師の可能性があるグワラニーではなく、策士としてのグワラニーに負けたからです」
「もう少し具体的に言いましょう」
「グワラニーは我々勇者一行の弱点を的確についてきていました」
「まず、戦場の設定。ファーブたちは気づかなかったと思いますが、これまで私たちは常に戦う場を設定してきました。これは非常に重要なことです。ですが、今回私たちはグワラニーが用意した舞台に上がることになりました。これは非常に大きい」
「そして、その舞台とはもちろんあの町」
アリストは勇者という肩書を持つその若者を眺め直すとさらに言葉を続ける。
「私たちが魔族の攻撃を受けている民を助けるという看板を掲げている以上、多くの人々が残る町に居座る彼らを攻撃できないでしょう」
「それはフィーネの魔法で町ごと魔族を吹き飛ばすことができないということだろう。そういうときこそ俺たちの出番ではないか」
再びやってきたファーブの言葉。
そして、その言葉に同意するように兄弟剣士が頷く。
その言葉とともにアリストの表情に黒味が増す。
「では、ファーブに問います」
「これはグワラニーが戦場に姿を現わした直後にも問うたことですが、相手がそこに住む人々の首に剣を突き付けて脅したらどうしますか?」
「それは……」
もちろん大きな意味でいえば、人質になった者には申しわけないが見捨てるということこそ正解なのだろう。
だが、単純な正義だけで思考のすべてがつくられているファーブにはそれが出来ない。
呻くだけのファーブをしばらく眺めていたアリストが再び口を開く。
「どうやら明確な答えが見つかっていないようですね。では、マロ。それからブラン。あなたがたはどうですか?敵を倒すために助けてくれと哀願する民をあなたがたは見捨てることができますか?」
もちろんふたりの思考もファーブも同じ。
当然イエスとはならない。
アリストはため息をつき、それからもう一度口を開く。
「まあ、そうでしょうね。それがあなたがたのよいところですし、私はそんなあなたがたを誇りに思います。ですが、これが我々の弱点です」
「卑怯なやり方かもしれませんが、『勇者』と名乗っている私たちを圧するにはこれは有効な手なのです。そのような事態に陥ることがないよう我々はどんなことがあっても誰もいない草原で戦うべきなのです」
「つまり、グワラニーが自軍を町に留まらせた段階で、我々には勝ち目がなかったのです。残念ながら」
「さらに……」
「グワラニーは自らの奴隷となったフランベーニュ人たちと話をするように私たちに勧めてきました」
「グワラニーはこのときすでにフランベーニュ人の農民たちに奴隷とは名ばかりのとんでもない好条件を提示し奴隷契約を交わしていたわけなのですが、これは私にとっても予想外。かつ、これによって我々はかなり厳しい立場になった」
「フランベーニュに戻っても現在の地と変わらぬ生活が送れる。そういうことなら、彼らは魔族領に残るという選択肢を選ぶことはなかったでしょう。農民にとって土地は命と同じくらいに大事。その大事な土地を捨てフランベーニュに戻っても待っているのは小作人としての厳しい生活。グワラニーが示した厚遇を捨てフランベーニュに帰属するように説得した場合、私たちは彼らがそうならないようにする義務を負う」
「ですが、これがなかなかの難問となります」
「今と同じ条件にすればいいのだろう。簡単ではないか」
「ですが、そうなると、周辺に住む者と差が生まれる。ブリターニャの例を出せば小作は手元に残るのは一割が相場。自作農であっても四割も残らない。つまり、グワラニーが示した六割以上が手元に残るという奴隷契約とは比べようもない。そのような待遇を一部の農民に与えるようなことになれば、彼らと同等の条件を求めてフランベーニュ各地で領主と小作人の衝突が始まり、フランベーニュは魔族との戦争どころではなくなる。下手をすれば、国そのものが崩壊しかねない。それはまさに魔族を利する行為。それどころか、フランベーニュの土地で部外者が勝手に税率を決めるなどありえぬこと。当然私たちはフランベーニュのお尋ね者になる。そうなればどうなるかはいうまでもないことでしょう」
アリストの言葉はさらに続く。
「では、どうすればいいのか?その答えはひとつしかない」
「ここを私たちの土地とする。だが、そうなると、今度は私たちにはその土地に住む農民を守護する義務が発生し、やはりこの地を離れるわけにはいかなくなる」
「つまり、彼らに関わらないこと。これが一番いいわけなのですが、事前交渉にやってきたあの女性のひとつの言葉によってそれが許されなくなった。それが……」
「……魔族の奴隷になったフランベーニュ人」
「勇者と名乗っている私たちは魔族の奴隷となっている者たちがいるということを知りながら素通りはできない。しかも、煽りの言葉を加えながら会いに来いと言われてしまった。相手が罠を用意しているのを予感しながら会わざるを得なくなったのです」
「さらに……」
「彼らは『勇者』という私たちの肩書を最大限に利用した」
「先ほどの件に加えて、グワラニーは交渉をおこないたいと呼びかけ、さらに攻撃はおこなわないと宣言までした。そう宣言して交渉に臨んでいる相手に勇者が剣を向けるわけにはいかない」
「先ほど話したように我々は兵士以外の者を戦いに巻き込まないように草原で戦わなければならない。ですが、彼らは町から出てこない。彼らを町から草原に引きずり出すためには、まず彼らの要求どおり交渉に応じなければならない。そうすると、とても抜け出すことができない迷宮が待っている」
「つまり、私たちは始まる前から負けていたということです」
「そして……」
そう言ったところで、アリストは大きく息を吐いた。
「何度も言うようですが、グワラニーという男はこれまで対した魔族の将とは一線を画す。つまり、相手の強弱に関係なく敵を見つけたら叩き潰すために必ず現れるという類の者ではない」
「さらに、剣を持たない代わりに戦わずに相手を無力化しようとする」
「また、事前に入念な準備をし、必ず勝てるとわかるまでは戦わない」
「おそらくこのような考えに則って行動している。そして、今回、彼は我々最大の弱点を見つけ、そこを突いた策を用意した」
「俺たちの最大の弱点?何だ。それは」
アリストからやってきた言葉にファーブは驚き、それを尋ねると、アリストは、まずファーブを、それから順に他の者たちに目をやると、こう答えた。
「私たちが五人であること。いや。五人しかいないことと言ってほうがいいでしょうか」
その理由を以前聞いているフィーネはともかく、残る三人にとってそれはまさに寝耳に水の話である。
当然の反応をする。
「五人しかいないことに何か問題があるのか?」
「まったくだ。アリストとフィーネはこの世界最強の魔術師だし、俺たちだってかなり強い」
「現に十万人の魔族兵を一瞬で葬ったではないか。まあ、やったのはフィーネだが……」
「私たちは強い。たしかにそのとおりです」
三人の剣士が次々と繰り出した自分への反論の言葉。
それをすべて肯定したところで、アリストが指摘したこと。
それはグワラニーが口にしたことと同類のものだった。
「私たちは戦闘という点でいえば、現在まで負けておらず、今後もほとんどの戦いで勝つことになるでしょう。その点については私も否定しません」
「ですが、それだけですべてが解決するのは、吟遊詩人が口にする派手で勇ましい戦いだけが賞賛される物語の中だけのこと。実際の戦い。特に国同士の戦いにおいては目の前の戦いで勝つだけではなく、その結果を維持し続けなければならないのです。ですが、五人だけしかいない私たちができるのは、目の前の戦いに勝つことだけなのです」
「例を挙げましょう」
「例えば、私たちがグワラニーを退け、殲滅したとします。ですが、我々が次の敵を求めて移動したあとに、残された農民たちはどうなるのか。答えは簡単。我々とは違う道を通って現れた魔族軍によってあの町は再占領される。そして、そこで略奪や虐殺がおこなわれる。敵を倒し解放した場所を維持し続けなければ私たちの勝利など意味はないのです。それどころか、グワラニーという善良な占領者を倒しただけではそこに住む農民たちにとって私たちのおこないは不幸をもたらしただけの所業だということになります」
「アリストの言いたいことはわかった。だが、これまではそれでうまくいっていただろう」
自己否定の極致のようなアリストの言葉にファーブは必死に反論する。
だが、アリストの言葉はそれを許さない。
一度その言葉に頷いたものの、更なる言葉がやってくる。
「それはこれまではグワラニーが前線にいなかったからです」
「実際のところ彼の考え抜かれた策を破るのは難しい。ですが、それを逆用することはできます」
そう言ってアリストは薄い笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「もし、彼がその方針でことを進めるのであれば彼の部隊が姿を現わすのは魔族領のうち北と南。我々はそこ以外の場所から進み、王都を落とす」
「おそらく我々私たちと力が拮抗しているのはグワラニー軍のみ。ということは、私たちとしても彼らを避けて王都まで進めるのはありがたいことになります。まあ、王都に着くまでに彼らとも一戦はおこなうことになるでしょうが」
「それを含めて彼について色々わかりましたし、戦わず引き上げるだけの成果はあった。つまり、見た目とは大違いでこれは私たちにとっても悪くない結果といえるでしょう」
アリストはそう言って薄く笑った。
「とりあえず、グボコリューバに戻りましょう」