ファースト・コンタクト Ⅲ
「……なかなかの才女ですね。彼女は」
「それになかなかの美人だ」
プロエルメルに戻っていくアリシアを見送りながら、アリストは呟く。
「あのような人材を抱えている。というか、才があれば女性でも登用する、しかも、それが人間であっても。グワラニーという魔族はなかなかの大物だな」
「いや。そんなことはどうでもいい。それよりも俺が知りたいのは……」
「あの女を魔族はどうやって見つけ出したのだ?」
そう言ったのは兄弟剣士の兄マロだった。
「先ほどのアリストとの会話を聞いていれば、俺だってあれが化け物だということはわかる。そして、それが女だということも驚いた。だが、なによりも驚いたのはあの女が人間だということだ」
「グワラニーという魔族はどうやってあの女の才を見抜き、仲間に引き入れたのだ?」
マロの言葉はもっともである。
だが、アリストにはその答えに辿り着く手がかりがあった。
「……その過程はわかりませんが、彼女は夫であるアーネスト・タルファとともにグワラニーの元にやってきたということは間違いないでしょうね」
「アーネスト・タルファ?聞いたことのない名だ」
「『フランベーニュの英雄』アポロン。ボナールと一対一の決闘をおこない、勝った男ですよ。ついでにいえば、我々はそれ以前にも彼に会っています」
「どこで?」
「クアムート。敗軍を率いて退却してきた将軍に会ったでしょう。彼がタルファです」
そう言われて、マロ、それから彼と同類のふたりは必死に自分の中を探す。
そして、自らの記憶の中から掘り起こしたのは過去をすぐさま消去する彼らでも忘れることが難しい鮮烈な印象を残したある場面だった。
「半裸で逃げてきたノルディアの将軍がいたな。あれがタルファか……」
「そのとおり。そして、彼は帰国後敗戦の責任を取らされ、将軍の職を解任されています。というより、一部隊の将でしかない彼の動きが全軍崩壊の原因とされ、さらに、あの退却も自らの命可愛さだけでおこなったものと認定され、『国辱』なる肩書を与えられていました。行方不明になったと言うところまでは聞いています」
「ですが、それは少しおかしくありませんか?アリスト」
アリストの長い説明に割り込むようにして問いの言葉を挟んだのはフィーネだった。
「撤退してきた軍を率いていたということは、つまり、そのタルファとやらは魔族軍と戦っていたのでしょう。しかも、戦っていた魔族軍を率いていたのはグワラニーだとあなたは言った。その状況から、どうやったらタルファがグワラニーの軍に加わることになるのかしら」
「……たしかにそうだ」
「まあ、グワラニーが変わり者でほんの少し前まで戦っていた者でも配下にするということにしても、タルファの方が承知しないだろう」
「ファーブの言うとおりだ。将軍をクビになるにしても、再仕官先に魔族軍を選ぶか?」
「出向いても首を刎ねられるだけだろう。普通は」
「まあ、皆さんのおっしゃるとおり過程は不可解です。ですが、王都に戻ったはずのタルファは夫人とともにグワラニーの軍に加わり、夫は将軍の地位を与えられただけではなく、軍の代表として決闘に挑み、夫人は幕僚の地位に就いているというのは事実です」
そこまで聞いたところで、マロが再び口を開く。
「何かを枷に動いているということは?」
「もし、そういうことなら、夫人は何らかの表示をしたことでしょう。あれだけの才がある方です。いくらでも伝えることができたでしょう。何もないということは自主的にあの部隊にいると思っていいでしょう。というより、不満などないということでしょう。あの様子は」
「……なるほど」
アリストの言葉が終わると、ファーブは短い言葉で応じる。
そして……。
「つまり、ノルディアがタルファを軍から追い出さなければこんなことにならなかったということだろう」
「まったく余計なことをしてくれた。ノルディア国王は」
「……それについてはまったく同意です」
「まあ、それはそれとして……」
「……彼女の実力は私にも理解できました」
「なにしろ本気ではないにしろあなたをあれだけ翻弄したのですから」
年少の三人が知らないことをフィーネは知っている。
当初の予定から変更し、グワラニーを自らの目的のために利用したい。
そのため、利用できないと判断するまでは殺さずにおきたい。
アリストがそう思っていることを。
そして、これはその判断をするよい機会。
だから、手を抜き、その誘いに渋々乗ったように見せた。
それがフィーネの見立てであり、それを示すのが「本気ではないにしろ」という言葉である。
「それで……」
「彼女と話をした結果得た、新しい収穫はどのようなものだったのですか?」
ストレート過ぎるフィーネの問いにアリストは苦笑いする。
「そうですね……」
「彼女個人に関することを除けば、わかったことはふたつ」
「ひとつは、グワラニーとボナールが決闘に際し、協定を結んでいたという噂が間違いではなかったということ」
「そして、そこに記されたフランベーニュ側の義務にモレイアン川東側を魔族に返還するというものがあったこと」
「そんなもの、戦うための約束だろう。戦いが終われば破棄してしまえばいいだろう。人間同士の約束だってろくに守らない奴らがなぜ魔族相手だと律儀に守ろうとするのかさっぱりわからない」
「まったくだ。いつも通り、やればいいだろう」
「そうですね」
ファーブとマロが口にした、事実ではあるが、この世界の人間社会の悲しい現実であるそれをアリストは薄い笑みとともに肯定する。
そして、言葉を続ける。
なぜそうなったかを伝えるために。
「フランベーニュだって守らなくてよいものなら守りたくなかったことでしょう。つまり、約束破りの常習犯である彼らでもグワラニーとの約束は律儀に守らなければいけなかった事情があったということです」
「理由のひとつは、亡き『フランベーニュの英雄』が結んだという縛り。彼らのなかにそれがあったのは間違いないでしょう。ですが、それよりも大きいのは、それを破ることによってより不利益を被るのは自分たちだからということでしょう。誰にでも堂々と言える建前の裏に本音である実利的なものがあった。彼らが約束を守っているのはそういう理由からでしょう」
「彼らはその直前に四十万人の兵士を一度に失っています。そのような強力な魔法を使う相手から出された少なすぎる要求。彼我の力の差を考えれば東岸すべてを失っても、相手こそが譲歩した側であると彼らには思えた。だから、その要求を飲んだということです。その程度のことで敵の侵攻が止められるのなら問題などひとつもないと思いながら」
「それから彼女と言葉を交わしてわかったもうひとつのこと。それは……」
「グワラニーはここで戦うことを望んでいないということ」
「まあ。それは俺でもわかる」
アリストの言葉にファーブはそう応じた。
「そうでなければ、俺たちを見つけた時点で部隊を展開するだろうから」
心の中でダメ出ししながら、アリストは笑い、それから少しだけ真剣な顔になって口を開く。
「おそらく彼らはすでに臨戦態勢だと思いますよ。町の中で。まあ、とりあえずそれは脇におくことにしてファーブに尋ねます。彼らはなぜ我々との戦いを望んでいないのでしょうか?」
「それは俺たちが強いから。言い直せば、剣や魔法を使って戦っても勝ち目がないから、望みのありそうな舌戦に持ち込み、追い出したいのだろう」
「まあ、表面上はそう見えます。そこで、もうひとつファーブに問います」
「勝てないと思っていながらなぜ逃げないのでしょうか?」
「それはどこまで下がっても結果は同じだからだろう」
「さすがにそれは違うでしょう」
自らの問いにそう断言したファーブの言葉にアリストはすぐさまそれを否定する。
アリストにとってそれは当然のこと。
だが、万人がその言葉だけですべてを理解したのかといえばそうではない。
アリストはそう呟き、続けて、その解になるものを提示する。
「彼らの総数は一万を大幅に切っているように見えます。クペル城攻略に姿を現わした彼らは二万だったということから、本隊はここにやってきていないと思われます。つまり、今のままでは彼らは全軍で戦う体制にはなっていない。それにもかかわらずあの町を放棄しないのはなぜか?もう少し具体的に言えば、後方に下がり完全な形になれば我々に勝てるにもかかわらず、撤退しない理由はなぜかということです」
「もちろんすでに準備は完了し、そう見せかけて戦いを仕掛けてきたところを仕留めるつもりなのかもしれませんが……」
「一番可能性があるのは……」
「あの町には守りたいものがあるということになります」
「守りたいもの?なんだ?それは」
ブランはアリストの結論とともに声を上げる。
声こそ上げなかったものの、ファーブもマロも同様の言葉を口にしそうな表情である。
一方、フィーネは最初から考える気もなさそうにあらぬ方向を眺めている。
四人の顔を見まわしたところで、アリストはそこに新たな難題を加える。
「先ほどを言いましたとおり、グワラニー軍というか魔族軍がこの地を取り戻したのはつい最近のこと。それまではフランベーニュ軍が確保し、入植作業をおこなわれていました」
「そして、もうひとつ。その入植がおこなわれていたことからもわかるとおり、この一帯は耕作地帯。交通の要衝というわけでもありませんし、鉱物資源が採掘できるというわけでもありません。さらに魔族の重要施設があったとも聞いていません」
「つまり?」
「守りたいものはそれ以外のものということになります」
「ファーブ。たまたま滞在しているどこにでもある町に魔族がやってきた。あなたがそこで守りたいものとは何ですか?」
「それはもちろんそこに住んでいる人たちだろう」
「まあ、そこに加えれば、その町の暮らしということになるでしょうか。他には?」
「思い浮かばない」
「マロとブランは?」
「ない」
「俺も」
「私もないわね。特別な施設がないのなら」
「私も同じ。そして、おそらくグワラニーも同じでしょう」
「つまり、彼が撤退せず守ろうとしているのはそこに住む者たち」
「チョット待って。アリスト。先ほどあの女は言っていました。あの町に住んでいるのは百人ほどのフランベーニュ人。しかも、身分は奴隷だと。つまり、グワラニーとやらは奴隷を守ろうとしているということなのですか?」
フィーネの驚きの感情が含まれる声を聞くことはそう多くない。
つまり、それだけのことをアリストの言葉には含まれているということである。
そして、それがどの部分かは明白だった。
奴隷。
彼女の、というより、この世界の常識では奴隷とはそれを所有する者にとって使い捨ての道具。
少なくても、ギリギリの戦いをしてまで守るべきものではない。
それを守るために撤退しないなど考えられないことである。
そのような理由でフィーネが発した驚きの言葉に、アリストは頷く。
「そうなります。しかも、周辺の状況を考えればおそらくその奴隷は農民ということになります」
「あり得ないだろう。そんなこと」
「ああ。まったくあり得ない。人間の領主だってそんなことをしない。まして、魔族がそんなことするはずがないだろう」
「まあ、そうなりますよね。普通は」
「ですが、これが現実。それを否定するなら、それに変わる理由を用意しなければなりません」
「しかも、彼女はこうも言いました。彼らに言ってみたらどうですか?助けに来たと。つまり、グワラニーたちはそう言われても困らない自信があるということです」
「脅しているのではないか?子供を人質にとって」
「まあ、そう考えたくなります。我々の世界の常識を当てはめれば。ですが、先ほどの撤退しない理由はそれを否定している。もちろんそれこそが見せかけということもありますが、そんなものは実際に会えばすぐに見破れる。そこまでの危険を冒してまでやる必要がないことを考えれば、そうでないと考えるべきと思われます」
「つまり、どうなる?」
多くの物を目の前に並べられて収拾がつかなくなったファーブから言葉にアリストは少しだけ考え、それからそれを口にする。
「言うまでもないこと」
「グワラニーという魔族は、有能な軍人というだけではなく、驚くべきくらいに慈愛に満ちた政治指導者だということも言えるでしょう。それこそ……」
「憎しみ合い、殺し合ってきたはずの人間の民にさえ信頼されるくらいの」
「そう考えると、先ほどのアリシア・タルファや彼女の夫であるアーネスト・タルファがグワラニーの配下として大きな仕事もしていることも理解できる。というか、アリシア・タルファのように組織の中心として女性が活動しているのは、例の商人国家と大海賊を除けば、この世界には存在しない」
「しかも、それは我々の側だけではなく、魔族においてもおそらく同様でしょう。魔族は人間以上に保守的だというのは常識になっていますから」
「つまり、グワラニーの思想は我々の常識を超えている」
「……やはり確かめる必要がありそうですね。私の推測が正しいのかどうかを」
……そう言われればそうですね。
……私や、アリストのブラコン妹。それに、マロの彼女のような個人的に抜け出た者はいても、それを組織として活かしている国はどこにもない。
……噂の女大海賊や守銭奴商人にしても、長として動いているだけで、組織として女性を活用しているわけではない。
……つまり、グワラニーという魔族はこの世界の者としては異質。
……少し興味が出てきました。
……これは明日がたのしみ。
女性に声による心の声はそう言っていた。