プロエルメルでの出来事
フェヘイラがやってきた日から時間を遡り、「第二次モレイアン川の戦い」がおこなわれたのと同じ日。
バイアに全権を委任して戦線を離脱したグワラニーが向かった先は、そこより北にある耕作地帯であった。
もちろん今は魔族軍が奪還したのだが、ほんの少し前まではフランベーニュが領地としていた場所である。
そして、魔族が放棄したこの耕作地帯には開拓民としてフランベーニュ本国から多くの自作農が送り込まれていた。
彼らは本国内あった先祖伝来の土地を「より多くの土地を与える」という名のもとに占領地にあった耕作放棄地と強制交換させられていた。
もちろん彼らはその言葉をまったく信じていなかったのだが、予想に反し、そこは本当に広く、意外にもフランベーニュのどの土地よりも豊かなだった。
たしかにこれなら交換条件としては悪くない。
彼らは喜んだ。
だが、そのときの彼らはそこに大きな問題があることに気づいていなかった。
前線に近い。
そう。
つまり、それもこれも戦乱に巻き込まれなければという条件付きの話だったのである。
そして、悲しいことにそれは起こる。
クペル平原会戦。
そして、その最終盤におこなわれた決闘にあたり、アポロン・ボナールはグワラニーにこう約束していた。
自分が敗北した場合は、モレイアン川の東側を返還する。
決闘の結果、それは実行されることになったのだが、現在プロエルメルと名が与えられた町を中心とした田園地帯もそこに含まれた。
当然クペル城主エティエンヌ・ロバウによる本国への帰還令によって多くの者は土地を離れる。
だが、それですべてが終わったわけではなかった。
プロエルメルで商売をおこなっていた者たちはグワラニーから与えられた金を元手に再出発は可能だろうが、農地を失う農民たちはそうはいかない。
彼らは帰国後今の仕事を続ける場合には、ほぼ確実に貴族の土地を借りる小作農になるしか道はなかったのだ。
彼らは集まり、どうしたらよいかを話し合った。
「……小作になどなりたくはない?言いたいことはわかる。だが、残ってどうなる?」
「どうなるも何も当然魔族の奴隷になる。そうして、甚振られ殺さる」
「そうは言っても本国に戻っても貴族の奴隷だろう」
「だが、少なくても雇い主は人間だ」
「そちらのほうが百倍よいな」
「そのとおり」
やはり、金を受け取り戻って戻るしかない。
流れがほぼ固まったところで、ひとりの男が、送られてきた布告に奇妙な文言があることに気づく。
「……『留まる意思がない者は……』とあるが、この地に留まる意思がある場合はどうなるのだ?」
そこから、再び議論百出。
結局意見はまとまらず、あくまでこの地に残るという六家族だけを残し、仲間たちは去っていった。
むろん、ロバウはもちろん、グワラニーにとってもその事態は想定外のことだった。
手を変え、品を変え説得したものの、何を根拠にしているのかはわからぬものの頑として動かず今に至っている。
「……まあ、残りたいというのなら、その意思を尊重しなければならないだろうが、今まで通りというわけにはいかないことは理解させねばなるまい。それに……」
それがこの日グワラニーが出向く理由であった。
「早急にその農民の身分をはっきりさせておかないとコンシリアの子分どもが来たときに面倒なことになる」
盛大にぼやきつつ予定外の交渉に赴くグワラニーに同行しプロエルメルにやってきた者は次のとおりである。
アーネスト・タルファ、アビリオ・ウビラタン、エルメジリオ・バロチナという三人の将軍格の指揮官と護衛隊長アイマール・コリチーバに引きられた百人の兵士。
魔術師長と副魔術師長であるアンガス・コルペリーアとデルフィン・コルペリーアと十人の魔術師。
幕僚であり、タルファ夫人でもあるアリシア・タルファ。
それから、今回は本来グワラニー軍専属ではあるが、事実上国の文官組織も抑えている「軍官」と呼ばれる官僚、その幹部も三人同行していた。
法務担当グスタヴォ・アウメイダ、財務担当エソゥアルド・ジャウジンド、それに文書作成能力に秀でた書記官アイウトン・バレアルである。
テーブルに着いたのは、魔族側がグワラニー、アリシア、アウメイダ、ジャウジンド、バレアルの五人。
農民側は、アベル・マイエンヌ、アラン・ロルヌ、アシル・クロワジル、アナトレ・モルトレ、ブリアック・レーグル、エドモン・ダンデーヌの六人。
彼らはこの地に残った六家を代表している。
「……この地に残りたいという理由を聞かせてもらおうか?」
挨拶の直後、グワラニーからやってきたフランベーニュ語の問いに六人は顔を見合わせる。
とにかく聞かれたのだから答えねばなるまい。
ここはいつもどおり適当に流すことにしよう。
いわゆるアイコンタクトで指名された最年長のマイエンヌが前回と同じの言葉を聞かせるために口を開けかけたときのことだった。
「一応警告しておけば、つまらない小細工はするな。本音を話すように」
グワラニーからやってきた言葉の重さと冷たさ。
それを感じたマイエンヌは焦る。
おかしなことをいえば、即座に斬り殺される可能性が出てきたのだから当然である。
解を探すために思考するための少しだけ長い沈黙。
そして、あらためてマイエンヌが口を開く。
「……我々は農民。この土地を失ったら何も残らない」
絞り出すように漏れ出したその言葉は、間違いなく本音。
だが、表面上はともかく、その深い意味は聞いた者にはわからない。
グワラニーはマイエンヌに目をやる。
「この土地を失うのが惜しいだろうが、それなりの金を渡すのだから、当面それで暮らし、その後ここに来る前に働いていた場所に戻ってやり直せばいいのではないか?」
「そこは国に奪われました。ここの土地と交換で」
「言っておきますが、我々は自由農民。つまり、自らの土地を持っていた。だから、好きでここに来たわけではない。交換という名目で強制的に国に土地を奪われたのだ」
「では、元の土地は?」
「おそらく貴族に安く払い下げられている」
「なるほど」
「戻るところがないのでこの地に残る。筋は通っているように思えるが、おまえたちの仲間の大部分は帰国しているではないか。つまり、本国に戻ってもなんとかなるということではないのか」
「いいえ」
「もちろん頂いた金で僻地の荒地を買い開墾する者もいるでしょうが、おそらく大部分は貴族の荘園で働くことになります」
「ですが、それはまさに奴隷」
「……おまえたちの言いたいことはわかったが、我々の国においてもおまえたちの身分は奴隷になるのだが」
「お伺いしたいのはそのことでございます」
「奴隷になった場合、我々はどのようになるのでしょうか?」
……やはり来たか。
マイエンヌからの問いにグワラニーは心の中で呟く。
そう。
実は、この問いは彼の想定集にあった。
そして、そのために軍官たちを急遽呼び寄せたのだ。
グワラニーは視線を左に座る男のひとりに向ける。
「……アウメイダ。土地を持った農民を奴隷するという前例はないと思うが、これについて法的にどのようになるのか?」
グワラニーに指名された法務担当の軍官が一礼後、それに答える。
「我が国ではほんの僅かな例外を除けば、すべての土地が王のものです。ですから、この者たちの土地もすべて国が召し上げることになります。ただし、農地を召し上げただけでは何も生まれない。基本的にはあらためてその土地を耕作している者に貸し出されることになると思います」
アウメイダが話す言葉を組織トップのグワラニーがフランベーニュ語に翻訳するという普段ではあまり見かけない光景の中で、話はさらに進む。
「……地代はどれくらいなのでしょうか?」
「土地の賃貸料は特にない。ただし、税はある」
「どれほどでしょうか?」
それに答えたのはジャウジンド。
彼はフランベーニュ語が使えたので、直接答えを言葉にする。
「我が国では兵役を免除されている人間種にはその代わりとして税を支払う義務がある。農民については生産した農作物は自らが食するものとして一割を残しそれ以外は定められた金額ですべて国に売り渡す決まりだが、生産物の四分の一または手にした代価の四分の一を税として納めることになっている。まあ、奴隷という身分であれば所有者に渡る分としてさらに一割くらいは余計に徴収されると思ったほうがいいだろう」
「その他は?」
「特別にないが……」
そう言ったところで、ジャウジンドはアウメイダに確認し、それが間違いないことを伝える。
もちろんそれを示した方は十分に高いと思っていた。
だが、聞いた者にとってそれはまったく違うものとなる。
マイエンヌは恐る恐るグワラニーに尋ねる。
「それは間違いないことなのでしょうか?」
「もちろんだ」
その瞬間、全員の表情を確認したマイエンヌは宣言する。
「では、この場でお答えします」
「我々をあなたの国の奴隷にしてください」
奴隷にしてくれ。
その言葉に衝撃を受けたのは、もちろん言われた側の者となる。
「自ら進んで奴隷になりたいとはどういう了見だ」
警備をしていたウビラタンは驚きのあまりそう言葉を吐き出し、同僚たちも大きく頷く。
だが、同じくその場に立ち会っていたタルファ夫婦はその理由が痛いほどわかる。
小麦の売り値を考えれば買い取り価格も相当安い。
だが、地代もなく、税も四割弱。
そのうえ兵役もなし。
これは奴隷とは名ばかりの完全な自由民。
いや、兵役がないのだからそれ以上。
少なくても彼らの目にはそう映るはず。
進んで奴隷になるといってもおかしくない。
もし、ノルディアでこの話をしたら、自由農民は軒並みこの国に奴隷になる。
そして、その結果、国はあっという間に崩壊する。
……そして、この方法を使えば、他国も……。
グワラニーもふたりに遅れてそれに気づく。
そして、この政策が今後の戦いに有効であることも。
ニヤリと笑い、大きく頷く。
「マイエンヌの申し出はすべて承知した。ところで、アウメイダ。彼らが奴隷になるにあたり、誰かが彼らの所有者にならねばならぬと思うのだが、いったい誰が適当なのだろうか?」
「アポロン・ボナール将軍と協定を結び、さらにこの地を開放したのですから、グワラニー様が適当でしょう」
「ジャウジンドはどう思う?」
「私も同じ意見です」
「わかった」
「では、あらためて伝える。マイエンヌほか六家の者たちは今日より私の奴隷とする。それでいいか?」
「もちろんです」
「では、すぐにそれを証する書面を用意する。それが出来上がったら署名するように」
「バレアル。契約書作成を」
プロエルメルを拠点とするアベル・マイエンヌ、アラン・ロルヌ、アシル・クロワジル、アナトレ・モルトレ、ブリアック・レーグル、エドモン・ダンデーヌを家長とする六家の者はすべてアルディーシャ・グワラニーの所有物となる。
六家は所有していた土地の権利をすべて放棄し、あらためて国より貸し与えられた土地を耕作するものとする。
六家はその生産物のうち一割を自家消費分として残す以外はすべて定めた価格で国に納めること。
兵役義務のない六家はその対価として生産物の四分の一、または代金の四分の一を国に納める。
六家はさらに生産物の十分の一、または代金の十分の一を自らの所有者アルディーシャ・グワラニーに納める。
アルディーシャ・グワラニーは六家の所有者としての義務を果たし、他者が六家の者が害す、または財産を奪う行為を防がなければならない。
さらに権利義務の区分など細かな規定が盛り込まれた契約書がつくられたわけなのだが、グワラニーにとってもっとも重要なこと。
それは骨子の最後にある自らの義務の部分である。
それこそが、グワラニーがやってきた理由でもあったのだから。
「まあ、これでコンシリアの子分どもがここで狼藉をすることはあるまい。だが……」
この土地がグワラニーの所有する奴隷が耕作する土地であることを誇らしげに書かれた看板が立ち並ぶ様子を眺めながら、グワラニーは苦笑する。
「奴隷であることをこれだけ誇るという光景はこれまで見たことがなかった。そういえば、ノルディアには奴隷はいませんでしたね」
「ただし、それに近い環境に置かれていた者たちは数多くいました。それこそ彼らよりも相当過酷な待遇でした」
グワラニーの呟きにそう答えたアリシアは続けてある提案をおこなう。
「ですが、この農民たちだけを特別扱いするのはいかがなものかと思います」
魔族の国には奴隷と呼ばれている人間は他にも数多くいる。
その待遇も改善すべきだ。
アリシアはそう主張したのである。
「もちろん国全体ですぐにそれをおこなうのは難しいでしょうが、グワラニー様の目の届くところはおこなうべきでしょう。そうでなければ不平等感が出て不満に思う者も出てきます」
「そうですね」
グワラニーはそう言葉を返してから、その女性をもう一度眺める。
そして、思う。
考え方が非常に進んでいる。
というより、これはこの世界に住む者の頭には存在しない思想。
実はこの人も別の世界から来た人間ではないのかと。
だが、素性は別にして、アリシアの言葉は正しいことは間違いない。
「こちらの方面が落ち着いてクアムートに帰ったら、それに手をつけることにしましょう」
むろんこの時のグワラニーはそれがすぐやってくると思っていたわけなのだが、まもなく予想外の事態が連続して起こり、その着手は大幅に遅れることになる。
さて、次々とやってくるグワラニーにとっての想定外の事態であるそれだが……。
その最初の出来事。
それはフランベーニュ軍の襲撃だった。
もちろん、プロエルメルに住む者たちが西岸のグボコリューバへ退去する際に利用したアンムバランは少数ながらフランベーニュ軍が駐留しているのは確認されていたため、その可能性はないとはいえないとグワラニーは想定していた。
「……フランベーニュ軍?数は?」
「五百ほど。一セパほどすればここにやってきます」
敵発見の報告に来たバロチナから敵の数を聞かされたグワラニーは苦笑いする。
「残った同胞を救いに来たというところか」
「まあ、それも我々の数が少ないからということなのだろうが」
「さて、どうしたものか?」
そう言って視線を送ったのはここにやってきたなかでは一番地位の高い実戦部隊の指揮官であるアーネスト・タルファだった。
「迎撃せざるを得ないでしょう」
「グワラニー殿の言葉どおり、奴らの目的は同胞の救援。しかも、数的に勝てる戦い。こちらが何を言おうが彼らは聞く耳は持ちますまい」
「そうだな」
タルファの言葉は正しい。
もちろんグワラニーもそう思う。
そして、あの程度の数ならばデルフィンの魔法で一撃。
すぐにカタがつく。
問題は、救いに来た同胞を目の前で殺された農民たちの心情だ。
……さすがに付き合いが長いわけではない彼らの気持ちまでは読み切れない。
その心の声が表情に現れたグワラニーのもとに声が届く。
「彼らに確かめてはいかがですか?『敵であるフランベーニュ軍が攻めてきたので今から迎撃する。だが、皆がこの機会に戻りたいのなら我々は撤退し、その猶予を与えるが』と。元々私たちはそれを望んでいたわけですから、そこで彼らがフランベーニュに帰るといえば、彼らの意志を尊重してやればいいでしょう」
迷うグワラニーにそう言って助け船を差し向けたのはアリシアだった。
グワラニーはその提案を受け入れ、六家の代表にそれを問うた。
そして、最後にこう付け加えた。
「もし、皆の気が変わったというのなら、それを許す」
これで戻る気になる。
それがグワラニーの予想だった。
だが、六人の答えはグワラニーの予想とは相反するものだった。
「我々にとっての心配はグワラニー様が負けることだけでございます」
その言葉に少しだけ意外そうな表情をしたグワラニーが重ねて問う。
「つまり、フランベーニュ軍を叩いても構わないということか?」
「もちろんです」
「言っておくが、我々は負けることはないぞ」
「それは結構なことです」
グワラニーは悟る。
彼らが求めているのは悪政を極める同胞よりも善政を敷く異国人であることを。
グワラニーは立ち上がる。
「我が民を守るために、敵を迎撃殲滅する」
「コリチーバ。おまえは兵五十を率いて、魔術師長とともにこの町に残り町を守れ」
「残りは私とともに敵を迎撃する」
タルファやウビラタ、バロチナはいるものの、わずか五十人強。
だが、誰もが心配していない。
そして、別の世界の約十五分にあたる十ドゥアが経った頃プロエルメルの西で大きな火球が確認される。
続いて、さらに離れた場所が火球に包まれる。
「……亡きボナール将軍との協定を破ったフランベーニュ軍に対する制裁と、我々に手を出すとどうなるかということを対岸にいるフランベーニュの奴らに示すためです。あれだけのものに見せておけば、簡単には手を出しますまい」
必要以上の大きさでおこなったアンムバランの完全破壊の意味についてタルファに問われたグワラニーの言葉である。
もちろんこれはグワラニーにとって最小限度の自衛行動であったのだが、その巨大な火球と驚くべき破壊力の噂はすぐに広がる。
そして、それは近くの町に滞在していたある男の興味を引き、その男と仲間を呼び寄せるきっかけとなる。




