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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十三章 ミュランジ城攻防戦

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第四次モレイアン川の戦い Ⅱ

 魔族軍の先頭をいく船。

 もちろんそこには今回の戦いの主役となる三人の魔術師が乗る。

 漕ぎ手のひとりがそのなかのひとりに問う。


「パウナミン様。ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何だ?」


 やってきた言葉にその相手となるパウナミンが短く応えると、その男は自らが持った疑問を口にする。


「例の回廊を暗闇に通過するのはこちらの兵たちの技術では難しいです。それにもかかわらず、パウナミン様が夜の明ける前に出陣するよう強く求めた理由は何なのでしょうか?」


 たしかにこの言葉は筋が通っている。

 川の流れのなか障害物の間を通り抜けなければならない場所を夜間航行するなど余程の土地勘と技術がなければできるものではない。

 当然その両者を持たない魔族軍は明るくなるまで回廊に挑むわけにはいかないのだが、そうなるとこの時間から川に出ている必要などないということになる。航行には危険を伴う夜間に船を出すのにはそれ相応の理由があるはず。

 その理由は何かと男は尋ねていたのだ。


 パウナミンは尋ねた相手を見る。

 それから、言葉を口にする。


「我々魔術師団の都合だ」

「魔術師団の都合?」

「そうだ」


「先ほど岸に残る者たちと防御魔法の受け渡しをおこなった」


「フランベーニュ側にそれなりの魔術師がいれば魔力の差によって当然それに気づく」


「そうなれば、探すだろう。その前任者を。だが、それが夜となればどうなる?」


 通常魔術師は相手の魔術師を発見するのは魔力による。

 それはかなり離れたところからでも確認できる便利なものであるが、魔力を消されたときにはその居場所がわからなくなる。

 そうなれば、慌てて物理的にその魔術師を探そうとするが、暗闇ではそれは不可能。

 それが闇に乗じて船を出した理由ということである。


 ふたりの魔術師は大きく頷く。


「暗闇ではその者がどこに行ったのかわからないということですか。つまり、パウナミン様が先頭の船に乗っていることに気づかれないようにするためなのですね」

「そう。そして、それに気づくのは最初の一撃が撃たれた後。つまり、例の男が火だるまになってからだということだ」


「ですが……」


「防御魔法の低下に気づいた時点でフランベーニュの魔術師たちが攻撃を開始するということはありませんか」

「我々魔術師ならそう思う。だが……」


「……その心配は不要なのだ」


 ウアナリーからやってきた問いにそこまで答えたところで一旦言葉を切ったパウナミンはニヤリと笑う。


「奴らも我が軍の将軍どもと同じ。剣でケリをつけることを至高と考えている」


 パウナミンが皮肉交じりに口にしたこの言葉。

 実は事実である。

 特に陸軍以上に古典的な騎士道精神的風潮が残る海軍においては。


 飛び道具や魔法の使用は卑怯者の証し。


 攻撃は剣士がおこない、海軍に所属している魔術師が使用するのは転移魔法と防御魔法という基本がその精神の現われと言ってもいいだろう。


 ただし、海軍に所属している者がすべて魔法を軽視しているかといえばそうではない。

 指揮官によってはそれを躊躇なく使う者もいる。

 ミュランジ城攻防戦の緒戦においてフランベーニュ軍が披露した、油と火球を組み合わせたコンボ技で大戦果を挙げたロシュフォールもそのひとりである。


 もちろん、敵の防御魔法が弱まっていることを察知しても先制攻撃はおこなわれないというパウナミン読み自体は当たっていた。

 ただし、その理由はまったく違う。

 パウナミンがそれを知るのはもう少し先のことである。


 ふたりが自らの言葉に納得し、もう一度頷くのを見たパウナミンは言葉をつけ加える。

 少しだけ黒味を増した笑みを浮かべて。


「もっともフランベーニュ軍は魔法攻撃をおこなった場合、我々の防御に専念させている岸に残る魔術師は残念なことになるかもしれない。もちろん本陣にいる総司令官も」

「そうですね。ですが、総司令官もまさか自分がいる本陣が防御魔法で守られていないとは思いますまい」

「ああ。だが、それは仕方あるまい。優先順位が一番低いのだから。それに……これだけの損害を出していれば総司令官であるあの男は必ず責任を問われる。それも最上級の。生きていてもいいことは待っていないのだ。そうであれば勝利に貢献して戦死したほうがいいだろう」

「まったくです」


 それは三人だけに届く小さな声での会話だった。


 そうして迎えた夜明け。

 それと同時に魔族軍は回廊入り口に殺到する。


 実は彼らの中には奇襲という形で回廊突破が一気にできるのではないかという淡い期待を抱く者が少なからず存在した。

 だが、残念ながらそうはならず、彼らは明るくなった川面にフランベーニュ軍兵士を乗せた多数の船が並んでいることを目にする。


「……まあ、そうだろうな」


 セリテナーリオはそう呟き、彼よりもその期待の度合いが大きかったアルタミアは憂さ晴らしのようにこのような皮肉を口にする。


「毎晩の寝ずの番。ご苦労なことだ」


「今日ぐらい休めばよかったものを」


 そう。

 魔族軍は川に浮かぶ自分たちを発見してから慌てて船を出したのではこうも見事に兵を展開できないことから、フランベーニュ軍は夜襲を警戒して夜も大量の船を浮かべていると考えていたのだ。

 だが、それは大きな意味では間違っていた。

 もちろん警戒のための船は出しているが、現在魔族軍が見ている三千艘の船の大部分は先ほど岸を離れたものである。


 フランベーニュ海軍が使用する、魔族軍が使用するものよりはるかに性能のよい望遠鏡を利用した対岸の監視と信号旗を使った迅速な情報共有。


 それがフランベーニュ軍の展開力の速さのカラクリ。

 魔族軍はこの時点でもそれに気づいていなかったのである。


「……まあ、いい」


「どちらにしても、おまえたちが武勇を誇るのも今日までだ」


 アルタミアが自信満々にそう呟いたのに続き、それより前方で指揮を執るセリテナーリオが最後の確認をおこなったあとに声を上げる。


「回廊へ突入せよ」


 その言葉とともに魔族軍は動き出し、それに合わせるようにフランベーニュ軍もその場所に集まり始める。


「揺れますね」

「ああ。こういうことならあれだけ転覆するのもわかるな」

「ですが、我々がこれまで溺れ死んだ者たちと同類となってしまっては元も子もなくなります」

「そうだな」


 重責を担う三人の魔術師は予想以上の揺れと障害物に囲まれた狭い水路を進む困難さを実感し、不安な気持ちが心に過るのを抑えきれなかった。

 そして、後方を進む数艘が転覆し、悲鳴を上げながら流されていく兵士を間近で見たことでそれはさらに増大する。


「大丈夫か?」


 思わず聞いてしまったパウナミンの問いはその心の揺れを表すものといえるだろう。

 だが、その問いに微笑みで応じた漕ぎ手を任された者たちは何食わぬ顔で進む。


「……問題ないということか?」

「もちろん」


 再び問うたパウナミンの言葉にそう応じたのは、コムニーダ・ペリディアン。

 自らが抱える兵士のなかで最も有能な者をこの船に乗せたことからもセリテナーリオのこの戦いに対する意気込みがわかるというものであろう。


 ペリディアンからの言葉。

 それから、揺れに対する慣れ。

 落ち着きを取り戻した三人はようやく前方の注視する余裕が出てくる。

 そして、そこで初めて前方に浮かぶ敵船の配置がいつもと違うことに気づく。


「……違いますね」

「ああ」


 ウアナリーの呟きにパウナミンが不機嫌そうに応える。


「あの様子では目標の男は先頭には来ませんね」

「そうなるな。よくて五艘目。下手をすればさらに後ろになる」


 それは予想外かつ予定外のことであった。

 パウナミンとしてはギリギリまで引き寄せたところで火球をお見舞いし一撃でロシュフォールを仕留めるつもりであった。

 だが、それはロシュフォールが先頭の船に乗っていることが前提であり、後方に控えるターゲットが予定通りの距離までやってくるのを待っていたら、前方の船に乗る兵士に乗り込まれてしまう。


「……どうしますか?パウナミン様」

「やむを得ない。予定通り先頭の船をギリギリまで引き寄せたところで攻撃を開始する。私が例の男を仕留めるから、おまえたちは前方の船に乗る兵士どもを仕留めろ」

「承知しました」


「それから、奴の代わりに先頭でやってくる者たちだ。殺気だけで気づかれるかもしれない。攻撃直前まで目を伏せていろ。杖も隠せ」

「承知しました」


 当初の予定とは違ったが、失敗はない。


 この時点ではパウナミンは成功を疑わなかった。

 もちろんふたりの副魔術師長も。

 だが、その直後彼らの想定にはないことが起こる。


「氷槍。多数」


 ペリディアンの声で顔を上げた三人が見たもの。

 それは直線というよりは緩やかな放物線を描きながらやってくる大量の氷の槍。

 二艘目と三艘目、さらに四艘目と五艘目に乗る者たちから放たれた魔法攻撃だった。


 その日より七日前の夜のミュランジ城内。


「……魔族が私の暗殺を企てる?」


 目の前にいる男からやってきた驚くべき言葉にロシュフォールは驚く。


「フランベーニュ軍人どころかあのアリターナ軍でさえ、こそこそと人殺しをするなど最低の者のおこないだと軽蔑するのだ。それを自尊心の塊とされる魔族の軍人がおこなうとは思えない」


「それに、たとえ奴らがその気になっても、私と奴らが接触するのは戦場のみ。戦場で戦うのなら暗殺とは……」


 そこまで捲し立てたロシュフォールが戦場での暗殺と聞いて思い当たったこと。

 それは魔族側の将軍たちが辿り着いたものと同じだった。


「……毒か」


 だが、ロシュフォールはすぐに気づく。

 目の前にいるのは魔術師。

 となれば、そこで使われるのが彼らにとって身近なものだからその可能性に気づいたのだ。


「もしかして、魔法か?」


 もちろんその推測は当たっていたことを示すようにロシュフォールの言葉に男は頷く。

 だが、そうであっても疑問は残る。


「魔法で攻撃してくるのであれば特別に暗殺などではないだろう。それに、そのような攻撃を受けぬようにおまえたちが守っているのだろう」


 ロシュフォールの言葉は正論である。

 そして、フランベーニュでも高位の魔術師とされるその男オートリーブ・エゲヴィーブが傍らにいるかぎりそのような事態には陥らないはずだ。


 いや。

 相手が魔族となれば例外はある。


「もしかして、敵にボナール将軍の配下四十万を一瞬で消し炭にした魔術師が紛れ込んでいるのか?」


 もちろんそうであれば、彼が抱える魔術師の防御魔法など簡単に突き破ることは想像できる。

 だが、そうであれば、自分ひとりなどという面倒なことをせずすべてのフランベーニュ軍を吹き飛ばすはず。

 つまり、そのような魔術師はいないということだ。


 自らの思考が正解と不正解の間を行ったり来たりした挙句、迷宮に迷い込んだのを自覚したロシュフォールは苦笑する。


「正解を聞かせてもらったほうがよさそうだ」


 そう言ったロシュフォールが言葉とジェスチャーでお手上げであることを示すと、その男は恭しく頷く。


「私の見立てでは、対峙している魔族軍で一番才のある魔術師でも私よりはるかに上というわけではありません」


「ですから、クペル城平原でおこなったという大魔法と同等どころか、何重にも張り巡らせた我が軍の防御魔法を破ることだってできますまい。そして、私が提督に対して施している防御魔法を打ち破り提督の命を奪うということも無理でしょう」


「ですが、攻撃魔法はそれだけではありません」


「以前、我々魔術師は、今とは違う系統の魔法で相手を攻撃していました。そして、それらの魔法は現在我々が展開している防御魔法では防げないものでもあります」


「回廊を出る手立てが見つからない現状が変わらないようであれば、いずれ魔術師側からこの魔法を使用して提督をはじめとした回廊を塞ぐ者たちの排除が提案されることでしょう」


「そして、その方法でもっとも可能性が高いのは近距離から火球を撃ち込み相手を火あぶりにすること」


「もちろん火球、そして二番目の候補である氷槍以外にも雷系や風系の攻撃魔法というものもあるのですが、これは正確性が非常に低いため扱いは難しいとされています。ですから、今回に関しては火球か氷槍のどちらかが使用されると思われます。まあ、私なら剣では防げぬ火球を選びますし、彼らもそうでしょうから、その話をすれば……」


「水系統の魔法を当て効果を打ち消すというのが火球に対する方法となります」


「ですから、近距離から撃たれたその魔法を防ぐには基本的に守るべき対象のすぐにそばにその対抗魔法を使用できる者がいる必要があります」


「そして、提督が自身でできることがあるとすれば、先頭の船には乗らないということでしょう。距離があれば、防ぐことはできなくても避けることはできるでしょうから」

「なるほど」


「だが、刺客がいるからと言って部下の後ろに隠れるわけにはいかない。戦いが始まれば今までどおり先頭に立つ。やられたとときはそれまでだと思うしかないな」

「まあ、提督ならそう言うだろうと思っていました」


 すべてを理解したものの、戦いが始まれば先頭に立つと言い放ったロシュフォールの言葉はエゲヴィーブにとって予想通りと言えるものだった。


「そこで私からひとつ提案があります」


「奴らが狩りにやってきたとき。そのときだけは私の指示に従っていただきたい」

「まあ、その程度なら構わないが……チョット待て。エゲヴィーブ」


 渋々ながら承諾しかかったところでロシュフォールはあることに気づく。


「ということは、おまえは奴らがいつ私を殺しにやってくるのかわかるということなのか?」


 そう。

 ロシュフォールの言葉どおり、エゲヴィーブの提案には大きな条件が枷のようにつけられている。


 魔族が狩りにやってくるときだけは自分の指示に従え。


 つまり、それ以外は今まで通りで構わないということである。

 だが、これは海軍提督の命に関わるもの。

 空振りは許されない。

 とりあえず来ると予想し来なかった場合はいい。

 しかし、その逆だった場合そうはいかない。


 そのようなことは重々承知のうえでエゲヴィーブはその言葉を口にしている。

 つまり、その予想には明確な根拠があるということである。


「聞かせてもらおうか?その自信の根拠を」


 ロシュフォールからやってきたその言葉にエゲヴィーブは頷く。


「戦いが始まってから私が注視していたのは常に敵魔術師たちの動向。その中でも敵の魔術師長であると思われる男。それからおそらく副魔術師長と思われる者ふたり。この三人は他の者に比べて圧倒的な力を有していました。特に魔術師長と思われる男はその中でも特別才のある者でした」


「先日多くの魔術師とともにふたりの副魔術師長と思われる者がこの地から姿を消してからは魔術師長と思われる者の才はさらに目立つようになりました」


「そして、ティールングルでの大敗。ほぼ間違いなくそこで全滅したのはここから転移した部隊でしょう。今後増援部隊が来るかどうかはわかりませんが、ミュランジ城を落とす前提であるこちらの岸に渡るにはどうしたよいかを彼ら必死に考え、ある結論に辿り着く」


「突破しなければならない壁。その壁になっている者を排除しなければならないと」


「だが、剣の力で解決するのは難しい。それは戦いを見ていれば誰にでもわかる。では、どうしたらよいか?」

「それが魔法というわけか」

「そういうことです。ですが、それをおこなうにはふたつ条件があります」


「ひとつは現在その魔術師がほぼひとりでおこなっている自軍の防御を他者に任せなければならないこと」


「それから、もうひとつは至近距離で火球を撃つ必要から彼自身が最前線に出て来なければならないことです」


「そして、我々はその機会を捉え、その魔術師を討つ。それによって現在は我々の優勢という状況が一気に勝ちへの流れと進むでしょう」


「……いつも思うが魔術師長よりも策士として生きたほうが出世しそうだな。おまえは」


 すべてを聞き終えたロシュフォールは苦笑いする。


「だが、そこまで聞かされてもつまらない意地を張って死を迎えるほど私も愚かではない」


「その策に乗ることにしよう」


 そう言ったロシュフォールはエゲヴィーブにそれを披露するように促すと、魔術師よりも策士の方がふさわしいと評されたその男が口を開く。


「先ほども言ったとおり、この役を魔力の低い者には任せられない魔術師長らしき男は必ず自らがおこなうように動く。というより、動かざるを得ない。そうなれば、現在は自らがおこなっている防御魔法の担い手を交代せねばならない。もし、それが起これば、提督殺害の策がまもなく始まるということでしょう」


「ですが、それだけではまもなく起こることがわかっても誰がということはわかりません。おそらくその男も魔術師である以上魔術師が他の魔術師を発見する方法は知っている。だから、できれば数日前、どんなに遅くても離岸までには自らの魔力を消します」


「ですから、それ以前にその魔術師を自らの目で確認しておく必要があるのです」

「……なるほど」


「それでその者を把握しているのか?」

「もちろんです。望遠鏡で見た顔をしっかり覚えました」


「ついでにいっておけば、魔術師は相手魔術師を探し当てるために相手も魔力を拠り所にするわけですが、それを至高のものと思い、それだけを頼りとする傾向が強い。というより、余程の変人でなければそれだけに頼る。ですから、魔族の魔術師も我々が自分を目で探すのは魔力が消えてからだと思い込んでいるでしょう」


「まあ、それはあくまで陸上での話であり、海の上では海軍も海賊も皆やっていることなのですが」


 自らを変人と表現するところがこの男らしい。


 そう呟いたロシュフォールが口を開く。


「それで、ふたつの条件が揃ったとして、相手の魔術師長をどう仕留める?」


「まあ、私も魔術師ですから当然魔法を使用するわけですが、相手も魔法で攻撃されることくらいは想定していることでしょう。また、至近距離からの攻撃をおこなうのですから直線的に火球を撃つことになります。そうなると前方に味方がいれば巻き添えになる可能性があるため、術者は先頭の船に乗ることになります。そうなれば剣士に乗り込まれた場合の可能性も考慮し対策を施していることでしょう。ですから、相手の虚を突く意味からもそれ以外の策をひとつ加えてみたいと思います」


「魔法でも剣でもない別の策?何だ。それは」

「ボンボンです」


 さて、話を氷槍が降り注いでくる現在に戻そう。

 

 有能な魔術師であるはずのパウナミンが間近に迫ってくるまで氷槍に気づかなかったのはなぜなのか?


 実は気づいていた。

 正確にはその攻撃の直前多数の魔法が発動されていることは。

 だが、さすがにこの船をピンポイントで狙っているわけでない、それどころか自分をあぶり出すためのデモンストレーションの可能性が高いと考え、敢えて無視した。

 だが、それは完全に失敗だった。


「パウナミン様。氷槍が直撃します」

「た、対抗魔法。近すぎる。大きいのはダメだ。氷槍の軌道が読めないから火球は飛ばすな。頭上で食い止めろ」


 クナニの悲鳴にすぐさま指示を出すものの、目の前に迫っていた氷槍に対する恐怖のため、やや不正確なものになる。

 だが、とにかく頭上でつくられた火球のおかげでどうにか氷槍は防ぎ切る。

 いや。

 防ぎ切ったはずだった。

 しかし……。


「……パウナミン様」

「これはいったい……」


 自分たちがつくり出した炎から降ってくる多数の火球。

 それぞれはそれほど大きなものではないのだから対抗魔法で防ぐことができるものだ。

 だが、さすがに目と鼻くらいの近さ、そして数の多さ。

 しかも、現在は氷槍を防ぐ盾にするため自らがつくった火球をその場に留めるために精神を集中しているため、それを防ぐ手立てがない。


 そして、その小さな火球が自らに直撃する瞬間、そのあり得ない出来事の正体を知る。


「なんだ。この壺は……」


 そう。

 漏れ出すはずがない火球から炎が零れ落ち、自分たちを炎に包んだ正体。


 それはフランベーニュ軍の一艘目に乗る兵たちが投擲した壺だった。


 もちろんただの壺ではない。

 爆発的に燃えるように調合された油入りの壺でこの世界の火炎瓶「海上松明」で使用されるものである。

 ちなみに、それらは火をつけられる前には別の名で呼ばれることもある。


 ボンボン、またはリキュール・ボンボン。


 遥か昔、大海賊のひとりが砂糖とほぼ同時期にこの世界にもたらしたとされる、ある菓子のものと同一であるその名前とは裏腹に中身はアルコール度数が非常に高く発火性が高い液体のため、本来は詰め込みをおこなうのは使用直前である。

 だが、今回は特別。


「質より数」


 そう言って詰め込みを命じたエゲヴィーブに兵士のひとりが問うた。


「エゲヴィーブ殿。大量につくるのはいいですが、小舟一艘に乗る兵士の数では短時間に『海上松明』をつくって投げ込むのは難しいのでは?」


「もしかして、前回と敵船焼き討ちと同じように半分は『リキュール・ボンボン』にするのですか?」


 そのとおりである。

さらにいえば、そんなものを大量に積み込んでいては、腹に火薬を抱えているようなもの。

 一撃食らえば一瞬で終わる。


「大丈夫」


 すべてのことをそのひとことで終わらせたゲヴィーブはそのひとつに対してこう答えた。


「すべて火はつけず『リキュール・ボンボン』の状態で投げ込む」


「だが、それでも問題ないのだよ。火はあちらで用意してくれるのだから」


 つまり、後方の魔術師が氷槍の雨を降らし、相手が対抗魔法として火球を発動させたところに一艘目に乗る兵士がこの世界の火炎瓶を投げ込む。

 火炎なしで。

 自分たちがつくった火球から火球を降り注ぐなど想定していなかった相手は大混乱に陥る。

 しかも、壺自体強力な物理的武器となる。

 パウナミンとウアナリーの頭に直撃し一発で戦闘不能にしたように。


 状況はすべてエゲヴィーブの想定通りとなる。


 そして、術者の昏倒と混乱により術が解け、火球の消えたところに氷槍第二射がやってくる。


「ひとりでは防ぎようがない」


 炎上する船、そして対抗魔法である火球を生み出すと再びふたりを昏倒させたものがやってくるのではないかと不安から動揺し、思考が極端になったクナニが最後に採った策。

 それは……。

 すべてを置き去りにした転移魔法によるこの場からの脱出。


 だが、それも叶わず。


「転移避け。なんと悪辣な」


 こうなれば、すべてを防ぎ切るだけと思ったものの、さすがにこれだけ右往左往し貴重な時間を浪費すれば間に合うものも間に合わない。

 やってきた数多くの氷の槍のうちの三本が彼の身体を貫く。

 もちろんすでにその場で動かなくなっている者たちの身体にも。


 さらに第三射。

 四射目。

 とどめ。

 いや、これはオーバーキルと表現できるものである。


 最後に、今度は火をつけて完品状態の海上松明が降り注がれる。


 爆発的に炎上するその船。

 むろん生存者などいない。


 だが、魔術師たちによる暴虐の宴はこれで終わりではなかった。


 炎上し沈み始めた一艘の敵船をミュランジ城の物見櫓から眺めていたエゲヴィーブは薄い笑みを浮かべていた。


「それで、続きはいかがいたしますか?」


 隣に立つ副魔術師長フルク・モンバザンが問うたのは、予定通り次の段階に進むかということだ。


 第一段階が完全な形で成功したのだ。

 エゲヴィーブのなかにそれをおこなわない理由はない。


「当然第二幕に進む。提督には最終段階までいくことへの許可は得ているのだ。ここまで出番がなかった分たっぷりと楽しむ」


「モンサルヴィへ連絡せよ。信号旗。魔術師は予定通り掃討戦へ移行する。提督たちに進路を譲り後方へ下がれと」


 川船からの攻撃を指揮していたエメリー・モンサルヴィへの連絡を指示したエゲヴィーブはモンバザンに目をやり、何かを期待しているその表情に笑みを浮かべる。


「……わかった。おまえも下に行って攻撃の指揮をして……」


 その言葉が終わらぬうちにその男の姿が消えると、エゲヴィーブは呟く。


「どいつもこいつも宴が好きな者ばかりだ……」


 それから少しだけ時間が経った同じ場所。

 モンサルヴィ、続いてモンバザンから準備完了の合図を受け取ったエゲヴィーブは大きく頷く。


「よろしい」


「では、宴を始める」


「信号旗。攻撃開始」


 そこから始まった魔術師たちの宴。

 それはこの戦いの締めくくりにふさわしいものといえた。

 船に乗る魔術師は魔族軍の第二陣、第三陣にあたる後方部隊に対して火球の雨を降らせる。


 そして、フランベーニュ軍の攻撃に魔族軍が応戦する形で始まった川を挟んだ両岸からの攻撃魔法の激しい撃ちあい。

 しかも、使用するのはすべてオールドスタイルの魔法。


 それは軍所属の魔術師なら誰もが夢見る光景。

 それとともに、一生のうちに出会えるかどうかわからない経験でもある。

 圧倒的有利な立場のフランベーニュの魔術師だけではなく、質量とも劣る魔族軍に属する魔術師でさえこれに参加できたという高揚感を抑えられないのは当然のことといえるだろう。


 だが、その派手な戦いの巻き添えになった部外者もいた。


 まず、ミュランジ城攻略部隊の総司令官アドリアン・ポリティラ。

 流れ弾となる火球二発が本陣に直撃。

 ドゥアルテ・ソアレスら取り巻きたちとともに絶命した。


 さらに救護小屋も。


 これは別の世界なら当然非難されるべきものである。

 だが、この世界には赤十字マークも、戦時陸戦協定も存在しない。

 もし、これに関して非難される者がいたならば、それは敵に見える位置に救護小屋を建てることを命じた者となるだろう。

 まあ、それは貴重な魔術師を戦力外になっている者のために割かなくてもいいように本陣隣に建てたという合理的理由もあり、さらに言えばこの時点でそれを命じた者はすでにこの世にいなかったのだが。


 さて、周囲のものを巻き込みながらの魔法戦。


 命令系統も確立されていない状況。

 しかも、突然何が起こったかかもわからぬまま応戦という形で始まった状況を考えれば魔族側の魔術師たちの奮闘は特筆されるべきものといえる。

 だが、所詮多勢に無勢。

 そう長くはもたない。


 次々被弾し倒れていく。


 そして、最後まで抵抗していた一群が沈黙し魔族側からの反撃がなくなったのを確認後、さらに二度一斉攻撃をおこない残存しているものがいないかを確かめ、ようやく終了したその宴。

 公的な資料以外にもこの派手な戦いの様子を記述したものは数多く残っている。

 それだけで一冊の書が出来上がるほどに。


 それだけその場にいた者にとってその光景は印象深いものだったのだろうが、実をいえば、これだけ大規模な魔法戦というのは長い戦いの歴史の中でも珍しかった。

 もちろんクペル平原での魔法など単独の魔法としてはさらに大きなものは存在する。

 だが、両者による派手な撃ちあいとなると今回のものよりかなり規模を小さくしても両手で収まる程度の例しかないのだ。

 それを見た者が様子を書き留めたいと思うのは当然のことなのだろう。


 そして、魔術師たちによるこの盛大な宴を取り仕切った魔術師長オートリーブ・エゲヴィーブについてアーネスト・ロシュフォールは戦いの直後このようなことを口にしている。


「チンピラ海賊ごときに苦杯を舐めたあの海戦もエゲヴィーブが隣にいれば負けることはなかったであろう」


 だが、あの戦いの直前に病気で船を下りていたエゲヴィーブがいればという後悔の言葉を語った直後、ロシュフォールは苦笑いし、その言葉をすぐさま取り消す。


「いや。あの時負けていなければ私自身も大海賊の宴に巻き込まれ死んでいたのだ。そう考えれば、あの時はあれでよし。今この場にエゲヴィーブがいることだけを喜ぶべきだな」


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