もうひとつの邂逅 Ⅱ
あの日の二日前。
マチンガまで自分たちを転移魔法で運んでくれる約束をその屋敷の主から取りつけ、その邸宅をあとにしたグワラニーが隣を歩くもうひとりの男に話しかける。
「我が国最高の魔術師であるあの老人を私の配下にできる策はないか?バイア」
将軍どころか戦士という軍における最下位の肩書すらなく、五百人にも満たない兵を抱えるだけのグワラニーが身分不相応な願望を口にしたのには訳がある。
グワラニーが抱える魔術師は約八十人。
絶対数としてはそれほど多い数ではない。
だが、所属する魔術師は一般兵士の一割というのがその標準となる魔族軍の実情を考えれば、兵士の数がわずか二百五十人のグワラニーの部隊に八十人もの魔術師が所属しているのは驚きともいえる。
とは言うものの、その質がどうかといえば、グワラニーが望んでいるものとは雲泥の差。
そう言わざるを得ない状況であった。
もちろん転移魔法が使えれば十分な戦力となる現在魔族軍が繰り返しおこなっているゲリラ戦のような戦いであるならばそうであっても問題はない。
しかし、魔法による攻撃と防御が重要となってくるもっと大掛かりな戦闘においてはそれでは圧倒的な能力不足なのだ。
そういうことであれば、必要な能力を持った魔術師をあらたに迎え入れればいいだろうと思うだろうが、現実はそう甘くはない。
これについては魔族の世界独特の少々込み入った事情が大きく関係しているのでそれについて多少なりとも説明をしておく必要があるだろう。
魔術師を忌み嫌う傾向がある人間社会と違い、グワラニーが属する世界では魔術師は特別な存在として優遇され、たとえ王であっても命令によって軍に配属されることはできない。
逆にいえば各指揮官は好きな魔術師と交渉し首尾よく契約ができれば配下にできるのだが、もちろん問題はある。
魔術師を雇うにあたり王から支給されるその資金はひとり一日あたり銀貨百五十枚。
十日単位で前払いとなる給金は金貨十五枚。
これは雇い入れる側である騎士団長クラスの者に支払われるものと同等である。
だが、魔術師が不足している現在の魔族の国では並の魔術師を雇い入れるにもそれではまったく足りず、残りは雇い主の持ち出しとなる。
そして、当然ではあるものの有能な魔術師となれば持ち出し額はその比ではない。
そう。
この状況はまさに「売り手市場」そのもの。
結果としてひとりの将軍が雇える魔術師の数は限られてくる。
つまり、文官時代に得た多くの成功報酬と、それを元手にした言葉にはできない方法でおこなったそれ相応の蓄財、そしてなによりも最初の戦いでの成功に対する驚きべき報酬によって資金に相当な余裕があったグワラニーがご祝儀的に王から一時的に貸し出された多数の魔術師たちを正式な配下とし、現在もそのまま雇い入れているのは例外中の例外といえるのである。
そして、例の成功を喜んだ王から賜った目が飛び出るようなその報酬を手にした今の彼ならば現在の契約者の承認を取り付けたうえで今以上の報酬を約束すれば、他の将軍配下の魔術師を引き抜くことも可能ではある。
だが、形式上は許されるものとはいえ、札束で頬を叩くようなやり方で有能な魔術師を引き抜いたとなれば、その魔術師の元の所属先である将軍とは折り合いが悪くなるのは当然なわけで、軍人としては駆け出しの身であるグワラニーにとってそれは避けなければならないことである。
しかも、さすがにそのようなやり方で人材を取り込み続ければこの世界におけるサラリーキャップ問題は間違いなくグワラニーのもとにもやってくる。
そして、それによりはじき出される立場となるのは、魔術師としての能力は劣るが、グワラニーがこれからおこなうすべての作戦の根幹をなすものであるとして時間と経費をかけてこの世界のどこにでも転移できるよう多くの経験をさせた者たち。
当然クビにするわけにはいかない。
だが、そうかといってその魔術師たちの能力を自らが求めているレベルまで短期間に引き上げることができるのかといえば、それも難しい。
つまり、グワラニーが採るべき道は、どの将軍とも契約していない魔術師を手ごろな報酬を支払う契約で配下にする以外にないわけなのだが、そこに立ちはだかるのは最初の前提条件である「高い能力の所有者」となる。
そういうことで、「どこに止まっても振り出しに戻る」双六のごとき「現在フリーで報酬は安く、しかも高い魔法スキルの所有者」を探していたグワラニーが目をつけたのが魔族の国最高の魔術師と謳われるアンガス・コルペリーアだったというわけである。
だが、その老人との交渉は一筋縄でいくとは思えなかった。
「たしかに今日話をした老人が我々のもとにやってきてくれればすばらしいことです。なにしろ、本人が我が国最高の魔術師というだけではなく、数千人もの有能な弟子も抱えているのですから。ですが、実現するのはやや厳しいように思えます」
現実はまさに側近の男の言葉どおり。
多くの弟子を抱えたそれだけの実力者を将軍たちが放っておくはずがなく、これまで数えきれないくらいの誘いがあった。
それもとんでもない高条件を用意して。
だが、理由はわからぬものの、老人はそれらすべてを断っていた。
その老人を引き入れるなど、さすがのグワラニーでも簡単にはできないと言わざるを得ない。
側近の男は主だけではなく自分自身も慰めるように言葉を続ける。
「今回はマチンガまで転移魔法で連れて行ってくれるというところで、よしとしましょう。我が陣営に加わってもらう件については、今回できた繋がりをテコにして追々ということで」
もちろん、その程度のことはグワラニーだって言われなくても承知している。
「そうだな。私の配下の魔術師にマチンガまで飛べる者がいなかったことと、老人がマチンガに行けることが重なって偶然まとまったこの話。精一杯ご機嫌取りをして関係悪化を招くことだけは避けるよう気をつけることにしよう」
「それがよろしいでしょう。とにかく、今回は老人の好みや意向を知るために現場でもなるべく多く話をすることが肝要です。なにしろ我々はかの老人のことを何も知らないのですから」
「……わかった」
多くの想定とその対策を施し、自分たちをマチンガまで連れて行ってくれる老魔術師を仲間に引き入れるネタを手に入れることをおまけのように付け加えたグワラニーたちだったが、その日、思いもよらずその目的を飛び越えて、さらに先にあるものがやってきた。
それが現状ということになる。
「ですが、あの条件で誘った者が言うのはおかしなものではありますが、老人が追加条件なしで我々の側に加わるとはとても信じられません。こちらにやってくるのには何か別の目的があると思われますのでご注意あられたし」
希望通りこの国最高の魔術師が自らの陣営に加わったことを、吉事と喜ぶだけではなく何か策略の疑いがあるので注意すべきだと堂々と主張するバイアの言葉にグワラニーは感嘆する。
だが、実を言えば、その男だけではなく、グワラニー自身もその満面の笑みの裏側で老人の行動を訝しんでいた。
なにしろ、それまで破格の条件を提示して自陣営への加わることを請うた将軍たちの要請をすべて拒んだ老人に対して、グワラニーが示した条件は現在人間領となっている故郷に老人を返す。
たったそれだけ。
しかも、それは人間との闘いに勝利しないと手に入らないという、現在の戦況を考えれば、空手形の見本のようなもの。
……老人がこの条件で参陣することに同意したことをただ喜ぶ者など余程のお人よし以外にはいないだろうと思うのだが、案外そうでもない。
……世の中そのお人よしがなんと多いことか。
……それともその程度のこともわからぬ馬鹿か鈍感が多いということか。
……まあ、自分の都合の良いものだけを信じる輩が世の中の大部分だというのはどの世界でも同じであり、だからこそ、そうではない私やバイアの価値が上がるのだが。
心の中でその言葉をじっくりと噛みしめてからグワラニーは口を開く。
「まあ、そうだろうな。何か隠していることは間違いないだろう。だが、老人の方から私の配下になることについて王の裁可をもらうという自らの枷になるようなことを言いだしたのだ。そして、契約というものを重要視する我々の世界のなかでも契約行為にひときわ重きを置く魔術師がそれをおこなった以上、少なくても表面上は老人が我々に協力するのは間違いない。最終的にどうなるかはわからないが、今は協力を申し出ている老人とその弟子たちの力をせいぜい利用しようではないか。なにしろ我々は目前に迫っている戦いで生き残るためにより手っ取り早く強力な戦力を手に入れる必要に迫られているのだから」
「それに、ひとり分の報酬で千人の魔術師が手に入るのだ。多少の危険があっても受け入れるだけの価値はある」