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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十三章 ミュランジ城攻防戦
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ティールングルの戦い Ⅱ

 夜明け前のティールングル。

 六つの集団に分かれた魔族軍は無事転移に成功していた。


「成功だな」

「ああ」


 人員、物資ともすべてが転移できた。

 これは事前にすべての魔術師に転移経験をさせていたパウナミンの功ということになる。

 さらにいえば、彼はその人選にも気を配っていた。

 才のある者から順にティールングルに行く者を選抜していたのである。

 つまり、留守番は残りかす。

 もちろん軍に帯同しているのだから、残りカスというのは失礼な物言いではあるのだが、この魔術師集団のなかでは下位百名が留守番組であるのも事実。

 まあ、これはこちらについては宣言どおり、その不足分はすべてを自らが受け持つ覚悟があるというパウナミンの意気込みが現われているといえるだろう。


 さて、やってきた彼らがまずおこなわなければならないことは防御魔法の展開。続いてミュランジへの進軍準備と周辺の偵察となる。

 本来であれば、発見を遅らせるために魔法を封印して行動したいところなのだが、総勢三万という大集団が転移魔法でやってきたのだ。

 近くに有能な魔術師を抱えた敵がいればこれだけの大掛かりの転移魔法を使用すればかなり離れた場所からでもこちらの存在を気づかれた可能性は十分にある。


 そのような状況下であれば、防御魔法は展開させねばならないのは当然である。

 そして、そういうことであれば相手を発見するために物理的な方法で偵察をおこなうことも必須となる。


 正面からぶつかるのならともかく、奇襲を受けることは避けたい。

 そのためには索敵は念入りにおこなわなければならない。


 魔族軍のこの判断は正しいといえる。

 ただし、その努力がすぐに報われるかどうかについては話が別である。


 夜間。

 そして、そもそも見通しの悪い場所。


 偵察の結果はそれにふさわしいものとなる。


「まあ、攻撃してこないということなら、敵も我々を見つけていないと思っていいのだろう」


 戻ってきた斥候から敵発見できずという報告を受けた将軍たちは少々の落胆と大きな安堵を込めてそう判断した。


「この山岳地帯を抜ければ草原が続く。そうなれば、見通しがよくなる」

「当然会敵は避けられないな」

「だが、そこまでいけば少なくても奇襲は受けずに済む」

「ああ。そしてそこまで進めばミュランジ城まで二十アケトだ」


 二十アケト。

 つまり、別の世界の単位に直せば二百キロメートルということである。

 そして、この二十アケトであるが、通常の行軍であれば一日あたり二百アクト、つまり二十キロメートルの進軍が標準とされる魔族軍からすれば十日で到達できる距離である。

 もちろん、それは路上行軍の場合で、今回のような荒野を進むとなれば進撃速度は大幅に遅くなり、さらに戦闘をおこないながらの進軍となればさらに時間が必要となるので、その半分くらいが実際の進撃速度となるわけなのだが、それでも、トラブルなく行軍できれば十五日もあればミュランジ城を視界に入れることは可能となる。


 ちなみに、別の世界でも、動力を使った乗り物がなかった時代の歩兵の行軍スピードも平均は一日あたり二十キロメートルから三十キロメートルとほぼ同様なものとなっているが、細い道を長い隊列を組んで進撃するのは意外に時間がかかる。


 これをわかりやすく説明しておけば、一万人を一列に並べて行軍した場合、その列は十キロ。

 一時間五キロの進撃速度とした場合、先頭が出発してから二時間後に最後の者が出発するということになる。

 これを踏まえて考えた場合、一日二十キロを進むためには机上の計算で四時間で済むはずが出発と到着だけでそれと同じ時間がロスしてしまうことになる。

 そこに休憩等々を入れたらさらにロスする時間が増える。

 それが約三万の兵が四日間で百キロを走破した「中国大返し」が偉業とされる所以である。

 

 むろんその気になれば進撃速度を上げるのは可能ではあるのだが、彼らは移動そのものが目的ではなく戦うために移動している以上、移動に過度な負担をかけるわけにいかないのはいうまでもないことである。

 そうなると、行軍距離を延ばす方法は、隊列の長さを短くし時間的ロスを減らすしかないわけなのだが、それをおこなうには幅広の道を行軍するか、隊を分割し複数のルートで移動するかの二択になる。


 さて、魔族軍は山岳地帯と草原地帯に間にやってくるころには明るくなり遠くまで見渡せる草原地帯を眺めながら魔族軍の将軍たちの安堵の思いはさらに高まる。


 だが、それからほんの少しだけ進んだところで、彼らの楽観的な展望はあっさりと吹き飛ぶ。


「……十万はいるな」


 突然目の前に姿を現わした大軍を睨みつけながらウルアラーはそう呟いた。


 だが、出迎えの者たちは彼らだけではなかった。


「ウルアラー様。背後より狼煙。後方に敵との知らせです」

「……ほう」


 直後、副官のカナイマ・モシダーテからやってきた声にふり返ったウルアラーはその煙を睨みつける。


 心の中で盛大に舌打ちしたものの、指揮官のそのような感情はすぐに兵の士気に影響する。

 特に劣勢になったときには悪い方向に動くことはあってもその逆はない。

 それを十分に理解しているウルアラーは、それがたいしたことでないように、表情しながら指示を出す。


「背後に現れた小生意気なフランベーニュ人を訓練がてら殲滅してこいとフリーアに伝令を出せ」


 前方の敵を相手にするだけでもすでにギリギリ。

 どれだけの敵があらわれようが割ける兵がそれしかなかったにもかかわらずの大言壮語。

 その罰が下されたかのように、魔族軍にとってさらに悪い知らせが届く。


「……報告。右手に敵五万出現」

「……左手に新たな敵を発見。数およそ五万」


「我々が草原にやってきたとたん、次々と姿を現わすとはなんたる偶然なのだろうな……」


「どこのどいつからは知らないが、我々の中に余程日頃のおこないが悪い奴がいるようだ」


 ウルアラーは冗談の色を濃くしてそう言ったものの、これだけ都合よく敵が現れるはずもなく、これが単なる偶然でないのはあきらか。

 もちろんそれはウルアラーもわかっている。


「……やはり、敵は我々がやってくることを把握していたと見える。そして、その目的も」


「そして、大軍にとって有利な草原地帯に我々がやってくるまで身を隠して待っていたわけか」


「さて、どうするべきか?」


 本来であれば、左右両翼の敵に対しても迎撃に向かわせるべきところ。

 だが、それでは圧倒的多数の敵に包囲された状態での防衛戦。

 徐々に削られるだけで終わる。

 

 ……そういうことであれば……。


 四方から迫りくる敵を眺め終わったウルアラーがモシダーテに目をやる。


「フリーアに伝令。迎撃をやめ、直ちに本隊に合流せよと」


「各隊に伝令。後背、及び側面の敵を無視し、前方の敵に集中して突破、しかるのちにミュランジ城へ向かうと」


「陣形を変更し、全速で敵陣へ突入する」


 もちろん魔族軍の動きはフランベーニュ軍の指揮官の目にするところとなる。


「ほう。奴ら、ようやくことの重大さに気づいたか」


 ウルアラーに定石を捨てさせた圧倒的数のフランベーニュ軍。

 その最初に姿を現わした魔族軍の正面に現れたフランベーニュの中央部隊。

 その男はそこにいた。

 アルサンス・ベルナード。

 フランベーニュ王国西方軍指揮官である。

 しかも、率いているのは彼自身の直属部隊。


 そのような者がなぜ前線から離れたこのような場所にいるのか?


 それはある男からのひとことによる。

 ミュランジ城からやってきたその男はこう言ったのだ。


「……魔族軍は戦いの中盤で転移魔法を使用し我々の背後を突く策をおこないます」


「もちろん我々の魔術師が周辺は転移避けの魔法を展開しますが、さすがに奥地にまでは手が届きません。ですので、その部分についてはベルナード将軍の方で対応していただきたい」


 むろんベルナードは問うた。

 単純に渡河をせず、転移魔法を使うという根拠は何だと。

 それに対するミュランジ城主の男からの答えはこうだった。


「モレイアン川は事実上封鎖しました。ですから船を使った渡河は不可能なのです」


 それに続き、川底に障害物を沈めた経緯を話すと、ベルナードは大きく頷いた。


 実は、このベルナード、このような地道な作業を黙々とおこなう者を評価する傾向があった。

 それとは逆に、小賢しい策を弄する者や、計画や準備を怠りその場の思いつきだけで戦いを始める者をひどく嫌っていた。

 むろんやってきた男はそのことは織り込みである。


 ベルナードの言葉はさらに続く。


「……つまり、その障害物によって船で渡河が出来ない以上、転移魔法を使用するしかないということか」


 実をいえば、ミュランジ城主クロヴィス・リブルヌは魔族軍が渡河できない理由を、その半分しか話していなかった。

 つまり、魔族軍が渡河できないのは、すべて自らが設置した障害物のおかげとし、現在の戦いで無双状態にある海軍兵の存在を消し去っていたのだ。

 もちろんこれは戦いが始まる前の話であるため、リブルヌ自身、海軍がここまで活躍するとは思っていなかったのは事実である。

 だが、それであっても海軍についてひとことも触れないということはまちがいなく海軍の存在を隠匿する意図があった。

 では、その目的は何か?


 それは極めて政治的理由だった。

 つまり、ボナール亡き今、自他とも認める陸軍の第一人者の軍人となったベルナードはその戦い方同様非常に保守的な性格。

 要衝の防衛に海軍の力を借りることを好ましく思うはずがないというがリブルヌの推測。

 そして、それによって機嫌を損ねたベルナードの協力が得られないという事態を避けるための配慮。


 リブルヌのこの判断が正しかったかどうかは、それに関するベルナードの言葉が残っていないためわからないものの、とりあえずこの場においては功を奏す。


 すべてを聞き終えたベルナードは重々しく頷く。


「すべてを承知した」


 続いて、問いの言葉を口にする。


「ところで、魔族どもが転移してくるとした場合、やってくる敵の数はどれくらいになるとリブルヌ将軍は予測しているのか?」

「最低でも二万。最大で十万」


「根拠は?」

「ボナール将軍を打ち破った魔族軍の数が二万とのこと。ですが、我が領地奥深く転移するのにそれだけの数ということはないでしょう。私が敵将なら、その地に拠点をつくり、ミュランジ城攻略後王都目指す一隊とベルナード将軍の西方軍を挟み撃ちにする一隊に分けます。拠点となるその場所を恒久的に確保するためには十万くらいは必要ではないかと。もちろん多ければ多いほどいいわけですが、それだけの転移を一度に可能にするほどの魔術師を魔族が揃えられるかといえば、疑問です。魔族が揃えられる魔術師の数からこの辺が限界ではないかと考えました」

「……なるほど」


 そう言ってからしばらく考え込んでいたベルナードだったが、複雑なパズルを解き終わったかのような清々しい表情を浮かべる。


「わかった。そちらの始末は私がおこなうことにしよう」


 ……始末?


 ベルナードのその言葉にリブルヌは違和感を持つ。

 当然である。

 完璧な転移避けを張って侵入を防ぐ。

 これまでのベルナード戦い方ならそうするとリブルヌは思っていた。

 そして、それこそが効率的な戦い方でもあり、なによりも派手な戦い方を好まぬベルナードらしくもあったのだから。


 問いの言葉口を仕掛けたリブルヌを制するように、ベルナードは短い言葉でその答えとなるものを口にした。


「我々には目に見える勝利が必要なのだ」


 連続して大敗を喫し、国民的英雄であるボナール将軍まで失って、国中が落ち込んでいる。

 転移避けを展開させるだけで敵の侵入を防ぐことができるが、誰の目にもハッキリとわかる勝利で国中を鼓舞し兵士の士気を高めなければならない。


 ベルナードは言外にそう言っていた。


 あの時の会話を思い出しながら敵の様子を投げめていたベルナードは苦笑いする。

 魔族軍の後背をつく位置にしたクリスチャーヌ・ペルジュラック率いる十万の大軍勢が草原地帯に姿を現わした。

 つまり、目に見えているのが魔族軍のすべてということなのだから。

 そして、呟く。


「……リブルヌに乗せられたか」


 三万という数は決して少なくはない。

 だが、十万の敵を仕留めるために連れてきた自軍の数と比べると、やや見劣りがするのも事実。


「もちろん予想よりも多くの敵が現れるよりはマシではあるが……」


「シャルランジュ」


 自分を慰めるようにそう言って落胆する気持ちを切り替えたベルナードが名を呼んだのは自軍の副魔術師長のひとりで今回編成した部隊の最高位にあたる魔術師でもあるジェルメーヌ・シャルランジュだった。


「転移避けは展開しているな」

「むろん。これで増援もやってくることもありませんし、奴らも逃げることもできません。狩りの準備はすでにできています」

「よろしい」


「さて……」


 包囲は完成している。

 そして、転移による戦場離脱も不可能。

 援軍もなし。


「獲物を追い立てるように狼煙を上げよ」


 事前に策の詳細は伝えてある。

 しかも、この場にいるのはすべて自分とは阿吽の呼吸である直属部隊。

 開始の合図だけすればすべてが動き出すのだ。


「終わりだ。魔族」


「たわいもない」


 これから起こること。


 それは四方を囲まれた敵は守備を固める。

 むろんそれが包囲された場合の正しい対処方法と言われる。

 だが、それでどうなる?

 どれだけ奮戦しようが、少しずつ削られ、そして終わる。

 それだけである。


「……奴らにとっては必要なことだったのだろうが、予想通り本隊の転移に先だって魔術師たちの転移経験がおこなわれたこと。それが作戦実行の時期を特定させる根拠となった。奇襲をおこなうなら考慮すべきだったな」


「逃げ場のない場所にやってきたことを後悔しながら死ぬがいい」


 自分に厳しく、部下にも厳しいが、敵である魔族にはさらに厳しいベルナードはそう呟いたときだった。


「敵が陣形を再編しています」


 物見の兵の声がやってくる。


「……中央に集まり、鏃のような陣形に組み直しているようです」


 その言葉とともにベルナードの顔が歪む。

 もちろん陣形の変化自体はベルナードにとってはそう驚くべきことではなかった。

 だが、その陣形が鏃のようなものというのはベルナードにとってはまったくの予想外だった。


 ベルナードが予想していたのは全方位の敵に対処できるこの世界では「方形陣」や「円陣」と呼ばれる、いわゆる方陣や方円陣。

 だが、「三角陣」と呼ばれる魔族が選択した鏃の形をしたその陣形は前方の敵に攻撃を仕掛けるためのものであり、側面や後方からの攻撃に対応するのは不向きとされるもの。


 だが、ベルナードはすぐに悟った。

 そして、魔族の将に少しだけ敬意を示した。


「悪くない」

「悪くないのですか?あの陣形が?」


 ベルナードが漏らしたその言葉に反応したのは副官のバスチアン・リューだった。


「あれでは後方から食い破られるだけです。方形陣が……」

「いや」


 最適。


 そう言いかけた副官の言葉をベルナードが遮ったのには当然理由がある。

 ベルナードは意外そうな目で自分を見る副官を見返す。


「もちろんおまえの言うとおりそれが基本である。だが、この場において選択すべき陣形はそれではない」


「援軍が来る可能性のないまま方形陣や円陣で四方の大軍と戦っても、ただ全滅するまでの時間が長くなるだけ生き残る可能性はない。まして、目的を達成することなどその時点で捨てているようなものだ」


「その点、突撃体形であるあの陣形は後方からの攻撃には弱いが、単純な攻撃する分には一番向いている。もっとも厚い陣。つまり我々だが、その陣を破ることができるのなら、ミュランジまで辿りつくことも可能だ」


「常道に囚われず一瞬でそこまで考えつき、行動するとはあの軍を率いている魔族の将はたいしたものだ」


 そこまで言ったベルナードはリューに目をやる。


「もっとも、それが成功するかどうかはその評価とはまったく別だ」


「意気込みだけでは望みは成就しないことを魔族どもに教えてやる」


「まもなく敵がやってくる。それに合わせてこちらの陣形を変えるぞ。まずは敵を歓迎するために準備をおこなう」


 ベルナードは、彼にしては珍しく比喩的な表現を使い命令を下した。


 あきらかにベルナード様は戦いを楽しんでいる。

 本当に珍しいことではあるが。


 副官の男は薄く笑いながら敵陣を見やる上官を眺めながらそう思った。


 一方の魔族軍。


「ウルアラー様。正面の敵は横陣のまま。大きな動きはありません」


 モシダーテの報告にウルアラーは頷く。


「これだけの数の差があれば十分持ちこたえられる。それに、左右、それから背後から援軍がやってくる。まったく問題ないと考えたか」


「まあ、その判断は間違っていないし、この状況で前面の敵にぶつかるのは我々が圧倒的不利に決まっている」


「なにしろ奴らは味方が来るまで耐えるだけでいいのに対し、我々は背後に敵が来るまでに前方の敵を食い破らなければならないのだから」

「そのとおりです」

「だが……」


「本当に前面の敵とだけと戦うとなれば、勝てないわけではない。それに、この戦いの目的は敵の殲滅ではなく敵陣突破。とにかく突破さえできれば、残りの敵には用はないのだから」


「まあ、私を含めてここにやってきた者たちは皆攻めには強いが守りは得意ではないというのが一番の理由なのだが」


 もちろん最後のひとことは冗談である。

 事実に基づいてはいるのだが。


 周辺の者がひととおり笑ったところで、ウルアラーは改めて指示を出す。


「一点に集中して敵を突破する」


 もちろん魔族軍の意図はすぐにフランベーニュへと伝わる。


「敵が突撃を開始しました。どうやら中央を目指しているようです」


 敵の様子を知らせる物見の兵の報告に喜ぶ副官に対し、ベルナードはあくまで慎重だった。


「だが、こちらはこちらで動く」


「中央のみ後退せよ」


 そう。

 ベルナードの策は、鏃型をした陣形で突撃してくる敵軍を受け入れるように自軍をV字型に変形させその奥に誘い込み、包み込むようにして叩くというもの。

 そのため、その最深部となる中央を敢えて薄くし、敵の目標になるように仕向けたのだ。

 そして、敵はその誘いに乗ってきた。


 それで十分だと思ったその策であったが、あまりにも簡単に誘いに乗ってきたことに疑いを持ったベルナードはすぐに追加の策を命じる。


「中央はさらに後退。左右も陣形を維持しながら後退し、敵との相対的距離を保て」


 敵の側面及び後方に食らいつく前の戦闘開始は避けたい。


 それがベルナードの意図であった。


 一見すると非常に消極的に見えるその策であるが、勝利が確定している戦いで小さな努力を惜しみ、わざわざ損害を増やす可能性を増やす必要がないというのがベルナードの選択。


 まあ、これが世間的には人気がなく、今は亡きアポロン・ボナールの言う「凡庸の極み」となるわけである。

 たしかにその評判どおりベルナードの策はどれもこれも面白味のないものばかりである。

 だが、実を言えば、戦う相手にとっては基本に乗っ取り数の力を借りて慎重に戦うこのような者こそ一番やりにくいといえる。


 そして、ここでも結果的にそれが功を奏す。


「ウルアラー様。前面の敵と剣を交える前に背後及び側面に食いつかれそうです」

「そうか」


 モシダーテからの報告にウルアラーは苦笑い、いや、どちらかといえば、自嘲の類の笑みを浮かべる。


「城攻めを始めてから、せめて前面の敵と戦いを始めてから使いたかったがこうなっては仕方がない」


「ポンフィン殿に伝令を。火壁の構築を開始せよと」


 その直後、魔族軍と三方から追撃してきたフランベーニュ軍の中間地点に炎の壁が出現した。

 その火の壁を確認したウルアラーが口を開く。


「一番薄いところに戦力を集中し、一点突破を図る」

「承知しました。すぐに各隊に伝令を出します」


 何かを心に含んだ心もち。

 それがありありと見える副官をチラリと眺めたウルアラーだったが、それについて何も語らず、視線を敵陣に移す。

 そして、もっとも薄い場所を探すことに専念するわけなのだが、それは意外にあっさりと特定される。


 だが……。


「……なるほど。そういうことか」


 ウルアラーは呟く。


 相手の将はこちらの陣形から自分たちの部隊に全軍で突撃することを察したに違いない。

 そのうえで、中央を薄くし、両端を厚くした。


 誘っているのだ。

 中央を突くようにと。


 だが、それはそれなりの備えと策があるということを意味している。

 つまり、罠。


「まあ、そうだからと言ってこちらには策を変えられる余裕はない」


 ウルアラーは自らの判断に変更がないことを言い聞かせると、口を開き、その言葉が届くはずもない相手に向けてこう宣言する。


「いいだろう。望み通りに誘いに乗ってやる」


 続いて、副官モシダーテに視線をやる。


「全軍に通達。突撃場所は一番薄い敵中央」


「突撃開始」


 突然現れた火の壁。

 それを眺めながら、ベルナードは少々の苦笑とともに言葉を漏らす。


「……なるほど。あれが後方をがら空きにして突撃できる根拠か」


「実際に起こったことを見れば、取り立てて驚くことではないのだが、それを見るまでそこまで思い至らなかった。敵ながら見事と言わねばならないな」



 それによって三方からの追撃が遮断されたフランベーニュ軍中央部隊に一瞬だけだが動揺の波が走る。

 一方、後方の心配が不要になった魔族軍兵士には不安や迷いが消える。

 当然この勢いの差を見逃さなかった魔族軍各将は先頭に立ってフランベーニュ陣になだれ込み、戦いが始まる。


「……悪くない」


 十倍の敵と戦うはずが、数倍にまで減った魔族軍の将のひとりケイマーダがその感触を言葉として漏らす。

 それは他の将軍たちも同じである。


 方形陣をつくり戦っても意味のないことは承知しているものの、守備を捨て攻撃に特化するのはあまりにも無謀だと思ったのも事実。


「ウルアラーを指揮官として指名したのは我々だし、守備陣形で戦い徐々に削られ死んでいくよりこちらのほうが遥かに我々の最後の戦いにはふさわしいのだから、突撃命令に文句を言う気はないが……」


 強気一辺倒で、グワラニーいわく「突撃馬鹿」のケイマーダでさえ、勝算なしと踏んでいたその策。


 だが、それもこれも、側面及び後方から攻撃されたときに成すすべがないからというのが理由であり、火壁によってその負け要素が消えればその評価も当然変わる。


「……こんな大技を隠し持っていたとは。奴がこんなに策士だとは思わなかったな」


 マテイロスは剣を振るいながらそう言って苦笑いする。


 もちろん、彼らは知っている。

 この優勢をもたらしている奇術には時間制限があることを。

 そして、時間切れになる前にケリをつけなければならないことも。


 そう。

 魔族軍は奇術が解けるまでにこの包囲網の一角を抜かなければならない。

 逆に、フランベーニュ軍はそれを阻止さえすれば、揺るぎつつあるように見える勝利が再び確定へと進む。

 魔族が攻勢、フランベーニュが守勢という現在の状況は、その勢いだけではなく戦い方自体にも影響しているのであり、必ずしも見た目通りには勝利の天秤は傾いていなかったのである。


 それを示すように動揺からの混乱が一服するとフランベーニュ軍が盛り返す。

 そうはさせない。

 このまま押し切ろうとする魔族軍。


 一進一退。


 その言葉こそがふさわしい。


 そして、その微妙な均衡に変化のときがやってくる。

 敵の五割、いや六割は倒したはずなのに、フランベーニュの陣は崩れる兆しがまったく見られない。

 それどころか部分的にフランベーニュがあきらかに押し返し始めたのだ。

 当然時間がない魔族軍の将たちに焦りが出てくる。


「おかしい。相手は十万だぞ。これだけ倒せばとっくに崩れているはず。なぜフランベーニュにこれだけ勢いがあるのだ?」


「というより、兵の数がまったく減っていない」


 最も苦戦している右翼を率いているフリーアが思わず口にしたこの疑問。

 その答えとなるものがベルナードのこの言葉である。


「……これだけ数の差があるにもかかわらずここまでやるとはさすがに思わなかったが、もともと十万の敵をこの中央軍だけで抑えるように準備してきたのだ。三万程度で抜けるはずがないだろう」


 一見押されているように見えるが、実は戦況を最初からコントロールしていたフランベーニュ軍の指揮官はそう言ってニヤリと笑った。


「そもそもここにいるのが十万だけだと思って挑んできたのだろうが、残念だったな」


「実はその三倍だ」


 実はこの時点でフランベーニュ軍は約七万の死傷者を出していた。

 それにもかかわらずフランベーニュ中央軍がびくともしないそのカラクリ。

 それは後方に控えていた予備戦力。

 その数二十万。

 その予備戦力を戦闘が本格化したところで投入していたのだ。

 つまり、実質三万対三十万の戦いだったのである。


 そして、魔族軍がその数に苦戦している中、遂に奇術が解ける時間がやってくる。

 火の勢いが弱まった瞬間、三方から魔族、人間双方の声が響く。


「ウルアラー様。後方から多数の敵。もう間近です」

「右翼も」

「左翼からも接敵。オリンダ隊すでに崩壊した模様」


 その声に獲物を飛びかかる敵の雄叫びが被さる。


 それから、まもなく。

 すべてが終わる。


 魔族軍は五人の将軍とふたりの副魔術師長を含む二万八千七百九人全員戦死。

 一方のフランベーニュ軍の死者四万千二百六十六人、負傷者六万八百四十八人。

 用意周到なベルナード率いる大軍を相手ということを考え合わせれば、数字からも魔族軍の奮戦ぶりがわかる。

 だが、敗北は敗北。

 ミュランジ城攻略軍はその大部分をこの日失った。

魔族軍は披露した火壁。

これについての裏エピソードは、「アグリニオン戦記 外伝 ミュランジ城攻防戦の裏側」の「火壁の真実」となります。

興味があれば、どうぞ。

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