ハイエナたちの戦い Ⅱ
彼らのもとに転がり込んできた朗報。
それは予想もしないところからの姿を現わす。
「ミュランジ城攻略の指揮を執るのはグワラニーではない?」
「そうだ」
定例会議が始まる前のおこなう総司令官と副司令官の事前打ち合わせ。
その冒頭に聞かされた話に気色ばむコンシリアの言葉にそう答えたのはガスリンだった。
「グワラニーの直属部隊は連戦で疲労している。さらに、一気に占領地を広げたために支配体制が整わない。そこで、渓谷内に駐屯しているアルタミアたちにミュランジ城攻略を任せたいとグワラニーが申し出てきた」
これは嘘だ。
コンシリアは心の中でそう断言した。
一見するとすべての話は筋が通っている。
だが、グワラニーは他人に功を譲る殊勝な心がある男ではない。
となれば、ガスリンが総司令官の職権を利用して王に話をつけ、王命によってグワラニーからミュランジ城攻めの指揮権を奪ったのは疑いようもない。
コンシリアの、ライバルたちに対する偏見に満ちたこの言葉。
これまでの経緯を考えれば十分にあり得る話なのだが、実はハズレである。
もう少し説明を加えれば、表面上で起こったことだけ見ればコンシリアの言葉は正しい。
その想像通り、この指揮官変更はグワラニーの大戦果を見て焦った渓谷内に駐屯しているガスリン配下の将軍たちがガスリンにねじ込み、それが己の利に合致していると踏みそれを聞き入れたガスリンが王を動かして決まったものである。
だが、薄皮を一枚めくると、そこにはグワラニーの影が現れる。
実は功を奪われた形となっているグワラニー本人が目障りだったアルタミアたちを体よく渓谷内から追い出すためにバイアを使ってアルタミアたちを唆していたのだ。
だが、それが多くの策謀が絡み合った結果であっても、ミュランジ城攻略はガスリンの傘下で者たちがおこなうことにはかわらない。
苦虫を大量に口に放り込んだような顔でガスリンが語る攻略部隊の陣容を聞いていたコンシリアであったが、やがて、名案を思いつく。
そういうことであるなら自分もそれに一枚噛ませてもらう。
コンシリアはニヤリと笑った。
翌日。
死んだ魚の目をした取り巻きを集めたコンシリアは彼らとは対照的に最近見られなくなっていた自信に満ちた表情を見せる。
そして、それを披露する。
「グワラニーがクペル城を手に入れたことは皆も知っていると思う。本来であれば、その勢いのままフランベーニュの残党どもが逃げ込んだミュランジ城を落としに行くところなのだが……」
「なんと奴はしばらくクペル城に引きこもると王に申し出た」
「そこで、王は代替の指揮官を用意するようにガスリンに命じ、ガスリンは渓谷地帯に駐屯したままになっている自らの配下であるアルタミアたちを使ってミュランジ城攻略をおこなうことになった。もちろん王都から自分の息のかかった者たちを増援に向かわせて万全の体制で臨むらしい」
もちろんここまで聞いて、自分たちの利になるものは何もない。
嫉妬と敗北感が混合した異様な香りが漂うなかで、コンシリアは言葉を続ける。
「その話を聞いた後に、私はガスリンに確認した。おまえの部下が向かうのはミュランジ城だけなのかと」
「答えは?」
「もちろん、そうだと」
「そこで私は考えた。たしかにクペル城からミュランジ城への道はある。だが、クペル城から延びる道が続くのはミュランジ城だけではないだろう」
「我々が目指すのはミュランジ城よりも北方。ボルタ川の上流地域。そして、最初の攻撃目標はボルタ川西岸の拠点グボコリューバ。ここを落とし、そこを拠点にさらに北上してフランベーニュ本隊の背後を撃つ」
「この意見に異義がある者はいるか?」
むろんいるわけがない。
狂喜する部下たちの声の中でコンシリアは何度も頷く。
「では、早速完璧な策をつくり上げろ。それができ次第上程する」
そして、その日。
「……ミュランジ城だけではなく、グボコリューバも攻略するのですか?」
アリターナと取り決めた暫定停戦について報告するために、王都イペトスートにやってきたグワラニーは、ガスリンからもたらされたその話に思わず声を上げる。
顔を顰めながら。
とりあえず、ミュランジ城については攻略自体はおこなうことになっており、それをおこなう者が変わっただけだ。
だが、グボコリューバは違う。
もちろんそこを取ることができ、そこから北上できるようならコンシリアが語ったようにフランベーニュの本隊を挟み撃ちにできる。
だが、本隊を率いているのは、極めてオーソドックスだが決して穴をつくらない戦い方をするアルサンス・ベルナード。
そして、ここでより重要なことは前線で戦っている兵の数とベルナードが抱えているはずの兵の数が不合だということ。
その考えられる理由はひとつ。
脇腹や背後を襲われないために後方に前線以上の大軍を置いているから。
……ベルナードはこれがあるから躊躇いなく敵の領土に深く入りこんでいるのは間違いない。
……つまり、コンシリアの主張は自らの理想を語っているだけで現実味は非常に薄い。
……だが、これらの根拠になるものはほぼすべて魔族軍の公的な情報網から得たものであり、当然コンシリアも目を通しているはず。
……死肉を食らうのに夢中になり、大いなる敵が近づいていることに気づかぬハイエナのようだな。まあ、他者が狩り食い残した腐肉に嬉しそうに食らいつくという点ではガスリンも同じようなものなのだが、コンシリアの場合はさらにタチが悪い。
……もちろん奴が失敗するだけなら放置しても構わないが、グボコリューバでコンシリアの子分どもを退けた相手が川を超えて攻めてきたら迷惑を被る。
……まあ、フランベーニュの兵なら何十万来ようが、いざとなれば撥ね退ける自信はあるが……。
……問題は……。
……グボコリューバがミュロンバに比較的近いこと。
ミュロンバ。
西部平原を南北に延びる街道に点在する町のひとつでグボコリューバの南西に位置する。
まあ、住んでいる者の心情を無視して言えば、どこにでもあるただの田舎町であり、やや強引にその価値を強調するのなら、この町から北に行けば、城塞都市バイム、北東に進めばグボコリューバ、そして、南に下ればかなり遠いがとりあえずフランベーニュ王都アヴィニアに到着するという交通の要衝。
だが、そこまでの価値が本当にあるのかどうかは、用心深いベルナードがたいした兵を駐屯させていないことから察することができるだろう。
では、そのような小さな町をなぜグワラニーが気にするのか?
勇者の根拠地。
そういうことである。
……目と鼻の先で騒ぎを起こせば勇者が動く可能性は十分。
……そして、その勢いでそのまま川を渡ってくるようなことになれば面倒なことになる。
……考えるまでもない。
……君子危うきに近づかず。
……釘をさしておくべきだろう。絶対に。
心の中でそう決めたグワラニーが口を開く。
「総司令官に進言いたします」
「非常に言いにくいことではありますが、我が部隊には兵が足りない。私がアリターナ王都に侵攻するのを諦め、とりあえずの停戦したのも占領地を守備する兵がいなかったからです。ですが、それとともに同方面に展開するウベラバ将軍配下の兵たちの半数は戦力不足に悩む他の戦線に転進させることができるという大きな利点があることに思い至ったからでもあります」
「ですが、コンシリア副司令官が示された策は敵の大軍を引き寄せ新たな戦線を開くことになりかねず、兵の不足はさらに進むと思われます」
「つまり、おまえはコンシリアの策に反対するというのだな」
「率直な言葉で申し上げれば、そうなります」
グワラニーには珍しく捲し立てるように語ったそれを黙って聞いていたガスリンは小さく頷き、続いて口を開く。
「実を言えば、私もおまえと同じ意見なのだ」
つまり、グワラニーの意見に同意する。
これは珍しい、というよりもありえない事態といえるだろう。
だが、裏を返せば、それは軍に関わる者であれば誰もが気づく常識的なことであったともいえる。
ガスリンの言葉に少々驚きながら、グワラニーは次の言葉を口にする。
「ではなぜ?」
「奴は自分たちの活躍の場を寄こせと喚き散らしたのだ」
そう言ったガスリンは大きなため息をついたあと、言葉を続ける。
「そして、グボコリューバ攻略を中止させたければミュランジ城攻略の権利を寄こせと言った。だが、さすがにそれを譲るわけにはいかない。その理由はおまえも承知のとおり」
「実際のところ、奴の配下の十万が全力で攻めればグボコリューバは落とせるかもしれない。なにしろあれは王都を守るためにつくられた精鋭集団なのだから。だが、フランベーニュにとってあの地は重要。絶対に奪還に動く。しかも、近くにはバイムがある。当然駐屯している兵もかなりいるだろう。フランベーニュは必ず来る」
「それに対して、コンシリア副司令官はなんと?」
「コンシリアの馬鹿は……」
「やってきた敵を打ち破り、そのまま逆進してバイムも落とし、さらに北上しフランベーニュの背後を取るなどと息巻いていた。だが、そんなことをすれば、隊列が縦に伸びきったスカスカの状態になる。敵にとっては側面攻撃し放題だろう。敵本隊を包囲するどころか、逆包囲されて終わるのはあきらか。それを防ぐためには我が軍は兵を送り込まねばならなくなる。それはまさにおまえが先ほど言った状況だ。だから……」
「妥協案として、グボコリューバを攻めるのは認めるが、それ以上の前進はせず、奪還にやってきた敵への対応に専念するように申し渡した」
「これであればむやみに戦線は拡大されないだろうし、ミュランジとともに後方の要衝を奪い、補給路を抑えたうえ敵の側面を脅かすことができる。もっとも……」
「グボコリューバにどれほどの敵兵が駐屯しているのかは見当もつかないので、成功するのかもわからぬが」
「なるほど」
すべてを理解したグワラニーは短い言葉で応じた。
心の中で黒い笑みを浮かべこう呟きながら。
……それはミュランジ城も同じだ。ガスリン。
そして、ここからグワラニーの目の前で彼とは無縁の戦いが始まる。
もちろん最終的にはグワラニーも関わりを持つことになるわけだが、そこでグワラニーは出会うことになる。
彼らと。