魔族対赤い悪魔 Ⅱ
このエピソードを読む前に「アグリニオン戦記 外伝 グワラニーVSチェルトーザ」のエピソード「無敵交渉人の呟き」と「チェルトーザの苦笑い」を読んでおくことをおすすめします。
現在ベンティーユまでを魔族軍は奪還しているものの、それ以上進む気配はなく、アリターナ側も再侵攻を試みる愚を犯す気はないため、そこで休戦状態になっている。
そもそもそれが目的である魔族側はともかく、アリターナがそれに同調するにはそれ相応の理由が必要となる。
もちろん彼我の力の差というものがある。
だが、一番の理由はやはり将兵の意識の変化であろう。
そう。
実は、例の一件以来、アリターナ軍前線の兵士の、魔族に対する認識がは大幅に変化していたのである。
奴らは言われているほど悪ではない。
そういうことで、とりあえず、この世界においても有効な停戦の印である白旗さえ掲げていれば、とりあえず双方の使者の往復は可能となっていた。
当然、前回と逆、すなわち白旗を持った魔族軍兵士がアリターナ軍陣地までやってきても何も起こらない。
そして、魔族の兵士は敵であるアリターナ兵士に少々の笑顔とともに書簡を手渡し、受け取ったアリターナ軍兵士が魔族軍兵士に礼を言うとなどという少し前までなら絶対にあり得ない光景が見られてからそれほど時間を置くことなくそれはアリターナ王都パラティーノの王宮へ届く。
それからまもなく。
やってきた自らがしたためたものに対する返書を読み終えたチェルトーザは苦笑せざるを得なかった。
「……我が国から届くお礼の品を楽しみにしているか……」
「これは心して品物を選ぶしかないな。そして、その強欲な魔族の名は……」
「アルディーシャ・グワラニーか。さて……」
「では、おまえの話を聞こうか。モンタガート」
「はい」
チェルトーザの部屋に招かれていたその男ジョイヤ・モンタガートはフランベーニュ国内に張り巡らせている諜報網で掴んだフランベーニュ大敗に関わる情報を披露するために口を開く。
すでに第一報として、前日の渓谷内の殲滅戦に続いておこなわれた「クペル平原会戦」の驚くほど正確な情報がもたらされているので、それを省いたモンタガートが口にしたのはその続報となるものだった。
「前線からフランベーニュの王都アヴィニアに戻ってきたのはアポロン・ボナールの遺体に付き添ってきた者だけらしいのですが、どうやらフランベーニュはその者たちを隔離しているらしくその者の言葉は聞くことはできませんでした」
「ただし、クペル城とミュランジ城、それにフランベーニュ王宮内に放った者たちが集めた情報によれば、フランベーニュ軍を叩き潰した者は人間種の男でアルディーシャ・グワラニーと名乗ったそうです」
「つまり、同じ人物か」
そう呟き、もう一度見事なブリターニャ語で記された書簡を眺めると、チェルトーザは右手で促し、それに応じてモンタガートは言葉を続ける。
「魔族どものなかでは人間種は地位が低いとされ、さらにこれまでは魔族軍を指揮する者のなかでに人間種が確認されていなかったことを考慮して考えれば、渓谷内で我が軍の危機を救った部隊を指揮していた者と、このアルディーシャ・グワラニーなる者は同一人物の可能性があります」
「それから、クペル城からの情報のなかに『魔族軍の新司令官は魔術師である』というものと、『魔族軍はとんでもない巨大魔法でフランベーニュの大軍を破った』というものがあります。このことから、このアルディーシャ・グワラニーなる者は手練れの魔術師である可能性があります」
「なるほど」
自らは魔術師ではないチェルトーザであったが、交渉官という仕事柄、魔術師の能力もそれなりに知識として取り入れている。
その知識から考えても、今回クペル平原で使用された魔法の規模は驚くべきもの。
そして、その被害状況は彼が知る別の世界に存在する忌まわしき兵器を連想させた。
だが、チェルトーザはそれをすぐに打ち消すとすぐに言葉を続ける。
「そうだな。それだけ強力な魔法を扱える者なら、たとえ人間種であっても軍司令官になっていてもおかしくない」
「はい。それから……」
「これも信じられないことではありますが、どうやらアポロン・ボナールは戦闘中にその巨大魔法に巻き込まれて戦死したのではなく、決闘の末討ち取られたようです。しかも、このとき相手として現れたのは純魔族の戦士ではなく、人間だったというのです」
「人間?つまり、人間種ということか?」
「いいえ。本当の人間。しかも、それがアーネスト・タルファという名の元ノルディア軍の将軍だというのです。これはフランベーニュの外交部門がノルディアに抗議を含めて問い合わせをしているということからほぼ間違いないことだと思われます」
「ほう」
「……人間が魔族軍に属している?」
「色々興味深いな。それは」
「だが、多くが噂をかき集めたものであり、そこから断定的な判断はできない。まあ、あとは本人から聞かせてもらうことにするしかないようだな」
チェルトーザはそう言って笑った。
そう。
実をいえば、この時点では彼はかなりの自信があった。
自らの能力に。
「そのグワラニーなる者との会談にはまだ時間がある。さらに情報を集めてくれ。その間、私は私のやるべき仕事をおこなう」
そう言って、グワラニーに関する情報を集めるよう部下たちに命じたチェルトーザであったが、その間に彼がやるべき仕事とは何か?
それは……。
持参する手土産の購入。
そんなことと思うかもしれないのだが、これが彼のやり方である。
まず考えられるのは、建前となる「危機を救ってくれた謝礼」として、金貨なり、貴石なりを支払うというもの。
だが、チェルトーザは選択肢からそれらを落とした。
「あっさりと」という音が聞こえるくらいに。
そもそも金や銀は大海賊ワイバーンを通じて人間世界に流すほど魔族の国土で豊富に採れるもの。
受け取るだろうがそれだけであり、ありがたみなど感じない。
では、その代わりとなるものを考えた場合にまず浮かんでくるのは、自国の生産品となる。
まずは酒。
まあ、これは喜んでもらえるだろう。
そうなると、各国の王宮で評価の高い葡萄酒となる。
……ということで、一品目は葡萄酒。
……あとは……持参できるものとなると菓子か。
大の大人相手に菓子を手土産にするのかと思われそうだが、この世界、特に前線に張り付いている者には甘いものは大いに喜ばれる。
つまり、意外かもしれないが、菓子を土産にするのは正解の部類に入るのである。
……酒と菓子。あまり芸はないが、まずはこれで様子をみるしかないな。
一方のグワラニーであるが、実をいえば、こちらはさほど準備らしい準備はしてなかった。
なにしろ、彼らにとってのそれは交渉とは名ばかりのこちらの要求を飲ませるだけの儀式のようなものだからだ。
「まあ、相手が交渉の専門家なら、その辺はわきまえているだろう」
「ですが、こちらの要求を受け入れるだけでは面目が立たないのではありませんか?『無敵交渉人』という肩書を持つ者としては」
グワラニーののんびりした言葉にバイアは少しだけ警戒の色を込めて言葉を添えた。
「本当にそれだけの男であるのなら、必ず土産となるものを手に入れようと蠢動すると思います。そうでなければ、わざわざ自らやってくることはないでしょう」
「ほう」
グワラニーは側近の顔を眺める。
「では、問おう。彼が手に入れようとする土産とは?」
「そうですね」
「条件がこれだけ悪ければ、目に見えるものは無理。それはわかっていると思います。そうなれば……」
「目指すものは、こちらの情報」
「さすがだな」
グワラニーは薄い笑いとともにそう応じた。
つまり、グワラニーもチェルトーザとの交渉をおこなう際の留意すべき点としていたのだ。
やや黒味を帯びたものに変化した笑みを浮かべたグワラニーが言葉を続ける。
「だが、我々の隠れた情報を手に入れるためには、自分の手の内を披露しなければならなくなる。それによって、こちらは相手の情報収集能力を知ることができる」
「もちろん専門家であるならば、彼もその点は承知しているだろう」
「果たしてそこまで踏み込んでくるかどうか。これは興味深いな」
そう言ったところでふたりは声を上げて笑う。
その笑いが一段落したところで、グワラニーはその交渉に出席人物について言及する。
「せっかくだ。交渉にはアリシアさんに同席してもらう」
「タルファ夫人を?」
「ああ」
「実際のところ、私も彼女の本気というものをまだ見たことがない。まあ、これまで彼女に対した者がポンコツばかりだったのだから仕方がないことなのだが、相手が有名な『赤い悪魔』となれば、彼女もその実力を遠慮なく披露できるのではないか?」
彼女の才が見たい。
グワラニーの言葉はそう言っていた。
だが、それがそのままの意味かといえば、違う。
では、それが何を意味するのか。
それが明かされるのは次にやってきた言葉だった。
「自国の英雄が討ち取られているのだ。当然フランベーニュはノルディアに対してタルファ将軍に関しての問い合わせはおこなわれているだろうし、そもそもクペル城にはフランベーニュの客人が多数逗留しているのだから、ほどなくアリシアさんの痕跡も世間が知ることになる。つまり、ここでの隠し立てなど無意味なものだ。そういうことあれば、むしろチェルトーザのような有名人に彼女の才を示すことで、我々のもとには人間さえ集まっていると誇示できる」
「とりあえず、チェルトーザ氏への対応が決まったところで、彼に関する情報を集めることにしようか」
「また、ワイバーンの金儲けに協力すると?」
「ああ。もしかしたら、例の商人国家の儲けにも協力することになるかもしれないな」
「グワラニー様は彼らの上客ですね」
そう言ってふたりはもう一度笑った。