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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十二章 Half-Landing Show
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驚くべき一手

 ミュランジへの増援部隊の編成と指揮官の選定は自分がおこなう。


 ダニエルのその言葉に多くの者は困惑の表情を浮かべ、ふたりの王子を含む数人については嘲りの香りを漂わせた薄ら笑いを浮かべていたのには理由があった。


 ダニエルは陸軍にコネがない。


 それが彼らの評価であり、実を言えば、それは概ね正しいといえるものであった。

 さらに言えば、有力貴族の支援もないし、自らが抱えている私兵は屋敷を盗賊から守る程度しかいない。

 

 つまり、ダニエルの傍には自らの意向に沿って動く有能な軍指揮官もいない。


「まあ、父上の名を使って正規軍を動かすのだろうが、ミュランジの兵数増加こそ見込めるものの、敵将と渡り合える指揮官がいなければ奴が編成した部隊など魔族ども蹴散らされるだけだ」


「まあ、そのときは敗戦の責任を取らせ奴から身分不相応な権限を奪い取るだけだ」


「……ということで、すぐに私の出番が来る。すぐ動けるように準備しておくか」


 実は、この言葉を口にしたアーネストだけではなく、次男カーメルも同様のことを考え、準備をしていた。


 だが、当のダニエルはまったく違うことを考えていた。


 兄たちはどうせ私が援助を求めてくると思っている。

 だが、ボナールの軍を粉砕するような力を持つ魔族軍に兄たちが抱えている私兵の長ごときが相手になるわけがない。

 それは正規軍でも同じなのだが、少なくても戦ったという形になるだけのものを見せてもらわなければ困る

 そうでなければ任命した自分の責任が問われるのだから。


 たしかにボナールと同等といえる人材ではないかもしれないが、前線に張りついている者以外には増援部隊の指揮官にふさわしい者は絶対にいないかといえばそうでもない。


 なぜそう言い切れるか。

 ダニエルにはアテがあったのだ。

 国に忠誠を誓う有能な指揮官と指揮官に忠実な多数の部下を抱える組織を。


「ロシュフォール提督に連絡。至急王都へ来るようにと」


 そう。

 彼が目をつけたのは海軍。

 その組織を陸戦に使用しようと考えたのである。


 まさに、驚くべき一手といえるだろう。


 ただし、それがまったくの方向違いのものかといえばそうとも言えない。


 たとえば、グワラニーが元いた世界の者が海軍の将兵を陸戦に投入するというこの一手を聞いたら、その多くは「ありえないこと」と一笑に付すことになるだろう。

 だが、その世界においても、究極の船乗りのような某国の海軍軍人が乗艦していた軍艦が沈められた後に陸戦部隊として戦闘に参加した例や、乗機を失った飛行機乗りが地上戦に参加するなど例外に属するものは数多く存在する。

 さらにいえば、銃や大砲が存在しないこの世界の海戦のスタイルが基本的に白兵戦であることを考えれば、彼らが陸戦に参加する障害はさらに低い。


 つまり、その決定は見当違いどころか、十分に理に適っているといえるのである。


 では、なぜこれまでそのようなことがおこなわれなかったのかといえば、言うまでもなく陸軍と海軍の仲の悪さがあったから。


 海軍は陸軍を「地面を這いつくばることしかできない芋虫の集団」と嘲笑し、反対に陸軍は海軍を「ろくに戦いもせず無駄飯ばかり食らう自尊心だけは過剰にあるシラミだらけの小汚い男の集まり」とこき下ろしており、お互いに軽蔑し嫌っていた。


 だが、海軍は「第二次タルノス沖海戦」で大海賊に大敗して半壊状態。

 それ以前の損出分も含めて、乗る船がない海軍兵は港に溢れていた。

 そして、その中のひとりが提督の地位にあるアーネスト・ロシュフォールだった。

 

 陸軍どころか海軍にもコネがないダニエルだが、実をいえば、ダニエルはロシュフォールとは顔見知りであった。

 ロシュフォールが敗戦の報告をするために王宮に来た時から。

 そして、その為人に注意を引いたダニエルはロシュフォールを将来的に手駒にするために身辺調査をさせていた。

 もちろん合格。

 だから、せっかく見つけた貴重な駒をこのような人材をすり潰すだけのような戦いに投入したくはないというのがダニエルの本音である。

 だが、他に選択肢がない以上仕方がない。


 こうして、ダニエルは自らの最善手としていたロシュフォールをミュランジ城の増援部隊の指揮官にすることを決めた。

 と言っても、それはダニエル側だけの話であり、ロシュフォールがそれを承諾したわけではない。

 もちろん王命という切り札によってミュランジ行きを強制するのは簡単だ。

 しかし、ミュランジでおこなわれる戦闘は相手のことを考えれば誰が指揮を執ろうが最終的な結果は同じであるというのは紛れもない事実ではあるが、そのなかでも最低限のものを残してもらわなければならない。

 だが、それにすら失敗し、それどころか、送り込んだ司令官が原因で陸海軍の対立が勃発し、戦う前に自壊したなどという醜態を晒し敵に嘲笑されるような事態になった日にはロシュフォールを送り込んだ者の責任が問われることは必定。


 そうならぬようダニエルはロシュフォールとの意見交換に多くの時間を費やした。

 同じ敗戦でもよりよい結果を残してもらうために。


 もちろんダニエルは気づいていた。

 自身の望みを叶えるためにはロシュフォールと彼の部下のモチベーションアップが必要であることを。


 そして、ダニエルがロシュフォールに示した成功報酬はこれである。

 

 ミュランジ城防衛に成功すれば、後回しにすることになっている海軍の再建を急がせることの約束する。

 

 ……海軍に対する出費などしている余裕はないがこの際仕方がない。

 ……だが、それもこれもロシュフォールがミュランジで勝ち残ればという話だ。

 ……それを受け取るための前提条件である「敵を追い返し王都に戻る」ことが叶わぬ以上、どれだけ報酬を示してもその支払いについてはそれほど心配する必要はないのも事実。

 ……まあ、そう言い切れることは誠に残念なことなのだが。


 心の中でそう呟きながら。


 実をいえば、現在のフランベーニュ海軍を取り巻く状況はそれほどよいものではなかった。

 もともとフランベーニュ海軍は隣国である強力なブリターニャやアリターナの海軍に対抗するためだけでつくられたという経緯もあり、存在意義があまり高くなかったものの、領海保全と交易航路の確保、なによりも自国商船団の護衛の必要性からフランベーニュ海軍の強化が図られていき、ブリターニャに続くこの世界第二位の海軍国にまで成長していた。

 だが、対魔族共闘の成立の結果、陸路での交易が比較的容易になったうえに、これまでのライバル国と強調路線を取ることになったため、交易航路、特にフランベーニュにとってもっとも重要なアグリニオン国との航路の安全を守るという海軍の最も重要な仕事の価値が低下した。

 大幅な予算削減を回避すべく海軍幹部が増強の必要性を主張するためのあらたな根拠としたのが近海に出没する海賊の撲滅。

 そう。

 ふたりの王子の兄弟喧嘩的諍いにオディエルヌが深く関わることができたのは、そのお題目を成就する好機とみた海軍の黙認という隠された事実があったからだ。


 だが、その思惑は完全な形での失敗に終わる。

 特にタルノス沖でおこなわれたふたつ目の海戦。

 彼らはそこで狙いをつけた大海賊の返り討ちに遭い、全滅するという大失態を演じたのである。


 莫大な費用を要する損傷した船の修理と失った軍船を補うための新船建造。


 さらに、戦死した兵士の補充がそこに加わるのだが、海軍の兵は一人前にするために適正検査をおこなった者に対してかなりの訓練が必要という逃れられぬ宿命が重くのしかかる。

 当然発生する更なる負担。

 現在のフランベーニュにはそのような余裕は、資金、人員、そのどちらにもない。

 そこで、大海賊との戦いで破れたことを機に、戦力低下した海軍の補充はおこなわず、今後はすべての資源を陸軍への集中することが内々に決定されていた。


 もちろん海軍提督であるロシュフォールもそれを知っている。

 さらにいえば、国が決定したその方針の影響で、沈没一歩手前まで破壊された自らの船の修理も、今のところ全く手をつけられず、その完了がいつになるかまったく予定が立たない状況だった。


 ……だから、ここで武勲を立てれば、自分だけではなく海軍についてもすべてが良い方向へ動き出す。そう約束すればロシュフォールも喜んで承知する。


 ……いや。

 ……承知せざるを得ない。


 それがダニエルの読み。


 もちろん、それはダニエルの読み通りとなる。

 ただし、すべてが彼の想定通りになったかといえばそうではない。


 これからしばらく後にこの約束についてダニエルが苦笑いとともに語ったものとされるこのような言葉が記録として残っている。


「状況を考えれば、ロシュフォールが生きて凱旋することなどあるはずがないと思っていた。だから、空約束になるものだと思ってあれだけ気前よく約束したのだ。もちろん王の名で海軍提督の地位にある者に対しておこなったことなのでロシュフォールに約束したことはすべて履行するがこんなことならもう少し分別あるものにしておけばよかったと反省している」


「だが、『フランベーニュの英雄』を失って意気消沈する国を立て直す策が見つからず困り果てていたことを考えればそうであっても安いものといえる。とりあえず魔族軍の王都侵攻がすぐにやってこない確約まで手に入れたことも含めれば安すぎるともいえるくらいに……」


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