混乱する王宮
簡素ではあるが厳かな儀式。
それは大きな悲しみであったことは事実である。
だが、その場にいる者の大部分の胸のうちはすでに別の感情によって満たされていた。
不安。
それを増長したのはダニエルだった。
実は、レオナールと面会したダニエルは情報を手に入れた直後、強烈な緘口令を敷き、情報統制を始めていた。
クペル平原で魔族軍とぶつかったボナール軍が破れ、ボナールも戦死し、参加した将兵のなかにもかなり戦死者が出ている。
さらに、その前日には渓谷内でも大きな戦いがあり、フランベーニュ軍はそこでも大敗北を喫した。
大臣や貴族たちに与えられた情報はそれだけであった。
もちろん王にはもう少しだけ情報が流されていた。
クペル平原での戦死者は兵士約四十万人と、魔術師三万人。
前日に渓谷内でおこなわれた戦いでの戦死者は合計十三万人強。
これによって同方面のフランベーニュ軍はほぼ壊滅。
しかも、それに対して、敵はそれほど損害がない模様。
ロバウ将軍は健在でクペル城で指揮を執っているが、陥落も時間の問題と思われる。
ミュランジ城の城主リブルヌ将軍によれば、自らの配下の大部分はボナール将軍に同行させ、そのすべてを失っているので、現在城に駐留している兵は一万人弱である。
そこまでは伝えたダニエルだったが、ある部分については王にさえ語っていなかった。
その隠された部分とは、もちろん「悪魔の光」の存在である。
その理由はいうまでもない。
四十万人の一度に葬った大魔法を使える魔術師が魔族軍の中に現れたと知れば、王はうろたえ、宮廷内は大混乱に陥り、下手をすればフランベーニュはその時点で崩壊しかねないからだ。
少なくても、対処策が見つかるまでは黙っているしかない。
そのためにはレオナールを始末し、続いてミュランジ城に使者を送り、自分以外の者には情報を流すなと指示を出せば完全な緘口令が完成する。
だが、さすがのダニエルもそれが最良の策とわかっていてもできなかった。
その代わりとして彼が採用したのが、こちらの意図を明確にした文書を持たせ、レオナールをすぐさまミュランジ城へ送り返すことだった。
「まあ、この辺が限界だろう」
「とりあえずこれで内部崩壊だけは防げたが、私ができるのはここまでだ。だが……」
「ボナールが率いる四十万の大軍を一瞬で消し去るような大魔法を使える者に対抗するだけの手段は軍人ではない私には思いつかない。いや。最高峰の軍人であるボナールでさえ思いつかなかったのだ。皆同じか」
「さて、どうしたらよいものか」
あまりにも深刻な状況に、いつもなら盗み聞きの予防のため心のなかで留めているものを思わず口に出してしまったダニエルであった。
そうして迎えたボナール戦死の報が届いてから最初の朝。
フランベーニュ王国の都アヴィニアは戦争中とは思えぬほど穏やかなものだった。
もちろんそこにはいつもと変わらぬという形容句がつくのだが、今日に限って言えば、数か所を除けばという文字も加えられる。
そして、その例外となる場所のひとつが王宮となる。
緊急招集した大臣や王族が姿を現わすかなり前から王は息子のひとりと話し合いをおこなっていた。
その相手はもちろんダニエル・フランベーニュ。
すなわち、自らの隠れた知恵袋である第三王子である。
そして、その打ち合わせの内容。
それは……。
会議で大臣たちに秘匿しているものをどこまで開示するか。
もちろんすべてを開示してより良い意見を出し合うことが一番よい。
それはこのふたりも重々している。
だが、現在のフランベーニュ王国においてもそれがもっとも良いものかといえば、そうでもない。
少なくてもそのうちのひとりはそう判断していた。
それほど「マンジューク防衛戦」及び、「クペル平原会戦」の結果はフランベーニュ軍にとって惨憺たるものだったのである。
いや。
結果などなんとでもなる。
そして、二日連続で大敗したフランベーニュだったが、もし渓谷内でおこなわれた戦いでの敗戦だけであったのなら、事実をすべて話してもよかった。
そう。
問題は二日目の大敗、特にその内容だったのである。
自国最高と謳われる将軍が率いる四十万人の将兵がわずか一日で全滅。
しかも、相手には掠り傷ひとつ与えていない状況。
さらにいえば、ボナール軍を壊滅させたのはたった一回の魔法攻撃。
さすがに王にさえ伝えていない「悪魔の光」を会議の席で持ちだすのはできることではないのだが、そうなると別の問題が発生する。
ボナール将軍が率いた四十万人を破った魔族軍はいったいどれくらいの数を用意したのかということだ。
もちろん現れた二万人をボナール軍の戦いの結果に生き残った者たちだと言い張ることはできる。
だが、そう言ってしまうと、たったそれだけならあと一押しで破ることができるなどと主戦論が出かねない。
当然、その勢いで渓谷に再突入し、マンジュークを落とせということになる。
もちろん王都にいる残る貴族どもが迎撃にその向かうのなら構わない。
だが、兵や魔術師、そして有能な指揮官を一気に失い、大幅に弱体化した正規軍を根こそぎ動員して出陣などという事態になれば大変なことになる。
なぜなら、結果は当然また全滅。
そうなれば、王都を守る兵がいなくなることになる。
そう。
この世界でも限らず、よく起こる「ひとつの不都合な傷を取り繕うとするとその数十倍の矛盾が発生し、結果、傷はさらに大きくなる」という事態にダニエル・フランベーニュは遭遇していたのである。
結局、時間を使うだけで方針は決まらず、「そういうことなら、おまえにすべてを任せる」という王のひとことで責任を丸投げされる形でダニエル・フランベーニュはフランベーニュ王国最高会議に参加することになる。
だが、その待ち構える困難さと責任の重さに反して、その男の顔には完全なものとはいかぬものの、それなりの満足感が得られたときに現れる笑みが浮かんでいた。
これまでは王の補佐役として、問われたことを助言という形で答えるだけであったが今日は違う。
主体的に発言できる。
つまり、すでにそのような場で自由に発言できていたふたりの兄とようやく並ぶことができたわけだ。
密かに至高の地位を目指すダニエルとしてはそれで満足するわけにはいかないし、なによりもここで多くの点数を稼げなければ、再び元の位置に強制的に戻される可能性が高い。
だが、点数を稼ぐと言っても、あまりにも条件が悪い。
戦況が悪いだけではなく、盛大に情報隠避までしているのだ。
隠避していることがバレてしまうだけもで終わりである。
本来であれば、すぐさま下りたいような勝負。
だが、三男のダニエルにはここで頑張る以外の道はないのだ。
……せっかくやってきた機会だ。与えられたものを有効活用すべく、まずは失点を少なくするよう努力しよう。
そのいうことで微妙な決意を胸にしてダニエルが臨んだ会議。
その冒頭、王は予定通りダニエルを正式に出席者とすると宣言する。
さらに、今回の件に関する自分の代弁者の役を与えるとつけ加える。
もちろんふたりの兄は王の言葉をおもしろいと思うはずがない。
常識と伝統を盾に第三王子への権限移譲に反対の意向を示すものの、父王はそれを押し切る。
これはこの王としては珍しいことではあるのだが、まあ、当然といえば当然のことではある。
なぜなら、これまでも事前に出させた第三王子のアイデアを自分の頭からひねり出しているかのように見せていた王にとって、これだけ複雑かつ繊細な内容をまとめ上げ決断するのは困難。
ボロが出ないようにするためにはそれ以外の選択肢は存在しなかったと言ったほうがいいだろう。
そうして、紆余曲折、その同類の結果、会議の主導権を握った男が口を開く。
「そういうことで、王の指名により私が会議の進行を担うことになった。さて、今回の件について我々がどう進むべきか。その手順について私の意見を述べたいと思う」
ダニエルがまず口にしたのは、アポロン・ボナールの戦死の発表と葬儀をとりおこなうということだった。
たとえ大敗したとはいえ、これまでの功績があった者を報うことなく、その死を公表さえしないとなれば王宮に対する将兵の信頼が損なわれる。
さらに、いくら情報統制しても、相手は「フランベーニュの英雄」であり、その死の情報は市中に漏れ出すことは避けられない。
その場合は、その死を隠していたことで余計な詮索をされることになる。
そうであれば、その死を公表し、盛大に国葬を取り計らったほうが遥かによい。
これがダニエルの主張であった。
もちろんこれは極めて正論に近いため、正面から反対する者はいなかった。
ただし、意見する者はいた。
ダニエルにとっては長兄にあたる男である。
「ボナールとともに貴族軍十万が出陣している。司令官のボナールが戦死となれば、戦況を大いに不安視する者たちが現れるのは避けられないのではないか?」
「そのとおり」
王太子の地位にあるその男アーネスト・フランベーニュの言葉に同意したのは、兄とは強烈なライバル関係にある次男カミールだった。
ライバルは少ない方がいい。
ここは新たなライバルと成りうるものを潰しておくべき。
そのような打算から出たものであるその言葉。
カミールはさらにそこにつけ加えるように言葉を続ける。
「それで、ボナールとともに出かけた貴族たちはどうなったのだ?」
それはその場にいる誰もがいる疑問であった。
総司令官たるボナールが戦死するのだ。
同行した貴族たちにも相当犠牲が出ているはずだ。
それに一切の言及しないのは不敬ではないか。
カミールとしては、ダニエルの追い落としとともに、貴族たちの後ろ盾を増やいたいという狙いが透けて見えるその言葉。
だが、それは開けてはならぬ扉に手をかけたようなものだった。
「……いずれ知らせなければならないことではあるのですが……」
その前置きの言葉とともに、ダニエルは王に目をやる。
そして、王が頷くのを確認するとその続きとなるものを口にする。
「ボナール将軍とともに王都を出発された方はすべて亡くなりました」
すべて亡くなった。
つまり、貴族軍は爵位の有無を問わず全員が戦死した。
ダニエルの言葉そう言った。
もちろんそれは事実である。
だが、それは簡単に受け入れられないことでもある。
「ダニエル。確認してもいいか?」
「今おまえは全員亡くなったと言った。それは十万人全員ということなのか?」
「そうです」
「ふたりの公爵も?」
「そうです」
「信じられない」
「まったくだ。それは確実な情報なのだろうな。ダニエル」
あまりにも衝撃的な内容なため、それを問うたカミールだけではなく、アーネストも問い直すものの、事実である以上、ダニエルの言葉が変わることはない。
「クペル平原から将軍の遺体をミュランジ城へ連れ帰った兵たちの証言であるとミュランジ城城主リブルヌなる者が伝えてきておりますので間違いないでしょう」
「ちなみに、ボナール配下の者たちはどうした?」
「ボナール将軍直属部隊である二十万、さらにリブルヌが同行させたミュランジ城に駐屯していた十万も同じ運命とのこと……」
「待て。ということは、あわせて四十万人の兵が一気に失われたのか」
「そうなります。さらに言えば、その前にマンジュークを目指していた我が軍も渓谷内で全滅に近い損害を受けて敗退しています。そして……」
「とりあえず、クペル城はまだ我が軍の手にありますが、陥落は時間の問題であると思われます」
そう。
これがダニエルの結論。
過程を省き敗戦という結果のみを伝える。
あまりにも大きなその結果に本来問わなければならぬことも口にできないだろう。
そのうちにすべてを構築してしまう。
ダニエルは自らの想定通りに進む目の前の様子を眺めながらそう呟いた。
「さて、皆さん」
衝撃的な内容に押し黙った一同を圧するようにダニエルが言葉を続ける。
「お聞きになった皆さんが感じたとおり、これは我が国にとって大打撃です。そして、魔族どものこれ以上の侵攻を防ぐために新たな策を講じなければならないわけですが……」
「それにあたって皆さんに守ってもらわねばならないことがあります」
「今、ここで聞いたことを外部に漏らさぬこと。少なくても、我々の準備がすべて整うまでは」
「言うまでもなく、ここはフランベーニュに住む者すべてが一丸となって魔族に当たらなければならないわけですが、これだけ大敗したという情報は下々の者に動揺を与えるのは必定。戦う前に国が崩壊しかねません」
「そういうことで、この件は誰にも口外してはならない。その対象は家族も含まれます。そして、これが市中に漏れた場合、私は全力で詮索し、その根源を見つけ出します」
「もちろん見つけ次第その者は地位や身分の上下を問わず、国家崩壊を目論んだ者として処刑。家は取り潰しとします。なお、これは陛下が決定したことであります」
……これは厳しい。
……というか、こいつにそんな権限を与えていいのか。
その場にいる者たちは心の中で同じ言葉を呟き、続いて、それを決めた者に視線を送る。
そして、現在は脇役に甘んじている男に確認する。
撤回を求めるように。
「……ダニエルの言葉は正しい。私の命であることを肝に命じよ」
一瞬の数十倍の時間後やってきたその言葉。
それをどう受け取ったのかは様々であるが、否定しない以上、それは王の命であるという根拠にはなる。
ついでに言っておけば、大部分の者が想像したとおり、ダニエルの言葉は父王にとっても寝耳に水だった。
だが、事前の打ち合わせで、義務を丸投げした際に「好きにやってよい。そして、そのときには私の名を使うことも許可する」とお墨付きを与えた以上、肯定しないわけにはいかなかった。
それが真相となる。
王の名のもとにおこなうことができる無限の権力というすばらしい打ち出の小槌を手に入れた男の言葉はさらに続く。
「では、皆さまに理解いただけたところで、すぐにおこなわなければならないことについて役割を決めることにします」
「宰相殿はボナール将軍の死の公表と国葬の準備についてお任せします」
「それから、防衛拠点であるミュランジには至急兵を派遣しなければならないわけですが、陛下の命により編成と指揮官の選定は私がやらせていただきます」
「では、今日は一旦解散とします」