残されたものたち
フランベーニュと魔族との長い戦いの歴史で初めて、交渉によって城の所有者が変わるという出来事はこうして驚くほどあっさりと幕を閉じたわけなのだが、その前におこなわれた戦いでフランベーニュは四十万人の将兵が命を失い、さらにその交渉を成立させるための決闘とその直後の騒動でさらにいくつかの命が失われているわけだから、完全な無血開城とはいえないかもしれない。
だが、少なくても、グワラニー率いる魔族軍にはひとりの犠牲者も出ていないのは事実であるし、フランベーニュ側に関しても、決闘後におこなわれた交渉開始から城を離れるまでには誰一人命を失っていないことも事実。
そこについては評価すべきものであろう。
ところで、前述したとおり、すべてのフランベーニュ人がロバウと共にクペル城から退去したわけではない。
クペル城に残った者たちについても少しだけ触れておこう。
ちなみに、城に残ったのは女性とその子供、あわせて二百七十一人。
その内訳は、妊婦七人、幼子を抱える母親六十八人、そのこども百九十六人。
グワラニーの予定どころか、ロバウの報告と比べても多い。
「希望が出ている以上、もちろん拒むことはしませんが、なぜこうなったについて少々の説明が必要でしょうね」
すでに城を出る者とクペル城周辺に住むフランベーニュ人農民が予想以上に多かったため、例の大盤振る舞いにかかる費用は莫大なものになっていた。
さらに、好感度アップのためとはいえ、そこに彼女たちの滞在費用に多額の出費が上乗せされることになったグワラニーがその数を報告してきたアリシアにささやかな苦情を申し立てるのは当然のことであろう。
それに対しアリシアは薄い笑みとともにそれに応える。
「グワラニー様のやさしさの賜物といえるでしょう」
「はあ?」
その言葉の意味が読み取れず、間の抜けた声を上げたグワラニーを面白そうに眺め終わると、アリシアはもう一度口を開く。
「わかりやすく言い換えるならば、お手伝いにやってきた女性たちと打ち解けたフランベーニュの女性たちから漏れ出した情報が小さな子供抱えた他の母親たちにも広まった結果ということだと思われます」
「小さな子供の手を引きながら悪路を長時間歩くより、こちらに残った方が遥かに良いという判断をしたというところでしょうか」
「では、男たちが残らなかったのは?」
「まあ、それはあくまで私の偏見に基づいた意見なのですが……」
「たとえ女性でも魔族と話をするなどけしからん。まして、その面倒をみてもらうなどもってのほかという男衆と、安全かつ快適で意外に楽しい、さらに同じ境遇の同胞女性が多くいるこの場に残りたい女性陣の対立の結果……」
「男たちは女性陣に追い出されたと?」
「表現はともかく、形のうえではそう言うことになるのではと思います。残った女性たちの表情を見ていると」
「なるほど。だが、そうなると子供たちは夫婦げんかの巻き添えを食ったわけだ」
「そうなりますね。もっとも……」
「多くの家では子供たちに選択させたようですよ。どうするかを」
「その結果は?」
「見たままです」
「……なるほど」
……この世界でも、夫婦の力関係は、見た目のものと実際は違うというわけか。特に今回のような「いざ」という時になると男と女では肝の座り方が違うからこうなるのも当然といえば、当然なのだが。
妙に納得しながらも、自分と同性の意気地なさに大きなため息をついたグワラニーは言葉を吐き出す。
「まあ、そういうことなら、逗留期間は十分に満足してもらうことにしましょうか。ですが、彼女たちの希望に合わせて帰すわけにはいきません。全員が出発できる状態になったところでまとめての帰郷となることだけは伝えておいてください」
「……承知しました」
こうして、全員の出産とその後世話が一段落したところで彼女たちは帰ることになったわけなのだが、彼らが転移魔法を利用してあらわれた場所はフランベーニュ王都近郊のある場所。
なぜそうなったのかは後々わかることになるのでその時までのお楽しみとしておこう。
さて、最後にそもそもこの件のきっかけとなる七人の妊婦について述べておこう。
もちろん七人の女性は無事出産したのだが、産まれてきた赤ん坊、その全員が女児だった。
確率的には男女半々になるべきものであるものの、そう大騒ぎすることではない話ではある。
だが、その後に起こったことは、誰も予想できないものだった。
それは名前。
なんと母親全員が自らの子供に「アリシア」と名付けたのである。
父親の意見など聞かぬまま。
その理由はいうまでもないことであろう。
そして、その後この世界の理を無視するように生まれてきた女の子に「アリシア」と名をつけることがフランベーニュを中心に爆発的に流行する。
それとともに、魔族の国では「国母」と呼ばれるアリシアは、ノルディア王国を含む人間世界では「聖母」という別の称号を得て女性たちの憧れ、いや崇拝対象となっていくのだが、もちろんこれはもう少し先の話となる。