開城
実際にはその二日前にはすでに魔族軍幹部が入場していたのだが、正式にはこの日が開城日となる「クペル平原会戦」終了してから三日目。
一万五千人を超えるフランベーニュ人が退去し、所有者がフランベーニュ人から魔族へと変更になった。
むろん退去する側にとってそれは屈辱でしかない。
だが、それを指揮する者にとっては安堵という、それとは対照的な気持ちで心が満たされていたのは否定しようがない事実であった。
なにしろ相手はこれまでお互いに「老若男女すべて殺す」ことが前提となっていた魔族。
しかも、続けざまに起こった二度の敗戦によって「フランベーニュの英雄」を含む五十万人以上の将兵を失うという記録的な大敗直後。
戦える兵が相手の十分の一にまで落ち込んだ状況で籠城などしても、数日で全滅するのは避けられなかった。
それにもかかわらず、こうして無事退去できたわけなのだからその男ロバウが感慨深げにその様子を眺めるのも理解ができるといえるだろう。
「……悔しいか?シュノア」
ロバウは何度も城の方にふり返る次席指揮官にあたる者にそう声をかける。
もちろんそれは自らの心に残るその気持ちを吐き出したものでもある。
当然それを肯定する言葉が返ってくるものとロバウは思っていたわけなのだが、声を掛けられたシュノアからやってきたものはそれとはだいぶ違うものだった。
「もちろん残念という気持ちはありますが、実際のところ、あの絶望的な状況からこうやってゆっくり歩いてミュランジ城へ戻ることができるというのは驚き以外にありません。そして、幸運の塊でできているこの状況に文句を言うなどおこがましい以外の何物でもないと思います」
「なるほど」
微妙な表情を浮かべるロバウを眺め直したシュノアはさらに言葉を加える。
「まあ、これはついでというものになりますが、グワラニーというあの魔族の将に関しては、私が持っていた魔族のイメージからかけ離れているように思えました」
「そうだな」
シュノアの言葉を肯定したロバウは城門で自分たちを見送るため、わざわざ姿を現わしたその男と交わした言葉を思い出す。
「敵である私が言うのもなんですが、道中お気をつけてください」
ロバウはその声の主である魔族の男を見やる。
そして、苦笑いしながら口を開く。
「それはミュランジに辿り着くまでは我々を攻撃しないということを約束したものと受け取っていいのかな」
これが今のロバウが口にできる精一杯の皮肉である。
相手の男は嫌な顔ひとつ変えることはなくそれに応じるために口を開く。
「わざわざ手間をかけてそれをやる理由は我々にはありませんのでご安心を。ただし、野盗の類に関しては保証いたしかねます。もっとも、一万人の軍を相手にできるほどの規模の野盗がフランベーニュにいるのかは知りませんが」
その言葉だけなら、攻撃はしないと言っている。
だが、野盗を装って襲撃するかもしれない。
そんなぶざまなことにならぬよう気を抜くなという忠告。
口では相手に、いや、口でも相手に勝てないことを悟ったロバウはさっさとその話を切り上げる。
「さて、そろそろ行くことにするが、残った者たちの面倒はよろしく頼む」
「承知しました」
「では……」
最低限の礼儀を纏って言葉を口にして歩き出したところで、ロバウは振り返る。
「次はミュランジ城で会うことになるのだな」
もちろんそれは、ミュランジ城でグワラニーたちを迎え撃つという宣言でもある。
それに対してグワラニーは薄い笑みを浮かべる。
「一応、ボナール将軍の許可は得ていますので、いずれミュランジ城をいただきには参りますが……」
「そこに現れた軍の旗があれかどうかはわかりません」
そう言ったグワラニーは自らの軍旗を指さす。
「……ほう」
「我々としては、城から眺めるものがあの旗以外であってもらいたいものだが、ありえるものなのか?そのようなことが」
「まあ、私は一介の将軍ですから上からの命令次第ではそうなることもあると思います……」
「まあ、やってきたのが私の部隊か別の部隊かは四十日もすればわかることでしょうから、それまでのお楽しみということで」
「では、四十日後を楽しみにしていよう。だが、そうなるとこの城に残る者たちの扱いはどうなるのかな?」
「それはご心配なく。我々『魔族』は、契約を非常に重要視している。そして、これが証しとなるもの」
当然ながら戦闘が始まる四十日後に全員が出産を終えているわけではない。
戦闘が始まったら、その女性たちの扱いはどうなるのかとロバウは問うたのだ。
そして、それに対するグワラニーの返答は、クペル城に留まっている女性とその子供、それからこれからこの世に生まれ出る者についてはどのような状況になろうとも、必ず安全に祖国に送り届けることを約束するというもの。
アルディーシャ・グワラニーという署名付きの証書。
……今はこれを信用するしかない。
「では、よろしく頼む」
そこまで思い返したロバウは受け取った証書をもう一度見返す。
……そういえば……。
……奴は自ら魔族と名乗ったぞ。
……だが、魔族と呼ばれることを奴らは酷く嫌っているはず。それなのに……。
……いったいグワラニーとは何者なのだろうな。
もう一度振り返ったロバウはだいぶ小さくなったクペル城のあたらしい主になった者に思いを馳せて心の中でそう呟いた。