本当の終幕
さて、幕間劇的ないくつかの話が終わったところで、クペル城からフランベーニュ軍が退去するまでの話を語っておこう。
タルファとの決闘でボナールが敗死してから三日後。
フランベーニュ軍とその城の住人の大部分はこの城を退去する。
もちろんこれは予定どおりではあるのだが、このようなことは大概予定より数日遅くなる。
それがこの世界の常識である。
しかも、今回は突如決まったこと。
本来であれば、十日の遅延は覚悟せねばならないところであり、グワラニーもその腹積もりであった。
それが予定通り退去準備が完了したのは、城内の内務を取り仕切り事実上の城主ともいえる次席指揮官シャルマルヌ・シュノアの手腕によるところが大きいだろう。
もっとも、それは通常のやりかたで可能ではないのはあきらか。
つまり、シュノアはかなり強引な手法でそれをおこなったということである。
そして、シュノアが用いたその強引な手法、その正体は「魔族たちの悪名」であった。
今回のボナール様の決闘敗北に伴うクペル城撤収の事前交渉において、我々は魔族軍よりフランベーニュ軍が撤収後も城に残ったフランベーニュ人のうち、労働に耐えられる者はすべて本国に連れて帰り奴隷とする通告を受けている。
つまり、三日後城内に残れば魔族の奴隷確定だと言ったのである。
これによって、これまでは常識であった様々な難癖をつけての退去の先延ばしはあっさりと封じられた。
だが、この言葉は、それと同時に怪我で動けぬ兵士や病気療養中の者に不安を与える。
というより、撤退に同行できず放置された者たちが魔族たちにどのような扱いを受けるかは皆知っている。
なぜなら、自分たちも同様のことをおこなってきていたのだから。
そして、それを回避するにはふたつの道のどちらかを選ぶしかない。
無理をしてでも軍の退去に同行する。
自死する。
それについては、「十分な治療を受け、回復が確認できたのちに退去することを認める」としたグラワニーも想定済みだった。
「事前にあれだけ言っても、短絡的な行動をする者もいるだろう。なぜなら……」
「我が国の者がフランベーニュ人を信用していないくらいに、彼らも我々の言葉を信用していないから。だが、それは当然のことだ。これまでの我が軍の輝かしい実績を考えれば」
「だが、我々は違うことを証明する。というより、証明しなければならない」
「今後のために」
そう言ったグワラニーが提案した解決策はフランベーニュ側の誰もが予想しないものだった。
撤退前々日。
つまり、決闘の翌日の早朝。
魔族側から、ロバウへ突然連絡が入る。
「朝食後、我が軍幹部によるクペル城の巡視をおこなう」
一応、引き渡し前の破壊工作がおこなわれていないかを確認するためという大義名分はある。
だが、やって来るメンバーの顔触れからそうとは考えにくい。
少なくても受け入れる側にとっては。
ちなみに、そのメンバーとは、グワラニーから始まり、プライーヤ、アライランジア、バルサス、ナチヴィダデ、ウビラタン、バロチナ、コリチーバという七人の将軍と将軍格の者。
幕僚のアリシア。
それから、戦闘工兵部隊からはベル・ジュルエナ、アペル・フロレスタのふたり。
魔術師からはアンガス・コルペリーアとデルフィン・コルペリーアが参加する。
それは、グワラニー軍の幹部、そのほぼすべてとなり、タルファに居残り部隊の指揮を任せ、ビニェイロスとセンティネラがそれを補佐する体制で待機し、万が一のときには素早く対応できる準備はされている。
むろん、センティネラは転移避けのために盛大な防御魔法をすでに展開している。
さて、準備万端でやってきた肝心の巡視団であるが、城内に入る彼らを見たフランベーニュ人たちは大いに驚く。
なんと帯剣していないのだ。
しかも、やってきた者すべてが。
これは魔族軍は攻撃をおこなう意志がないことを示しているのだが、それを見ればよからぬことを考える者が出てくるのは当然予想される。
それにもかかわらずなぜそうしたか?
これはロバウへの無言の圧力。
当然それは受け取る相手にはすぐに伝わる。
「本当に魔族の司令官は一筋縄ではいかぬ者であるようだな」
「それはどういうことですか?」
魔族たちを迎えるために入口に向かいながら口にしたロバウの呟きに応じたのはシュノアだった。
シュノアからの問いに、渋い表情のロバウが答える。
「考えてみろ。あの中には化け物級の魔術師がいるのだ。我々程度の剣など届かぬくらいの防御魔法が施されているのは疑いようもない。そして、指を少し動かしただけで、剣を振るった者の首が飛ぶ仕掛けだ。だが……」
「話はそこで終わらない」
「それを口実にこの場にいる者すべてを消し去る算段をしている可能性だって十分にある」
「では、どうしますか?」
「言うまでもない。奴らに絶対に手を出すなという命令を徹底させるしかない。万が一、そのような者が現れたらこちらですぐさま処理しろ」
「ここまで生き残った者たちをお調子者ひとりの愚行のために死なすわけにはいかないからな」
もちろんその命令は完全な形で実行に移される。
遠巻きにして憎しみを込めた目で魔族たちを眺める。
それが彼らにできた唯一のメッセージだった。
「いかがでしたか?」
「素晴らしい。さすがです」
出迎えたロバウとともに城の中を見て回った後にやってきたロバウの問いにそう答えたグワラニーは、続いて、本当の目的となるものを口にする。
「ところで、ロバウ将軍とともにこの城を去ることが困難な者はどの程度になる予定でしょうか?」
グワラニーがロバウに尋ねたこの問いは表面上、何ら問題となる部分はない。
なぜなら、グワラニーは、「疾病等によって今すぐ退去することが困難な者はこちらの十分な治療を受け、回復が確認できたのちに退去することを認める」と表明している以上、準備のためにその数を事前に把握したいと思うのは当然なのだから。
だが、それを口にした者はともかく、その言葉を聞いた者にとっては、それがそのままの意味を持つのかといえば、そうではない。
ロバウがグワラニーのその言葉を聞いたとき何を思ったのか?
言うまでもない。
最悪の事態である。
「さすがにまだそこまでは……」
極めて無難な答え。
それとともに情報隠避をおこなう模範的な解答とも言える。
「……では、今日中に把握して早めに連絡を頂きたい」
それは当然やってくる言葉だった。
だが、それに続いた言葉によってロバウは自らの見解をすぐに改めることになる。
その言葉がこれとなる。
「その者たちもできるだけロバウ殿たちと一緒にミュランジへ戻れるように治療をしたいと思います。同行している少女は攻撃魔法こそ未熟ですが、その手の魔法は得意ですので大概のものであれば即完治できると思います」
「な、なるほど」
ロバウはグワラニーの意図を完全に理解し、相手の意志を曲解していた自身を恥じ、すぐに数を把握するように約束して、この話に平和的に幕が下りたように思えた。
だが……。
ロバウから届けられた羊皮紙。
そこにびっしりと書かれていたその内容を眺め終わったグワラニーが対応を尋ねた相手は、幕僚であるアリシア・タルファ。
つまり、タルファ将軍の妻である。
「ロバウが提出した資料によれば、現在クペル城内にいる将兵一万三千八百二十二人。そのうち一万千十六人が負傷兵。そのうち七千四百九十三人が自力での撤退は困難。さらにそのうち三千八百二十一人はベッドから動くことも難しい。城内で各種商売をおこなっていた者とその家族は五千五百六十七人。前線近くということもあり、老人がいないため彼らのなかには歩行を困難である者はない。ただし、そのうち七人は身ごもっており、二十九人は乳飲み子を抱えている母親とある」
「……どうすべきだと思いますか?」
アリシアは自分の上官にあたる年少の男を眺める。
……デルフィン嬢の力を考えれば、治療については問題ないでしょう。
……ということは、グワラニー様が困っているのはもうひとつのほうということになります。
「何か不都合がありましたか?」
「まあ、不都合というほどのものでもないのですが……」
「お腹が大きな女性や乳飲み子を抱えた女性をどのように扱うべきか」
「残すとは言ったものの、兵士たちを全員帰してしまっては、残された彼女たちは不安になるのではないか」
「では、帰すべきかといえばそうでもないような気もしますし……」
「そもそも、我が国の者たちがフランベーニュ人女性の出産の手伝いや、小さな子供の面倒が見られるのか?」
そう。
お腹が大きな女性や乳飲み子を抱えた女性をどうしたらよいか?
それがグワラニーが判断を迷っていたことである。
実はグワラニーはこの世界の出産事情に疎いのである。
というより、グワラニーは元の世界においても出産に関する知識は皆無に近い。
もちろんゼロというわけではない。
だが、その知識というのは……。
出産のために産婦人科に行くのが基本。
以上。
自慢にもならないが、これが彼の持つ出産に関する知識の現実なのである。
つまり、元々知識がないうえに、この世界での出産がどのような状況になっているのかはさらにわからないのである。
……一応、この世界で子供を経験して得た知識でいえば、おむつらしきものは存在したが、粉ミルクはなかったことは覚えている。
……しかし、それは魔族の世界で自分が得た知識。
……この世界の人間は出産のためにどのような準備をするのかなど皆目見当がつかない。
……手っ取り早く済ませたいのであれば、転移魔法でミュランジに送り出すのが一番。だが、転移魔法が母体にどのような影響を与えるのかがわからない。
……せっかく親切でそれをおこなって、転移直後流産でもしたら意図的に転移さたなどと恨まれても困る。
……やはり、当初の予定通りにいくしかない。
と、盛大に振り動く振り子のごとく思考を右往左往させていたところで、思い浮かんだのはアリシアの顔だった。
……彼女は人間世界で母親をやっていた。
……フランベーニュとノルディア。国は違うが、魔族と人間ほどの違いはないだろう。
……しかも、クアムートで魔族の女性とうまくやっているのは知っている、
……当然情報はあるはず。
……あとはバイアの奥方もいる。
……ふたりに任せればなんとかなるのではないか。
まさに行き当たりばったりの泥船的発想。
ノルディアやフランベーニュの大軍を完璧な形で退けた者と同一人物とは思えぬほどの体たらくに思えるが、所詮こんなものなのである。
自らの守備範囲外のことについては。
某世界の英雄譚に登場する軍民すべてのことについて隅から隅まで通じている者など実際には万にひとつもいない。
グワラニーの醜態。
これこそが現実なのである。
ただし、グワラニーは自分の知識が万物について網羅しているなどと思っておらず、多くの穴があることを十分に承知している。
そして、自らに不足している部分がどこなのかを正確に把握し、その穴埋めが完璧な形でできる人材を見つけ出し集めている。
これこそが本当に重要なことなのであり、グワラニーが他者と違うところといえるだろう。
そのグワラニーの知識の穴を補っているひとりであるアリシア・タルファが口を開く。
「そういうことであれば……」
さて、アリシアが提案し、グワラニーが大喜びで承認したもの。
それは翌日にはわかりやすい形、いや、驚くべき形となってクペル城に現れる。
多くの品物を持った魔族の女性たち。
そう。
つまり、前日の夜にクペル平原の野営地から渓谷地帯、そして、山岳地帯の北方につくられたグワラニー部隊のキャンプを経由して、クアムートに住む者に対して奇妙なお触れが出たのである。
出産の手伝いができる女性の募集と、それに関わる物資の供出。
そして、前者についてはいつものようにノルディアからせしめた金貨をアテにした高額アルバイト。
それに加えて、クアムートという、人間たちとの接触が頻繁にある場所に住む彼女たちはフランベーニュ人たちに興味津々だった。
それは純魔族、人間種に関係なく。
結果、グワラニーやアリシアの想定より遥かに多くの者が参加することになった。
魔族世界における従属関係が成立した状態を除けば、これまでは魔族と人間の女性同士の接触は起こらなかった。
それは女性を戦場から遠くに置くものという思想が戦う両側で根付いていたからだ。
だが、幸か不幸か、それとも偶然の成せる業か、その言い方はともかく、それが思わぬところで実現する。
そして、それは素晴らしき化学反応を起こすことになる。
「……これは驚きだ」
「まったくです」
その様子を見たグワラニーは思わず声を上げると、隣に立つ、本来であればグワラニーとは剣を交えるべき関係にあるロバウが同じような声を上げる。
そして、そこに背後から加わるのは、その状況をつくり上げた中心人物だった。
「当然です」
その女性はさらに言葉を続ける。
「彼女たちは皆これからやってくる新しい生命を迎えるという共通の目標を持っているのですから」
「なるほど」
「この様子を見てしまうと、返す言葉がないのですが……」
「言葉が完全に通じない中でよくできますね」
言葉が完全に通じない。
つまり、双方の言葉が違う。
それは完璧な事実である。
その場にいるフランベーニュ人の女性が話すのはフランベーニュ語のみ。
一方、クアムートに住む魔族の女性たちは魔族語以外には、国境に開設されたノルディアとの非公式交易所を利用するために必死に覚えたノルディア語と少々のブリターニャ語を使うものの、フランベーニュ語は彼女たちには無縁の存在なのだから。
様々な言語が飛びかう様子を現わしたようなロバウの言葉に女性は微笑む。
「それは、種族は違えども出産という行為自体はそう変わらないということです」
「それに……」
「こういう機会に情報交換をしたいのではないでしょうか?」
「何のですか?」
「それは……」
期せずして、異口同音となったその問いに、その女性は素晴らしい笑顔と見事なウインクを披露する。
「……男の方には教えられない類のものですね」
「さて、私もそろそろそのすばらしき集いに参加することにいたしますので、これにて失礼することにしましょうか」
そう言うとその女性はふたりの男を置いて賑やかな集団のもとへ歩き出す。
残されたふたりは苦笑いするしかなかった。
「すごい女性ですね。彼女は」
「ええ。なにしろ我が軍の実質な頂点は彼女ですから」
「なるほど……それはなんとなくわかります」
半ば冗談であったグワラニーの言葉になぜか納得するロバウであった。