決闘開始直前の出来事
史上初めての魔族と人間との決闘は、手続き上は何も間違ってはいなかったものの、最終的には人間同士によるものとなったわけなのだが、その開始より少し前、見えない場所で本来決闘をおこなわなければならない立場にある魔族軍の将グワラニーに小さな動きがあった。
自らの結婚相手をそっと呼び出していたのだ。
その理由はいうまでもないだろう。
もちろん例の保険の設定である。
そう。
普段は部下の言葉を完全に信じるグラワニーだったが、今回ばかりは素直に信じられなかったのである。
……安易に信じて取り返しがつかないことになったら大変なことになる。
……クペル城などその気になればいつでも手に入れられる。だが、タルファはそうはいかない。
……私がプライーヤを指名さえすれば済んだ話。それどころか、本来であれば、私が剣を握らなければならないのだ。おかしな駆け引きの結果その代わりに決闘をおこなったタルファが命を落とすなどあってはならないことだ。
その思いがあったからである。
「私が合図したら、タルファに結界の魔法をかけてもらいたいのです。できますか?」
「もちろんです。ですが……」
「よろしいのですか?その……」
少女の言葉に少しだけ揺らめきがあるのを感じたグワラニーは自分の言葉がまったく足りていないことに気づく。
まずは少女に微笑み、それから口を開く。
「協定違反が心配ということであれば大丈夫です。私が声をかけるのはタルファの負けが決まったと思われたときであって、不正をして勝とうというわけではありませんから」
「まずはトドメの一撃を食らうのを防ぐ。それから、すぐに治癒魔法をお願いします。決闘でタルファが敗北することはまったく問題ないのですが、彼の命だけは絶対に守らねばなりませんので」
そこまで話をしたところで、少女のこわばった表情が緩む。
「わかりました。そういうことであればやらせていただきます」
「それと、この件は誰にも内緒ということでお願いします」
「わかりました」
「……つまり、これはふたりだけの秘密ということですね」
少女はニコリと笑い、グラワニーも数瞬程遅れてそれに続いた。
こうして、グラワニーによってタルファの安全は秘密裡に確保されたのだが、実は、ほぼ同様のことを考えている者がもうひとりいた。
少女の祖父にあたる男である。
……命をかけた勝負であるからには不正はいかん。
……だが、勝敗がはっきりしたところでの一撃だけは止めねばならない。
……まあ、私が勝手にやったということであれば、問題は私ひとりのものだ。
……それに負けが決まった後での魔法使用については特に言及されていないのだから、フランベーニュ側に何を言われようが、いくらでも言い訳はできる。
……規則に厳格なグワラニー殿には申しわけないが、私はあの男ともう少し酒を酌み交わしたいのだ。
……それにあの奥方の悲しい顔など見たくない。
……そして、タルファ殿が消えた結果、あの食事が口に入らなくなるなどもってのほか。
老人は心の中で呟きながら、会場に入っていった。
……まあ、取ってつけたような言い訳だが、あの男は酔狂で始まったこんな茶番で死んでいいものではないのは間違いない。