そして、それはやってくる Ⅱ
クペル城城門前。
三万人の兵士とともに、反攻をおこなう総司令官の到着を準備万端で待っていたボナール軍の将エドメ・ジェネスルットは、貴族軍から火の手が上がったのに続き、クペル城内のあちらこちらから轟音に続き、悲鳴と怒号の狂騒曲が起こる様子に顔を顰める。
しかも、白煙が上がるそのうちの一か所は見張り塔の最上部。
つまり、ボナールがいる場所である。
「伝令兵。ボナール様の安否確認に向かえ」
だが、さすがにここから走らせていたのでは時間がかかりすぎる。
「魔術師。誰か転移を……」
「ジェネスルット殿。それは少々難しいかと」
転移魔法で一気に最上階に向かわせようとしたジェネスルットに対して、この軍に同行する魔術師団の指揮官であるアレット・リシェールが遠慮気味に意見を口にする。
もちろんそれは魔術師の視点からのものだったのだが、そうではないジェネスルットにはその意味が即座にはわからない。
眉間に皺を寄せたジェネスルットはリシェールを睨みつける。
「どういう意味だ?」
やってきた言葉はあきらかに負の香りが漂うものであったが、このようなことには慣れているリシェールは何事もないようにそれに答える。
「私の言葉が足りなかったようですので、その点は謝罪します」
まず、そう言ってから、リシェールは骨子となるものを口にし始める。
「あの攻撃は間違いなく魔法を使ったもの。将軍の希望通り転移魔法を使用するために我が軍に張られた防御魔法を解除した瞬間に同じ魔法で狙われては防ぎようがありません。それに、こちらが防御魔法を解除しても、肝心のクペル城の魔法が解除されなければ転移はできません。私が言っているのはそういうことです」
もちろんこの時点ではクペル城の防御魔法は強制的に解除されていたのだが、リシェールの能力ではそれがわからなかった。
もちろんそれはジェネスルットも同じである。
「……なるほど。そういうことであれば仕方がないな。気が動転してそこまで気が回らなかった。こちらこそ無礼な物言いをした。申しわけなかった」
「伝令兵。名前は?」
リシェールの言葉をどうにか飲み込んだジェネスルットは、まずはリシェールに謝罪し、それから目の前に立って命令が最終的にどうなったのかを確認するため待っている伝令兵に声をかけると、あきらかな少年であるその兵は姿勢を正し、それに答える。
「アル・フォアです」
「アル・フォア。聞いてのとおり、転移魔法は使えないので、自らの足でボナール様のもとに向かえ。そして、ボナール様が無事であるなら、白煙、負傷または亡くなられて指揮が執れない状態であるようなら黒煙を塔の最上部から上げろ。詳細は戻ってから聞く。急げ」
アル・フォアという名の少年兵はその言葉と同時に文字通り死に物狂いで走る。
そして、城内から見張り塔へと向かう。
その間、当然ながら城内での惨状が目に入ってくる。
今回が本格的な戦闘は初めてとなるフォアはその光景と被害を受けた戦場独特の香りに吐き気を覚えながらもどうにか塔の最上階に到着する。
そして、ようやくたどり着いたそこでフォアが見たもの。
それは、床に崩れ落ち涙する多くの兵と、鬼の形相と表現できそうな表情で一点を睨みつけるふたりの将軍だった。
異様な雰囲気ではあるが、とにかくここが終着点で間違いない。
少年は辿り着いたことに安堵する。
だが、それも一瞬のこと。
すぐに自らの職務を思い出す。
……と、とにかくボナール様の無事をジェネスルット様に伝えなければならない。
姿勢を正し、精一杯声を張り上げる。
「ここが攻撃されたため、ボナール様の無事を確認してくるようにジェネスルット様より命じられた伝令兵アル・フォアであります」
「……そうか」
その言葉から続いた一瞬よりもかなり長い沈黙後、ボナールが口を開く。
「ジェネスルットから指示されたのか?」
「はい」
「……なるほど」
覇気がない。
それは遥か遠くからでもわかるくらいの輝かしい存在である自分の知るボナールとは比べようもないものだった。
フォアはボナールが負傷したのではないか心配し始めたものの、すぐさまそのすべてを振り払う。
ジェネスルットの言葉を思い出したフォアが口を開く。
「ボナール様の御無事が確認できた時にはここから狼煙を上げるようジェネスルット様より申しつけられています。それを……」
「不要だ」
伝令兵の装備品である狼煙を取り出したフォアの言葉をボナールが遮る。
「ですが……」
「フォア。こっちに来てあれを見ろ」
ボナールは少年兵を手招きし、ある一点を指さす。
導かれるように縁までやってきたフォアはボナールが指し示された場所を眺める。
「あっ」
言葉とも言い難いそれを口にしたあと、フォアは押し黙る。
「……どうやらジェネスルットの軍で生き残った唯一の者がおまえだったようだな。フォア」
そう。
少年の視線の先にあったのは数万の軍が並ぶ壮観なものではなく、猛烈な勢いで立ち上がる炎の塊だった。
つまり、塔を駆け上る最中に聞いた轟音はジェネスルットの軍が攻撃されたときのものだったということ。
事態をようやく把握したとたんに力が抜け、しゃがみ込むとフォアは声を上げて泣いた。
「フォア。好きなだけ泣け。そして、それが終わったら、おまえに命令を与えるので立ち上がれ」
ボナールは泣きじゃくる少年にやさしく声をかけるものの、少年はすぐに立ち上がる。
そして、もう一度涙を拭うと、口を開く。
「ご命令を」
少年の言葉にボナールは頷く。
「すぐにジェネスルットの陣に戻り、状況を確認して戻ってこい」
「は、はい」
泣きながら。
そう。
本当に泣きながら少年が塔の階段を駆け下りていったのはそれからまもなくのことだった。