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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十章 クペル平原会戦
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終わりの始まり Ⅱ

「グワラニー様。両脇から新たな敵が転移してきました」


 ……予定通り。


 見張りからの声を聞きながらグラワニーは心の中で呟く。

 そして、すでにこうなることを伝えられていた兵たちも同じである。


「いよいよお出ましか」

「ここからが本番だ」

「フランベーニュが誇る大将軍様とその配下との一戦。これは楽しみ」


 自らを奮い立たせるいという意味もあり、口々に威勢の良い言葉が飛び出す。

 だが、物見からの更なる報告この声でその状況は一変する。


「右翼の敵、十万人を超えます」

「こちら左翼。転移してきた者。十二万に達しました」


「……ほう」


 もちろんそう呟いたグワラニーにとってもそれは予想外だったのだが、実をいえば、彼にとって敵の数がどれほど増えようが戦う上で困ることはひとつもなかった。


 だが、兵士たちはそうではない。

 当然である。

 自分たちがなんとか戦えるのは最初に現れた貴族軍十万人がギリギリ。

 そこに現れた二十万人まで相手にするのはどう考えても荷が重い。

 

 そのような空気が流れ始める。


 そして、敵の全貌が明らかになる。


「どうやら敵の転移が終わったようです」

「それでどうなった?」

「左右ともに十五万。合計三十万人の増援です」


 その声に兵たちから漏れる異様な空気が流れ、指揮官たちは顔を顰める。

 だが、グワラニーの様子は変わらない。

 顔色ひとつ変えない、いや、薄い笑みさえ浮かべて彼が向かったのは完璧な結界を維持する老魔術師が立つ場所だった。


「魔術師長。援軍はあれがすべてでしょうか?」


 ……そういえば、この男は言っていたな。

 ……現在は転移が自由になっているが、おそらくフランベーニュの英雄は自軍の転移が完了した直後に転移避けの魔法を展開し、逃げることはもちろん、こちらの伏兵がやってくることを防ぐはずだと。

 ……つまり、これはその確認というわけか。


 老人は少し前に目の前の男が口にしていたことを反芻する。

 そして、それに答える。


「奴らは転移避けを展開した。つまり、奴らにもう手持ちはいないだろう」

「わかりました」


 その言葉を聞き終えたグワラニーは魔術師長とその弟子、それから一見すると老人の付き添いにしか見えない少女に小さく礼をしてその場を離れる。

 そして、それから少し離れた場所で深刻な顔で打ち合わせをする将軍たちの輪に加わる。


「……予想よりも多いですな。グワラニー殿」

「そうですね。王都で増員してきたのでしょう」


「さて、この大軍を相手にする我々ですが、彼らをどうやって迎え撃つかをここでお話しましょう」


 プライーヤからやってきた言葉に軽い言葉で応じたグワラニーは続いて用意した策の全貌が諸将にあきらかにしたのだが、その内容は驚くべきものだった。


「……我が軍の周りにいる敵を一瞬で殲滅する?」


 アライランジアは呻く。

 もちろん彼はその言葉を完全には飲み込めない。

 それは最近この部隊に加わった残るふたりも同じである。


「ですが、グワラニー殿。相手は四十万人ですぞ」

「もちろんわかっています」

「全部というのは、その全部ということか?」

「そうです」


 絞り出すように尋ねるバルサスの言葉をグワラニーはあっさりと肯定したうえ、天を見やる三人の男を放ったまま、さらに言葉を続ける。


「もちろん技術的にそれが可能かどうかという以外に道義的に問題はないのかという心の葛藤を持つ者もいるかもしれないが……」


「これは善悪の問題ではない。戦争とは勝つか負けるかそれだけが評価されるものだ。さらにいえば、二十倍の数の敵に囲まれた今の我々にとって負けるということは死に直結する」


「私にとってこの部隊の将兵を生きて家族のもとに帰すことよりも意味のあるものなどない。そのためなら、敵からの非難も後世の歴史家から罵声もいくらでも受けいれる。それだけだ」


「グワラニー様。ひとつ提案があります」


 グワラニーからの決意表明の言葉の直後。

 沈黙を破り、やってきたのは意見具申を求める女性の声だった。


 そして、その女性アリシア・タルファの提案はすぐに具体的な形となって現れる。


 フランベーニュ軍が魔族軍をコの字型、正確には後方が開く変形のコの字型なのだが、とにかくそのような形で半包囲する陣形が整い、ボナールの指示があればすぐにでも突撃が始まるというところで、魔族軍の将がひとり、進み出てフランベーニュ軍にむかって話しかける。


 もちろんフランベーニュ語で。


「私は魔族軍の将アゴスティーノ・プライーヤである。戦いを始める前にフランベーニュ軍の最高指揮官と話がしたい」


 魔族軍兵士たちにはこれをおこなうことを伝えられていたので、特別な騒ぎになることはなかったのだが、そんなことは微塵も予想もしていなかったフランベーニュ軍はそうはいかない。

 しかも、相手は魔族語どころか共通語でもない自国の言葉で話しかけてきたのだ。

 当然のように大きなどよめきが起こる。

 それは将軍たちも同じ。

 このような状況で魔族が何を言い出すのかなど想像できず近くにいる同僚とひそひそと言葉を交わす。


「どういうことだ?」

「知らん。だが、たとえ相手が魔族であっても、話し合いを求めている相手に無警告で攻撃始めるわけにはいかんだろう」

「まあ、そうだな。これだけの数の差がある状況でそれをやったら我が軍の名に傷がつく」

「もしかして降伏するのか?」

「さすがにそれはありえんだろう」


「とにかく、話だけでも聞くしかあるまい」


 ボナールがクペル城にいる以上、この場にいる誰かが応じなければならない。

 そうなればそれを担うのは当然この場の最上席にあるタルドゥノア公爵となる。

 だが……。


 公爵にこれを任せるのは能力的に厳しい。


 本人には一切の相談もなく、勝手にそう断じて公爵の出番を奪ったボナール軍の将軍たちだったが、さりとて交渉ごとが剣より得意といえるほど胸を張れる者がいるわけでもない。

 そして、指名されたのはフレデリック・ロカルヌ。

 まあ、これは能力というより席次から選ばれたものではあるのだが、まずは順当といったところだろう。

 そのロカルヌが前に進み出る。

 必要以上に胸を張ったロカルヌが口を開く。


「私はフランベーニュ軍の将軍フレデリック・ロカルヌである。魔族の将アゴスティーノ・プライーヤよ。この場に及んでどのような話があるのか。とりあえず聞いてやるから囀ってみよ」


 やってきたその言葉を聞きながら薄く笑みを浮かべたプライーヤが口を開く。


「これから始まる戦いで無用な血が流れることを止めるための提案をしたい」


「フランベーニュ軍に対し、ただちに降伏することを勧告する」


 侮辱と挑発。

 プライーヤの言葉をそう受け取ったロカルヌの言葉に力が入る。


「なぜ圧倒的優勢の我々が降伏しなければならないのだ」


 当然のような拒否。

 だが、自身のその言葉に対して再びやってきたものはその色がさらに濃くなった言葉。

 少なくてもロカルヌにはそう聞こえるものだった。


「だから、無駄な血が流れぬようにと言っただろう。相応の対価を支払うだけでおまえたち全員が死なずに済むのだ。悪い話とは思えないのだが」


「それに降伏と言っても、おまえたちを捕虜にするわけではない。クペル城を我々に返還したうえ撤退してもらうだけだ」


 実を言えば、その勧告はノルディアの捕虜の傲慢さに頭を痛めたプライーヤの心の底からの気持ちが籠ったものであったのだが、そのような魔族軍の内情など知るはずのないロカルヌにはプライーヤの言葉は侮辱以外のなにものでもなかった。

 すでに真っ赤になっていた顔をさらに赤くしたロカルヌが怒気を纏った言葉を吐き出す。


「そんなこと、飲めるはずがないだろう」


 もちろん、ロカルヌのその言葉はフランベーニュ軍の総意であることは一瞬後にやってきた嵐のような怒号が証明していた。

 だが、それをすべて聞き流すプライーヤが口を開く。


「今の言葉は明確な拒絶に聞こえた。だが、それはあくまでロカルヌ殿の意見であって、総司令官の意見ではない。総司令官に我々の要望を伝えその返答をいただきたい」


 そして、ニヤリと笑うとダメ押しのようにこの言葉をつけ加える。


「ちなみに、我々の言う総司令官とはもちろん……」


 そう言って旗の一本を指さす。


「その旗の主であるアポロン・ボナール将軍のことだ」


 ……まさか。

 ……最初の名乗りはこのためだったとは思わなかった。


 だが、後悔先に立たず。

 先ほどフレデリック・ロカルヌと名乗ってしまったため、「自分がアポロン・ボナール」と欺くことはできない。

 顔全面に渋さを滲ませたロカルヌが口を開く。


「わかった。話だけはしてやる。待っていろ」


 顔をさらに赤くして踵を返すロカルヌを見送ると、苦笑いしながら戻ってきたプライーヤを魔族軍幹部が笑顔で出迎える。


「グワラニー殿。あれでよかったですかな」

「完璧です。プライーヤ将軍」


 そう。

 グワラニーが採用し、プライーヤがおこなったアリシア・タルファの提案。

 それは……。


 降伏勧告。


 もちろん魔族と人間との間でおこなわれている戦いにおいて降伏という形での戦闘終結は存在しないので、当然降伏勧告などというものもおこなったことはない。


 では、なぜそれがここでおこなわれたのか?


 いうまでもない。

 それはこれからおこなわれることに関係する。

 もはや戦いとは呼べない方法で四十万人のフランベーニュ軍兵士の命を絶つ。

 むろん被害を受ける側であるであるフランベーニュ軍が黙って受け入れるはずはない。

 だが、それはおこなう側も同じである。

 特にそれを命じるグワラニーは。


 ……効率的かつ、味方の損害がなく、勝利を手にできる。

 ……その一点においてはこれはすばらしいものだ。

 ……だが、そうは言っても、本当にそれを使用してよいものなのか。

 ……そう。

 ……これをおこなうということは、将来相手が同等の力を所持したとき、こちらに対して行使しても文句はいえない。

 ……それどころかそれを使用する口実を与えてしまうのだから。


 ……もちろん相手がそれを所持していなければ杞憂に終わる。

 ……だが、私は知っている。

 ……人間側にも少なくてもひとり、その力を所持している者がいることを。

 ……その者は私と同じ感情からそれを使うことを自重していたのであれば、私の行為はその枷から解放することを意味する。

 ……そして、そのあとはどうなるか。

 ……言うまでもない。

 ……元の世界では遂に起こらなかったあれが始まるのだ。


 ……だが、この状況で自分たちが生き残る術はこれを使う以外にないのだ。


 最後に呟いたその言葉で、元の世界で培った倫理観に基づいた自らの感情を強引に抑え込もうとしていたグワラニーのもとにやってきた救いの言葉。


 それがアリシアからの提案となる。


「ところで、グワラニー殿」


 様々の思考を巡らしていたグラワニーを現実世界に引き戻したのは先ほどフランベーニュ軍に対して降伏勧告をおこなってきた男の声だった。


「フランベーニュ軍は我々の降伏勧告を受け入れるでしょうか?」

「まあ、ないでしょうね」


 その男プライーヤの問いに対して、グワラニーはあっさりと否定的な言葉を返す。


 では、無駄なことしたということではないのか?


 その場にそのような空気が流れる。

 だが、その直後、それを断ち切る女性の声が流れる。


「ですが、その選択をしたのはフランベーニュ軍。しかも、こちらは最大限の譲歩をしたにもかかわらず。ですから、これからどのようなことが起ころうとも、彼等は一方的な被害者であると称することはできなくなります」


 たしかに論理的には間違っていない。

 だから、我々が事前におこなう手順としては完璧だ。

 だが、それはあくまで形式上のことであり、すべてを知らされていない状況での降伏勧告は、フランベーニュ人の助命というよりも魔族側の口実を手に入れるためのものでしかないのはあきらか。

 微妙な空気が流れるなか、グワラニーが口を開く。


「むろん我々の行為を後世の者がどう判断するかはわかりませんが、少なくてもこれによって我々は最低限の義務は果たしたことになります」


 もちろんその言葉が何を意味しているかその場にいる者は十分に理解している。

 長い沈黙の時間が続いた後、グワラニーが再び口を開く。


「こちらとしては、フランベーニュ軍が降伏勧告を受け入れ、クペル城を開け渡してくれれば最高なのだが、おそらくそうはならない。それどころか、こちらの最大限の譲歩が返って疑念を呼んでいるかもしれない」

「と、言いますと?」

「これが大軍の前にわずか二万の兵で現れた奇策の正体」


「敵に幻影を見せて、戦わずにして勝つ」


「……大軍の前に少数で出てきたからには必勝の策がある。そのように見せかけて実は何もない。だが、渓谷内で痛い目を見たため、それをあると思った敵が大慌てで逃げていくことを狙ったいかさま」


「ボナールはそれを見切ったなど思っているかもしれません。今さら遅いのですが、条件をもう少し厳しいものにして、小出しにしていくべきでした」

「いや。結局同じでしょう。この大軍が負けるはずのないと思っている敵軍にとっては」


 プライーヤからやってきたそれは、慰めとともに、すでに終わったことを悔やんでもどうにもならないという言外の言葉を含んでいる。

 それを察したグワラニーは薄い笑みで応じる。


「そうですね。もうことは動き出している。こちらの予想どおりの返答であればこちらも予定どおりやりましょう。それが生き残るために我々がやるべきことなのですから」

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