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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第十章 クペル平原会戦
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姿を現わしたもの Ⅳ

 モンガスコンがロカルヌにボナールからの命令を伝えている頃。


 そのモンガスコンをミュランジ城へ送り出していたクペル城で、ボナールにニヤリとしていた。

 むろん彼の中には勝利の方程式が完全にできあがっていた。


「さて、こちらも始めようか。バエルイ。公爵への伝言を頼む」

「承知しました。それで、その伝言とはどのようなものでしょうか?」


 ボナールが名を呼んだアンダスト・バエルイはベテラン伝令兵である。

 別の世界では通常伝令兵とは新兵か、それと同類の者が務めることが多いのだが、この世界ではバエルイのようなそれを専らとする者も少なくない。


 もちろんその理由とはこの世界には電信機器がないこと。

 つまり、遠方での連絡は魔法で転移させた伝令兵を使うことになるからだ。


 通常であればその者に渡す手紙という形になるのだが、書く手間とそれに対する問いを再び書にしなければならないため大幅な時間のロスは避けられない。

 その点、伝令兵の口頭となれば、少なくても書く手間は省ける。

 つまり、緊急の命令などはすべて口頭となる。

 だが、ここでそれに関連したひとつ問題が生じる。


 覚えられる言葉は、兵によって異なる。


 そう。

 意外ではあるが、伝令兵は技能職という側面が強い。

 つまり、特別な記憶力が必要となる。

 そして、ベエルイのようなベテランになるとさらなる付加価値がつく。


 与えられた命令をしっかり理解し、ある程度の問答も可能になるのである。


 当然それは拡大解釈や誤りという問題が起こりかねないので、それを許されるのはすぐにでも副官になれるような上級者に限られるのだが。


 そして、このアンダスト・バエルイはその特別な者な中でもさらに特別な存在となる。


 すぐにでも一軍を率いることができるだけの才覚のある者。


 それがボナールの評価であり、多くの場所で語られるバエルイの肩書となる。

 そのバエルイにボナールがその仕事を命じた理由。

 それはもちろん相手が公爵という爵位持ちであることである。


 少年兵など送っては軽く見られ、命令そのものも軽く扱われる可能性がある。

 その点フランベーニュ軍でも有名な伝令兵でエリート軍人であることを示す騎士の称号を持ちそれを示す胸章をつけたバエルイであれば、ある程度は敬意を払われる。

 それに理解力の乏しい公爵たちには相当な説明も必要となるのだが、それをおこなうことに相応の知識がある者でなければできない。

 つまり、すべての点においてバエルイがふさわしい。


 いや。

 バエルイ以外の者ではできないのである。


 その特別な才を持つ男を前にしてボナールの口が開く。

 

 それから、まもなく。


 バエルイの姿は、ふたりの公爵の前にあった。

 もちろん部下たちの前でバエルイの言葉を拝聴することになった公爵たちはおもしろいはずがない。

 普通なら、「私に話があるのならこんな小物ではなく将軍が自ら来い」と怒鳴り散らすところだが、出かかった言葉が寸前で止まったのは側近に耳打ちされたからである。

 バエルイの評判を。

 それに加えて、バエルイ自身の口から放たれた言葉「総司令官アポロン・ボナール将軍の言葉を伝える」という言葉がふたりを自重させる。


「聞こうか」


 精一杯自分を大きく見せるような態度をとる公爵のひとりアレクサンドル・デ・タルドゥノアからやってきた言葉にバエルイが頷く。

 心の中で嘲りの言葉を呟きながら。

 バエルイが口を開く。


「魔族軍は陣を張ったまま動かない。このままでは時間を浪費するだけである。そこで策を変更する。両公爵は旗下の全軍を率いて魔族軍を攻撃せよ」


「数はこちらの方が圧倒的に多い。単純ではあるが全軍で敵を包囲して一気に叩くことがこの場における一番の策である」


「それに先立って、自軍の防御を担っている者を除いた中央軍の魔術師は各種攻撃魔法で敵を牽制せよ」


「なお、敵は強力な防御魔法を展開している可能性が高い。数度の突撃でも突破できないと判断した場合は速やかな攻撃をやめ、引き返すように」


 バエルイの言葉は簡素だが、要点を捉え、間違えなどないように思えた。

 だが、さすが相手は戦いの素人。

 しかも、貴族の中でも最高位の公爵。

 プライドも人一倍ある。

 そう簡単には終わらせはしない。


「魔術師が攻撃魔法で牽制し、その間に全軍が包囲し、一気に叩く。それは理解した。だが、その自軍に戻れとはなんだ」

「というより、我々が敵の防御魔法を突破したあとの話がないというのはどういうことだ。それでは、まるで我々では魔族に勝てないようではないか」


 ……まあ、ボナール様の話はそのようであったし、実際にそのようになるわけなのだが、たしかに勝つ気満々の公爵たちならこうなるな。


 心の中で苦笑いとともにそう呟いたバエルイが口を開き、ボナールが見込んだその才と、与えられた特別な権限、その一端を披露する。


「これは異なことをおっしゃる。中央軍は両公爵の裁量の範囲で動くもの。つまり、大枠は総司令官が決めるが、戦闘中の差配はすべて公爵方にお任せするということです。もちろん、ボナール将軍は全軍を総括する総司令官という地位にあるのだから、常に最悪の事態を考えなければならないのです。それがどのようなことかといえば、ボナール将軍が示した状況にならないかぎり、掣肘はしないので、両公爵のお好きなように戦ってもらいたい。将軍の意図はそのようなものです。それが不満ということなら、今すぐ戻り仔細決めた子供でもわかる命令書を頂いて参りますが……」

「いや」


「将軍の命はすべて承知した」

「我らの勇ましさをよく見ているようにと将軍に伝えてもらおうか」


「将軍に、両公爵の勇ましいお言葉をしかとお伝えいたします。それから……」


「言い忘れておりましたが……」


「敵将の首を取った者にはボナール様より格別の褒美があるとのこと」

「褒美?なんだ?それは」

「金貨五万枚」

「随分と豪勢だな」

「そうですね。ただ……」


「誰が司令官かはボナール様もわからないようで、将軍級の首を持ち込まれたらすべてに金貨五万枚払わねばならないとぼやいていらっしゃいました。さらに、あの軍に同行している魔術師は渓谷地帯で多くの同胞を葬った者。こちらについては金貨十万枚という一番の褒美は出るとのこと」


「それは間違いではないのだな」

「もちろんです。まあ、陣中にそのような大金を持ち込んでおりませんので、王都に戻ってからということになるでしょうが」

「承知した」


 バエルイは誰の目にもつかぬ場所で黒い笑みを浮かべると、待たせていた魔術師とともにクペル城にも戻る直前に、もうひとことつけ加える。


「……皆さまのご活躍を期待しております」


 金貨十万枚。


 バエルイが姿を消した直後から貴族軍は一気にあわただしくなる。

 いや。

 目の前に放り投げられた褒美に全員の目の色が変わった。


 いうまでものないことだが、多くの特権を有する両公爵にとって金貨五万枚はおろか十万枚だって大した額ではない。

 手に入れられなくても痛いなどとも思わない。

 だが……。


 賞金首と同義語となる第一功を相手に取られたくはない。


 公爵にとってただその一点だけが問題だった。

だが、彼らにとってはそれこそが最も重要なことでもある。


 当然ハッパをかける。

 バエルイの言葉を利用して。

 だが、そのひとことによって公爵たちの思惑は予想もしない方向へ動き始める。


 そう。

 ふたりの公爵にとって小遣い程度の金でも爵位に見合うだけの財のない多くの貴族にとって金貨十万枚は喉から手が出るほど欲しい。

 数人の家人とともに参加している爵位なしの下級貴族にとっては尚更である。

 そうなれば、ことは公爵同士の競争から、褒美目当ての各貴族同士の争いに変わる。


「見たかぎり、将軍らしきものは四人」

「いや。それよりも一番の賞金首である魔術師はどこだ?」

「最後方だな。どうやらふたりいる」

「では、そちらに一番近い場所に移動を……」

「そうはいかん。そこは侯爵である私が……」

「陣取りに爵位は関係ない」

「なんだと。子爵の分際で生意気な」


 まさに捕らぬ狸の皮算用。


 特に一番の賞金首である魔術師を狙う者たちがその場所取りでいがみ合い、公爵自ら仲裁に入らなければならない事態に発展する。

 まさに泥仕合。


 敵前で繰り広げられる醜態にルルディーオは苦笑いする。


 ……だが、魔族は全く動かない。

 ……さすがにこれが好機であることがわからぬほど愚かではあるまい。

 

 そこまで思考を巡らせたところで、ルルディーオの心に引っ掛かるものが現れる。

 だが、高まる不安を抑え込むようにルルディーオはそこで思考を止める。


 ……たしかにギリギリではあるが、ボナール様がすべてを読み切ったうえでの策だ。それに私もこちらの方が一手早いと読む。


 大混乱中に攻撃を受けるという最悪の事態を避けられるという大きな幸運もあり、貴族軍はどうにか陣立てが決まり、もたもたと移動を開始する。

 まさに敵に横腹を晒して攻撃してくださいと言わんばかりに。

 だが、それに対しても魔族軍は攻撃どころか、陣形を変えることもない。


 味方のぶざまな動きを眺めることができるクペル城の物見櫓。


「……ボナール殿」


 その男の隣に立つこの城の城主が声をかける。


「言いにくいことではあるが、貴族軍の無能ぶりには開いた口が塞がらない」

「まったくだ」


 その言葉を完璧に肯定したその男アポロン・ボナールはさらに言葉を続ける。


「それに比べて十万人の兵で取り囲まれているにもかかわらず、魔族軍は陣形を変えることすらしない。貴族の能力を見切ったのかもしれないが、余程自信があるようだな。結界に対して」

「そうですね。ですが……」


「貴族たちがそう見ているかは微妙ですが」

「そうだな。案外自分たちの無能さを棚に上げて魔族軍を笑っているかもしれない」

「それは大いにあり得ることです。ですが……」


「そうなると、やはり敵はそれ相応の者が率いていると思ったほうがいいでしょう」

「そうだな。渓谷内での出来事はアンジュレスの暴走だけではなく、有能な指揮官が用意した綿密な策の結果と考えるべきだな」

「そして、常に策の中心に据えているのが魔法」

「うむ。だが、それが今回はそれが仇になる。あの様子では敵将は貴族軍が攻撃を失敗したあとに増援部隊がやってくるところまでは予想しているようだが、その増援部隊が本当の主力というところまで読んでいないだろう」

「そして、それを指揮するのがフランベーニュの英雄であるということも」


 ロバウの言葉にボナールは照れ隠し気味に薄い笑みで応じた。


 もちろん彼らは知らない。

 実はそれは間違いであり、魔族軍を率いるグラワニーは目の前にいる部隊だけではなく、これからやってくる部隊の存在も、その指揮官が誰かということを把握しているだけではなく、その戦い方についても掴んでいたということを。


 一方は相手を知らず、もう一方はそれを知っている。


 これは見かけよりも遥かに大きな差である。

 それでも相手の動きから意図を読み、それを利用し勝利が手に入るところまでもってきたのはアポロン・ボナールが将としてどれほど優秀かを示すものではあるのだが、最終的に相手を知っているか知らなかったかが勝者と敗者を分けた一因であるといえるだろう。


 だが、まもなくやってくる未来など知るはずのないボナールは順調に進む状況に満足そうに頷く。


 そして、口を開く。


「さて、そろそろ始めるとするか」


 ボナールはその言葉とともにふたりの背後に立つモンガスコンを見やる。


「狼煙を」


 もちろんそれは貴族軍に対する攻撃命令だったのだが、それと同時にフランベーニュ軍の司令官がどこにいるのかを相手に知らせることにもなった。

 むろん、この時はまだ相手がこの軍の司令官が自分だと知っているとは思っていないボナールは、それがそれほど重要なこととは思わなかった。


 だが、すべてを知る魔族軍の司令官はそれを見て察した。


「……なるほど」


「ボナールは主力を率いてやってくるのではなく、すでに来ていたのか」


「まあ、たしかに理には適っている。彼が用意した策の肝のひとつ。それは主力がいつやってくるかということだ。そうなれば、自らそれを判断したいというのは当然のことだな」


 そこまで言葉を吐き出したところで、グラワニーの顔に苦みと憂いが浮かぶ。


「だが、それは二十万の兵の指揮を自らの代わりに任せることができるだけの人材が彼の部下にはいるということになる。さすがだな。そして……」


「……残念だ。本当に残念だよ。アポロン・ボナール。そして、彼の部下たち」


「このような意味のない戦いで消えるのは本当に惜しいと思う」


「まあ、それが戦争というものなのだろうが」


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