フランベーニュの英雄対魔族の救世主
ペパスからの情報を得た直後、グワラニーは当初の予定を変更して、クペル城攻略を自らの直属部隊でおこなうことにしたわけだが、この心境の変化は何が原因だったのか。
フランベーニュの著名な歴史家ウスターシェ・ポワトヴァンは、アポロン・ボナールという存在が唯一の理由であると説く。
「魔族の将軍たちがその首を狙っていたのは、勇者だけではない。もちろんそのリストの筆頭には勇者があったのは否定しないが、その後には各国の有名な将軍たちの名があった。そして、勇者を除く最も高位にあったのが、アポロン・ボナールだった」
「文官時代から多くの公文書に触れ、大海賊ワイバーンを通じて各国の情報を手に入れていたグワラニーは、もちろんアポロン・ボナールの名声がどれくらいのものかを知っていたし、魔族軍内の報奨金が額も知っていた。しかも、彼はワイバーンを通じて入手していた軍旗識別表によってボナール部隊の軍旗まで知っていた」
「金に厳しいグワラニーなら当然それを狙いに来る。これが真の理由である」
つまり、グワラニーが作戦の変更をおこなったのは、その言葉どおりフランベーニュの英雄アポロン・ボナールを討ち取る名誉とそれに伴う多額の報奨金を手に入れるためだった。
これがポワトヴァンの主張となる。
もちろんこれに対して多くの異論が出る。
その中でもその声が一番大きかったのはポワトヴァンのライバルのひとり歴史家アシュリー・ウエルスであろう。
彼は歪曲した表現であったものの、それを明確に否定した。
「グワラニーがアポロン・ボナールの名を聞いて作戦変更したことは疑いようもない」
「ただし、アポロン・ボナールの首にかかる賞金や、ボナールを倒した名誉が欲しかったから予定を変更したというのは、やや無理があるといえるだろう」
「では、どのような理由があったのか?それはその後のグワラニーの行動が示す通り、難攻不落のクペル城を効率よく手に入れるためである」
「グワラニーが修復に時間を要することないよう、できるだけ破壊せずにクペル城を手に入れたいという希望を持っていたのは多くの記録からあきらか。だが、そのためには多くの時間と血が必要となる。そのため、当初は自らに反抗的なクレメンテ・アルタミアやエンネスト・ケイマーダにクペル城攻略を命じるつもりでいたのだ。だが、救援にやってきたアポロン・ボナールを城内に籠る兵の前で打ち破れば、戦意を失ったフランベーニュ軍は降伏すると読んだ。それが作戦変更の理由である」
ウエルスのここまでの主張はひとつの意見として十分に説得力のあるものだった。
だが、ウエルスはそこに余計なひとことをつけ加える。
「それに、グワラニーが単にボナールを討つ名誉が本当に欲しかったのであれば、この戦いがフランベーニュ軍の撤収という終幕を迎えるはずがなかったはず。このことからも名誉欲から作戦変更をおこなったという意見は大きな認識不足といえるだろう」
もちろん認識不足と名指しされたポワトヴァンも黙っていなかった。
彼がウエルスの説の問題点として指摘したのは、その最終段階についてだった。
ポワトヴァンはやや的外れ的ともいえるものをこう言い放った。
「ウエルス氏の主張はその歴史的事実に後付け的に説明しただけの陳腐なものである」
「なぜなら、クペル城を守るロバウはボナール来援前から徹底抗戦をおこなうつもりでいた。驚くべき大敗ではあるが、ボナールの大敗によって開城に方針転換するくらいなら渓谷内の戦いで部隊の大部分を失っていた時点で撤退していたはずである」
「つまり、ウエルス氏の出来の悪い主張を正当化するためには、敗北を悟ったボナールがとった行動までもグワラニーは知っていなければならない。アルディーシャ・グワラニーがこの時代最高の軍指揮官のひとりであることは否定しないが、断じて預言者や未来予知の能力を持った者ではない。だが、純軍事的なものから大きく外れるボナールの行動までをグワラニーが知っていたことにしなければ、ウエルス氏の成り立たないのだから、ウエルス氏はまずグワラニーには未来予知をおこなえる能力があったことを証明すべきだ」
「ウエルス氏には、自分だけが満足する怪しげなものではなく、万人が理解できる証拠を提示していただきたいと思う。妄想家であるかの御仁にそれができれば、の話ではあるのだが」
この件に関する他者にはまったり理解できぬ内容のふたりの論争はさらに続くのだが、時間を追うごとにそのレベルは下がっていく。
相手を批判する意味不明な主張を繰り返すだけのまさに泥仕合。
最後にはともに嘲笑の対象となり、次の時代には笑いのネタとして、そして、論争をおこなう際にやってはいけない例としてこのときのふたりの醜態は何度も取り上げられることになる。
さて、子供の口喧嘩とも評されるふたりの見苦しい論争は脇に置き、肝心の話に戻ろう。
では、最終的にこの論争はどのような決着を見たのか。
実は、ふたりの「いいとこ取り」をして漁夫の利を得た形となったのはノルディア王国の歴史研究家アスビョルン・ベスレホルムの主張で、多くの賛意を得てこの件の公式な理由として多くの場所で紹介されることになる。
そして、その主張がこれである。
「グワラニーがクペル城攻略を担う部隊をクレメンテ・アルタミアたちから自らの部隊に変更したのは、アポロン・ボナールの登場によるものであることは間違いない。もちろんフランベーニュの英雄であるボナールという名にグラワニーの戦闘意欲が刺激されたことも疑う余地はないだろう。それとともに、これだけの大物を送り込んできた以上、これ以上の切り札がないこともグワラニーはすぐに悟ったと思われる」
「つまり、グワラニーが考えたクペル城攻略の道のりはおそらくこのようなものだったのだろう。まず、アポロン・ボナールの軍を完全な形で打ち破る。そして、その後厳しい包囲戦をおこなう。最後に城兵の助命を条件として開城を求める」
「だが、凄惨さだけが残るこの戦いに華を添えるあの事件が起こり、二番目が省かれ、時間を浪費せず、ほぼ完全な形でクペル城を手に入れることができた……」
多くの歴史家が加わった論争はこのような形で軟着陸に成功した。
だが、実をいえば、肝心のグワラニーの作戦、というか戦いに挑む部隊の変更の真相ではあるが、残念ながらその正確な答えとなる言葉をグワラニーが口にした記録はない。
ただし、多くの専門家の指摘どおり、それをクペル城攻略の好機と捉えたことは間違いないだろう。
「……こちらからは手を出さないように伝えてくれ。それから、わかっているとは思うが、これからボナールの本隊もやってくる。合計二十万。報告は逐次おこなうようにと」
なにしろ、ペパスたちへこの言葉を託して伝令を送り出すと、グワラニーは嬉しそうな感情を隠すことをしなかったのだから。
そのグワラニーの指示に疑念の言葉をぶつけたのは老魔術師だった。
「むろん私には軍事的素養はないが、敢えて言わせてもらう。これから大軍がやってくるのなら、少数のうちに叩くのが常道ではないのかな?」
その老人、すなわちアンガス・コルペリーアの言葉にグワラニーは頷く。
それからその場にいるふたりの女性のうちの年長者に声をかける。
「アリシアさんはどう思いますか?」
「……そうですね」
指名されたその女性は薄い笑みを浮かべながら少しだけ考え、それから笑みを湛えたまま口を開く。
「少数だからと言って攻撃を仕掛ければ、ひどい目に遭うと思われます」
「理由は?」
「ボナールの将軍の手元には二十万人の兵とそれに見合うだけの魔術師がいるとしたら、こちらの攻撃が始まれば、すぐにでも増援がやって来ると思われます。当然こちらもさらに増援を送ることになりますが、待っているのは混戦になってします。もちろんそうなれば私たちの最大の武器が使用できなくなり数の勝負となるわけで、当然分が悪い。送り出した部隊が全滅するだけなら良いのですが、敗走してしまっては大変なことになります」
「ちょっと待て」
「全滅よりも撤退の方が問題とはどういうことだ?」
他の部隊はともかく、この部隊の指揮官グワラニーは這ってでも生き残る努力をすることを末端の兵たちまで求めている。
彼女が今口にした言葉はそれに反するもの。
老魔術師がそう問うのは当然のことであろう。
そして、その問いに対する答えがこれである。
もっとも、それを答えたのはアリシアではなくグワラニーだったのだが。
「たとえば攻勢に出た部隊が全滅すればそれまでですが、敵味方入り乱れた状態で渓谷内に入って来られては迎撃する側は非常に困るということです」
「そして、敵の狙いの本筋もこれでしょう」
「この段階で我々がその先遣部隊に噛みつけば、すぐさま策を発動させるでしょうが、おそらく彼の策の本命はこれではなく、別のもの。といっても……」
「基本方針は同じ。罠を張り、エサに食いついた我々を半包囲して叩き、撤退するところに追撃し、混戦状態のまま渓谷内を走る。こういうことになるでしょう」
「だが、どのような形で布陣しようが我々には飛び道具があるだろう。挑発に乗らず、魔法で叩くというのが、我々の採る最良の策。それにはそのことが考慮されていないように見えるが」
老人の指摘は正しい。
もちろんグワラニーはそれに対する答えを持っていたのだが、自らはそれに応えず、その代わりとして別の人物を指名した。
「アリシアさんはこの点についてはどう思いますか?」
「ボナール将軍は自らが抱える魔術師の力に絶対的な自信を持っているのではないでしょうか」
アリシアの答えを引き継ぐようにグワラニーが言葉を続ける。
「まあ、そうでしょうね。我々の力は規格外。しかも、それを披露していない以上、ボナールがそれを考慮に入れるのは無理でしょうから。そういうことで、彼は配下の魔術師の防御魔法を総動員すれば、我々の攻撃魔法は防げると算段したのでしょう。そして……」
「そのうえで、我々が手を出したくなるようなエサを用意している」
「それはボナール自身ということか?」
老魔術師の再びの問いにグワラニーは黒い笑みとともにこう答える。
「いや。いくらボナールでもそこまで気前が良いとは思えない。それとは別のものでしょう」
「それは何だ?」
「そこまではわかりませんが、とにかく我々が喜んでとびかかるようなものなのでしょうね」
「まあ、ここまでわかっているのなら、奴らの思惑に乗らずやり過ごすということが常道なのでしょうが……」
「今回は敢えて相手の策に乗ります。まあ、形だけではありますが」
つまり、ボナールの策に乗ったうえで叩きつぶす。
グワラニーは言外にそう言った。
「そういうことで将軍たちを集めてすぐに会議……」
そこまで言いかけたグワラニーは言葉を止めて、少しだけ考えると、前言とはまったく反対の言葉を口にする。
「いや。今日は大変な一日だったのだから、しっかり睡眠をとり、明日朝食を兼ねて会議をおこなうので遅れずに集合するように連絡をしてもらいましょう」
「相手は我々が罠に掛かるのを待たなければならないのです。多少待たせてもよいでしょう」
「ただし、大事な話がありますので、ここにいる四人はこのまま私の話を聞いてもらいましょうか」