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#87 求婚

「あれは帝国軍の兵士ではなく、おたくの所の私兵で間違いないのですね? 見間違いならいいのですが…… うちのセキュリティーと殴り合いが始まる1歩手前の状況に見えなくもない」


以前、夜の街でルミナを誘拐しようとした事件があった。

その実行犯は、ノンデンフェルト男爵という帝国貴族の私兵だった訳だが、今日はその側近という男がvictory order社に来ている。


「えぇ、彼等は男爵の私兵です」


その側近が連れて来た12名の私兵は、本社の正門で警備にあたる兵士に群がり、あろう事か超至近距離でメンチを切っているのだ。

丸腰の兵士1人に、12名が寄って集ってだ。


「前回は、少々手荒な事をしてしまい申し訳ありませんでした。この度は、正式に婚約の申し込みに参った次第です」

「婚約ですか。誘拐を企てた異常者の元に嫁ぐのは阻止したいのですが、会社としては従業員の私生活に干渉はしません。ですので、本人に要件は伝えましょう」


念話でルミナに要件を伝えると、直接返事をしたいと返答が来た。


「失礼します」


応接室の扉が開き、ルミナが部屋に入って来た。

スコップや鉄扇といった凶器は手にしておらず、しおらしい何時もの雰囲気に、何故かホッとしたのを覚えている。


「要件は承知しておりますわ。

遠方よりお越し頂き誠に恐縮ですが、この度の申出、謹んでお断り申し上げます」

「理由を伺っても?」

「興味がありませんの。

金も無く、権力も無く、住む場所も無い。

その男爵様が、そのような状況になった時、それでも共に在りたいと思えるような方だとは到底思えません」

「貴女は平民ですのでご存知無いと思いますが、貴族の申し入れを断る事は出来ません。何より先程の発言は不敬ですし、このまま放置すれば会社にも迷惑を掛けてしまう事になるのですよ?」

「…………」


しおらしかったルミナの瞳が、一瞬だけ怒りに満ちた冷たい殺気を放った。そんな気がした。

貴族の申し入れは断れないだのという、貴族社会について知らない者が聞けば一見真っ当に聞こえなくもない馬鹿げた冗談に苛立ちを感じたのか、それとも会社に迷惑が掛かるという脅迫めいた発言に怒りを感じたのかは定かではないが。


「仰る通り、私は貴族の常識には疎いです。

ですが、それは仕方の無い事。

何故なら、私は貴族ではない。それもまた事実ですから。

貴族階級は、望めば何でも思い通りになると勘違いしているのではありませんか?」

「勘違いしているのは貴女の方では?

この部屋に案内されるまでに、何人もの戦闘員を見ましたが、何れも目つきも口も悪い…… 凡そ戦う事しか取り柄の無さそうな者達ばかりでした。

そのような頭も育ちも悪い者達に囲まれて過ごしているから、貴女は上流階級というものを誤解してしまっているだけなのですよ。

一度でも会って一時を過ごせば、貴女の誤解は解けましょう」


表に馬車を待たせてあるという側近を、ルミナは更に拒絶した。


「いいえ、私は行きません。

もう一度言いましょう。この度の求婚、謹んでお断り申し上げます」


流石に社長としても私個人としても、これ以上の傍観は出来ない訳だ。


「彼女の意思は確認出来ました。

金輪際、私の部下に付きまとわないで頂きたい」

「…… 今日の所は出直しましょう。では」


その側近は、すんなり帰って行く聞き分けの良い者だったが、少し抜けている所もあった。

本社の敷地を出た後に、落し物をして行ったのだ。


«社長、貴族の私兵が正門の近くにテントを張り出しました»

「排除してください。手段はローガンさんに任せます」

«ウスッ!»


……………………………………………………………………………………


「おいクソッタレ共、無許可でキャンプしてんじゃねぇよ。

景観が損なわれる。片付けてとっとと失せろ」

「ヘイヘイヘイ、俺達は置いていかれた可哀想な護衛なんだぜ?

テメーの親分がツレねぇ対応するから、補佐官が怒っちまったんだ。宿をとる金も馬車を拾う金もねぇから、しばらく此処で寝泊まりして費用を稼ぐぐれぇいいだろ? なぁ?」

「最後通告だ。もう一度言ってやるよ。

とっとと失せろ」


今日の守衛はローガンだった。

彼は物理特化で、軍事格闘術に長けている。

故に本格的な刃物は所持しておらず、身に付けているのは、せいぜい護身用のナイフ程度だ。


「黒の制服って事は社員さんだろ?

強ぇんだろうな〜!! でもよ、俺達は12人でテメーは1人だ。しかもテメー丸腰だぜ? 状況分かってんのか?」


ローガンのスキルは、不利な状況になればなるほど強力な自己強化を提供する。

基礎能力の底上げから、魔力探知、熱源探知、強化術式の発動……

そして、獣人族である彼の、元々優れている動体視力を更に強化し、見切りの眼とする。

それら全てをオートで提供するのだ。


武器を手に、物理防御結界を展開した私兵達が襲いかかる。

これが、彼の言っていた ”会社に迷惑が掛かる” という状況なのだろうか。


ローガンの魔力を帯びた拳は、物理防御結界を砕き、私兵の身に付けた高価な鎧を砕いた。

ある者は、激突した背後の大木がへし折れるほど殴り飛ばされ。

ある者は、綺麗に整えられたアプローチがひび割れて抉れる程の力で顔面を地面に押し付けられた。


確かに、少し迷惑かも知れない。


……………………………………………………………………………………


「追手を気にして魔力探知をしていましたが、杞憂でしたね。全く追ってくる気配がない」


馬車に乗って、1人悠々と帰路に就いていた彼は、私兵達が良い仕事をしているのだと思ったようだ。

安心した彼は、ノンデンフェルト男爵とやらに進言すべく、次の計画を立案し始めた。


「意外にも紳士な対応でしたね。娘はほとぼりが冷めた頃に強奪するとして…… 薬物を使った作戦は有りかも知れません」


独り言の多さが仇となったのか、将また喧嘩を売った相手が悪かったのか、彼の魔力探知に映らない ”何か” が馬車を止めてしまったのだ。


「何事ですか? 予約してある宿はまだ先でしょうに」


御者に問い掛けても返事が無い。

ノンデンフェルトの側近は、一向に動き出す気配のない馬車から降りて、何が起こったのか確認する事にしたようだ。

そしてドアを開け、不用心にも外へ出た。

そこで、真っ先に彼の目に飛び込んで来たのは、最早生きているのか死んでいるのかも分からない程、ボロ雑巾になった私兵達だった。

横を見れば、小便ぶちまけて失神している御者。

状況を粗方理解した彼の脳が、とにかく可能な限り迅速に身を隠せと身体に指示を出した次の瞬間、彼の身体は馬車のキャビンにめり込んでいた。らしい。


「おい…… victory order本社の正門に生ゴミぶちまけて、鼻歌まじりに帰れっと思ってんのか? あぁ? クソ貴族さんよぉ」


胸ぐらを掴み、彼をキャビンにめり込ませたのは、あの守衛だった。


「ゴミは持って帰ってテメェで処分しろ。

社長からの伝言だ。

俺の守衛任務を妨害した賠償金と、そこのゴミ共が壊した施設の修復費用を後日請求する。

期日までに支払われなかったら、取り立てに行く。

帝国領内だろうが関係ねぇ、必ず払わせるぞ。だそうだ」


ノンデンフェルト男爵とやらの私兵達もだが、彼もそうだ。

口と腕っぷしが釣り合っていない。

それこそ何かを勘違いしているのだと思うが、何れにしても長生きできないだろう。

その点、我が社の社員達は優秀だ。

目つきも口も悪いが、それに見合った強さを獲得している。


「おいクソジジイ!いつまで寝てやがるっ!! ここは駐車場じゃねぇぞ!! さっさと帝国に帰りやがれッ!!」


私兵達を馬車に押し込み、御者を叩き起すとローガンは帰って来た。

そんなローガンに、ルミナは言うのだ。


「ローガン、クズの始末ありがとね」


震える手を抑えながら、ルミナはローガンに感謝を述べた。


「ルミナ様、クズの始…… いえ、荒事は我々の仕事ですので」


些細な事は我々が対処します。そう言うローガンと、そのやり取りを横で見ていた私は、彼女が何に対して感謝をしているのかを、まるで分かっていなかったのだ。


ルミナが感謝したのは、私の前で暴れる姿を晒さずに済んだ事。

震えは、未だ治まらない武者震いだった事を。

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