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#72 獣人族の仮採用者

ストラス王国で紹介されたのは、馬車の御者だった。

初めて働くし、外国だから道も分からねぇ。

何より服だ。こんなボロ服着た奴の馬車に乗ろうとする物好きはいないだろうよ。

と思っていたら、商工会のババアは新品の服と地図を持って来た。


服は、国外から転居して来た者で、怪我や病気で働けない者や働く意欲は有るが就職出来ない者には無料で支給されるらしい。

当面の生活費に普段着が3セットと、仕事で着る制服を手渡された。

オマケでもらった地図だが、てっきり仕事で使うものだと思っていたが、どうやら違うらしい。


「給料貰うまでは、そのお金で遣り繰りするのよ? で、住む所なんだけど、この印が付いてる宿で寝泊まりしてちょうだい。3ヶ月目から、宿代の2割が給料から天引されるわ」


俺は、ババアの言ってる意味が解らなかった。3ヶ月目? 2割? じゃあ最初の2ヶ月は? 残りの8割りは? 俺は慌てて確認しようとしたさ。

そしたら、ババアは言ったんだ。


「持ち家は無いでしょ? だから、宿代は最初の2ヶ月は国が負担するから無料で、3ヶ月目からは2割が天引だけど、残りの分は国と会社からの補助があるのよ。GSU加盟国は何処もそんな感じよ?

真面目に働いて、決められた税金を納めてる者には手厚い保障があるの。でも、犯罪者とか、働けるのに働かない者には何も無い」


俺は耳を疑った。

だが、その日から宿屋に泊まれたし、国籍も取得した。翌日から始まった研修期間中も、給料は満額支払われた。


最初の1週間ぐらいは、俺の小せぇ脳みそは混乱しっぱなしだった。給料日までは、最初にもらった金で昼飯も晩飯も食えた。

2ヶ月間ある研修中は、先輩従業員が付いて丁寧に仕事と道を教えてくれたんだ。


働きだして半年もすりゃ、番地聞くだけで目的地まで辿り着けるぐらいにはなってた。


生まれて初めて就職したから、正直どう思うのが普通なのか分からなかった。


確かに、酔っ払いの客は鬱陶しいし、臭ぇしムカつくけど、高くはないのかも知れねぇが毎月安定した給料貰えて、インセンティブも少し貰えた。はっきり言って何も不満なんて無いってのに、俺の心には何かが魚の骨みたいに引っかかってた。

そんな、何とも言えない僅かな違和感を感じながら、 ”その日も” 夜の街で客待ちしてたんだ。


「御者さん、victory order本社までお願いします」


その日拾った客は、スラッとした体躯で貴族程ではないんだろうが、良い身なりの青年だった。

行き先は民間軍事会社だったが…… 少なくとも兵士には見えなかったし、むしろどっかの劇団に所属してる俳優か何かかと思ったよ。

そのぐらい男前だった。


独特の貴族臭もねぇし、身なりの割には低姿勢だし、経験値の低い俺が初めて乗せるタイプの客だ。


そんな事を考えながら出発したのも束の間、10分も経たない内にゴロツキに囲まれて絶体絶命の状況になった。

最近、馬車を狙った馬鹿が出るって業務連絡があったが、まさか自分が被害に遭うだなんて夢にも思わねぇだろ? とりあえず、有り金全部渡してお引取り願えって言われてはいたが、馬鹿共は客にまで手を出そうとしやがったんだ。


「おやおや、悪い事は立て続きますね。お次は何ですか?」


乗せてた男前の兄ちゃんだけじゃなく、連れの可愛らしいお姉さんまで降りて来ちまった。連中がお姉さんを見ちまった以上、もう端金じゃ手打ちにはならねぇ。

だから、俺は大急ぎで騎士団を呼ぶように言ったんだ。


「? 騎士団が到着する前に、貴方は確実に死にますよ? その心粋だけ頂いておきますね」


相手は5人で、鈍らとはいえ武器も持ってる。百歩譲って、この男前の兄ちゃんが役作りか何かで体を鍛えてるとしてもだ、絶対に勝ち目はねぇ。


これが芝居だったら上手く切抜けるだろうけど、これは現実で、目の前に居るのは自分さえ良ければいいって思ってる畜生以下のクソッタレなんだ。

芝居のしすぎで、現実との境目が曖昧になっちまってんだろう。でもな。

俺は身をもって経験してんだ! 身の丈に合わない事をすりゃあ笑い者になる!

悪い事に、この状況じゃあ笑い者どころか、運が良くてもベッドが友達の植物人間だ。

俺は大急ぎで、その日の準備金と売上を袋に詰め込んだよ。何としてでも、客だけは逃がさないといけないと思ったからだ。

後の事は考えてない。せめて歯の2~3本で済めば上出来だ。


「ちょっとアンタ、危ないから近付かない方がいいよ」


俺が金の入った袋を持って連中に駆け寄ろうとしたら、一緒に乗ってた可愛らしいお姉さんが止めるだ。

この可愛らしいお姉さんも、劇中のチートな彼に酔ってやがる。まったく救いようのねぇ阿呆な客だと、その時は思ったよ。


「躾をしなくてはなりませんね。何処の国にも、おたくらみたいな輩が1%ぐらいは居て然りですが、出会ってしまったらね…… 見逃せないんですよ。立場的に」


その男前の兄ちゃんが使ったのは、分かりやすく言えばデコピンだ。

だが、ただのデコピンとは似ても似つかない破壊力だったんだ。


まるで鞭で引っ叩いたみたいな破裂音が聞こえる度に、馬鹿野郎共が1人、また1人と膝から崩れ落ちた。


「かなり手加減したので死んではいないでしょう。御者さん、出発しましょうか」


その兄ちゃんは、何事も無かったかのように言うんだ。だが、そんな声は殆ど聞こえねぇ。

無事に帰れる安堵感? 地獄に突き落とされるような恐怖? その、人ならざる所業を目の当たりにした俺の心を支配して、周りの雑音を遮ってたのは ”とんでもない高揚感と憧憬の念” 。


俺は、その時 ”最強” を見てしまった。

そんな気がしたんだ。


「御者さん? 早く立ち去らないと、また馬鹿が群れをなして現れますよ?」

「あんた…… 一体何者なんだ!?」

「私ですか? 私は民間軍事会社を営んでいる者です」

「俺も働かせてください! お願いします! 床掃除でも便所掃除でも何でもしますからっ!!!」


今思えば、本当に馬鹿な奴だ。

自分の仕事も忘れて、初対面の人に向かって、何でもするから使ってくれとかよ。

しかも、その民間軍事会社は帝国も迂闊に手を出せねぇほど強力な戦力を秘めた、どんなレギオンも足元にも及ばねぇ名門中の名門だ。

そんな優秀な人材が揃う会社だからこそ、便所掃除要員の需要が立つとか考えたのかって?

そんな訳ねぇ。俺を行動させたのは、脳ミソの血管をパンパンに膨張させた血圧さ。


「…… 夜の街で、いきなり使ってくれと言われたのは初めてですよ。因みに貴方のクラスは?」


その質問で、俺の自我を奪っていた血管の圧力は鳴りを潜めた。

頭の中じゃ、ギルドでの出来事やら孤児院での出来事が、信じられないぐらい鮮明に蘇ってたんだ。


「…… 反逆者(インスレクト)です」

「いいでしょう。明日の10時に本社に来てください」


そう言うと、2人は馬車に乗り込んだ。

俺のクラスを聞いて嫌悪した様子もなく、ただただ事務的な答えだった。


2人を軍事会社まで送り届けた後、俺は大急ぎで会社に戻って上司に報告したんだ。

馬鹿に襲われた件と、急で申し訳ないんだが会社を辞める件をな。


「君が決めた事にとやかく言うつもりはないよ。君は評判も良かったし、個人的に気に入っているが…… だが、止めないのは今回の件は極めて稀な事だからだ」

「?」

「victory order社は求人する期間が短いし、少なくとも私は、その期間以外で面接したなんて話は聞いた事がないんだ」

「そ、そうなんですか?」

「あぁ、これは2度とない素晴らしいチャンスだ。まぁ君次第だが…… 死ぬ気で挑戦する価値は十二分にある。頑張りたまえ」


今思えば、変わりたかったんだと思う。

自分の生い立ちも、自分のクラスも忘れて、生まれ変わりたかったんだ。

目の前の ”最強” のように気高く生きれるように。



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