#1 退職
嫌々働いていると、何時しか心は疲れ切ってしまう。
だが、諸々の柵は退職を躊躇させるだろう。
ある日、魔王軍に所属する一人の兵士が、その柵を振り払い退職を決意する。
私には分からない事があった。
何故、個人的に話している時は理性的で素晴らしい考え方をするのに、権力者を前にした大衆の中では ”それ” が失われてしまうのか。
何故、無能にもかかわらず地位に留まる小物は、自分の行為の責任で決して苦しむ事が無いのか。
手入れの行き届いていない森は過密になり、日光が届かず不気味で不快だ。
まるで、嘗ての職場のように。
往々にして、争いと不和が起こる。
兵士同士なら、頭を冷やすことも仲直りも出来るだろう。
しかし、魔王軍本部の重役や各地の魔王同士の内心の下品さを曝け出した果てしない陰湿な対立に巻き込まれれば、やがて心を蝕まれる。
そんな場所に留まる兵卒が、最終的にどんな思考を持つか想像できるだろうか。
軈て、疑問を持ち続けた ”力” 有る狼は森を出るのだ。
「誰かと思えば、アシェル君ではないか! 息災かね?」
「ライ?…… お知り合いですか?」
「いいえ、他人の空似でしょう。
私は、ラインハート。
貴方と私は初対面ですよ? ねぇ、魔王軍の幹部様。
ドッペルゲンガーの話は終わりにして、早速ビジネスの話に入りましょう。
どうぞ、此方へ」
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遡る事、数年前。
魔王軍に所属していた私は、とある任務の為、人間の村に潜入していた。
「転生者? 転生者とは何ですか?」
「ワシは”ニホン”という、この世界とは別の世界の国に住んでおったんじゃが、トラックに轢かれて死んだんじゃ。
道を渡ろうとしてなぁ、車が来てるのは分かったとったんじゃよ?
でも、轢かれる前に渡りきれると思ったんじゃ」
「トラック? よく分かりませんが、馬車の様なモノでしょうか?
まぁ、過信は良くありませんね。
ご愁傷様な展開ですが、今普通に生きてるじゃありませんか。 変な夢だったのでは?」
「いや、確かに死んだんじゃ。
天国の様な場所で、神様から生き返らせてやるから魔王とやらを倒して欲しいと言われてのぉ」
「魔王を……」
「目が覚めたら、この世界におった」
「実に興味深い…… 本当ならとんでもない話ですね。 その話、もう少し詳しく聞かせてくれませんか?
年齢的に冒険者登録断られたそうですね? それでは魔王を倒しに行く事は難しいでしょう。
この村に住んで、我々若い世代に面白い話もっと聞かせてください。良い村ですよ、此処は」
私は、数名の部下と齢八十を超えた老人の話を聞いているのだが、この老人、呆けた迷惑な年寄りではなく、正真正銘の”勇者”だ。
その老人が、神から与えられた祝福は非常に強力なもので、我々は手出し出来ずにいた。
まぁ、今回に限っては手出し無用なのだが。
”魔王軍のありとあらゆる攻撃無効+対魔王軍超特攻”
”仲間と認識した者に、対魔王軍特攻付与”
しかもパッシブというエゲつなさ。
「話ばかりもアレじゃのぉ。少し運動せんか? 若者達よ」
「運動?」
「ワシの故郷で流行っとったナウいスポーツでのぉ。ゲートボールというんじゃが…… 知らんじゃろ?」
どうやら、少し大き目のハンマーの様な道具で玉を打ち、無数に設置されているゲートを順に通過させゴールポールに当てれば上がりというシンプルなチーム対抗戦らしい。
年寄りでも楽しめる、一見和やかな…… 一見すれば穏やかな競技だが、その実、非常に危険な競技でもある。
相手チームの玉を弾き、遠くに追いやる事が可能なのだ。
記憶が薄く曖昧で、頑固で自己中心的、そして内向的で思い込みの激しい者が多い高齢者は、自分の玉を遠くに追いやられたその瞬間、それが競技である事を完全に忘れ、怒りは一瞬にして沸点に達する。
結果、取っ組み合いの大乱闘に発展する事もあるのだ。
早速、勇者は本場の打撃を見せてくれるようだ。
「見ておれ。 これがプロゲートボーラーのスゥイングじゃっ!」
「おじいちゃん無茶は良くありませんっ! 膝とか腰とか痛めたら…… 」
「うるさぁぁいぃっっ!! 黙って見ておれっっ!! その目にワシのスゥイングを焼きつけるんじゃぞっっ!! 童どもっっ!!!」
齢八十とは思えない気迫に、我々は圧倒されてしまったのだろうか。
否、振り上げられ、小刻みに震えるハンマーの様な道具を恐れたのだ。
何せ、目の前の老人は対魔王軍超特化の勇者だ。
彼が持つ物は全て凶器と化すだろう。
道端に生えている雑草を摘み取り、それで撫でられただけで恐らく重傷を負う。
草で重傷なら、ハンマーなら掠った程度でも楽に死ねるだろう。
言う程の勢いも無く振り下ろされたハンマーの様な道具は、地面に置かれた不動の玉を見事にスルーし、本来なら減衰される筈の運動エネルギーを維持したまま、不安定な弧を描きながら勇者の頭上を通過。
我々の目には戦鎚に映る”ソレ” は、緩やかに移動を続け、遂に…… 勇者の腰に着弾したのだ。
「ゴブッブァッッ!!」
「!!?」
「ヒューヒュー…… ヒュ……」
肉が潰れる音と、骨が軋み圧し折れる音。
一緒に居た数名の同僚の青ざめた顔は、今でも忘れられない。
「チートな死に方するんじゃねぇよっ!! ○ァッキンクソ勇者ぁぁぁっ!!!!」
年老いた勇者は、魔王軍の兵士に看取られ静かに息を引き取ったのだ。
余談だが、私は基本敬語だ。
何故なら、楽だからだ。
上司は勿論、最下級の魔族や人間の村人に対しても敬語を使う。
しかし、今回の様に取り乱したりテンションが上がると口調が荒れてしまう。
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ダリい…… 正直マジでダルい。
単に働きたくないとか、そんな幼稚な理由ではない。
私が憂鬱な気分になる理由は、上司は選べないという残酷な現実に直面し続けているからだろう。
「アシェル君。いや〜君の戦闘力は素晴らしい! 実に素晴らしんだよ?」
「…… はぁ」
勇者死亡から1週間後。
私は、魔王軍の人事部にいた。
その日は、年に一度の評価面談の日だ。
そこで年俸や階級が決まるのだが、この上位魔族の面談で、毎年ガクンと評価が下がる。
「しかし、如何せん協調性と忠義に欠けている様だね〜」
「…… はぁ、しかし同僚と揉めた事はありませんし、任務に支障をきたした事もありません。報連相も……」
「うん、報連相はしっかりしていたのは聞いてるよ? でもね、上司の出した指示に対して、その都度反発する事が多いらしいね?
軍という組織において、上官の命令は絶対なのだよ?
何故だか分かるね?」
「危急の事態に一致団結し、任務を完了する為です」
「そうそう、分かっているじゃないか。
では、万年 ”B~C” 評価から抜け出すにはどうすれば良いか分かるね?」
ギャグかと勘違いする様な指示を出す上司に対して、より効果的で高効率な対案を申し上げているだけだ。
と言いたいが、最早、コイツに言う意味は無い。
そして、コイツは忠義だの何だの言っているが、それは……。
「もう少し頑張れば ”A” ……
いや、もしかしたら ”S” だって夢じゃないよ?
何が足りないのか、胸に手を当てて……」
「それは、上司に ”媚” と ”魂” を売れと言う事でしょうか?」
「いやいや、媚びとかじゃなくてさ〜。
私は君に期待してるんだよ? どうやって、それに応えるかじゃないのかな?
総務や他の部署の連中に気に入られるより、私の期待に応える方が美味しいと思うだろう?」
やはり馬鹿な指示に従い、無様に散って来いと言う事なのだろうか。
それとも、心を殺して、このゴミ野郎にケツを貸すべきなのか。
いや、何方も違う。
自分の事なら、考えるまでもなく何が正しいか分かる。
だが、それ以外の事は正直分からない事が多い。
例えば、何故こんなヤツが、この様な権限を持っているのか。だ
誤解のないように言っておくが、この上位魔族の評価が罷り通る原因は魔王軍が腐りきっているからではない。
今回の人事評価に関して言えば、私にも原因があるのだ。
私が魔王軍の兵士になったのは、彼此500年程前だ。
それ以前から、魔王軍は領土を拡大すべく人間と争っていた訳だが、それを阻む天敵が存在していた。
言わずもがな ”勇者” だ。
一口に勇者と言っても、その脅威度は様々だ。
俺TUEEEE系イキリストの比率が高かったが、アイテムチート系や強い女戦士を囲い込むハーレム形成特化のエロ勇者等、比較的楽な時もある。
この世界には、幾つか大きな大陸があるが、そんな勇者が一つの大陸に1人は存在するのだ。
そんなある日。
我々が勇者という名の脅威と対峙している頃、魔王軍の研究者やプロファイラー達は勇者の出現について、ある仮説を立てる。
それは、勇者が現れるタイミングについてだ。
現れる勇者は、いずれも異世界からの転生者であり、神の祝福を携えてやって来る。
ただ、同じ大陸に同時多発的に現れた事はなかった。
《現存の勇者の死亡判定が、新たな勇者派遣のトリガーになっているのでは》
そんな仮説を立てたのだ。
そんな矢先、久々に良いニュースが舞い込んだ。
メガラニアという大陸に駐留していた魔王軍が勇者討伐に成功した。
多くの死傷者を出し、壊滅寸前まで追い込まれた様だが、何とか白星を挙げたのだ。
邪魔者は居なくなり、後は人間の国を蹂躙するばかりという状況だった訳だが、人間達の様子がおかしい。
勇者という希望を失ったにも関わらず、兵士は勿論、村人に至るまで徹底的に抵抗を続けるのだ。
誰一人として絶望に打ちひしがれてなどいない。
何故?
その3日後、我々は答えを知る事となる。
”新たなる勇者の降臨”
人間の国が大いに湧いた。
何故?
そう、人間は知っていたのだ。
”大丈夫。3日間後には勇者来るし”
久々の白星に湧いていた魔王軍は、一瞬にして沈黙し、予定されていた魔王軍本部からの1万名規模の派兵は延期となった。
しかし、極楽浄土から一気に奈落の底へ落とされたのは、メガラニア大陸の魔王軍だけではなかったようだ。
新たな勇者の登場に、大いに盛り上がっていた人間の国も、いつの間にか水を打ったように静まり返っていたのだ。
原因は、現れた新たな勇者が冒頭の年老いた勇者だったからだろう。
最早使いモノにならないと判断した人間達の判断は早かった。
年老いた勇者を辺鄙な名もない村に強制連行したのだ。
人的物的被害が最小限で済み、滅びても税収には微塵も影響の無い村だ。
そう、年老いた勇者は捨てられてしまったのだ。
”放っておけば、すぐに魔王軍が押し寄せ始末してくれる。
僅かばかし魔族を減らしてくれれば十分よ”
”事切れれば、すぐに若く強い勇者が手に入る”
年老いた勇者には申し訳ないが、事実、その通りだ。
魔王軍のネットワークは強大だ。
予知、予言、勇者の放つ神々しい異質な魔力を嗅ぎ分ける高度な魔力探知。
それ等を使い、勇者降臨から1時間以内に存在を把握する。
本来なら、先ずは偵察部隊が派遣されるところだが、今回は違った。
魔王軍の中でも、精鋭中の精鋭が在籍するブラック・オプスと呼ばれる最精鋭部隊。
私が所属する部隊だが、その最も危険で機密性の高い作戦に当てがわれる部隊に、真っ先に白羽の矢が立ったのだ。
”勇者を保護し、天寿を全うさせよ”
それが、大魔王様より下された我々の任務だった。
何年生きるかは分からないが、神の祝福によって寿命は伸びているだろう。
ならば、外部との関わりを絶ち、可能な限り長生きさせる。
勇者が隠遁生活を送っている間に、魔王軍は進軍し放題という寸法だ。
しかし、世の中上手くいかないものだ。 我々が勇者に接触し、延期になっていた派兵が始まろうとしていたが、例の事件が起きてしまった。
案の定、その3日後には俺TUEEEE系イキリスト勇者が降臨したのだ。
「あの件は、君が隊長だったよね? 失敗したものは仕方無い。
バレてるかも知らないが、君を抜擢したのは実は私だ。
私にも責任があるのだよ。
だから、そのせいで私の昇進が無くなったが、そんな事は些細な事だ。
責めはしない」
「昇進が?」
「うん、昇進が。
まぁ、少しでも申し訳なく思うのであれば……」
「申し訳なく思うのであれば?」
「いや、何でもないよ。
あ〜あ、ダークドラゴンの宝珠なんかを部下がプレゼントしてくれたら…… とぉぉっても嬉しいなぁー。
総務課長からはチクチク嫌味を言われるし…… ストレス溜まって困っちゃうな〜!」
「……部長?」
賄賂を要求して来るのは毎度の事だが、ダークドラゴンの宝珠は発見されれば国宝級だ。
難易度的に手に入れる事は出来ないだろう。
「……部長」
「大丈夫、宝珠はコウノトリが運んで来てくれるのを待ってるから。
私は、君が心を入れ換えて真面目に任務を遂行して、しっかり成果を上げてくれれば十分嬉しい!
私の自宅を訪ねて来てくれれは更に嬉しい!
アホ共にチクチク嫌味を言ったり、失脚させる為にも! よろしく頼むよ?」
「私、アシェル。
本日付けで魔王軍は辞めます。では」
「え? アシェル君? 冗談キツいなぁ〜も〜
おーい、おーい!」
まだ何か言っていたが、私は足早に魔王軍本部を後にした。
清々した!と言いたいが、正直そうでもない。
城門を潜ると、転移魔法を展開する。
行き先は、直属の上司の元だ。
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転移した先は、通称 ”鬼ヶ島”
私の本拠地だ。
その昔、新たな領土を求め世界を旅していた魔王軍の兵士が偶然発見したという島は、当時、完全に無人の島だった。
魔王軍は慎重に島を調査し、人間や亜人に発見されていない前人未踏の島である事を確認すると、魔王軍の領土に編入した。
中規模の部隊を駐留させ、数年間様子を伺ったそうだが、人間や亜人の漂流者は勿論、船影さえも確認されなかったそうだ。
島と言いつつも、その広さ実に25万㎢。
現在、その大きな島は魔王軍の消費する食糧、その25%を生産しているのだ。
「アシェル、おかえり。どうしたの? 顔色が悪いよ?」
その生産拠点を治めるのは、鬼神族の姫であり、私の直属の上司。
《魔王 ミア・デューラー》
問い掛ける声は優しく、眉をへの字にしていても麗しい。
魔王として十二分の魔力、恐らく想像を絶する破壊を齎すだろう。
本来ならば畏怖すべき魔王だが、私にとっては、魔王ではなく…… 良き理解者であり…… 姉の様な存在であり…… 憧れであり…… 何より雲の上に居るはずの美神だ。
「実は…… 先程、部長に辞意を伝えて来ました」
「なっ!!?」
酸っぱい? 否、苦い……
否否、辛く悔しい……
複雑な表情を浮かべる魔王ミア。
こうなる事は分かっていた。
500年前、魔王ミアは、両親が出て行き蛻の殻となった家で途方に暮れていた私を拾ってくれた恩人だ。
私の父は人間、母は魔族だった。
どうして私を残し家を出たのかは分からない。
家を出る間際、両親から何かを言われたが遠い昔の事だ。最早覚えていない。
人間でもなく魔族でもない私は、何方も頼る事が出来ない事だけは分かっていた。
ただ怯え、家から出る事さえも出来ずにいた私の元に、ある日、魔王ミアは現れた。
身寄りの無い私に優しく声を掛け、そっと手を差し伸べるその姿は
女神そのものだった
その時の事は、今でも鮮明に覚えている。
「アシェル、ごめんね……
私に、もっと力があれば……」
島の外での私の待遇について、薄々気付いていたのだろうか。
涙ぐみ謝る魔王ミアに、言葉が詰まる。
「ミア様が…… 謝る事など何一つありません。
この件は、私の心の弱さが原因なのです」
私を引き取ってから間も無く、鬼ヶ島への異動が決まり、魔王に就任したミアは、その多忙を極めていたであろう時期にも関わらず、私を育て、鍛え、魔王軍内に居場所を作ってくれた。
ブラックオプスに入隊した時は、自分の事の様に喜び抱きしめてくれた唯一の存在。
その大切な人が酷く悲しんでいる姿を見て、私の心は激痛を伴いながら、ただ流されるがままに虚空を彷徨う。
「皆の者、席を外せ」
魔王の一声で、部屋の隅に控えていた数名の側近は音も無く退室した。
「アシェル、これからどうするの? 」
「気の向くままに、少し旅をしてみようと思います」
「そう…… 私の元からも離れて行く。
そんな気はしてた」
『この子は、一度決めた事を曲げる様な子ではない』
「……私は、ミア様の眷属に相応しくありません」
一体どの面下げて、ミア様に仕えれば良いのか。
「引き止めたいけど、今回は引き止めない」
「……?」
「世界は広い。
息を呑む程美しく、神秘に溢れていると聞いた事があるわ。
自分の目で見て回る良い機会だと思う。
でも、引き止めない代わりに、私の加護を込めたペンダントを肌身離さず身に付けておきなさい」
ミアは玉座から降りると、自ら私にベンダントを着けた。
「ミア様、ありがとうございま……!?」
突如抱きしめられ…… と言うか、胸を顔に押し付けられた状態になった私は驚き、身動き取れずにいた。
そんな私の頭上に何かが落ちてきた。
それは、ミアの涙だった。
「私が…… 魔王という立場じゃなかったら……
私が…… 鬼神族の姫でなかったら……
アシェル、貴方と共に世界を見て回りたかった……」
鬼ヶ島での私の立場は、野良仕事に従事する最底辺の兵士だ。
魔王軍を辞めた今、ブラックオプスどころか最底辺の兵士としての肩書きも無い。
ミアの流す涙は、今の私には手に余る。