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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
5日目【8月36日】
9/40

5-1・10年後にまた

幼い僕が町の図書館で本を読んでいる。

僕は隣にいる誰かに一番大好きな物語と憧れの登場人物について語っていた。これは忘れていた昔の記憶を夢で見ているのだろう。



「いつか僕も、誰かの“    ”になりたいな」



 自分の口から紡がれる言葉なのにノイズに紛れて聞こえない。

 僕はなにになりたかったのかを思い出せないまま夢から目覚めた。



 

 夢で見た図書館と、図書館と併設されていた施設へ久々に行ってみたくなったから、今日は学校と反対方向を目指して町を歩いている。


 図書館には子供向けの学習施設〈こすも宇宙館〉が併設されていた。


 そこでは宇宙について学べる展示や、体験型のアトラクションやプラネタリウムがあり、毎週通っても飽きないくらい大好きだったのに、小学生になり、中学生になり、別な土地で高校生になった僕は今朝夢を見るまでこすも宇宙館を忘れていた。


 好きだったものを忘れていくのが大人になることで、いずれは自分も大人の隊列に加わる事実は変えられないが、すべてを忘れるのではなく、抱えていける記憶や思い出は手放さないようにしたかった。だから今日図書館に行けば思い出を抱えたまま進んでいける気がしていた。



 町で一番大きな中央駅から徒歩五分ほどの場所に図書館はある。ガラス張りで四階建ての建物の天辺には特徴的な丸いドームがあり、そこが宇宙館とプラネタリウムがある場所だ。

 図書館は町中の他の建物と同様に古さび苔むしており、窓ガラスや柱にひびが入っていて今にも倒壊しそうな気配を醸し出している。


 建物に入ろうと入口の自動ドアの前に立つが反応がない。無理にでもこじ開けようと力を込めてドアに挑むが、びくともしなかった。どうやらここには電気が通っていないようだ。

 電気が復旧して自動ドアが開くようになったらマサハルも誘ってここに来よう。本が好きな彼女も図書館を利用していただろうから、ここに来ればきっと喜んでくれるはずだ。二人で本を読んで宇宙館に行ってプラネタリウムを見よう。夏休みの楽しみがまた一つ増えた。

 


 +


 

 図書館を後にし、中央駅から繁華街を歩く。アーケード街を見て回り、駄菓子屋でラムネを二瓶とアイスを一本買って食べる。食べ終えたアイスの棒に〈当たり〉の文字があった。


 町から少し足を伸ばせばすぐに田んぼの畦道の中で、稲穂はまだ夏の緑の鮮やかさを保ち続けていた。しばらく田んぼに沿って歩いていると河童川が見えてきたが今日は飛び込まない。


 橋を渡った先に大きな赤い鳥居が現れた。町の神社に辿り着いたようだ。


 神社では毎年八月に夏祭りが行われる。夏祭りは町の発展の祝いと、海難事故や水難事故で命を失った人々の魂を供養するために始まったもので百年以上の歴史がある。打上花火と灯篭流しが名物で県外からの観光客も多く訪れる場所だが、今はひっそりと静まり返っていた。


 急な傾斜の石階段を上り、神社を守る狛犬に出迎えられながら本殿に進んでいく。

 本殿は以前から改修の話が持ち出されるほどに古びており、廃墟のように朽ちた町の様子を考えると既に倒壊したのではと懸念していたが、変わらずに存在していた。


 二礼二拍手一礼。参拝を終えた僕はなにをするでもなく境内でぼうっとしていた。


 するとどこからかザクッという地面を掘り起こすような音が聞こえてきた。

 音の出どころは境内の裏手、木々が生い茂る林のほうからだ。

 意を決し、林の奥へと向かい、そこにいるであろう誰かに声をかけてみた。



「誰かいるのか」

「私がいますよ」



 返事をしたのは長い黒髪を一つに束ねたポニーテール姿のマサハルだった。


 マサハルは制服ではなく学校指定のジャージを着て、右手には大型のシャベルを持ち、空いた左手で首から下げたタオルを使い、顔の汗を拭っていた。

 マサハルの足元には樹の苗と直径五〇センチほどの穴があり、横には掘り出した土が小さな山のようになっていた。さっきの音はマサハルが穴を掘っていた音だったのだろう。



「今日はおわたさんに会わないと思っていました」

「僕もマサハルに会うとは思わなかったよ」



 夏休み中に限らず学校外で同級生と遭遇すると気まずさを覚えたものだがマサハルに出会ってもまったく嫌な気がしなかった。

 彼女も出会う予定のなかった僕と出くわしても不快に思わなかったらしく、気さくに会話を続けてくれた。



「桜の樹の下には死体が埋まっているそうですね。今、植えようとしている樹の苗の下にはなにが埋まるか楽しみです」



 昨日ミステリー小説を読んだ影響か、その後に読んだであろう小説からの引用か独特なテンションのマサハルだったが、樹の苗を見つめる目は優しかった。


 神社の敷地内に勝手に樹の苗を植えるのは問題があるから、恐らく夏休みが始まる前に神社に許可を得ていたか、本来この日に樹を植えるイベントがあったのだろう。



「美しいものの下には恐ろしいものが隠されている。『綺麗』には『恐い』がつき纏いますね」


「綺麗なものか」言いながら空を見上げる。身近にある美しいものは青空だろう。



「空、海、宇宙、世界にある綺麗なものは青色を持っていることが多いよね」

「神様がそれらに青色を使いすぎて他の自然物から青色が少なくなったという話もあります」

「青色が好きだなんて神様とは仲良くなれそうだ」



 僕の一番好きな色は青色だ。青色があるから世界は美しいといっても過言ではないだろう。だが僕は自分の好きなものを好きになれない人がいる事実を失念していた。



「私は、青色は好きではないです。……青は怖いから」



 マサハルは自分の体を抱きしめるようにして震えていた。


 美しいものは怖い。彼女にとっての青色は恐怖の対象だった。


 その青色を名前に、瞳に持つ彼女は自分を……。


 これ以上先を考えてはいけない。話題を変えろ。青色を嫌いな彼女に青色を好きになれるような話題を、いいや、違う。怖いものは怖いままで、嫌いなものは嫌いなままで構わない。今だけでいいから恐怖を笑い飛ばせるような言葉をかけてあげたかった。



「えっと、昔は青と緑が曖昧だったみたいだね! それが今も続いていたら()()()()って呼んでいたかな? なんて、ってなに言っているんだ僕!」



 慌てふためく僕を見たマサハルは吹き出してしまった。



「なんですかそれ。マミハルなんて呼ばれるのは文字の雰囲気が可愛いすぎて嫌ですよ」

「青があってよかったね」

「ほんの少しだけ、そう考えることにします」



 僕の拙い言葉でマサハルは青色を少しだけでも許せるようになれたようだ。「青色の許容の記念になるかはわからないけれど」と鞄から青色のラムネ瓶を一つ取り出して掲げてみせる。



「青といえばラムネの青は好きかな」

「ラムネは美味しいですし、中にあるガラス玉が綺麗ですよね。取ったことはないのですけど」

「ガラス玉を取れないものと取れるものがあるよね。この瓶のタイプはどうだろう」



 言いながらマサハルにラムネ瓶を手渡そうとしたが、すぐには受け取ってもらえなかった。



「えっと、それ、いくらでしたか。お代を渡したいのですが」

「お代はいらないよ。今日も暑いし、もし君に会えたら差し入れようかなって買ったのだから」

「うぅ。もらってばかりで申し訳ないです。でも、ありがとうございます。いただきますね」



 この暑さの中、植樹をしていた身に染みわたるラムネは格別だろう。マサハルの嬉しそうな顔を見られたからラムネを差し入れて正解だったな。


 マサハルはラムネを飲み終えるとガラス玉を取り出し始めた。僕の指示でラムネ瓶の上部、濃いシアン色のキャップを時計回りに何度か回すと簡単に外せた。続いて内蓋を取り出しラムネ瓶を逆さまにした。手のひらに転がったガラス玉を右手でつまんで空に掲げて「簡単に取れました」と感心している。マサハルの手の中でガラス玉が空の青さを透過して煌めいた。



「私が飲んできたラムネはガラス玉が取れないタイプばかりだったのでしょうか」

「もしくは取れないと思い込んでキャップを回すことをしていなかったか」

「挑戦する前から諦めていたほうが悲しくならないで済むじゃないですか」

「それは賢い選択かも。それでも今回は挑戦してみてよかったよね」



「はい!」とマサハルはご機嫌な返事をしてくれたから、ラムネをもう一本買ってこようかと考えたところで思い出した。樹を植えようとしていた理由はなんだったのだろう。



「そういえば聞き忘れていたんだけど、どうして樹を植えようとしていたのかな」

「えっと、おわたさんがいなかったので、引かないつもりだったのですが」



 マサハルは神社の柱の陰に置いてあった鞄から目安箱を取り出して困ったような顔をした。



「今日の籤で『植物の観察』と出たので、樹を植えて観察しようかなと思いまして。本当は夏休みらしく朝顔の観察にすべきなのでしょうが、小学校の時に朝顔の種泥棒が毎年現れたせいで、あれ以来どうも朝顔を育てることに抵抗を覚えてしまって」



 眉を八の字して「むう」と唸っているマサハルに僕は新しい妖怪の話をした。



「あれはきっと、夏に現れる新しい妖怪の仕業だったと考えているよ」

「夏らしいものばかりを集める最新の妖怪ですか」

「誰かが犯人と決めつけるより、そういう風に考えたほうが許せる気がするんだよね」



「ふむふむ」と神妙に頷き、夏の妖怪に思いを馳せるマサハルを横目に僕は目安箱に手を伸ばして籤を引く。籤には〈タイムカプセルを埋める〉と書かれていた。



 タイムカプセルと夏の取り合わせは不思議だ。スイカ割りや海水浴と比べると夏らしさなど無いに等しい。〈夏といえば〉を考えていた時の僕らはハイになっていたのだろうか。



「夏らしいものを集めてタイムカプセルに入れれば夏らしくなるよね」

「そうですね。それではタイムカプセルを掘り出すのは一〇年後にしましょうか」

「二七歳の僕とマサハルは、こうして他愛ない話をできる仲だといいね」

「そうですね。この夏休みのことを笑いながら思い返せるような関係であれば幸いです」

「それは待ち遠しい未来だね」



 一〇年後の二七歳になった僕らはこの夏を覚えているだろうかと、近くて遠い未来を想像しながらも、タイプカプセルに必要な素材を集めることを忘れない。

 タイムカプセルにふさわしいガラス瓶は境内の林の中で見つけた。誰かに不要とされ、ゴミとして放置されていたガラス瓶にありったけの夏らしさを詰め込もう。

 一〇年後の自分と互いに書いた手紙、ラムネの空き瓶とガラス玉、アイスの当たり棒、開いていない神社の御神籤、夏らしいものも、そうじゃないものも、今日の僕らにとってはすべて夏の思い出だ。

 タイムカプセルを埋める場所はマサハルが植えようとしていた樹の近くにした。

 掘り出すのは一〇年後の今日、二〇二七年八月三六日はないから、二〇二七年八月三一日だ。

 一〇年後にまたここに来ることを誓い、僕らは神社を後にした。

 



【八月三六日 晴れ】〈今日はおわたさんとタイムカプセルを埋めました〉

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