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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
40日目【8月71日】
40/40

最高の夏休み

 階段を上り終えた先、月の内側には青い世界が広がっていた。


 どこまでも澄み切った青空は果てなく続き、上空へ向かうほど、その青さは青を越えて宙の群青を湛えていく。空の色と宇宙の色が混ざり合った場所には数え切れないほどの星が輝いていた。

 空だけではなく眼下に広がる大地も青かった。青色は大地全体を海のように覆う透き通った水面が空を反射したものだ。



 息を呑むほどの美しい青い世界はマサハルの心の世界で、僕らの夏休みの世界が生まれた場所だ。

 神が創った階段は螺旋を描きながら地上へと続いていた。

 地上には一筋の道があり、光り輝く巨大な扉のようなものの前まで導いているようだった。

 あの場所が、この世界の中心であり最果てなのだろう。僕らはそこを目指し、ここまで来た。


 マサハルは扉へ続く一筋の道を指差してはにかんだ。



「あの道、バージンロードに見えるような気がします」

「言われてみれば、そうかもしれないね」

「白い服を着たほうがよかったでしょうか」

「それ、この状況だと笑えないよ」



 今から夏休みの世界と共に終わりを迎える僕らに白装束だなんてシニカルが効きすぎている。

「その白い服じゃないです」と慌てて修正したマサハルはこんな提案をしてきた。



「それなら、おわたさん。目を閉じてください」



 言われた通りに目を閉じると首から下にかけて違和感を覚えた。さっきまで着ていた制服とは別な素材や形の違う服に着替えさせられたような感覚があった。



「もう目を開けてもいいですよ」


 マサハルの声を合図に目を開くと、先ほどよりも世界が白く眩しく感じられた。

 それもそのはず、僕の目の前には真っ白なウエディングドレスを身に纏ったマサハルがいた。

 長い裾がふわりと広るデザインの優雅なドレスに、頭に載ったレースのヴェールや艶のある長手袋、首元を飾るパールのネックレスもマサハルの清廉な雰囲気と似合っていた。


 マサハルのウエディングドレス姿に見惚れて失念していたが僕も白いタキシード姿になっていた。

 一七歳の僕らが花嫁・花婿衣装に身を包んでも結婚式の真似事、学園祭などの行事の仮装にしか見えないだろう。

 それでも着るはずのなかった衣装に袖を通すのは新鮮で心が躍る。



「三年間だけですけど夏休みの世界の神様でしたから、こんなこともできるのです」

「この白い服なら悪くないね」



 僕はマサハルに手を差し伸べて、マサハルは迷わず僕の手を取る。

 世界の終わりには制服姿で挑むのが正しいと思っていたけれど、この姿も悪くない。

 僕らは装いを新たに階段を下り始めた。





 最後の一段を下りきったところで、マサハルは遠くにある扉を見つめながら、ささやかな祈りを込めた一言を囁いた。


「もしも叶うなら、私はおわたさんの創る世界で生きたいです」



 僕はその一言が聞ければ満足だった。マサハルがそれを願うことで、僕が優しい世界を創ろうと思った本当の願いは成就する。


 僕は誰に対しても優しく接することができるほど善人ではない。

 新しい世界を創ってすべての心あるものを救ったとしても、みんなのヒーローとは呼ばれたくなかったし、そんなものになんかなりたくなかった。


 本当に叶えたい願いはたった一つだけで、本当に助けたいのは一人だけ。



「僕が鍵を使って優しい世界を創ろうと決めたのはね、そんな世界なら時間も空間も越えて幸せになれなかった……三年前の九月一日の君を笑わせにいけると思ったからなんだ」



 あの日のマサハルが笑ってくれるなら、この世界が終わっても、これからのマサハルがずっと笑って生きていけるなら、僕はただ一人を救うついでに全部を救えるだろう。


 それに、マサハルを笑わせたいのだって、僕がマサハルの笑顔を見たいだけだ。

 僕がしようとしているのは偽善に満ちた善意の押しつけだ。

 でも、それでいいんだ。僕はマサハルだけのヒーローになりたかったのだから。


 僕の言葉にマサハルは思いっきり顔を顰めた。



「助けにきてくれるのは嬉しいのですけど大遅刻じゃないですか」

「ヒーローは遅れて登場するんだよ」

「遅すぎです!」



 何度も世界が終わってからでなければ助けにいけないヒーローなんてヒーロー失格だ。

 それでもマサハルは大遅刻な僕を笑って許してくれた。



「でも、ずっと待っています。あの日の私は他の誰でもない、あなたに助けにきてほしかった。ヒーローになってほしかったのですから」



 僕らは確かな足取りで一歩ずつ前へ進む。決められた終わりへと並んで歩いていく。



「おわたさん、背が伸びましたね。転校前は私よりも低かったのに」

「いつの間にか追い越していたよ。君よりも大きくなりたかったからかな」

「声が低くなりましたね。私よりも高かったのに」

「君は髪が伸びたね。長い髪も似合っているよ」



 マサハルに出会って別れてからの三年間で様々なものが変わっていった。

 僕の背の高さや声の低さ、マサハルの髪の長さ。人との繋がり。僕らを取り巻く環境。

 そして世界。

 並んで歩いていたはずのマサハルは、いつの間にか後方で立ちつくしていた。



「贅沢な望みとはわかっていますが、おわたさんと一緒の高校に通って、同じ教室で勉強して、卒業して、夏だけじゃなくて、春も秋も冬も、あなたと一緒に生きてみたかったです」



 ああ、やっとわかった。

 僕がこの世界に来た時、高校に転校してきたと思っていたのは、僕とマサハルが同じ高校に通いたかったからなんだ。


 なれなかった高校生の制服を着て、通えなかった学校の教室で「おはよう」と挨拶を交わす。

 それは僕らが思い描いた高校生活の一部だ。夏休みの世界で疑似的な学生生活を送ることで、手にしたかった青春の一滴だけでも味わってみたかったのだ。


 僕とマサハルの青春は普通の高校生の青春と比べると色数が少なすぎた。極彩色の中で生きた彼らと比べれば、僕らの青春は色褪せて寂しいものだっただろう。



「それでも、この終わらない夏休みで僕らは出会えた。僕らは間違いなく一緒に夏を生きたんだ。たった二人だけの夏休みを過ごせたのは世界で僕らだけだ。それは僕らだけの思い出だ」



 僕らの青春には青色の一色だけあればいい。僕らは、僕らの青色の夏を誇ろう。

 多くを望んですべてを手に入れるよりも、手が届く範囲で幸せを噛みしめよう。出口のない暗い水底で星に手を伸ばしても届かないのなら、傍にいて手を握り合える人と生きていこう。妥協だと野次られてもいい。諦めだと責められてもいい。マサハルと過ごせたかもしれない日々よりも、マサハルと過ごせた日々が愛おしかった。


 僕の想いはマサハルに届いたのだろう。マサハルは僕の手を両手で包み込むように握ってくれた。



「復讐のためにあなたに近づいたくせに、こんなことを言うのは変ですよね」



 世界を包む青色と同じ色の眼睛に涙を浮かべてマサハルは最上の賛嘆をしてくれた。




「それでも、あなたに出会えてよかった。あなたと過ごした夏休みは今までの、どの夏休みよりも最高の夏休みでした」




 きっと今までの夏休みよりも、これから来るどの夏休みよりも一番楽しくなると、予感だけで紡いだ言葉は、ついに真実になったのだ。

 マサハルの言葉に静かに頷き、僕は告白する。



「僕も同じ気持ちだ。また君に出会えたから、僕は僕の想いに気づけた。君の想いを知れてよかった。僕はずっと、君のことが好きだと思える心を持っていたんだ」



 堪えきれず涙ぐみそうになったのを隠しながら頭上に広がる青空を仰ぎ見る。

 真っ青で遙かな夏空は美しかった。きっとマサハルが生まれた日はこんな夏の日だったのだろう。



「『真っ青で遙かな夏』って今日みたいな日を言うんだろうね」


 マサハルの心の世界は彼女の名前の通りの青色をしていた。名は体だけでなく心と魂すら表すのだろう。僕は彼女の名前に対する素直な気持ちを伝えた。



「初めて君の名前を知った時から思っていたんだ。 『真青遙夏』……改めて思うよ。いい名前だね」



 僕の言葉にマサハルは俯いてしまい、切なげに腕をきつく絡ませてきた。

 そうか、僕は失敗したんだ。

 マサハルは名前のせいで苦しんだ。彼女に与えられた青色は祝福にならなかった。

 彼女が嫌う青色を持った名前を僕が褒めても、彼女が一七年生きて抱えてきた苦しみは拭えない。それどころか余計に自分の名前を、自分の存在を嫌悪してしまったのだ。


「ごめん」と謝りかけた僕の言葉に首を振ってマサハルは制止した。



「他の誰でもないあなたがそう言ってくれるなら『青色』も少しだけ好きになれそうです」



 泣きながら笑ってマサハルは自分の名前を、自分自身を肯定してくれた。

 名前を否定される度に傷つき自分を嫌ったマサハルが、僕が名前を呼ぶことで、自分の名前を好きになれるなら何度だって呼びたかった。


 だから、僕は、君の名前をちゃんと呼びたくなってしまった。



「ずっと『マサハル』って呼んでいたけど、一度だけでいいから名前で呼んでいいかな」

「ええ、呼んでください。私の名前」

「ありがとう。君の名前が好きなんだ。他のどんな名前よりも」



 こほんと咳払いをして喉の調子を整える。この世界で一番美しい名前を呼ぶのにしゃがれて裏返った声を出すわけにはいかない。

 僕は気合十分に、だけどマサハルの顔を見れずに目を逸らしながら名前を呼んだ。



「じゃあ……、ま……、真青遙夏」

「下の名前を呼び捨てにするのかと思いました」

「今さら恥ずかしくないかな」

「そんなことないです。私は一瞬で言えますよ。お……、尾張奏汰」



 顔を真っ赤にしながら僕の顔を見ない上にフルネームで呼ぶマサハルであった。





結局、名前を呼び合えないまま扉の前まで辿り着いてしまった。

別れは目前まで迫ってきているが、その前にマサハルに伝えなければならないことがある。


 僕はマサハルに向き合った。

 名前を呼ぶのは照れ臭くて目を合わせられなかったけれど、これだけは目を見て伝えよう。

 今まで生きてきた中で一番の勇気をここに集めよう。

 勇気と気持ちを花束にして、君に渡そう。



「僕がこの町に帰ってきた理由、最後の一つは君に僕の気持ちを伝えることだったんだ。本を借りたまま転校した僕を許さなくてもいい。何度復讐しようと思ったとしても構わない」



 叶わなくていい、想いを告げてもどうせ世界は終わる。

 それでも、どうか届いてほしい。

 


「僕は、この世界で一番、君が好きだよ」



 今、この瞬間に世界が終わってもいいと思えたのに、世界は終わらなかった。

 僕の一世一代の告白にマサハルは、眉尻を下げて呆れながら答えた。



「この世界には私たち二人しかいないじゃないですか」

「二人だけでも、二人だけじゃなかったとしても変わらないよ。僕にとって君が一番だ」



 一〇億の世界で真青遙夏を想い続けた尾張奏汰を舐めないでほしい。僕はマサハルへの想いだけでここまでやってきたのだから。

 マサハルも僕の目を見つめ返して、笑顔で伝えてくれた。



「あなたを絶対に許さなくて、あなたに復讐しようとした私を好きなんて、本当に変な人です。そんなおわたさんだからこそ、私もこの世界であなたが一番好きです」



 僕らは同じ想いを抱いていたなんて、嬉しくて、嬉しすぎて、つい茶化してしまう。



「二人しかいないからね」

「私も同じですよ。二人だけでも、二人だけじゃなかったとしても、私にとってあなたが世界で一番だという事実は永久に変わりません」



 永久も永遠も嘘つきで、どこにも存在しないから大嫌いだ。

 だけど僕が世界で一番大好きなマサハルが永久を誓うなら信じられる。


 僕はタキシードの胸ポケットから世界を創る鍵を取り出し扉に差し込んだ。鍵穴も無いのにかちゃりと音がして光を纏った扉の中心が渦を巻き始めた。

 混沌としたうねりの向こうに明滅するいくつもの光が見える。光の瞬きは新しい世界の産声なのだろう。



 別れの時は来た。尾張奏汰と真青遙夏として話せるのはこれで最後だろう。

 そう実感すると胸の辺りから温度が失われる代わりに、寂しさと悲しさと悔しさが埋められていくようだった。



 本当は泣き出したかった。さよならなんて言いたくなかった。

 それでも、叶えたかった願いも、選び取れなかった選択も撥ねのける。

 マサハルの前で惨めな姿は絶対に見せない。見栄も強がりも駆使して平然と別れを告げよう。



「お別れする時に言う言葉ってさ、なにが適切なんだろうね」

「私はいつも『さようなら』って言います」

「僕は『ばいばい』って言うね」

「今回もそれでいいと思います」

「そうだね」



 そっけなく返事をして、目が赤いことに気づかれないように、これ以上涙が零れ落ちないように、なんてことのないふりをしよう。

 また明日会えると疑わずに「さようなら」と「ばいばい」を言えた夏休みの日々のように別れを告げよう。

 先に名前を呼んだのも、さよならを告げたのもマサハルだった。

 



「それでは、さようならです。奏汰」

「ばいばい。……ううん、違うな」



 僕は背を屈めてマサハルの顔に自分の顔を寄せ、最初で最後の口づけをした。

 この瞬間が永遠に続けばいいなんて思わない。

 終わりがあるからこそ、共に生きる時間を愛おしく思えるのだと、僕らは夏休みを生きて知ったのだから。


 最後に君の名前を呼ぼう。

 そして約束をしよう。

 


「また会おう。遙夏」

「はい! 約束です」


 

 僕らは手を取り合って扉の向こうへと一歩を踏み出した。

 別れたばかりなのに、必ずまた会えるかもわからないのに、次に会えるのが楽しみだった。

 一度再会できたのだから、また再会できるなんて都合のいい考えだけど、信じてもいいだろう。

「さようなら」と「またね」が二度と会えない別れの挨拶になるなんて思えなかった。

 だから今度会えたらなにをしようか考える。タイムカプセルを取り出すのも、植樹した樹が大きくなったか見るのも悪くない。



 けれど、一番は、一緒に夏休みを遊びたい、で決まりだ。

 


 夏休み、か。

 僕らが過ごした夏休みは八月三二日から八月七一日までの四〇日間で、実際の夏休みと同じくらいの期間だった。日数までリアルに再現しなくてもいいのに律儀なマサハルらしい。

 僕らの夏がどこまでも正しい夏休みだったのは、夏休みは長くても短くても夏休みじゃないということだろう。

 長いようで短くて、始まるのが楽しみで、終わってほしくないのが、正しい夏休みなんだ。

 


 

 だんだんと、僕が、夏を想える心と意識が、融けていく。

 繋いでいたマサハルの手が、まだ繋がれているのかわからなくなった。

 


 僕が、消えてゆく。

 消えてゆく僕の隣には青く輝く光だけが残されていた。

 

 


 ――ああ、なんて綺麗な色。

 

 


 僕が最期に見た色は、本物の青色だった。

 真っ青で遙かな夏休みは誰がなんと言おうと本物だった。


 僕らは、終わった世界と、遙かな夏の思い出を魂に刻み付け、新たな世界へと旅立つ。

 

 僕らの過ごした夏休みは、八月三一日に、いくつもの夏の一日がプラスされていった優しい夏休みは、間違いなく最高の夏休みだった。

 




END

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