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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
40日目【8月71日】
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12-5・あなたのいる世界

 水底から光を目指して泳ぎ続け、海面から降り注ぐ眩い光が目前まで迫った時、光の向こうから手が差し伸べられた。

 僕は迷わずにその手を掴んだ。導かれるように僕の体は海面へ浮上した。



 眼前に広がる青空には、いくつもの光の粒が陽光を反射して輝いていた。

 陽光の向こうには偽物の月が浮上している。僕は無意識の海の水底から帰ってこられたようだ。



「おわたさん!」



 マサハルは僕を引き上げ助け起こし、僕の無事を確認すると力なく微笑んだ。

 僕らから離れた場所で偽物の月を背後に神は軽蔑を含んだ瞳で僕らを見つめていた。



「尾張奏汰が戻ってくるのは想定通りだけど、真青遙夏が先に戻ってきたのは意外だったわ。あなたには背中を押してくれる友達なんていないのに、どうしてかな」



 マサハルにだって友達はいる。この夏休みは一緒に過ごせなかったけれど、別な可能性世界で僕ら四人は友達だった。暁春と霞冬はマサハルの元にも駆けつけて激励してくれたのだろう。



「君のところにも二人が来てくれたんだね」

「ええ。今の私は二人と夏休みを過ごした私とは違う私なのに背中を押してくれました。二人に出会えた私は幸せだったでしょうね」



 僕はマサハルに支えられながら立ち上がる。

 一人になりたかった僕らは二人になって、二人の友達に支えられて再び生きる強さを得た。


 僕らは決意を新たに神に対峙した。



「もうお話は済んだのかな」



 つまらなそうに自分の髪の毛先を指で弄ぶ神は話が終わり次第、僕らの世界を終わらせる気なのだろう。


 そうはさせない。僕たちはまだ話さなければならないことがある。

 僕らは神を知らなすぎた。だから神に確認したかった。



「いいや、まだだ。君と話すことがある。僕らが元々いた一つめの世界を創った理由を教えてほしい。知りたいんだ。君が世界になにを望んでいたのかを」


 神に夏休みの世界を明け渡し終わらせられる道理はない。

 それでも神がその決断に至った理由を知りたかった。僕らの元いた世界の創られて終わった理由を本人の言葉で聞きたかった。

 僕に復讐しようとしたマサハルとも過去と真実を話し合うことで共に夏休みを生きる選択を選べたから、神とも話し合うことで新たな道を選べる可能性があるのならそれに賭けたかった。



「時間稼ぎのつもりかな。それとも私がすべてを話せば、この世界を譲ってくれるのかな」



 これは危険な賭けだ。

 僕らの夏休みは二人の利己的な願いによって生まれた。対して、神は僕らが元いた世界を創る際の願いは、すべての人々の善の心を信じたものだったという。


 僕とマサハルの〈個〉と、神と人々の〈全〉では世界にかける想いが違いすぎる。

 それでも僕らは夏休みの世界を愛していた。僕らの夏休みが一〇億の可能性世界と命の上で成り立っていたとしても、僕らは僕らの世界を守りたかった。



 マサハルが不安げな瞳で僕を見つめていた。

「大丈夫だよ」と伝える代わりにマサハルの手に自分の手を重ねて強く握りしめる。



「僕らの夏休みを君の手で滅ぼすことに正当な理由と譲れない想いが、僕らが納得できる理由があるのなら、夏休みの世界の幕引きを君に任せるのも悪くないかもね。でもそれは万が一にもありえないよ。僕らにとってこの世界はなによりも大切なものだからね」



 見え透いた虚勢を張った僕の言葉を挑戦と受け取ったのだろう。神は神妙な面持ちで応えた。



「いいよ。話してあげる。自分のこと、誰かに聞いてほしかった気もするし」



 神は手のひらから光る球体を呼び出し無意識の海から引き寄せた水を纏わせた。

 果たして神は、なにを想い、なにを願い、僕らが元いた世界を創り、滅ぼしたのか。

 なぜ夏休みの世界までも滅ぼそうとしているのだろうか。

 ついに語られる時が来た。



                  +




 水を纏った球体の中央にノイズ混じりの映像が流れ出した。



 映像の中で学校の屋上へ続く階段を誰かが息を切らせながら駆けていく。

 誰かは制服を着た中学生くらいの少女だった。

 肩に付かないくらいの長さの黒髪に凛とした印象の黒い瞳をした少女は、かつて人間だった頃の神だろう。



 少女は屋上に辿り着くと後ろ手で扉を閉めた。誰も後をついてきていないか、屋上に人がいないかと周囲を注意深く確認している。

 ほっと息をつきかけた少女の表情が突如強張る。どうやら屋上には先客がいたようだ。



「こんにちは。今日もサボりかい?」



 涼やかなアルトの声は少女の真上から、給水塔と避雷針のある塔屋のほうから聞こえてきた。

 声の主は少女と同じ学校の制服を着た少年だった。

 少年は腰まで届く淡い空色の髪に天色の瞳をしている。首からは神の持つ鍵と似た形の青緑色の鍵を下げていた。

 中性的で神秘的な雰囲気を持つ少年に少女は見惚れていたが、すぐに我に返って反論した。



「あなた、誰? なんで私がいつも屋上にいるって知っているの。変人なの? 変態なの?」

「ずっと見ていたから知っているんだ。だってね自分は『神様』なんだよ」



 少年は重力を感じさせずにひらりと身軽に飛んで、驚く少女の前に着地した。



「『信じられない』って顔をしているね。そんな君には、この『鍵』について話そうかな」


 少年は混乱する少女を置いてけぼりにしたまま鍵の詳細を語り始めた。



「この不思議な鍵には『世界を創造する力』が秘められているんだ。この鍵で創った世界には創造主の望むもの以外は辿り着けず存在できない。だから気に食わないものは消してしまってもいいんだよ。えへへ、すごいよね」



 説明を聞く限り、少年が持つ鍵は僕らの知る世界を創る鍵と同じ性質を持つようだ。

 だが、マサハルから僕に託された鍵と、少年や神が持つ鍵は別なものだろう。世界を創る鍵は、あらゆる世界にいくつも存在しているようだ。



「ふうん。変な人が持っている変な鍵、ね。まあ、どうでもいいけど」



少女は気のない返事をしていたが、視線は鍵に固定されたままだった。

この時から神には鍵を使い、自分の望む世界を創りたいほどの強い願いがあったのだろうか。

 



 映像が灰色の空模様に変わったが、少年と少女は天気を気にせずに屋上で会話をしていた。



「こんにちは。今日は曇り空だね。ああ、もうすぐ雨が降りそうだよ」



 今日の少年は女子生徒の制服を着ていたせいか可憐な少女にしか見えなかった。

 神様には性別の概念がないのだろう。少年と呼ぶのは正しくないかもしれないが、変わらずに彼を〈少年〉と呼ぶことにした。


 少女は少年の服装よりも世界を創る鍵に興味があるようだった。



「昨日の鍵と世界の話、もっと聞かせて」

「それじゃあ今日は世界の話をしよう。ここは、ある神様がこの鍵で創った世界なんだよ」



 世界の真実を話す少年の言葉に、少女は世界と人の心への嫌悪を吐き出した。



「その神様とは趣味が合わないわ。私はこの世界が大嫌いだもの。誰かに傷つけられるのも、誰かを傷つけるのも、もううんざりなの。人の心なんか大嫌い。なくなっちゃえばいいのに」



 人の心のせいで傷つき一人を選んだマサハルと、人の心の曖昧さを信じられなかった僕と、少女は……人間だった頃の神は、僕らと同じ気持ちを抱えて生きていた。


 少女の言葉を聞いた少年は軽やかに立ち上がり、両腕を広げながらその場でくるりと回った。



「嫌いなもので溢れた世界の中で、ここから見える空だけが君の希望だったんだね。希望を忘れないために君は毎日屋上に来る。そしてこんな風に一緒にお喋りができる。そう考えると嫌いなものがあってよかった気がしちゃうんだ」



 人の心に対する苦しさがなければ少女は屋上に訪れなかっただろう。

 苦しみを知らない少女は生き辛さを抱えることなく、クラスメイトや友人に恵まれて教室で授業を受けていただろう。  


 果たして、少女が望む心のない世界が叶えば少女は幸せになれるのだろうか。



「嫌いなものが一つもない世界と、屋上で一緒にお喋りできる『誰か』がいない世界だったら、君はどちらの世界を望むかい」



 僕なら嫌いなものが一つもない世界と、マサハルがいない世界なら、どちらを選ぶか。

 それはあまりにも簡単な問いだった。僕はマサハルのいない世界なんていらない。

 マサハルも同じように考えたのか、目が合うと目を細めて頷いてくれた。


 だが、少女は黙りこくってしまった。少年の問いに答えられなかったのだ。



 少年は少女の沈黙を咎めることなく、そっと手を伸ばし少女の両手を優しく包み込んだ。



「ごめんね。意地悪な質問だったね。君にとって自分がそれくらい大きな存在になれたらなって、嫌いなものがあっても『神様』がいる世界がいいなって言ってくれたら嬉しいなって思っちゃったんだ。……あれ? なんでそんなこと思ったんだろう。不思議だね」



 自らの内側から芽生えた気持ちに戸惑う少年。彼は他人に対してなにかを期待する気持ちを抱いたのは初めてだったのだろう。それは僕がマサハルに初めて出会った時の気持ちと似ていた。


 そんな少年の様子と触れ合う手から伝わる優しさが少女の心を溶かしていったようで、固く口を結んだ少女の表情が徐々に穏やかなものに変わっていった。



「もっと君のことを知りたいし、もっと君と仲良くなりたいんだ。また屋上に来てくれるかな」

 言葉には出さなかったが少女は頬を染めて頷いていた。少年の願いを聞き入れたようだ。

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