12-3・間違った夏休み
目を覚ますと無数の光が漂う闇の中にいた。どうやら無意識の海の底に辿り着いたようだ。
ここにはすべての世界の人々の記憶があるのだろう。神はそれを僕らに見せるつもりなのだ。
僕の覚醒と同時に目の前にある球体の中央に映像が映し出され始める。
そこには別な可能性の僕の二〇一七年八月三一日の夏休み最終日の出来事が流れていた。
僕の知らない僕は、暁春と霞冬と三人で夏休みの世界に行ったらしい。
高校の屋上にはマサハルと暁春と霞冬と、霞冬と同じ制服を着た僕の四人がいた。
僕の制服が夏休みの世界の高校のものではないのは記憶を保持したまま世界を越えたからだろう。
果たしてこの僕は罪の記憶を抱えたままマサハルと夏休みを過ごせるのだろうか。
映像の中の暁春は小犬のようにマサハルの周りを駆けながら怒涛の勢いで質問攻めしていた。
「あなたが尾張の会いたかった人だよね。初めまして、あたし暁春燈歌! 尾張の転校先の中高のクラスメイトだよ。あなたの名前は? てかめっちゃ美少女だね! ヒロイン力高いね!」
「えっと、あの」
「トウ、今かなりうざい。落ち着けよ」
暁春のテンションの高さに困り果てたマサハルに霞冬が助け舟を出していたが、僕は楽しそうな三人のやりとりを離れた場所で見ていただけだった。
映像は四人で町を歩いている場面に変わった。
町には四人以外誰もいないらしく、この世界もマサハルが望んで創ったものに違いない。
「不思議だよね。ずっと夏休みの世界なんて。この世界の謎はいつか解けるのかなあ」
「三人寄ればなんとか言うからな」
「もう一人いるけど」
「トウはアホだから戦力外」
「四人だけの世界なら貴重な戦力だろうがっ」
「アホは否定しないんだ……」
暁春が会話のきっかけを作り、霞冬がそれをいじり、暁春が反論し、僕が平然とツッコミを入れる。その姿は外側から眺めてみると楽しそうだったし、仲の良い友人同士に見えた。
マサハルにもそれが伝わったのか「ふふふ」と口元を手で押さえてほのかに笑っている。
暁春はマサハルの微笑みに満足したのか、僕ら全員の顔を見つめながら笑った。
「四人でいると楽しいね。なんだかずっと前からこうして一緒にいたみたいだよ! この夏がずっと続けばいいのになって思っちゃうくらいだなあ」
残念ながら暁春の願いは絶対に叶わない。
この世界が創られた理由が〈僕とマサハルが二人で夏休みを遊ぶ〉ことなら、四人で過ごす夏休みは間違いになる。
夏休みの世界は僕とマサハル以外の部外者を許さないだろう。
間違いは、いずれ正される。
それから四人で天体観測をした。四人で夏祭りに行った。四人でプールに行った。
二五メートルプールで競争する僕と霞冬だったが、霞冬が足をつって沈みかけていた。
そんな僕らをプールサイドで呆れつつ見守りながら暁春とマサハルが二人で話していた。会話の内容は僕の話だった。
「マサハルちゃんって尾張のこと、どう思っているのかな」
「おわたさんは私にとって大切なお友達の一人ですよ」
マサハルは僕に対する復讐心を持ったまま夏休みを過ごしている。
彼女が復讐を選ぶか、四人で過ごす夏休みを選ぶのか、今はまだわからない。
霞冬は気づいていた。マサハルが僕を友達ではなく復讐の標的として見ている事実に。
蒸し暑い夏の夕方、西日が当たらない校舎の中庭に霞冬はマサハルを呼び出した。
「マサハルさん、あんた俺と同類だろ。復讐のことばかり考えている人間の顔をしているぜ」
冷え切った目で霞冬はマサハルを睨んでいる。彼は目の前にいるマサハルを敵として見なしている顔をしていた。
「復讐をやめろとは言わないぜ。理由もわからないし、知りたくもないからな。だが、あんたが復讐を遂げたら、ここはどうなるんだ」
「願いを成し遂げた世界は終わりを迎えます。私たちもろとも消滅するでしょう」
「俺たちと生きる夏か、復讐を遂げるか……。選ぶのはあんたの自由だが、この夏を終わらせるなら、俺は死んでもあんたを許さないってだけは言っておく」
霞冬の断絶を示す言葉にマサハルは微笑を浮かべていた。
その笑顔の意味は霞冬には伝わらなかったようだが、僕にはわかった。
マサハルは霞冬の言葉に安心したんだ。霞冬だけは、これからする自分の行いを咎め、許さないでいてくれることで、罪が消えないことに安堵したから笑ったんだ。
この日を境にマサハルは僕らの前から姿を消した。
それからずっと、夏休みの世界には雨が降り続けていた。
「あたし、マサハルちゃんを探しに行くよ。尾張はどうするの」
降りしきる雨の中、暁春は「いなくなるってことは探してって言っているようなものだよ」と力説して、今にもマサハルを探しに駆け出しそうだった。
これじゃあ、この世界の僕よりも暁春のほうがマサハルのヒーローにふさわしいじゃないか。
僕は俯き、しゃがみこんだまま力なく呟いた。
「僕は行かない。ここでずっと、マサハルが帰ってくるのを待っているよ」
この世界の僕はマサハルがいなくなったことが自分への罰なのだと理解していた。
当たり前だ。罪の意識を抱えたままマサハルと笑いながら夏休みを過ごせるわけがないんだ。
僕らと別れたマサハルは無意識の海で月を目指し歩き続けていた。
「燈歌さんの突き抜けた明るさも、霞冬くんの遠回しな優しさも、尾張くんには絶対に必要なもの。二人が背中を押してくれたからこそ私は尾張くんと再会できた」
マサハルは首にかけていた世界を創る鍵を手に取り、祈るように両手を合わせて握り直した。
「四人で過ごす夏休みは楽しかった。みんな優しくて温かくて。こんな私にも、私を傷つけた人たちに復讐を遂げた悪い子の私にも優しくしてくれた。優しくされる価値なんかないのに。友達なんかいてはいけないのに。だから私はみんなと生きる夏を選ばない。選んではいけない。この世界の創られた願いを叶えるために、尾張くんに復讐する」
僕と仲良くなれなかったマサハルは世界の創られた理由を思い出せなかった。ここが復讐のために存在する世界だと、復讐を果たせばすべてが終わると信じていた。
世界を光る鍵が淡く光り出しマサハルを包み込む。光の中でマサハルは夏休みの世界から完全に消滅した。
マサハルは僕の目の前からいなくなることで復讐を遂げた。
最後に聞こえたのはマサハルの声なき声だった。
「最初から『二人だけの夏休み』だったら、こんな最後にはならなかったのかな」
こうして四人で過ごす夏休みの世界の記憶の再生は終わった。