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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
10日目【8月41日 朝】-39日目【8月70日】
31/40

11-5・泣きたい時は泣いていいんだ

 それから僕らは枕投げやチェス、将棋や花札、ボードゲームなどで遊んだ。


 時間はあっという間に流れ、保健室の時計の針は綺麗なLの文字、深夜三時を示していた。僕の眠気は限界だった。そろそろ眠りたいのはマサハルも同じだろう。



「マサハル、寝るならベッドで寝るんだ。さもなくばお姫様抱っこで君をベッドまで運び子守唄を聞かせてあげよう。絵本も読んであげようか」



 べったりと机に突っ伏した顔をマサハルはやっとの思いで上げて返事をした。



「そんな甘い誘惑に屈する私ではないです。おわたさんが眠るまで私は眠りません」



 血走って充血したマサハルの目にたじろぐ。どう見ても布団に入ったら速攻で眠れそうな顔をしているじゃないか。きっと僕も同じ顔をしていると思うのだけれど凄まじい表情だった。



「僕が寝れば君も寝るなら、僕は寝ることを選ぶよ」



 なんてブラフを張ってベッドに倒れ込むが、もちろん作戦だ。眠ったふりをしたままマサハルが眠るのを待ち、仮眠室に移動するという当初の作戦をついに決行したのだ。



 狸寝入りがバレないように頭まですっぽりと布団を被って、たまに「すうすう」と寝息をたてるふりもしてみた。これで完璧だろう。


「眠ってしまいましたか」と囁いたマサハルは僕の眠るベッドに近寄ってきた。

 するとベッドの足元の一部が沈んだ。マサハルがそこに座ったようだ。



「ごめんなさい。自分でもよくわからないのですが、聞いてほしいけど聞いてほしくないことがあって、あなたが眠っている時なら話せると思ったので、無理に学校に泊まるなんてお願いをしてしまいました。……私がおわたさんの家に泊まるほうがよかったですかね……」



 天然なのかわざとなのか、マサハルは僕の善性と人間性を全力で試しにきていた。ずっと一人で過ごすとそういう知識が乏しくなるのか、警戒心がないのか、信頼してくれているのか、むしろ可能性はゼロに等しいけれど僕と同じなにかを期待しているのかわからないけど「それはもっと駄目だよ」と叫び出しそうになる気持ちを抑えて眠ったふりを続けた。



「もし起きていても、眠っているふりを続けてくださいね」



 本当は僕が起きていることに気づいているのだろうか。

 それでも眠っているふりを続けてみせよう。僕の返事を期待していなくても、マサハルが僕に黙って話を聞くことを求めているなら応えたい。


 僕はマサハルの小さな声に静かに耳を傾けた。



「私が三年前の夏休み明けに消えてしまおうと思ったのはなぜなのか考えてみたのです。それまでも辛いことや悲しいことはたくさんあったのに、なぜあの時だけは耐えられなかったのか。……それまでは、あなたがいたから耐えられたのだと思います。初めてあなたに会った時に思いました。自分と似ている人だと、仲良くなれたらいいなと。そんなあなたの見ている前で無様な姿を見せるわけにはいかないと気を張っていたから、どんなことだって耐えられたのです」



 そうか。マサハルは僕の前では僕のヒーローで在り続けようとしてくれていたのか。



「あなたが望んだ私は、たった一人でも寂しいと思わない、神話のくじらの怪物だって一人で倒せるような強い女の子だったのでしょう。けれど本当の私は強くなかった。あなたが転校していなくなってしまった場所で強く生きる意味はない。だからあの時、飛んだのです」



 偽物のヒーローとして生きる彼女を最後まで見つめる存在であるべきだった僕は転校した。

 だから彼女は強く生きる理由を失い、自ら命を絶つ決意をしたのだ。



「その後、私は世界を越えて夏休みの世界に辿り着きました。そこで私は自分を苦しめた人たちに復讐しました。私がなったのはヒーローでもヒロインでもなく怪物でした」



 マサハルを復讐者という怪物にした責任は彼女を傷つけたクラスメイトだけではなく、本を借りたまま転校した僕にもある。

 だがマサハルは復讐を選んだことを後悔していなかった。



「復讐は正しい行いではないと理解していますが、復讐を果たせず夏休みの世界で一人きりで何年もただ生きるだけの日々を過ごしていたら悔しくて悲しくて耐えられなかったと思います。……私は、彼らに復讐したことを後悔していません。それだけはしてはいけないと思うから」



 復讐は悲しみと悔しさと寂しさを紛らわせる手段にすぎなかったかもしれない。それでも復讐をすることがマサハルの生きる理由になっていたのなら、僕は彼女の選択を否定しない。

 正しくはなくとも間違いだとしても、誰にだって彼女の選んだ道を糾弾することはできない。



「クラスメイトへの復讐は一ヶ月ほどで終わり、それからずっと一人で過ごしました。来る日も来る日も暑い日が続いて、ずっとずっと空が青くて、世界が終わった日と同じ空の色で……」



 自分の名前にある青色、誰もがおかしいと笑った名前の青色、そして世界が終わった日の空と同じ青色。だからマサハルは青色を恐ろしいと嫌ったのだろう。



「それから何度も夏を越えてあなたがこの世界に来ました。初めのうちは打ち解けた振りをして隙を見て復讐をしようと思っていました。けれどあなたは『今までの夏にできなかったことをしよう』と言いましたね。もしもあなたがそう言ってくれなかったら、あなたと一緒に夏休みを過ごせなかったら、私はあなたに復讐を果たし、終わらない夏休みの世界でひとりぼっちに戻っていたでしょう。あるいは、あなたを消して私も消えてしまったかもしれません」



 努めて冷静に感情を交えないように話す姿は、夏休みの真実と凄惨な過去を話していた時によく似ていた。明らかにマサハルは無理をしている。眠っている人間に打ち明ける時ですら彼女は強がろうとしているのだ。だが、それはだんだんと保てなくなっていったようで。



「だから……あれ?」



 マサハルの声は徐々に嗚咽混じりになっていった。



「私は寂しかったの? 終わらない夏休みの世界でたった一人だったのが寂しかったの? この夏休みは一人で過ごすには長すぎるから、一人なんて辛くなかったのに、平気だったのに、あなたがいなくなってからの私は、なんて弱虫になってしまったの」



 聞き逃してしまいそうなほどか細い声でマサハルは自分の弱さを嘆いていた。


 僕はベッドから上半身だけ起こして「マサハル」と声をかけた。

 僕の声に驚いて振り返ったマサハルの青い瞳からは大粒の涙が零れていた。



「ごめんなさい。起こしてしまいましたか」



 目元をパジャマの袖で拭うマサハルはまたしても泣いてないと強がってみせた。



「ううん。ずっと起きていたよ」

「それなら眠っているふりを続けてくださいよ」



 泣いたっていい。弱音を吐いたっていい。僕がそう言ってもマサハルは強がるだろう。僕の慰めなどマサハルの寂しさに付け入るような卑怯な手段にしかならない。

 それでも君が拒まないなら。この手を伸ばしてもいいのなら。



「そうしようとは思ったんだけど、寝ているふりをしながら考えちゃったんだ。泣いている君を抱きしめたいと思うのは、君の寂しさに付け入るみたいで嫌かなって」



 マサハルの顔を見ながら言えればよかったけれど、どこまでも臆病な僕はそっぽを向きながらでしか卑怯な手段を提案できなかった。


 僕の卑しい願いにマサハルは嫌な顔をしなかった。

 立ちあがり半歩進みベッドに手を置く。



「別に嫌ではないですよ。逆に私がおわたさんの優しさに付け入ったら嫌ですか」



 君が拒まないなら、慰めの言葉をかけてもいいというのなら、僕は振り返り両腕を広げた。



「嫌なんて言うわけないだろ。ほら」



 その言葉に安心したのか、マサハルはまっすぐに僕の胸に飛び込んできた。

 僕の腰に腕を回して胸に顔を埋めているから表情は見えないが耳が真っ赤だった。

 その姿がいじらしくて、マサハルを抱きしめ返してしまう。



 僕はマサハルの寂しさに付け入って、マサハルは僕の優しさに付け入った。僕らの利害は一致した。言い訳と周り道を繰り返して、ようやくお互いを抱きしめられた。


 マサハルは僕を抱きしめる腕に力を込めて囁いた。



「誰にでも優しくする人は嫌ですけど、おわたさんが他の誰かに対してこんな風にするのは、ありえないでしょう。だから嫌じゃないです」

「僕は君にだけ正直で優しい僕で在ることを選んだからね」

「自分で優しいって言うのですか? まあ、真実ですけど」



 数秒間限りの抱擁はマサハルが弱い力で僕の体を押しのけたことで終わりを迎えた。



「これ以上泣いているところを見られたくないです。もう大丈夫ですから」



 本当に大丈夫だったら強い力で突き飛ばすだろう。未だに両目から涙が流れたままの弱々しい拒絶は受け入れられない。


 僕は強引な手段に出ることにした。嫌われるだろうし殴られるかもしれない。下手すれば復讐されるかもしれない。それでも泣いているマサハルを放っておけなかった。



「それなら僕はこのまま眠ることにしようかな」



 言いながらマサハルの腕を引き寄せてベッドへ導き、そのまま布団を被せた。

 今、僕らは保健室の一人分のベッドで並んで寝転んでいる。詳細に説明するとマサハルが逃げないように左腕で抱き寄せて右腕で彼女を腕枕をしている。

 僕の大胆な行動にパニックを起こしたマサハルは大慌てで状況の説明を要求した。



「ほわたさん! いえっ! おわたさん、あの、これはっ」



 ぐう、といびきをかき、本日二度目の狸寝入りをした。都合が悪くなったら寝たふりに限る。



「嘘、寝ているの?」



「起きているよ」とは言えない。言えば確実にビンタされた上に復讐される。

 だが僕の予想に反して、いつまで経ってもマサハルのビンタは飛んでこなかった。


 息を荒げながらもぞもぞと動いてなけなしの抵抗を見せていたマサハルだったが、その呼吸はだんだんと穏やかになっていった。安心したのか甘えるように僕の胸に顔をこすりつけて何度も頭を押し当ててきた。その度にマサハルの髪からふわりとシャンプーの匂いが広がると、僕の心の中には二人で頭を撫で合った時の優しい気持ちが蘇った。



 薄目を開いても僕の位置からはマサハルの顔が見えない。マサハルはどんな気持ちなのだろう。殴ったり押しのけたりしないから嫌がってはいないと信じたい。


 すぐ傍にマサハルがいると意識するほど胸の鼓動が早くなる。マサハルは僕の左胸に頭を押し付けているから心臓の音を聞き逃さないだろう。僕の狸寝入りだって既にバレているはずだ。

 それでも僕が眠っているふりをしているから、それに合わせて独りごちた。



「これなら泣いているところ見られないし、少しだけなら泣いてもいいよね」


 独り言に返事はしない。でも返事のような寝言ならば許されるだろう。


「僕も君も正しくはなかったけど、泣きたい時は泣いていいんだ」

「なんですかその寝言、でも、ありがとう」



 マサハルは泣いた。泣きたい時に泣けなかった涙が思い出したかのように次々と止めどなく溢れてきたから、つられて僕も泣いた。


 マサハルを抱きしめていたのに、いつの間にか抱きしめられていたから情けない。


 思えば僕も、ずっとちゃんと泣いていなかった気がする。強がりはお互い様だったんだ。

 似た者同士の臆病者の僕らは互いに憧れ、互いのヒーローで在ろうとして、どうしようもなく惨めで罪に塗れていた。そんな僕らでも涙を流したっていいんだ。

 笑うことも、泣くことも、生きることも、神様に許しを乞う必要なんてないはずだ。



 こうして夏休み最後の夜は更けていった。

 遠い夜空の向こうではペルセウスとアンドロメダが微笑んでいた気がした。



【八月七〇日 晴れ】〈夏休み最後の夜は、とても幸せな時間でした〉

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