1-3・誰もいない世界
日が沈む時間になるまで町を探索してわかったのは、町のどこにも僕たちの他に誰もいないことだった。
誰もいないというのは人間がいないだけでなく、蝉などの昆虫や、雀や烏などの鳥類、川や海に棲む魚もいなかった。この町には僕ら二人以外に生物が存在しなかったのだ。
生物がいない静かすぎる町は廃墟のようになっていたというのに、電気やガスや水道などのインフラが無事な家屋や施設が多かったのが謎だった。誰も使わないだろうに。
そしてなによりも不思議だったのは、海が無かった場所に海ができていて、その中心に巨大な球体(月に似ているので『月』と呼ぶことにした)が鎮座していたことだった。
探索を終えた僕らは学校からほど近く、月が浮かぶ新たな海を臨む小高い丘の上にあるスーパーで夕飯の買い物をしていた。
惣菜コーナーでジューシーから揚げ弁当を見つけて買い物かごに入れながら、マサハルはなにを買うのだろうと彼女を見やると目が合ってしまった。
急に視線を逸らすのも変だろうかと悩んでいる間にマサハルは目が合ったついでみたいに僕に気軽に問いかけてきた。
「聞き忘れていましたが、転校したおわたさんがこの町にいるのはなぜでしょうか」
「また転校してこの町に帰ってきた……ような気がする」
奇妙な返答にマサハルは首を傾げた。僕も同じことを誰かに言われたらそうなるだろうな。
隠していても現状が変わるわけでもなし、正直に自分のことをマサハルに打ち明けた。
「実は昨日までの記憶がいくつか曖昧なところがあるんだ。君のことも名前を聞いたら思い出せたから、きっかけさえあれば他のことも思い出せるといいな、なんてね」
「おわたさんは意外と面白い人なのですね」
どうやらマサハルの中で僕は記憶喪失系不思議キャラに分類されたらしい。両腕を上げた顔文字のようなあだ名で呼ばれる僕にはふさわしい分類だ。
閑話休題、話を本筋に戻そう。マサハルに町の変貌について聞いてみた。
「僕が転校してからの三年間で町がこんなに様変わりするものだろうか」
「私はずっとこの町にいましたが昨日までは町に人もいましたよ。建物も朽ち果てていませんでしたし、海も月もあんな場所に無かったです」
「昨日と今日で違うのは、僕がこの町にいること。つまり、僕を倒せばすべてが元通りになる、もしくは異世界や平行世界に迷い込んだとか」
「後者のほうがおわたさん元凶説よりは可能性が高そうですね」
スーパーは外観こそ寂れていたが、客や従業員がいないだけで商品は潤沢に揃っており、買い物をするには問題なかった。
だが店員が不在でも金銭を払わずに商品を持ち帰るような人間になるつもりはなかったからセルフレジで会計を済ませた。
買い物を終えた僕らは近くにあったベンチに座り、一日中町を歩き回った疲労の回復と空腹を満たすために夕食を摂ることにした。
マサハルは食欲がないのか、ゼリー飲料を少しだけ飲んで残してしまった。その横でジューシーからあげ弁当を頬張るのは気が引けたが食欲には抗えない。
「人はいないけどインフラも無事だし買い物もできるから、しばらくは問題なさそうだね」
「しばらく? ああ、現状が終わるまでの間ですね。それが一日なのか一週間なのか、それとも一ヶ月以上続くのかはわかりませんけれど……」
マサハルはなにかを決意したかのような顔つきで立ち上がり宣言した。
「ですので私、今日から学校に泊まろうと思います」
夜空に光る星々に負けないくらいに瞳を輝かせながら学校へ泊ることについて熱く語るマサハルは今日一番の元気を見せていた。
「家庭科室で調理可能、トイレは各階に配備、保健室にはベッドがあり、お風呂が恋しくなれば近所の銭湯に行けばいいので至れり尽くせりです」
「こんな状況でもないと学校に泊まるなんてできないもんね。でも広い校舎で一人きりなんて大丈夫かな。怖くない?」
「ご心配には及びません。一人は慣れっこですから」
誇らしげに語るマサハルの表情には寂しさや悲壮さなんてどこにもなくて、今も一人が好きで僕が転校してからの三年間も、彼女が一人を選んで生きてきたことが伝わってきた。
そんなマサハルは格好良く見えた。
夕食を終えて学校を目指すと五分ほどで校門前の最後の関門の長階段が見えてきた。
しかし、一日歩いた足では数百段もある長階段に挑む一歩を踏み出すのにも躊躇ってしまう。
そんな僕の心境を察してかマサハルは立ち止まり、丁寧に頭を下げて感謝と別れを告げた。
「送ってくださってありがとうございます。ここで大丈夫です。それでは今日はさようなら」
「明日には元の世界に戻っているといいね。それじゃあ、ばいばい」
よほど学校に泊まるのが楽しみなのだろう、マサハルは疲れを感じさせない身軽さで長階段を飛ぶように駆けていった。
僕らの別れはさっぱりとしたものだった。この別れが物足りないと、これは違うと感じるのは、なにかを期待していたからだろうか。なにかって、なんだよ。
たった数ヶ月だけ同じクラスだった奴なんか一緒にいないほうが互いのためだ。今日一日、僕と一緒に行動したのだって本当は嫌だったのかもしれない。迷いなく学校へ駆けていったのがその証拠だ。きっとマサハルは一人を愛する人だから、僕ら以外誰もいない世界でも楽しそうなんだ。
「誰もいない世界、か」
呟いて長階段を見上げる。僕は帰路へつくはずだった足を反対方向に向けて、長階段の一段目に座り込んだ。ここで足の疲労が回復するのを待つことよう。